地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



何度も愚痴るように、在宅酸素しても息があがることが多くなってしまった。

当然、身体を動かすのが大義になりソファに延びてTV画面のお守りばかりする。せっかくの時間、読書でもすればよいものを読本に姿勢を正すと呼吸を意識してしまう。日に日に募る肺呼吸の不調は何故だろう。病の本質、肺胞間質の肥大化は分かる。間質が障害となり血管(というか血中)への酸素の拡散が邪魔されるのは理解しやすい。
 ただ、ベッドやソファから立ち上がって数秒もすると腹腔に化粧まわしを帯びた感じがしてしまう。ついソファに倒れ込みたくなる。たとえば食事後、茶碗を洗う軽動作でキッチンに立つと、腹部の拘束感が半端でない。咳もでる。トイレや部屋間の移動も同じ苦しさ。運動量も少ない延びた状態が病んだ肺に優しいのはよくわかる。しかし、立位の苦しさは何故だろう。とりあえず、以下に考える。
 寝た状態では横隔膜が肺臓に沿うほどに柔軟な動きを示すのに対して、動いたり立位では横隔膜が下位に移行してしまい、肺臓の伸び縮みに付随できないのじゃないか と。これ式に考えると、立ち上がっての苦痛もよくわかる。ただ、動いた苦しさを無くそうと、ベッドで横になっての1~2分間ほどの苦しさが理解できん・・・・

 ん、なわけで動きたくないのだが燕君のシーズンとなった。嬉しいことに2ペアができたようで、玄関先にひとつ、2mも離れていない軒先に二つ目の巣がお泊りとなりました。二つ目をお昼頃にパチリしたのですが、これだけの撮影でハァハァとソファに倒れる情けなさです。妻が逝って1年がたってしまいました。




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数日前から燕の飛行を観る。祖母の燕の飛来がなくなると家が寂しくなる・もっといえば家が絶えるの言葉が耳に残り、歳を重ねるほど・まして難儀な肺炎の身では、毎年のように・毎日のように燕記事をブログした。言った。燕は天敵を避けるため人の動きの近くで営巣するだけと分かるのだが、我が家に留まってくれるのは嬉しい。


 今日の午前、パソ横の窓から黒い飛翔を見かけたので、慌ててスマホ。そして窓を開けて、我が家に巣をかけよと燕に呼びかける。雨樋に留まる1羽も視たが未だペアにはならんだろう(写真の洗濯竿、年明け頃までは何とかボンベを背負い干したものですが、モォ動けなくなり家人の勧めで室内干しです)。玄関から外に出て天空にむかって燕に呼びかけたいのだが、それすら困難な酸素チュウーブに繋がれる身となってしまった。同じような身体でも昨年には酸素を吸いながら、軒先の巣を見上げることに苦痛は無かったが、今年は書いたとおり玄関を出て数歩歩くのも難儀になった。もぉ、部屋の窓から燕や巣の状況を観るしかないな。昨夜の入浴後、倒れ込むようにベッドに延びながら酸素濃度計を観ると、60を切って58と言う極低値で息も絶え絶えな状況。数分で95以上には戻るのだが、心配も増大。来週になったら在宅クリニックを訪問するので(その次からは医師に来ていただいての受診になるかな)状態の可否を尋ねます。
 


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 愚痴り続けるとおり呼吸困難が進む。立っておるだけでも、肺胞を満たそうとするも胸部背部の拘束が酷く、十分な吸気できない。酸素不足の心肺ゆえ、ちょとの動作でも不整脈が起こることがある。楽にしてソファに延びたり、ベッドで寝る分には自然な呼吸ができている と思う。1年近く前、妻が逝ってすぐ始めた在宅酸素療法。昨年の1月のブログを観ると月末頃に茶パイロット畑を無酸素でうろつく元気は残っていたようなのに、現在、酸素を吸っても情けない状況である。好きな車に例えれば、NA(ノーマル アスピレーション;自然吸気)から高馬力のターボ過給機付きの車に乗り換えたのに、気化器(キャブレター)が詰まっているボロ車だった・・・と。

 まだまだと気構えだけで日常を過ごそうとするが、一つ一つでなくゴッソリとできる事がなくなる。何もせず一日が終わる。たとえば今日の一日を言おう。

 朝6時前には娘が起床、朝餉を用意して仏壇にも食事セットを上げ、しっかりメークして7時前には車がでてゆく のを、ベッドで聞きながら、延びてしまう。8時前にようやく起床。着替えして洗面だけでハァハァ息があがる。リビングのソファに延びる。玄関の新聞を取りに動いても同じ辛さ。9時ころ朝食。すぐソファで魔法瓶のコーヒーと新聞とTVで過ごす。トイレに立つまではソファから離れない。1時か2時頃のの昼食を済ませてからも、午前と同じスタイルで過ぎてしまう。残る息子らに伝えたいことだらけである。せめて覚えのメモ と思うが、思うだけで起てない。動きだけでなく思考までだるくなってしまったのだ。
 
 と、書いてきたのが夕刻のころ。6時頃に小用に立つが、パソ机から10歩ほどのトイレの往復が咳を呼び、ソファに倒れ込む。ちょっとした動きのあとには咳が止まらなくハァハァと息があがる。倒れ込むと、何事も面倒になりそのままソファから離れない。せっかく娘が借りてきてくれた日本文学全集(今回は野上、林、宮本、幸田さんや平林さんの作品をまとめた分厚い1冊)に手を伸ばせばよいものを、安易なTVで楽をする。楽な方へ楽な方へと身体と思考を流せば、もぉ、8時前である。ちょいとだけ7時のニュースをみて、外国モノの犯罪画面を観る。Uチューブ的画面を観ながら娘の友達Mさんが山形から持ってきてくれた日本酒を飲んだ。このようにダラダラした日を過ごしておりますが、そのだらけた内容も少しは書いてみましょう・明日にでも。

 8時の今、ラインにレスしなかったために娘から電話。帰宅が9時になるらしい。先に夕食を済ますように とのこと。寂しく一人で済ませます。夕食はおもに娘が造るのですが、隣の嫁もちょいちょい作ってくれるので、楽に過ごせるのです。呑みすぎないようにします。ハァハァ言いながらのお酒・・・アカンのだろうなぁ~
 息抜きに、昨日の録画消化で気に入った画面を貼り付けます。六角精児の呑み鉄ダイジェスト版から、只見線の一画面です。いつも流れるヂーゼルは特別として、折々の島倉千代子・愛のさざ波がよろしい。2007年6月にはR252を愛車306で駆けたのですが、土地の風景を肌で感じるのは道路より鉄路の旅が好さそうに思えます。鉄路の方が人々ともに過ごした時間が長かったのかな と。道路は車社会になってようやく開かれたと。


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吸気能の劣化が著しく、立つって居るだけで呼吸し難い。こうやって机に向かいパソするだけの座位でも、肺胞の弾力が無くなったこともあり、一杯に吸気しようとするにも腹腔・胸腔の壁に当たってしまう苦しさがある。半分も、いやその2/3くらいの肺活量だろうな。
 起床後の洗面だけで苦痛。玄関で新聞を取って来るだけでソファに座りたい。食事後で食器を洗うくらい と手を動かしただけで、疲労感。入浴後のバスタオルもソコソコに裸でベッドに倒れる。オキシメーターのSPO2は70%を切る。洗髪すれば辛さは倍増。食欲もなくなり、漬物類を好む。
 息子夫婦らに終活代わりのメモを残したのだが、そんなことまで面倒に感じる。何もかもから逃げをうっている。ま、昔からそうなのですが。終日、TVの前のソファに延びております。四六時中の在宅酸素でも動きにくい身体になりました。


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