地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



娘に購入をたしなめられた銅製のキッチン三角コーナー。プラスチックのモノより金属製が欲しかったのは金属屋崩れの気概!どうもプラ表面の薄汚れ気味なのが許せなかった。金属コーナーとなれば素材はステンレス鋼か銅しかないのが現状。大好きなチタンでは加工法とコストに難点があり、アルミは軟らかすぎる。とりあえずステンレス鋼のモノを使用していたが、生ゴミによるものだろうかヌメリが酷かった。そんなヌメリなどは都度洗い流せばよいのだが、銅の滅菌減菌効果が脳裏に浮かび銅製のコーナーを入手した。以前に2度ほど試した銅メッシュのコーナーはワイヤーが破断しやすかった。そこで銅板にパンチ穴をあけたタイプのコーナーを大枚6,000余円で通販に支払った。1か月以上経過するが、銅の表面酸化による変色はあるもののヌメリがなく、大正解です。



 ところで白状します。金属屋崩れと豪語!しておりますが、今回の銅の滅菌作用や白金・ニッケルの触媒作用などの仕組みはさっぱり説明できないのです。化学方面、ちょいと苦手です。3度目の職場・公設試験研究場で新人の頃、同世代の化学女子にイロイロ教わっていた時、『あ、判った!◎〇さんビーカーの攪拌の仕方が分からないのでしょう』と言われましたがな・・・攪拌ガラス棒が震えました


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先もない人生、恥のかき捨てで無智披露。

学校(ガッコといいたいですな)教育で三権分立と聞いた。立法・行政・司法の三権が独立しているなら教科書どおりでよろしい。ただ現状、実行機関である国会・内閣・裁判(特に最高裁)の相互は品悪く言えばズブズブに入り組んでいる。選挙を民主主義の間違いない手段とし、国会に胡坐をかいた議員連が内閣以下の行政を動かす。動きを邪魔されないよう都合の好い最高裁判事を選ぶ権利?は内閣にある。まして司法の裁判所の一方の主役の検事サイド、その人事も握られている。先に斃された総理の愚行!をチェックすべき検察、そののトップ検事総長の人事に内閣が手を突っ込んできたのは記憶に新しい。ドロボーが警官を兼ねておるようなもんですな。
 つい検察に言及ついでにもう一言。新聞で二行も、TVでは5sec.間もコメントしない「検察は不起訴理由を明らかにしておりません」。不起訴事案は行政機関に近しそうな人物が関した事案が多いように観る。マスコミも不起訴となるとフォローも何もなく事案の痕跡も消え、行政あるいは不当権力が望んだとおり人々から忘れ去られてゆく。こんな状況では、不当な起訴などお手の物だろうな。


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数年前から爪先端が変形気味である。間質性肺炎の病変例として貝状ともいえる”バチ爪”が挙げられる。すこしちがうが、屈曲と言えそうな先端の曲がりは同類と言える。病変ミクロだな。(やはり妻が逝ってからの)ここ半年間の変形が顕著で、爪先端が軟化したように変形してしまう感じ。小指のリングは妻がつけていたもの。薬指に喰い込んだ私のリング、消防署でカット宝飾店でン万円も出して繋いでもらったのに、1年余りで開口。うっちゃったまま。大事なフジサンが居なくなったので、せめてもと小指に。

 大儀なマクロ病変は横隔膜あたりの筋肉?衰えと思っている。もっとも、病理学的な肺臓組織の変化がミクローマクロで大変なのだ。HOT始めの頃には気にもしなかったが2か月前ほどから、起立姿勢での呼吸難儀が気に入らん。おそらく、縮んでしまった肺臓が横隔膜近傍の筋群を押し下げられないのだろう。起立姿勢では。起立姿勢をとるために多くの筋群が働いて緊迫してなかで、横隔膜の拡張運動がそれら筋群から抵抗されるのでしょう。
 「ま、皆さんそんなところですよ」・・・と、大好きなA・ブースさんの口真似をしておきます。脱力したとこで、TV番組で観た松本清張で、一つの代表作”砂の器”があったので、思わず中古DVDを求めた。丹波哲郎、森田健作、緒形拳や渥美清らによる1974年あたりの映画だった。ま、内容は読本よりも出来が悪く思ったが、一つ。ビール瓶はサッポロであった。今日び、どこに消えた?のサッポロは。私らの若い!頃はサッポロだった。名古屋出張での浩養園も懐かしい。あ、丹波哲郎のセリフはTV時代よりもよろしかったです。




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経済学でありません。疾病の間質性肺炎症状が愈々明らかに変化したことです。
1年以上も前の晩秋の頃には、外へ出て散策する元気もありました。半年前に妻が逝き、その翌月にはHOTのために予備?入院となり、以後は坂道を転がるように呼吸能が低下しております。昨年の夏ごろなら、坂道の傾斜を苦痛に思い始めて自身を傾斜度計とふざけておりました。それが、自宅の長手方向の距離20mほど を歩くのも苦痛に思うこの頃です。例えば洗濯物を外の干し場=小屋軒先 に干すことをわずかな仕”事”にしておるのですが、酸素ボンベを背負っていてもしんどく思い始めております。
 1,2年前の肺は、組織の細胞壁を酸素(空気というべき?)が通り難くなった状態と思います。ミクロ的病変と。最近の肺ではミクロ的な働きが衰え始め、補填するために肺臓周りの臓器や筋までがイロイロと働きだしたようです。マクロですな。
 酸素過給でこの状況ですから、先々が不安です。この病の終末を溺れ死ぬように との記載も眼にします。来週、息子と一緒に主治医さんに今後の事を相談します。横着者短慮な私ですから、4,5年前には最後はしっかり者の妻に観てもらえば とそればかりでした。天はよくしたものです。そんな私の人生を反省させようと、ちゃんと独りにしてくれました。


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父によると祖母は養蚕が巧かった。そのおかげで貧農の家には十分な副収入となったらしい。私が小学校にあがるか上がらない頃まで、祖母と一緒に寝る(お婆さんっ子だった)仏間の隣の南の間には蚕が居た。棚のお蚕さんが桑の葉を巡る(あるいは食する)にザザザッと低い音を立てたのを覚えている。ただし、布団の中で耳にしたのか昼間のことか定かでない。保温に焚く練炭の匂い・ホルマリン消毒の匂いは脳裏に残っている。練炭の一酸化中毒にならんほどに隙間があったのかしら・・・蚕棚、蚕さんが育つ丸く平らな笊?や桑の葉を入れたブリキ底の木枠 などなどがあったが、とおぉの昔に全てをうっちゃた。今も残るのは、60年以上も前に桑の葉を摘んだ畑の耕作を繰り返しても、丈夫なゆえに残る黄土色の根から桑の若木が生えだすこと。
 ここで父の言葉を想い出した。笊から落ちる蚕さんの生育は駄目だったらしく、愛らしい燕の雛と似ておるなぁ と。

 BS放送で養蚕の歴史が紹介されたのを観、以上の記憶を書いた。以下、放送内容を含めほぼコピペ。かいつまんでいえば二つの戦役に勝利するほどの明治日本の近代化に養蚕の発達は大きく寄与した。
 シルクロードが示すとおり、中国では古くから生糸の生産が行われた。日本産の品質は中国産に遠く及ばず、江戸期中期?頃まで高級絹製品は中国からの輸入に頼るしかなく、八代将軍吉宗は貿易収支改善のために国内での生糸生産を推奨した。そのころ兵庫・養父郡で育った上垣守国が養蚕発展の志を立て、各地を巡り福島に優れた蚕種(蚕さんの卵・・・扱い店は種屋と呼ばれた)を見つけ、各地の優れた養蚕法を調べ上げ、のちにシーボルトが持ち帰り例えば仏語訳本にまでなった「養蚕秘録」を公開した。図解が豊富でたちまち広まったとのことである。広めたのが養父郡だけでないのがエライ。

 ただ、養蚕室の温度管理はお蚕の生育に極大切で、蚕室を適温に保つ必要があった。福島・伊達郡の中村善右衛門 が江戸末期、寒暖計の原形を菜種油を使って造り上げた。風邪で臥した中村に医者が用いた体温計からヒントを得たと放映された。拝借写真は明治初年頃に蚕当計(さんとうけい)と呼ばれた寒暖計。このようにし養蚕技術が着々と発展し、ついには明治5年の渋沢栄一による富岡製糸工場へと繋がり、1909年には生産高世界一を達成するにまでなった。ただ、第二次大戦以前から我が国の養蚕業は衰退し始めたようで、私の記憶の蚕さんは末期だったのですなぁ~おばあさん、ありがとう。
 (付記)我が市内には元製糸工場が残っており、幼い私も連れられて湯の中に泳ぐ繭玉を見せられた記憶がある。工場を興し財を成したT氏は、市中に数多くの道標石碑を建てられた。里山散策でも思いもかけず見かけることがあった。彼の孫は県議、市長に就いた。ここまで書いてまた思い出した。父が自分の祖父を語るに、繭を入れた籠を担いで四日市西部の八王子地区にあった製糸工場まで歩いたとのことである。20kmは越えるであろう。ありがたし、ご先祖様。






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朝刊で地方鉄道の再編計画「再構築協議会」を知る。

その1.大糸線のこと。懐かしく想い出したのは、現職時代に職場同輩のM井君と新潟出張の帰りに悪戯心で利用したこと。車窓からの姫川両岸の荒々しさが気に入り、是非にドライブしたいものだと言い合った。リンク先を見つけるのに難儀する整理されないブログ。2005年のことで、先にジープで走ってきた彼に負けじと出かけたものの、平凡なドライブとなったようだ。
 当たり前である。姫川河岸の河辺にそう大糸線の車窓の眺めをドライブに求めようとするのは虫が良すぎる。河岸上部の平坦部を走る道路から、河岸の壁を望めようもない。二人で笑い合った秋である。今でも職場に現役な彼とはイロイロ不断に連絡を取り合って、最近は呼吸の苦しさまで聞いてもらっておる。ところでリンク記事にも記したとおり、学生時代の合宿で夏場のスキー民宿に泊まりこんだ。35年も経ち大糸線・南小谷駅のイメージが残るわけでなく、射撃場のあったゲレンデを探し出すのに苦労した。
  (10/9に追記;10/8朝刊で知ったことに大糸線がJR西日本線であること。日本地図で観るとJR東海か東日本と思う。黒四ダムを造ったのが関西電力だったこととも繋がるのかしらん)

その2.残念ながら再編にも追い付かず廃線の三江線である。畑にも出られない暇マを潰すTV、番組欄で見つけると再放送であろうがなかろうが録画するのは六角精児「呑み鉄本線」。2018年に挙げられた三江線の風景はよろしかった。とある下車駅のホームから見る夕暮れの静かに水を湛えた江の川、暗黒色の(?)墨絵風なのが佳い。かわった駅名だったかな とぼんやりした記憶を基に検索して、とりあえず、潮駅としておきます。脱線、番組中必ず流れる六角の「ジーゼル」、呑みタイムの「お父さんが嘘をついた」はもとより、彼が謳う島倉千代子「愛のさざ波」に大変と癒されております。

その3.2.同様にTV番組。プロ撮り鉄・中井精也さんによる我ら三重県北部のあすなろ鉄道、三岐鉄道北勢線が再放送された。3路線しかない国内のナロー軌道の2つが三重県にあって現役なのだ。ブログ色添えに北勢線のレトロな車両と珍しい”捻じり橋”の写真をパチリして無断借用する。2枚目の図では中井さんの寫したい橋に目を向けるよう走る列車を”わざと”ぼやけさせるのです と分かりやすい言葉が気に入っております。



あすなろ鉄道の八王子線終点の西日野駅は、第2職場での溶接技量検定試験の会場を借用したポリテクセンター三重に近く、愛知県からの試験立会員を何度も迎えた。その折も狭軌が762mm幅であることに興味もなく、したがい単に狭いだけでナロー軌道と呼ばれるので、76=ナロとの駄洒落には頭が回らない偏狭な私。そして”あすなろ鉄道”の名は明日はなろう檜に のあすなろ樹からの命名のほかに明日へのナロー鉄道の意味もあるのかしら・・・


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子供のころ、「オランダの少年!」という遊びがあった。前に立つ友の背後を突っついて、素早くしゃがんで彼の視線から逃れる(逃れたつもり)。クルリと振り向く友に、当方は立ち上がりながら『オランダの少年っ』とニヤリと笑う。居らん陀 の少年のつもり。他愛のない遊び。
 で、オランダ。江戸時代の出島だけでなく、最近も笑っておれません。(またまたTVですが)オランダに世界屈指の半導体関連技術社があることを知りました。ASML(ASML Holding N.V.)です。起源はフィリップス社(この社も大きいですね。X線関連ではお世話になりました)で、世界的な半導体製造機器メーカーです。特に露光装置の分野で世界をリードしており、EUV(極紫外線)装置の製造では圧倒的なシェアを誇っています。・・・・このあたり、大きくWEB検索頼りです、スマンです。
 半導体関連では素材のケイ素かドーピング物質のことくらいしかエポックでないと思い込んで居る偏狭な私に、TVは露光リソグラフィーの大事を教えてくれる。かくして、鉄鋼でもアルセロール・ミッタル(ミッタル氏はインド?)社が最大級で、鉄・半導体の首をオランダが押さえているのですね。昔のチューリップ球根のようになるのかしらん・・・

(注意参照WEBコピペ)
13.5nmという、X線レベルの極めて短い波長を用いることで微小なスケールでの加工を行います。


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今日もソファ、ベッドで延びた。
録画してあった1966年(S41年)大映:白い巨塔 の白黒を観た。どうも記憶とズレる映像だな と思って観た。あとで検索すると、10年ほど後のTVドラマの印象が強かったのだなぁ と。ドラマの終末が脳裏に残っていた。『ただいまから、財前教授の総回診です』の院内放送とともに、堂々とした田宮二郎が医局総員を従えて廊下を進む。しかし元の白黒映画では放送音量も普通で、廊下の奥から教授が進んでくるのを撮るので、ドラマの方が迫力有。
 ただ、動画で手術状況が映されたのにはびっくり。内臓の生の動き、血にまみれた医師の手など最近では禁忌画面で観ることはかなわないだろう。豚などの内臓かしら とも観たが、メスが入るのは人の皮膚にみえる。ウィキしたら、ドラマでも患者と病院の許可を取って撮影した とある。この頃ではずいぶん変わったのだ。問題のない・綺麗な社会になっても行くのかな。
 臓器を手にする病理学教授を演じた加藤嘉もよろしかった。1972年(ウィキで確認)のTVドラマ:楡家の人々 で院代先生と呼ばれる院長代理=事務長 でのセリフ回しが好かった。


 生体の映像写真を載せたので、ついでに私の肺の透過像とCTによる建て断面像を載せます。現在と2年ほど前のモノのはずですが、もぉ、ともにすりガラス状を通り過ぎ褐色に見える肺の白黒像となっております(透視像)。残念ながら容量も縮んでいます。よほど繊維化が進んでおるのでしょう。苦しいはずです、残念。



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