本家旅館は岩手県田野畑村平井賀にあります。深田久弥の著作に紹介されていたのをきっかけに3度ほど訪れた事がありました。10種類にものぼる魚料理と、そこからの陸中海岸の眺めがご馳走です。吉村昭も宿泊したことがありました。
しかし昨年の3・11大津波で、高台にあつたが故に浸水等は免れたものの、女将はショック等で営業はやめていました。その本家旅館が営業を再開したことを知り、三陸鉄道も宮古⇔小本間と久慈⇔田野畑間運転再開をニュースに聞いて、近いうちに再訪をと考えていました。家人の大学時代のクラス会が8月23日~25日の2泊3日で、仙台を中心に行われるのに便乗して、私もその会に参加させて貰い、併せて本家旅館再訪の旅計画を、6月に立て始めました。(写真:歳月を物語り、建物は古びています)
旅館に電話すると女将が出て、予約受付より前に「眼下の家々がマッチ箱の様に流されて行きました」と津波の凄さに話が及び、そのシュックの大きさを知るのでした。その後多くのお客さんからの”是非再開を”の声に後押しされての営業開始であったとも語っていました。
虫が知らたのでしょうか。出掛ける直前の8月20日(月)の午後に電話すると、比較的若い男の方が電話に出て「この暑さで、女将熱中症に倒れ緊急入院しました。料理等女将が一人で切り盛りしていましたので、暫し休業です。私は留守番を任されたものです」と。吃驚すると同時に慌てました。新幹線指定券を含めキップは既に購入ていました。旅の前半部分はキャンセルしようかとも思いましたが、残念な気がして、宮古・小本を中心に代替宿を求めて電話申し込をするも何処も満室。何度かの電話の後、宮古のビジネスホテルに辿りつき、8月21日(火)に出発と相成りました。
上野⇒(東北新幹線)⇒盛岡⇒(JR山田線)⇒宮古 で宮古到着13時4分。
今回の旅では、遅きに失してはいますが、大津波で被災した土地の様子を一目見ておきたいとの思いがありました。バス出発地点の宮古駅付近までには津波は押し寄せて来なかったようです。浄土ヶ浜へのバスは被災した街中を巡ります。海岸すれすれを行きます。コンクリートの土台のみが残り、無情にも夏草が背高く生い茂ります。そこから僅かの高台には民家が立ち並び、著しい対比をなしていました。当たり前すぎることですが、僅かな標高差が運命を分けたのでした。(写真:宮古駅まで500mほどの地点にある岩手銀行宮古支店前)
かって修学旅行引率で巡った浄土ヶ浜は、その時と同じような穏やかな姿を見せてくれましたが、「レストハウス」内に貼られた写真が、当時の津波を物語ります。松の幹の変色部分から津波の高さが推定すると、屋上をも一飲みにしただろう津波の高さです。この地は幸いなことの、海直ぐに山が迫り、急な道路を昇れば安全な場所への避難が容易だったようです。(写真:この日は穏やかな浄土ヶ浜の海)
(写真:浄土ヶ浜を特徴づける岩塊)
(写真:シーサイド館内の写真より)
(写真:同じく館内の写真より)
宿泊は不可能となった田野畑の本家旅館へは、やはり明日行って見ようと決心してから床に着きました。
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建物だけでも残されていたとのこと。大変嬉しかったです。女将さんは御高齢とのことで、現在は旅館としては活躍してないのでしょうか・・・。いつかは行きたいと、北山崎からの景色を見たいと、目の前のことに追われながら、日々過ごしております。
また情報がありましたら、よろしくお願いいたします。
いい機会と思い、旅館に電話(0194-33-2411)を入れましたが、何方も電話口には出られませんでした。