地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



今夜も妻、娘と一緒してTV-ポツンと一軒家 を観ている。山口県にある比較的近接?した2軒のお家の紹介である=今、2軒目のNさん宅に到着したところ。(投稿したのは、1hrあと入浴後)

 今日は、ご先祖さんに勿体なく・罰当たりなことを申します。ふと、あぁ~あんな山奥の田圃・畑・山林ならほぉっておいても(私が手を入れることができなくなっても)誰からも文句は言われないだろう と思ってしまう。現状、団地・ミニ団地に接する山林と畑が2か所。市道につながる赤道に面した1反部にも満たない休耕田が一枚。そして、かたまって在る9反部の整理田。私の病勢が進む or幸いに生きながらえても老衰となれば、年に3回も4回も全面刈りする草刈り・田植え&田刈り も不自由となろう。一方の植生は強い。数年も放置すれば背丈ほどの雑草、行く末は雑木が覆うであろう。その時、周りの住民・農作業者は迷惑に思うであろう。そう思われる前に、私(あるいは私の子孫?も)ほぉっておき難いであろう、そんな(損な)家系である。周りに人の気が無ければ放置ママで気楽なのになぁ となってしまう。いっそ、無ければと。勝手な愚痴です。苦労して田畑をつくってくだすった ご先祖さん、罰あたりなことすみません。



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今夜、ちゅうより今TV番組で流れた美容整形?クリニックのCMに腹を立てております、気まま身勝手なおヂィさんは。この種のCMに立腹したのは2件。O知事リコール運動を扇動したものの、中止したTクリニック院長が出演するもの。魔法使いのおばさんになって可哀そうな娘のシンデレラに魔法の?タクト?を一振りで、キラキラ娘に変身させる。鏡を見て”キャー、可愛いぃぃい~”と馬鹿面ではしゃぐシンデレラに、「お前、変身前のママで居てくれっ」とオヂさんは叫ぶ。妻と娘は聞かなかったことにしてくれる。

 別の1点は女性用尿漏れ吸収パッド”ウ〇〇〇ー”。専属?女性がその薄さと吸収能をPRし、着用した様子で闊歩はじめる。女性には必要なものでしょうが、なんだろうなぁ~。あまり、観たくない が正直なところで、イメージカラーのパープルも嫌。飯時にみると、箸をぶっつけたくなる・・・

 閑話休題? さて、先ほどイラっときたのはT京U野クリニックのCM。若い2人の男性が(ご丁寧にスキン系のヘッド)薄いタートルネックを鼻あたりから(しっかり記憶ありません)引き下げて元気そうな顔をのぞかせています。ダンスと歌付きだったかな~

 成人男性なら、おそらく、大切な陰茎の包茎手術のCMと勘づくことでしょう。WEBしますと、丁寧なCM解説に中りました。『ひとつ上の男になれる』らしいです。私にすれば、「ほぉっておいてくれ」と。しかしUクリニックはその道に特化してみえる らしいです。毎日のようにTクリ、ウ-パッドのCMを見せられますが、Uクリ分は今夕が初めてです。続くのは嫌ですなぁ

 嫌なことは吞み込むのに限ります。近くのリカマンにて常圧蒸留を確かめて購入した焼酎です。『初心者お断り』にときめきましたが、素直なもんです。価格2,000円強が×なのかしら、1500円くらいにしてみよう。平日でも7合、雨降れば一升強酒の、めっぽう酒好きだった亡父が好んだ2級酒、その鼻にツンッ とくる香りの酒類、今はないなぁ



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小雨が上がらない今日の午後は、義父の七日七日の法要(広いしきたりのようだが?初七日は告別式の日に済ませてある)があり、妻や養子で喪主となった娘はそれなりの準備に忙しい。妻は世話のこともあり義母宅へ出かけており、午後にお寺で揃うこととなっている。申し訳ないが、私は相変わらずのんびりと過ごしておる。

 

葬儀を終え妻が義母宅の整理を始めたので、環境センターへ数度は軽トラで不用品を運び込んだ。実は、(虫の知らせ!でもないだろうが)暮れの大掃除にかこつけ、我が家でも小屋の整頓を始めたところであった。夫婦それぞれ、間をみつけ不用品を集積しだした。私は研究真似事でため込んだ資料を、あっさりとセンターに運び込んだ。拡散接合で指導いただいた接合研I内先生にはお世話になりっぱなし。そして同じ研究室のT橋先生そして、愛知県のK谷さん、さらには地元大学の私には縁もゆかりもなかったはずの(別の)T橋先生らお三方にはTEM;透過電顕 を覗いていただいた。4名の皆さまは、時には深夜におよぶ電顕観察を行っていただいたのに私は何もなしえなかった。一つ一つの思いのつまったTEM像のフィルムもセンターの煙となった。それ以上の煙になったのは、職場;工業研究所 のSEM;走査電顕 あるいはEPMA;X戦マイクロアナライザー で撮影したフィルムや元素分析したチャート紙などである。あ、光学顕微鏡像もあるか。すっぱり燃やして、サバサバ・・・・と、ならない。

 

同じように忸怩たる思いで、ほとんどが背表紙の焼けた文庫本を括りつけた。ミステリー風の国内外モノが多い。それだけ時間を消化することで、家・職場から逃げていたことを1冊1冊が思い出させる。同じほどの量を昨年末に持ち込んだハズ。ハードな専門書は、格好つけのために購入したのかしらん・・・受験参考書にはあったはずの ちょいとした書き込みも少ない。

愚痴・悔恨はこれくらいにして、最近の夕刻の散策風景を2枚で終わっておく。別の日に散歩したそれぞれの道の西端あるいは東端から、錫杖が岳あるいは鈴鹿の山の仙ヶ岳と野登山を眺めた。佇んだままの古代兵士と飛び立てない飛行機が、私か。

 

 

 



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病身であった梶井基次郎の「冬の日」の一節をつい思い出すほどに、散策途中の上り坂を辛く感じるようになってしまった。明日は通院の日だからG医師に訴えてみよう。といって、治癒法が無いに等しい「慢性コロナ?」的な呼吸器疾患ゆえ諦めが肝心なのかな

 ジョギングでも平気で駆け上れた坂道が、西風に向かって漕ぐ自転車が辛い、こわい。昔は好かった!のだ。

 

「冬の日」から  ”街を歩くと堯は自分が敏感な水準器になってしまったのを感じた。彼はだんだん呼吸が切迫して来る自分に気がつく。そして振り返って見るとその道は彼が知らなかったほどの傾斜をしているのだった。彼は立ち停まると激しく肩で息をした。ある切ない塊が胸を下ってゆくまでには、必ずどうすればいいのかわからない息苦しさを一度経なければならなかった。それが鎮まると堯はまた歩き出した。”

 



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(忙しかった先週の穴埋めにと、書もない書き込みをならべる)

 

農道に毛の生えた!ほどの市道。対抗すれ違いが面倒なほどの、一車線!道。われら集落の田圃への道であったのが、ほぼ直線でR306-R1を2kmほどで結んでいること・ん十年も前(?)には306号線を超え西側へと繋がりができたことで、東西の製造工場に向かう通勤の車がたくさん通る。

 腹立たしいのは、ゴミを捨ててゆくドライバーが居ること。先週、妻実家の不時に際し何度も通ったが、ある日あまりにひどい散乱状況があり、パチリした。500mほどの間に5か所ほど白っぽいゴミの散乱が目立った。こんな”奴ら”に何を言ってもダメなんだろうなぁ~

ご丁寧に、両側に散乱させてもある。

 

 嘆かわしいことがもう一つ。狭い車線だから、すれ違いやすい場所で一方の車が停車すればスムーズに通行できる と思うのに!お構いなしに突っ込んでくる。3枚目の写真のように200mごとに整理田への枝道が設けられており、その場所で対向を待機すれば好いのに・いや待機すべきだろう と。当然その”交差点”では道幅が広くなっており、車1台なら幅寄せしやすいハズ。こんなこともわからずに、スイスイ走っている・・・おかげで路肩はボロボロ。

いやいや、これも自分勝手な思いなんだろうな~同乗する妻や息子娘はそう言っておりますわ。



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1/12に義父が逝った。朝食後、いつものように炬燵で横になって居たママであった。

かかりつけのお医者さんへの連絡などは私ができたが、ほとんど一切は妻が片づけてくれ、14日に告別式を済ませることができた。今週になり、わが夫婦にも少し落ち着きが戻った。

さて、男手としては、家の前に広がる6反(60a)ほどの畑の面倒をこれからどうしよう と。幸いイセキのトラクターがあるから、お父さん同様に草を倒す気持ちで時たまトラクター作業が必要だろう。零細稲作の我が家とは違い、おじいさんの時代からタバコの葉、大根など換金作物を作られてた畑作農家。楽してできる作物など無いし、本当のところ、どうしようと・・・我が家の田圃のこれからも。



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2009年まで30余年の間、ずっと務めた県工業技術センター(途中、K県政の下、改組があり科学技術振興センター配下の工業研究部になったりしたが、最終的に先祖還りの工業研究所で落ち着いて居る)へ私用で出向いた。同僚的後輩のM君に頼まれたモノを渡すのが目的だが、それにかこつけ懐かしい方々の消息を伺うのが主目的である。あわせて、M君がずっと関わっていてくれる私の第2職場の様子も聞くことができた。

 

無駄話は尽きないもので、彼のお仕事を邪魔してはいかんと立ち上がったのは もぉお昼前。で、家に帰っても妻不在が明らかであるから(このことは明日にでも記します。賢妻ですから不出来な夫に愛想をつかして出家?したのではありません、念のため)懐かしい旧職場付近を散策して帰宅する ことに。南側へ1kmほどで木造城址があり、その東1kmほどに水分神社がある。城址に軽トラを止め、神社まで桃園(いい名称ですなぁ)地区内を徘徊する。

 

①木造(コツクリ)城址;2004年に始めたこのブログの初発!ページに引接寺とともに採り上げてある。当時はジョギングだかポタリングで徘徊しておった。

 

②水分(ミクマリ と協会副会長をお世話いただいたHさんに教えていただいた)神社そばの雲出井もブログしたはずだが、探すのが面倒。ただ、江戸時代の初期;1650年ころ 近くを流れる雲出川を10km以上も遡った地点から開鑿したとされる用水、当時の作業に頭が下がるだけ。えらいもんです。この地点で水路は3つに分岐、うち一つは退職後の職場となったM協会近くの田圃を潤している。

 

③神社から軽トラに戻る途中、雲出川の堤もよく走ったことを想い、JRの鉄橋へと脇道へ足を延ばした。しかし、午後には約束用事が2件もあり、途中で遠望、パチリして折り返す。

 

やはり、30年以上も務めた職場周りは想いが輻輳するもので、去りがたい。今となりブログに書きやすくなったが、公務員になったこの職場は第3の職場である。70年安保の頃、機動隊導入もあり封鎖された学部を「ほぼ3年間だけの授業」で追い出された「出来の悪い学生」なのに(=あのT大では留年となったはずなのに我が大学では国税の無駄遣い とされたのだろうなぁ)、しかし当時はなぜか就職買い手市場。ここ10余年続く就職氷河に閉じ込められている学生諸君には、ほんと、申し訳なく恥ずかしい

 上場企業のF社の地方研究所へ配所されたものの、不勉強を恥じて大学へ戻りたい 希望だけで退社。ブラブラ勉学のまねごとをするうちに伯父に諭され、職場も世話されて本当の中小企業M社が第2職場。えらそうに仕事をわかったような気分となり、不満の態度が別職場探しとなる。小さな社では社長がすぐに害虫退治にのりだし、この研究公務員(字面は恰好よろし)職場を紹介いただいた次第。でたらめな青春だった。が、おかげで、佳い妻が来てくれた ・・・のかな?



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たまにNHK-BSで放映される、みだし番組が好き。好きとなると、あまり好きではなかった壇蜜さんの語りも好きになる・・・「コラコラ、六角さん」と、叱られたい。

1/3の今回は日南本線で宮崎県を巡る。九州なら焼酎であり、以前の熊本方面での旅では球磨酎の旨い呑み方なぞを知ったが、蒸留法に違いを知った。おかげで、雑味の強い常圧蒸留の旨い芋酎を吞んでみたくなったではないかっ(飲んでいたのが減圧か常圧か不明でもあります)。

 最近、泡盛系に踏み外して30°の奄美一升瓶を呑んで居るが、まるでウィスキーのようで少し張り合いがない。近くのリカマンで美味い常圧芋酎を探してみますわ。

挿入写真は、焼酎でなく卵焼きをほぉばる六角さんと飫肥(こんな字、よぉ読みませんわ)の街。

 ところで番組ではいつも流れる六角さんの歌う【ヂーゼル】が佳い。しかも日南沿線には作詞された中島氏(故人)の生家があるとのこと。氏も何度か弱気になって逃げるよう故郷を目指されたのかな。もぉ一つ、六角さんによる お千代さんの【愛のさざ波】も好き。番組中とはちょい違うが貴方管をコピペしておく。

>https://www.youtube.com/watch?v=WUsMKAuGAEY

  この世に神様が 本当にいるなら
  あなたに抱かれて 私は死にたい
  ああ 湖に 小舟がただひとつ
  やさしく やさしく くちづけしてね
  くり返す くり返す さざ波のように

 

 



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さて、昨日今日とそれぞれ2回、軽トラで畜産団地へマヤを貰いに畑と4往復した。

今日の午前・午後それぞれマヤを貰っての帰路、団地内から寒そうな仙ヶ岳をパチリ。雪は少なそうですな。うまく撮り込まれてないが、軽トラにはマヤ満杯。無料でいただけるのは◎うれしいが、スコップで軽トラ荷台満杯になるほど放り込むのは難行・慢性コロナというと叱られそうな間質性肺炎の身には堪える。が、少しでも畑地を善くしようと、身勝手な欲がわが身を動かす。畜産団地のマヤ置き場で吸い込むマヤ粉塵も肺には?よろしくないだろうなぁ~まあ、エエか と。

 この2日間でほぼ空いて居る畑地にマヤを置くことができ、明日あたりには広げて耕耘機仕事かな、降雪でなければ。

ついでに、例年になく白菜をうまく作ることができた。畑入り口にあるHさんに”厚かましくも”差し上げたら、お礼お菓子までいただいてしまい、完全に海老鯛な私。もう一つ白菜とちょいとは珍しい(くもないかなぁ)ヤーコン芋を妻に持参させよう と。(ヤーコンの甘酢、シャキシャキと美味しいですぞ)

 

と、まぁ、私の欲は知れておりますが、

夕刻のTVで、わが県にある三重大学医学部の元教授が収賄したとの報道あり。部下の、すでに起訴されておる、(大学は馘首されていたか)麻酔科の准教授の自宅に自身の社団法人名をもつ研究会?を置き、N社からの現金受け口にしておったとか。ほかにも多額の金が出そう。同時に講師も挙げられそう。しかし、ちゃんと退職して逃げを図っていたのやね、さすがに教授。

 麻酔科(ごとき と言えば叱られそうか)でこの状況、医学部本流ではどれだけの金と人がうごめいて居るのかなぁ~恐るべし欲ドライブ。かわいそうなのは准教授 としておく。



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お正月の出不精を解消したく、1/2と1/3の午後はワンダリングに時間をとった。

(昨日1/4は、年末に切り倒した雑木の枝・幹を軽トラで環境センターへ運び込むこと2回のため、ちょいと身体を動かした として散策は止めた)

① 1/2pm;自宅北東にある鈴鹿国府政庁跡まで歩を進めたため、2hr近い散策となり疲れた。

 歩行中、安楽川に堆積する土砂にうんざりしたが、大手ベアリング社ネームを冠した「先端材料工場?」に歓び吃驚(自宅から近いのに完成を知らなかった。何時出来たの?とM君に尋ねよう・・・航空軸受けかしら、高性能樹脂軸受けかしら???それとも)。ちょいと金属材料を齧った頭?に残る。

 しかし!微小部分の分析が好きであった私にとって、この場所には日本科学冶金社があったはず。M君に尋ねてばかりは申し訳なく、今あわててWEB検索。2011年に科学冶金(株)はNTNグループへ、2015年にはNTN特殊合金(株)と合併してマテリアルズ社になった と。2009年に第2職場に移った私には無縁だったのか。・・・でも、HPで焼結部品などが掲載されておるのを見ると、ちょい寂しくもっとアドバンストして欲しいな。がんばれ

 で、史跡は残念ながらどうということなかったが、すぐそばに古いコンクリート製の建造物にちょいと。自宅から南西のほうに以前あった我が家の桑畑にもあったが名前も用途も忘れた。妻も子供のころ見かけたそうだが、なんだったんだろう。

 

② 1/3pm;軽トラで南西方向へ。R306の鈴鹿川橋すぐの土手下に駐車しスタート。鈴鹿川右岸にある天神町を東西に横切り、JR亀山機関区(機関区って未だあるのかな?)あたりで引き返す。スタートしてしばらくすると、強い西風で痛くなった耳を玉のない正ちゃん帽(単にニット帽でいいのかな)で覆う必要があった。

 

復路で気になった2点をパチリする。

②-1;堤防右岸が公園状に整備されておる。こんなところで憩う人々が多いとも思えず、オイッと市に(県かな?)文句を言いたくなる。

②-2;村落の崖上縁に高いフェンスが設けられてある。有志のお隣同士、町内費で賄ったようにも見えず、通りがかりの方々に尋ねても要領を得ん。最後にお孫さんを連れた同年配の方と語り合い、もともと竹林であったから急傾斜地への何らかの事業(市の)かな というところで落ち着いて、散策再スタート。だいぶ陽が傾いた今時分はなぜか風が弱くなる。家へ帰らねば。

 

 

 

 

 



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