地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



大晦日もそれも夕方になり、ようやく妻と玄関先に門松の真似事をした。近場で採った竹、Sさんの山で採らせてもらった赤砂、山の空き地に植えた梅、そして妻が購入した松(最近は知り合いの山でも入手が困難)をザッと束ねて飾りつけにする。妻の実家で頂く赤いマンリョウがなぜか不作のため、南天で間に合わせる。粗末なモノだから暗闇の写真とする。百姓道具への感謝の飾りつけも例年のとおり。10年前も同じような写真を挙げてある。今年は灯が消えてからのパチリとなってしまった。よく働くトラクターにもお鏡さんを挙げてある。

 毎年のように飾りつけは28日まで を守ることはできない。こんな我家だから、佳い神様も通り過ぎてゆくのかしら。どうか佳い年が来てくれますように 祈




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一日、オムニのバーナーを炊きっぱしであった。灯油というよりも燃料油らしくケロシンと発音したく表題としたが、よかったのかな。ジェット機の燃料はケロシンと呼んでいる記憶。

糯米を蒸して正月用の餅搗き、つづいてサツマイモを蒸し干し芋作りにフル運転。アラジンのストーブほど青くはないが、灯油が燃える青い炎にホッとして暮れの雨の一日を大掃除からも解放されて過ごすことができた。石臼と杵でお鏡さんとのし餅に3臼=計6升を搗く。朝の仕事であるから身体は言うことをきかず、何年やっても杵を振るのは疲れる。生前の父のようには杵を振り下ろすことができない(杵を挙げるのも辛くなる)。1月の寒餅では、父が青年の頃には暗い朝から夕方近くまで餅(主には田舎の餅菓子;アラレ・かき餅)を搗いたらしく、私が十代の頃でも昼前後まで搗いていた。アラレやかき餅の他に、のし餅を保存用に水餅として長く食べたのも懐かしい~・・・ただし、食生活の変化が主原因であるが、母の手もなくなり20年以上前には寒餅搗きを止めてしまった。



さて、わずか3臼でも杵で搗くのは珍しいようだが、白状すると半分だけの杵搗き餅である。餅搗きで一番疲れる小搗きを右の回転”攪拌”餅搗き機に任せている。このあたり、昨年末に記したとおりで、30年以上前からこの手法としたが、40年以上は十分前からのように思う。



バーナーの具合は圧縮ピストンを小細工修理したのでひどく調子よろしい。今年は別の小細工で昨年悩まされた餅搗き機の回転羽根不具合を直し、丁度好い小搗きをできるようになった。さっそくに白菜と油揚げだけの”菜餅”として朝食替わりとした。我が家の雑煮はこのタイプ。
うん、美味い。



サツマイモを蒸すのにもバーナーが活躍したが、長時間運転したのはタンクの中にある昨年からの灯油を消費しようと空運転をしたため。昨年末のピストン不調の折にたっぷりと使ったオイルが混じった灯油は燃焼によろしくないハズ。実際、今日の運転でも灯油気化用のニードルバルブが詰まり気味になるのか、やや炎が安定しなかった。ただ、都度、弁のつまみを回してニードルを前後して通路の介在物?を燃焼?させてやることで快調な運転が続いた。今年の春先にこの不良灯油をファンヒーター燃料としたら、たちまちの燃焼不良で分解掃除となってしまった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




面白味もないブログさえ書くことができず床に就くことが多くなった老境。ずっと昔に読んだ文庫本・たしか朝日新聞・デキゴトロジー の一節を思い出す。義父の元・東大?教授の老人のこと、新聞を毎日隅から隅まで読み通すことを日課とされていた。読み終わるまでは嫁が新聞を片づけるのを許さない。が、注意深く?経過を観察すると、一日遅れ、一週間遅れ、ひと月遅れの新聞が山積みとなり、ついに一年前の新聞紙を今日開いてみておる となった。ここまではいかんであろうが、近い。
 そこでここ何日間をさかのぼって記しておく。今日は暮れの大掃除の真似事でたいしたことはない。昨日、夕方となり図書館に行く。でてみると小雨が収まっていたのを好いことに、鈴鹿川左岸に軽トラを止め、まずボンベ製造会社(旧・Nボンベ 改称・SKボンベ)へと散策スタート。随分と暗いため蛍光反射タスキを斜め掛けする。不意の小雨にそなえて折りたたみ傘を作業ズボン尻ポケットに差し込んでおく。このあたりには何社かがかたまってあり、うち一社には溶接関連でお世話になった(見学会を引き受けてくだすった)N車両製のタンクが据えられてあり、思わずパチリ。鉄道車両だけと思い込んでいたが排水処理装置も手掛けてみえたのかしら・・・



 すぐに4隅に古武士(律令時代の雰囲気ですな)の像が据えられたヤマシタ橋を渡り右岸へ。ひたすら東進(下る)する。18世紀後半の生田氏による河川改修事業を顕彰した市教委の看板を見るようになれば折り返すべき野村橋が近い。ふぅ~35分ほどの散策であったが、よぉも馬鹿らしく歩くものよ と自己採点。



 図書館では邦人作家(名も知らなかったが、裏表紙によれば直木賞作家さんとのこと)のを1冊借りて、1冊を返却と同時に持参した”粛清”とされた本をいったん返却・同時借り出しの延長手続きを取る。ベルリンさんのご本は愉しく?読ませていただけた。やはり短編しか読み切れない性分なのかしら・・・ただ、継続読書しようとする本はベラルーシが舞台で、最近好きになりつつある北欧モノに近い(範疇なのかな)のが好いのか知らん。夜の友です。



 夜の友と言えば、月半ば頃に再放送された六角精児さん・吞み鉄の旅;くま川鉄道 で触発された球磨焼酎を初めて晩酌の友としました。ずっと、泡盛→芋酎が長かったのですが・・・いつまで続きますやら。ほんで、下の写真の下に敷かれた新聞紙に小さいですが新名神の亀山ループの写真が載っております。私のカーナビでは全く役に立たんから気をつけなければいけませぬ。



 暮れの都大路 で始まる高校駅伝。気になったのは男子生徒の足元がピンクのシューズであったこと。誰か、意地悪な唄にしあげてくれないかしら・・。 ふぅ~焼酎が回って眠くなりました。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昼前に市の南部へ、里山の道をほっつき歩いた。今、ブログをさかのぼると今年の1/21に同じような場所を歩いておる。

いつもの平坦地の散歩とは違い山の中では時間の過ぎるのが早いのか、軽トラに戻るまでに1時間40分ほどもブラついていた。我が家の周りでは(ほんに1km以内のこと)昭和40年代から団地開発がつづき、それを追いかけるように20年ほど前からはミニ開発が続いている。数年前からは実家のすぐ東にあった田圃が埋め立てられ、70戸余りの宅地がほぼ出来上がった。周りには里山は無くなったのは当然、初夏に愉しませてくれた蛙の声が聞こえなくなった。おまけは、開発区域に隣接してしまった私の畑でうろうろしておると、周辺にあった竹藪が切り払われ、新居2Fの若奥様と目線が逢いそうで気を遣ってしまう。竹藪を好いことにしていた特権の??生理現象処理をうかうかできないではないか!都度自宅トイレに駆け込むのが面倒である。仕方がないことである・・・そんな身には里山道はうれしい。

何度も訪ねた道でも、毎回毎回思わぬところへ飛び出して焦ってしまう。今日は以前歩いたことのある2つか3つのコースを適当に繋いでしまったようで、1.5倍ほども時間をかけてしまったのであろう。それだけ暇な時間が増えているのかしら・・・



 その暇な時間の午後、昨夜録画した六角精児さん;吞み鉄旅・近江鉄道&信楽高原線をみる。滋賀県で西部ライオンズカラーのバスが走るのを不思議に思っていたが、この番組で西武の堤康次郎氏が昭和18年に不振となった近江鉄道を買い上げたことが始まり と分かり◎よかった。六角さんは沢山飲んでいたが、ちゃんと、大正時代に造られた機関車を悦んで・感心して眺めていてこれもよかった。今日是好日山荘 でおやすみなさい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




(小雨模様の日で、家に閉じこもって碌でもないことを考えていたら暗くなりました)

夕べのニュースの前の今、インド農村部の”葬式の宴”の番組が放映された。宴に必要な金を工面するためには、代々まで負債となるほどの多額の借金を子供達が背負うこととなる。宴への招待客数は故人の”顔”の広さに応じて決められるらしい。ちょいと暮らし向きが佳いともなれば、数万人に招待状を出すという。番組は父を亡くしてから宴までの2週間ほど、ある長男と周囲の様子を淡々と紹介している。
 ”ちゃんとした”故人を弔う宴によって佳いカルマ;輪廻(かな?) に繰り込まれる考えが根強くある一方、故人が残された子供たちの苦悩を天界で歓んでみておるだろうか・だから”無駄な”宴を止めなさいと進歩的な説得者も(かなり学識のありそうな)登場する。結局、主人公は2000人への招待状を出し多額のルピーを借り宴を実施した。1年すぎた後、1200ドルの借金が残っている。さいわい、村の上級者が子供たちの学費の世話をしてくれる。
 番組途中で、主人公の妻は娘に言う。おまえのおじいちゃんの葬式宴をすれば、おじいちゃんを(わずかにでも)知っている皆が集まってくれる。そうすれば、皆が私たちを知ってくれて、私たちの生活も旨く行く・おまえの縁談も持ち込まれるであろう と。これがカルマなのかな・・・

 私たちの葬式も少し似ているな、近い身内だけになりつつあるが節目節目の法事事も似ているな。ちゃんと済ますことで、ああMも何とかやっているなと認めてくれるのだな。来年の5月には父の13回忌、母の27回忌をもらう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




TVのコマーシャル画面、ルーペ状メガネのことで文句を書いた記憶がある。メガネの上に色気もたっぷりに女性のお尻をバタン・ペタンと落とすのが見苦しい。が、小泉、松岡、舘とよさそうな男性陣を起用しておるのが逃げ道か、まだまだ続いておりげんなりする。で、今日の文句はTクリニック整形のCM。最初は可哀想なシンデレラがでてきて虐められグスングスンする。と、T氏扮する魔法使いのおばあさんが杖を一閃することで姫に変身。問題は、その姫のは阿呆らしいほどのはしゃぎよう。おぢぃさんはあんなチャラチャラになるのなら、元の(純真な???これも少し怪しいですがなぁ)娘のままが好い と愚痴ってしまう。そして、妻からも娘からも距離を置かれてしまう。
 不用となったピアノ、貴重品、和服などをニヤニヤした社員が買取査定?し、悦ぶ利用者が出演するCMも、法律事務所の過払い請求催促CM同様に嫌だなぁ~と世間を狭くしておる。(今朝からの小雨模様で、パソの前・TVの前でグズグズしておるから碌なことしか頭に浮かびませぬ)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先ほど、少し酔いが回った身体で帰宅した。
毎月15日の午後は老人会の組担当による神社清掃日。今、指折り数えるに我が組では15軒(15名)に満たないほどの集まりだが、神社清掃に心掛けておる。男氏(おとこし?)は境内の草木削り、女氏(おなごし)は拝殿の清掃との不文律で、ざっと!仕事を片付ける。
 大事なのは直会?の、作業時間の何倍も愉しく語らう直会のひととき。月に一度;15日にきめられた この日が待ち遠しくなった、一年未満。やれ、婿養子の&地所持ちのOはケシカラン・態度のひとつひとつに腹が立つ、昔の人(集会の親御さん世代のこと)は人糞肥えを畑に散布して大変苦労なすった&牛を労役に使うのは大変であった なぞなぞ、私の世代から僅かに5年以上も前の方々と語りに、(亡父の語りを想い出し)うなずき・相槌を打ちながら愉しいひとときを過ごす。  やめられませんなぁ~田舎暮らし・・・・当然、写真ナシ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日暮れ近くの1時間余り、4枚の田圃の畦周りをトラクターで周回して片培土揚げを済ませた。培土に仕上げた後、畦周りが気になっていたのだが、ようやくの仕事で田面の乾きもよくなり冬を暢気にすごせる。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




天候も安定しているうちにと、田圃でトラクター作業。ロータリーで砕土した土を谷揚げして培土様に盛り上げる。面倒ではあるが、土が少しでも乾けば と亡父母の頃から行っている。前回は11/21だから1ヶ月も措かず私としてはマメである。ただ、理由がある。小屋に使わなくなった単肥;塩化カリ=(KCl ですな)20kg袋が10個ある。父がまだ元気な頃、稲草の倒伏防止用にJA購入したのだが、使う機会もなく放置ママであった。昨年頃から処分を考えたが、畑に使うわけにもならんのでJAに尋ねた。ところ、ま、不要な物なら土作り材と考えて冬に田圃へ鋤きこみなさい とのこと。


 そこでトラクター前部に散布機を据えての作業である。好天でガラスキャビンの中では居眠りしそう。散布するのが肥料であれば、効き過ぎに注意も必要だが、ケイカルのような土質改良材を撒く感覚でザッパな散布調量でよい。おかげで4時過ぎには4枚の田圃(9反あまり)を無事終了。作業中の下の写真の黒っぽい右半分は培土し直した部分で、前回の培土の中央を割るようにロータリーを掛けている。
 帰宅して、仏に戻るC君を見送る・・・早退した娘が関空まで送って今年最後の!一夜を共にし、明日の午前の便を見送って遅刻出勤するとのこと。気をつけて!なお、当然、冬休みは娘が仏へ飛び、2月にはC君が訪ねてくれる。忙しい二人に幸多かれ と。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午後も遅くなったが、仏Cと軽トラで宮妻峡入り口に紅葉を観に出かけた。岐阜を訪れた昨日の続きのつもり。同僚だったM君が教えてくれたとおり、辛うじて紅葉気分を味わえCも歓んでくれた。チラホラと散策する人を数えることができるが、ちょいと病葉に近く曇天でもあり映えが無かったのが残念。やはり、11月下旬のものかな。



帰路、娘とCの結婚式場となった椿大社を訪れ、3年ぶりのCは感慨も新たな様子。よかった



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ