地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場




最近は朝の通勤ルートを変えて、職場近く、北部を流れる
よどんだような川沿いを走らせる。
さらに最近、河川敷の生い茂った草木を除去し始めた。
つる草に覆われた地面が、更地?に戻り始めた。
未だ、重機が働いているが・・・・
 職場ビルの3Fに居る、前職場でもお世話になり、
今は鉄鋼を離れて太陽光発電を担当のT君によれば
(あ、彼は私よりも大分に年下です)
C電力下請のCT社がT君職場仕事同様の
メガソーラー用地として聖地中とのこと。
なるほど。自然か、でもゴミがたくさん捨てられてたんだなぁ。

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組のバス旅行、2日目スタート。
昨日のお酒が堪える。いつも、なんであんなに飲んだのだ・・・
しかも見学先の第一番は、重いところ。
松代象山地下壕。そこを、なぜか、酒造の元気な女性従業員が案内してくれる。
バチか。

適当な記事をコピペしてみる。(当然、帰宅後の書き込み御免)
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松代象山地下壕について

 松代象山地下壕内部の写真です。松代大本営地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)
(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に
碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。
 ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、
川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。
 第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、
政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の
終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、
全工程の約8割が完成しました。
 この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、
また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
 なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、
必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります。
 松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として
、多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています。

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壕内での説明も、この頃のぎくしゃくしだした隣国との関係を配慮してか、
注意深くなされた。以前なら、朝鮮半島から強制連行した労務者を鞭打つように働かせ
掘りり進めた となされるところ、米一升が40銭の時代に2円の日当を出したので
進んで仕事に就いた とのこと。大●組が元請けとか。
私は信じない。信じたくない。
第一、そんなに高給ならいくらでも日本人が就いただろうに。
この壕の存在を私ごときでも知るくらいに広めてくれた地元の高校生にはお礼を。

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秋に恒例となったわれら西組の旅行。
昨年は日帰り、本年は泊りがけ。
長野の温泉へと向かう。
嬉しいことに、トイレ付きのバス。
1年前からの予約が必要と、I幹事君の談。
 先週は秋田の温泉と、
初めて連続して温泉旅行を楽しめる。
宿は由緒ありそうな、少しギシギシするが
木造旅館。湯もよし。
ただし、夜中に目が覚めるのは辛い・・・

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(後日記)
秋田出張にあわせ本務の前日と2日目の午前に、なんとか休暇をとれた激務の妻と久しぶりに一緒して旅することができた。
2泊だから2日目午後と3日目の午前中も妻は秋田文化祭で過ごした様子。
1日目、雨もよいの空港からレンタカーを出して一路南下。雨も上がりつつある。
今日は(といっても後日まとめて書き込んでいる)まず象潟、反転北上して角館、
宿泊は乳頭温泉 というややハードスケジュール。
 父が亡くなる前年の6月に、思い立って306を一人で運転して象潟まで北上した。
成り行きはこのブログ2007-6-16(17日?)に記入。
妻にも是非象潟を見せたかったが、秋の季節が悪かった。象潟にはあの6月の緑が必要なようで、
今回も訪れた蚶満寺に薄桃色のネムノハナもなかった。芭蕉の象潟入りはやはり6月。
奥の細道では九十九島(つくもじま)と象潟の景観をたたえて、雨が西施が と
詠っている。
7年前にはそんなことも知らずにたまたま6月だった。当然なのに残念。
が、ま、観たことは好し、我が西施,妻のためにも善し。佳日。


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トイレに行くのもカギを開けてもらうような不自由な試験立ち合い(&刻印打ちでの試験補助)、無事7名の学科+実技3課題21枚分を昼食時間前に終えることができ、2又勤務のN氏もほっとして、さぁ塀の外へ・・・と、イチョウが目につく。折角の?塀の中、フェンスに近づいてパチリ と。秋が進む。

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一度大雨となれば、日本の山沿い・崖沿いではどこで土砂崩れとなっても
おかしくないし、川は暴れて切れることもある。毎年、ニュースになる。
ごく最近では広島で土砂崩れで多数がお亡くなりになる惨事も。
地盤が風化した花こう岩による真砂土で、含水すると崩壊しやすいと。
こんな土、いたるところにあるだろう。
 そんなで、台風が南方遠くにあるころからTV,ラジオが今度のは大きいぞ と
囃すくらいに騒ぐ。もちろん、騒がずに土砂崩れや氾濫がおこれば、非難されるから
少しの大声は仕方がない。が、酷すぎるだろう。これじゃ狼少年になるぞ。
 といいながら、私も雨戸だけは閉めましたけど。60年前に村の大工さん
(ツトムさん=ツトさん)に父が建てもらった家は、耐震診断には不安あるものの
歪みは無いとのこと。雨戸はまだ木の香りが匂い立ちます。それほどに
肩透かしを食らったような台風で、いつ通過したのかな という具合。
なによりだけど・・・


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市内では数種の踊り方のあるカッコ踊り。太鼓を胸につけて舞う。今夕も我が家にちかい白山神社(おっと、スサノオさんも鎮座)に奉納。フラッシュを遠慮したら、踊りの写真はなんじゃこら・・・疲れて?しゃがんだ図で終わる。


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昨夜から未明にかけて台風接近と騒がれる。
おかげで独り寝となる。朝、通勤途中では
あの騒ぎはなんじゃい と程に青空ものぞく。
ただ、台風の吹き返しの風もあり、
職場の窓から北の空を見ると雲が怪しい。
夕焼けの写真は、実は一昨日の畑作業の終わりのモノ。
並べてみただけですわ


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ようように植えつける。ネタは今年収穫した、多少小ぶりのニンニク片。
秋が進んだら、この畝の残りに同じようなネギ科のタマネギ をと、
段取りだけは進むのに、手足がついてゆけない。

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①いつもの通勤で気になるGS。
額縁の中に城址の石垣 と見ている。
が、うまく写真できません。
②この日の帰路のこと。
お尻スリスリのお車。大丈夫かい。
慌てて車中から取ったのが幸いして、
ボケぼけ写真となったからアップしてみました。

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