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ゆうゆう職場

地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。

2023-03-26 10:46:34 | Weblog
22日の夕刻に自宅で妻が死去しました。介護の方が身体を拭って横にしてくだすってから2時間も経たない安らかな旅立ちでした。
賢妻・剛妻でしたから、通夜式で話したとおり私のアンカーを失いました。
家族葬としましたが、広範な妻の繋がりで沢山の方々が駆けつけてくださり、『ふじちゃん』『ふじ子先生』と言ってくださいました。
 遅すぎるのですが、妻に頭が下がります。ベッドの上で、『次も一緒して』と言ってくれました。料簡が狭い私にはもったいなすぎたような。

不可逆

2023-03-16 21:25:29 | Weblog
残念ながら肺線維症気味となったf-NSIP間質性肺炎のため、夕刻に出向いた市立図書館と薬局(ドラッグストア)内を歩くのも息切れでしんどい。日に日に肺胞の可動域が狭くなる感じがする。この身体になって歩くことの大切さがよく分かる。酸素欠乏症の血液のため、ふくらはぎに力が入らない。立ち上がっただけで妙な浮遊感を覚えてしまう。やれやれ。時系列の経過で改善したり、外科的あるいは服薬療法では肺胞の活動域が広まる可能性がゼロで、病態の進行は不可逆なのだ。あと少しで自宅酸素療法;HOT 間違いナシと思うと、張り合いがない。父がよく口にした『3月春ハサギ』のとおり、野の特に田圃は良く乾いておる。春本番に備え、トラクターのロータリー作業で田面砕土するAさん、Bさん、Cさん・・・ら。軽トラに乗るだけが作業となった私は羨ましく見つめるほかありません。Ⅳ期末の妻の病態も勿論不可逆です。待つしかないのです。それなのに、自分の身体がエライために、少しも優しくしてあげれないのです。

ニュースとなると真相は

2023-03-14 19:45:01 | Weblog
粗い思考力しか持たない私は、最後には道筋を見せて落としてくれるスパイや陰謀の映画が好きな単純爺さんである。だからケイト・ブランシェットが活躍する『ニュースの真相』も、正確な評論は措いても好きである。
 何よりも大事な(気に入ったのは)ことは彼女の『文書のフォントが とか日付が大きく取り上げられて、肝心のブッシュが優待を受けたか否かが論点とされなかった』との最後の画面の方で出たセリフである。そのとおり。AB総理時代のモリカケ問題で、国会が無駄に空転していたことを想い出す。犠牲になった赤木さんに申し訳ないし、改竄が認められたのに嘘をS川が生き残ったのは腹立たしい。文書がどうの とかの論点に持ってゆけば、文書を管理する官庁の勝ちである。違う切り口で攻めてほしい。それこそ、野党の議員諸君全員が国会の場で政府を相手にせず、我ら国民に向かってシンプルに『こんな不正には断固として戦おうっ!』と言って欲しい。ABや最近の奈良選出のT元総務相が求める悪魔の証明的な戦術に陥ってはいけない。敵は忖度大好きな高級官僚に守られておるのですぞ。

《それにしても気になるのは、政府が番組内容を「判断する」という言葉を平然と国会で口にしていることだ。》(朝日新聞のコラム3月8日、田玉恵美)

燕飛来

2023-03-12 15:27:53 | Weblog
数日前から窓越しに時折鳥の飛影を感じる。喜んでパソ画面から眼を移すものの、飛び去ってしまう。燕と思い込むから喜ぶのである。幼いころ祖母から聞かされた「燕が飛んで来なくなると、その家は栄えなくなる」「死人がでる」が刷り込まれている。そんなことで拙のブログでは春から夏にかけ燕記事が多くなる。
 さて今日、雨模様の昼下がり、4/2自治会総会を控え正副会長から神社活動の監査をうけた。署名と押印をいただき、会計のH君ともども晴れ晴れする。もっとも彼は1年限りが約束の補充任期であったが、私は総代3年の来期1年が残っておる。区切りは嬉しいもので、眼を空に泳がす。症状が進む妻の病が頭を重くするが、空を観るのは好いものだ。上手くしたもので、燕君もちゃんと飛んでくる。まだまだ我が家の軒先をめがけてくれず、せいぜい庭先を滑空するだけだが眼に嬉しい。治って とは思わんが、せめてあと少し と燕に託しております。

春の歓びと銘菓と神仏混交と

2023-03-01 17:38:53 | Weblog
今日は弥生の朔日だが、伊賀島ヶ原にある正月堂の修正会(2/11ー2/12)をメモっておきたい。春を待ち寿ぐ習わしだろうが、TV録画を観て2件ほどが面白い。村民が豊穣と繁栄を願うに大きな鏡餅をお供えする。5ヵ村それぞれ代表となる頭屋のお家で千本杵で20kg/臼 の鏡餅を5臼(5段)搗き上げる。饅頭型した20kgの餅ではなく飯櫃(お鉢)にあけて固めた円柱の鏡餅である。11日になるとそれぞれの村が5個のお餅をお寺に担ぎ込む。こうして5段×5列の鏡餅が祭壇に飾られ、祭りが始まる。
(ここで脱線。神社総代を勤めるため、つい祭り・祭事 と単語をつかうが仏事でも祭りでよかったのかなぁ~?)


 さて、にぎやかにこやかにお餅を搗き、鏡餅を担ぐ人々が羽織る法被を観ると襟に白く抜かれた「せきのと」の文字。ここでトラップに捕まってしまった。我が市の西方端の、重伝建「関宿」の古さが売りの街道沿いに由緒あるお菓子処F屋さんがある。銘菓「関の戸」を造ってみえる。遠方への出張時やお世話いただいた方へのお口にと、求めるこがある。同じ発音は単純脳をショートさせ、島ヶ原と関町を繋げてしまった。

止めれば好いものを、法被を奉納されたのかF屋さんに尋ねてしまった。F屋さんの姓が伊賀に多い(忍者でも有名な)Hさんでもあり、間違いないと思い込むのであった。しかし、F屋さんから否定され、後になり正月堂関係をWEBすると「節句之頭 」がなまった?らしい。いかにも春を寿ぐようで善い文字です、セキノト。

別に面白く嬉しく思ったのは、二日目の僧侶の五体投地の祈りのそばに、なんと、笏を持った神主さんが控えて居ること。神仏混交で嬉しかったです。説明が難儀なのに、録画消去で絵を拾い出しました(手前が投地する僧侶、左奥には白装束の神主さん)。