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ゆうゆう職場

地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。

冠山峠を越えて(無茶ロード)

2019-06-18 21:21:55 | Weblog


愛車デミオ号で娘婿の仏C君を連れ、岐阜・揖斐川上流の徳山ダムと福井県境となる冠山峠へ出かけた。9時過ぎスタートで、越境できたのは2時を回っていたはず。武生でおろしそばを食し自宅着が6時30分ころ。ふぅ~走りすぎた・疲れた。が、助手席のCはもっと疲れたようで、朝から少しおなかの具合が✖だったの無理?させたせいか、帰宅後に直ダウン。今夜は好きなビールを控え(ワインでなくて、来日するとアサヒ超絶乾燥500mL✖6~8缶/日 のビール党・・・飯がわり)シャワーも浴びずに床についておる。すまん。峠道好きなおぢさんにつき合わせて。息子や娘も子供のころには私の運転では決まって”頭痛い・ゲボ出そう”と情けなそうな顔になったもの。ハンドルを握り、山道好きなオヤジに嫌になっていたのだろうなぁ~~~すまん。妻だけは、諦めてか、グゥの音を上げることなく付き合ってくれて、今までありがとう。
 このコース、20年近く前になるか・・・・亡父を助手席に1度完走、2度目に出かけたのが晩秋に近く峠が通行止めでスゴスゴとUターン大垣でうどんを食しての帰宅が懐かしい。別に、妻とも出かけたこともあり峠から近くに見える冠山へ登山まねごとしたが結構時間がかかったことが懐かしい。なぜに冠山にこだわる? というのは、30歳台のころ職場仲間の山好きなT君に引っ張られて、S君ともども冠山近くの若丸山へ藪漕ぎ登山をしたのが懐かしいから。一日目は峠からの冠山往復で足慣らし登山、下山後に少し戻り若丸山への林道(だったハズ?)沿い小川のそばでキャンプ、翌日出かけたのだが酷い藪で知らないうちにハイマツの上を歩いておったりして・・・結局、T君判断で頂上へ200m高を残して残念退却。彼らとはその後もいろんな山へ出かけたが、一番懐かしいのがこの奥美濃の山。若い頃は好かったのだなぁ~その後、職場問題で彼らとギクシャクしたこともあるが、ま、いいか。
 ところで峠までにある有名な徳山ダム。第二の堰堤高さのロックフィルダムであり、貯水量は奥只見ダムの4億5800万m3を超える6憶6000万m3で日本一!(今、ウィキ学習を済ませました)鮮やかなエメラルドグリーンのダム湖の水面下には村と住人達の想いが沈んでいる。あそこでもここでも、知らないふりをするうちに事が進んでいく。”仲間”になって懸命に言いつのれるようには、もぉなれないのだろうな。
 写真の色が単調に思え、数日前に空き地の草刈をしながら写した合歓の花を。