地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場




9/23で写した、職場そばのあの草だらけの田圃にコンバインがない。先週末からの3連休のうちに引き上げたのかしら。肝心の田圃状況は4条コンバインの2周回分だけ済みで変わらず。どうするのかな。田刈を諦めたにしろコンバイン故障にしろ、コンバインを雨の中で放置された理由が分からない。しばらく見てみよう。ところで別の田では背丈の長い稲草が刈取り時期まじかの様子。もち米かな?飼料米かな?
 さて断念でなく残念なこと。新聞やTVで知ったのだが、総理が昨日の所信表明で『(我が国領域を守るため?)海保、警察、自衛隊の皆さんが今現在も頑張ってみえます。この場所から拍手で敬意を表そうじゃありませんか』と拍手したら、自民議員が総立ちして拍手を送った と。頑張っているのは威力予備装置だけに目が行くのかな。職と給与の安定に苦労の派遣社員、育児介護に右往左往する勤め人・家庭人、福島を追われた人々etc. だろう。野党も今日にならんと講義申し入れ戦とは情け納屋

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雨模様の日々、朝は老人会初デビューが短時間道路清掃=ゴミ拾い。下を見るより周リの先輩皆さんの噺に気がいき、空き缶の10個も拾えず情けなく終わる。さて何をしよう、妻はいない。梅林のフェンス沿いの雑草を刈ること(鎌で)にする。L型擁壁上の狭いスペースでの作業ではかどらない・気を遣う。刈り取り前後の写真を並べてみる。
 ところが終わりころに、ステンレス鎌がポキリと折れる。昔を思い出して破面マクロしてみる。断面の半分近くに先行錆(ステンレスと謂えど錆は生じる・まして刃物に使う焼きが入る410級の低Cr-SUS鋼ならなおさら)があること、新生破面の段差状況から、草を掴み鎌を引いた時の引っ張り応力が切り欠き効果となり一気に破壊へ;脆性破壊 を起こしたのだろうと。少し昔の仕事が懐かしい。SEMをいぢりたくなった。ところで先行破面の原因は?無難な疲労 か。ちょいと分からん。ブランクレプリカしてSEMでストライがみえるかな?
 宿題はやらんかもしれんが、鎌を壊した代わりのおまけとして、栗をたっぷり拾った。S本さんの山栗が梅林に落ちてきてくれる。ありがたや。我が家の里の畑に作った栗は美味くないが、山栗は美味いはず。もっと小粒なら栗ご飯といきたいが・・・奥美濃冠山で地元の山仕事にみえた方が弁当から分けてくださった小粒な栗ご飯、美味かったなぁ。翌日、若丸山へ私とS木さんを引っ張り上げようとしてくれたT中さん、デザインが専門だったお二人は今どうしているものやら(若丸山頂へは藪が濃くてたどり着けなく敗退・・・30年以上は前)。
 で、夕刻。コンサートに出かけた妻を待つ合間に一昨日と同じ田圃の道をほっつき歩いて一日の終わりとする。

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昨日曜日の朝刊広告に、評価試験に利用させていただくポリテクセンターの受講生募集広告が含まれていた。珍しいので思わずとっておいた。受講生集めに苦労されているのかな、7か月間を受講料ナシで学習指導いただける・・・さすが独法の太っ腹。以前も書いた気がするが、(通路等)建屋外にある手洗い場にまで温水栓が完備。好い生徒さんが集まってくれるとよろしいが
 秋の朝になるとお隣の鈴鹿市(の、河川敷?)から飛翔するバルーンが目立ち始める。干しネギ植えに向かう途中で、1機を見る。いいだろうな の思いだけでパチリ。これからは沢山のが飛び交って、裏の犬がやかましく吠えるだろう

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職場近くの9/21の田圃でのコンバイン。ずっと鎮座ましなされた(日本語、OK?)のか、週末ママの状況でした。
①立派なキャビンコンバイン、故障立ち往生でしょうか。それより貧乏性の私はコンバインを雨曝しにして好いのか と余計な心配。
②この前の日記では田圃状況が分かりにくいので、田圃状況を改めてパチリしました。酷すぎます、クサネムなども繁茂して居りそうな…このあたりの田圃、クサネムが目立つのはN業屋さんが受託した田圃のように思います。雑草と一緒に無農薬米を育てるのでしょうか、あるいは除草剤に金を使わない健全?営農が徹底ですかな

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 台風が過ぎたのに雨が続くと思ったら秋雨前線がTV画面に。畑の草刈もできんわ とゆっくりと朝食。ついでに仏さんに上げる妻作の牡丹餅=~おはぎ? をいただく。墓参りのお彼岸さんやな。旨し。朝刊3面に清須市でのアンダーパス水没車事故が掲載されている。重体だった方が亡くなられたこと、ここは過去5年で5回水没したこと、同様のパスは全国で3500ヶ所 とある。ところでアンダーパスって普通、鉄道線路の下をくぐる道路がほとんどと思う。道路の下を潜る道路のアンダーパスは世間に少ないのじゃないだろうか。交通の歴史の所為だろうな。まず鉄道(多くは国鉄か)線路が敷設され国民は鉄路を利用して移動していたのが、戦後のモータリゼーションとともに道路整備が進んだが、交差部分だけで鉄路を潜らせたり高架させたりは技術的に無理な話。道路が潜るしかない。よって車の水没もありうる。 
 なにもアンダーパスのことをうだうだ云うのでなく、鉄道線路のことを言いたい。大雨の度に、町内を流れ記憶の限り数回以上氾濫した椋川の水かさが気がかりとなる。我が家は町内の高台部分にあるから、品なく言えば、高みの見物。で、この川は関西線をアンダーパスする。川に架橋したのだから当たり前のパスか。ただ、鉄橋の橋げた部分が川面にかぶさりすぎ、大雨で上流からの流木等は流れを妨げやすい構造となっている。たとえば河川に柱を1本建て鉄橋部分を”薄く”できないものか。上部で荷重を支えるトラス構造にできないものか と凡な頭で考える。ただ、いくら国鉄⇒JRとなったとしても道路や他のインフラに比べ鉄道は最優先されそうで、改良には着手されないだろう。踏切事故を考えても、踏切ごとに監視カメラを設け、事故状況を自動判断させて列車を停めさせることなど現在の技術ではお茶の子さいさいに思えるのだが、やらないのだろうな。踏切に入ったものが負け。まだまだ明治は生きている。
 妻は学習に出ているし、することもないので昼前に鈴鹿川右岸の田圃道の散策に逃げ込んでみる。小川の土手には大水の跡があり、藁に利用しようとされたコンバインで刈りとられた稲草が無念にも田圃で水浸しに並んでいた。あるんですよ、こんなこと。私はせいぜいコンバインの(それも小型2条刈りで)2列分くらいしか藁を取らないが、刈ったままでは青く硬い稲草なので田圃で乾かしておくのが普通。そのうち、秋雨が降りつづくようになり田圃でみすみす藁が腐ってゆく…1時間半ほどの散策を終え、午後の妻との墓参りに備えようと帰宅前にお墓の雑草取りを済ませた。お墓のすぐ東に椋川左岸堤防沿いにアンダーパス?があるのです。上を新規の道路が走っております。堤防に沿って、田圃給水用のU字溝もありますな。

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職場そばの、稗だけを(失礼ながら)作ったような雑草まみれの田圃の刈取りがようやく始まった。昼休みの散策でいつも目にしていたので、戻った職場からデヂカメを手に再度現場へ。4条刈コンバインが外周部だけ刈り上げてのお昼休み状況。2日に一度は田のそばを通りながら、除草剤も撒かないのかな、無農薬栽培かな と勝手な思案をしたが、今日の状況。こんなに草まみれで脱穀選別が上手くいくのかと余計な心配をしておく。世の中イロイロ

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 一昨日、だるい休日をTVを見て過ごす。幸い、1970年代のみだしの映画をみてすごせた。元締めの音羽の何とかべぇには山村聡、役名を忘れた剣客にに高橋幸治そして梅安には田宮二郎。映画でなく当時の空気が還ってきたようで懐かしかった。すっかり見なくなった高橋さん、亡くなられたのかな と物騒なことを考えウィキすると80過ぎのまだまだのお年ながら1990年ころから寡作になったと。織田信長イメージが強かったが、読むとあの犬HKの朝ドラ一番目の?『おはなはん』の相手の軍人さんだっんだ。山本五十六的な山村さんには東京物語もあったのかぁ~さすが東大。田宮さんと言えば、白い巨塔のゴロちゃん だったかな。懐。
 ところで今日の日中は台風の影響で大雨、事務局のお隣のJ社太陽光G.も店じまいの様相で、当方も女性陣と諮り早々に閉局、3時には帰宅しました。途中、川の堤防から濁流の椋川をパチリ。

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東京の新卸市場が汚染土の上に計画道理に建造されていないので、汚染の恐れがある らしい。大切な都民の食品を汚染させていいのか 騒いでいる。数日前には共産党議員団かなにかが、地下に降りてたまった水にリトマス紙!を漬け、青色変化に喜々としていた。もっともしばらくしたら、専門家が曰くーまぁ、コンクリートからのアルカリですわな と。昨日か今日には、その水に少しヒ素が含まれているとも。これも(正直なところ、私は知見がないが)海水含有量程度と専門家が言っていた。いずれもTV報道の受け売り。
 こんなものより福島の汚染水の方を取り上げた方がニュース報道と思う。飽きたのか。正常(そんな海水はないか)海水と同程度の放射性物質の含有量なのか。海の汚染具合をどこも明らかにしない。遮断したい地下水も凍土壁などものかわ、ドンドン流れ込み汚染物質を溶かし込み、どれだけの量が海へと流れるのか。都の市場は代わりがある・できる。福島に代わりはあるのか。

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 午後、副会長ともども練習鋼材を工業高校へ届けた。副会長に生産現場で出る端材を無心してあったのだが、曲面加工が多いため、レーザカットするにしても必要部位が獲りにくい・鋼材屋で購入して納入しましょう と結果として大変なストレスをお願いしてしまった。そのうえ、先生や生徒が開先加工をやれるようハンディな”面取り”工具まで高校に預けていただき、恐縮。この高校以外にも鋼材の提供先が増え、生徒先生が練習材に使ってくれればいいのだが、それはそれで当方の供給元へのお願いも大変。理事企業さんに限ってしまえば、先細りは目に見える。宿題ばかりだな
 さて、四日市から津の事務所へ戻る気もないから直帰とする。と、晩成の白菜種をN業屋さんで購入したく、ついでに加佐登神社も好いな、回り道して帰ろう。私は隣の市にあるこの神社そばのS中学校へ通った。雨模様の入学式で後ろのF君が背中を突っついて、近日中に春祭り=加佐登さん と呼ばれていたかな があるから是非来いと誘ってくれたこと。苗木屋さんだった。お寿司をいただいた。スリッパではたかれて、隣のクラスの教壇そばに座らされたこと、勉強せにゃあかん と校長室に呼ばれてしまったこと、はっきりと異性を意識し始めたこと・・・中学生だった。以来、たいした人生も送らずに先が見えてきた。ところでもっと小さな子供の頃(小学低学年だった?)加佐登神社に少なくとも一度は連れてきてもらった記憶がある。八日(ようか)加佐登といわれる
↑春祭りの頃、神社境内への斜面には露店がならび、日光写真などのおもちゃが欲しくてほしくて仕方なかった想い出。張られた糸に沿って空中を飛ぶ小さなブリキ飛行機は、つつじの色と春の午後の日差しとともに浮かんでくる。もう、戻れないのだ。

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時々、職場近くで歯科治療をうける。すぐそばにイオンのショッピングセンターが”あった”。何か月も前に撤退、建て壊しも終わり更地状態に近い。駐車場から眺めると、南方に白いフェンスで囲われているのがセンターの建物があった部分。前の職場時代から積極的に利用したわけでないが、在る と言うことは何故か落ち着きを与えてくれた。悲しい田舎の消費者。商売人の欲、消費者の購買欲、欲の跡地。
 ただし、商売人は立ち去ったわけでなく撤退の大分前から西方数kmに新規のショッピングセンター;モール と言うのかな を開設。今のところ両欲は共倒れしない。そしてイオンは建てては壊し、壊しては建ててゆく。消費者はウロウロと歓んで従う。

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