地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



ドロボーされたわけでない。今年のツバメの子育てが終わったようである。つごう5つの巣立ちがあり、5つの空になった巣が残った。うち、一つの巣では二番子も巣立ったが、別の巣は雛が鴉アタックされてしまい落とされてしまった。
 先行きの昏い身体を燕の成長に助けてもらう気持ちで巣を見上げてきた。けれど見上げるのもしんどい程に呼吸に堪える。来年はみれるかしら~

最後まで巣に残った5番目の巣、今朝に見上げると二番子は全て飛び立っておりました。





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呼吸器病ですが、夕べには少しアルコール系が欲しいです。すっぱり縁切れれば好いのでしょうが、呑んで彼岸舟に乗るのも好いでしょう♪

TVーCMでマイナス196とされた缶酎ハイが挙がります。HOT;在宅酸素療法 で世話になりますから、空気から酸素を取り出せば残りが窒素であることはよぉく分かります。そして液体窒素の温度は-196℃です。”氷結”よりも極低温で一層の爽やかさを狙った商品なのですな。
 実は20~30年も前の現役時代、X線分析器用に液体窒素製造装置を導入したことがあります。肝心の製造装置でなくFE-SEM;電界放射型走査電子顕微鏡 の紹介記事です。写真オフホワイト色の円筒魔法瓶に造られた液体窒素を充填するのです。私が今世話になるHOTでは、酸素濃縮と並行して窒素リッチな”大気の残渣”が造られます。この窒素をヘリウムガスの断熱膨張でドンドン冷却して-196℃の液体窒素を造り出したのです=イワタニ産業製の、軽トラックに乗る大きさの設備でした。高額な電子顕微鏡に抱き合わせて購入、零細な地方公設の試験研究機関には十分な液体窒素を利用できました。ただ、現在イワタニさんから真空機器一般に有名なアルバック(ファイも)に窒素製造機は移ったのだ と同輩後輩が教えてくれました。
 本題)娘帰宅、夕食用意してくれるまで、ついつい芋チューを呑んで過ごします。TVのCMに毒されてサントリーの液体窒素で舌をしびれさせましょう~


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 肺炎の進行で何事にも億劫になる。目覚めの床離れが大義で、ベッドでアレコレ妄想の30分ほど過ごしてしまう。そんな今朝のこと、ふと思い出した。もぉ6月も終わりに近いけど、青春の頃には5月6月ともなれば前の山がギーギー・ジージー騒がしいほどに鳴るような音がしたなぁ~ 晴天の昼間に限ったようで、暑さも余計に感じた。亡父は「マツムシ」とちがうか と素っ気なかった。その音も知らぬ間に聞こえなくなった。何十年も忘れていた。
 たまたま2007年6月に象潟へドライブして、晴天の午後、近くの鳥海山の登山ロードを走った。するとギーギーと五月蠅いようなあの懐かしい音が車中にまで聞こえてきた。駐車して聞きほれてしまった。エアコン中でも窓を開け気味にして運転するので、社外の音もよく拾える。その後、調べると春蝉の音らしい。この時期に松林に生息して音源になるという。結婚頃から我が家の近くでは住宅地化が進み、松林もなくなったので春蝉が育たなくなったのだろう。

 蝉とするには五月蠅すぎるのが春蝉だが、啼き声とともに麦と青空と暑さが蘇ってくる。聞きたいなぁ~鈴鹿の山には長くなじんできたが、一度も春蝉の音を耳にしたことがない。東北は遠すぎるが長野辺りなら聞けたのかしら・・・酸素ボンベ必携の身体では聞くことならんけど・・・・

GW頃に紹介したツバメの2番目の巣では、だいぶ前(6羽の雛揃い=5/31)に巣立ちがあった。巣立った雛が3日目ごろに巣の近くに戻って、兄弟姉妹で並んでおるのが可愛らしい。
 最近、大好きなツバメを見上げるのにも疲れるのですわ・・・
いま、2つほどの巣で雛が育っておるようで、後日紹介。





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病の無聊慰めに希望して、娘に勤務先から図書を借りだしもらう。石川達三の文庫本「蒼氓」を読んだ。第一回の芥川賞(1935年)受賞で、太宰や高見の作品が候補だったらしい。旧移民局が舞台の表題の他に、ブラジルへの渡航船さらに到着したブラジルでの話が追加されてあった。採り上げたいのは作品内容よりも、たまたまTVで神戸のこの舞台が流されたのを観たからである。NHKー新風土記からである。貧乏性の私がダブルで接することができ幸せである。
 戦時中、新開地を求めてのブラジルへの移民を採り上げた作品である。全国からの移住希望者が神戸の移民局へ集まる。出航までの一週間ほどの物語である。農村から着の身着のまま近親者が集まったようであり、言えば、最近のイスラエル攻撃をうけるガザ難民にようにみえてしまう。その4階建ての移民局は残っておるようで、逆に入国希望する海外者の交流センターとなっている。珍しい例と記憶しよう。





 NHKーTVはプロジェクトXが好きなようだ。いや、私も好きだ。再放送で、黒四ダムが採り上げられた。昭和38年完工とあった。それに先立つ定礎祭典で社長のようなエライさんが踊っているのが興味深く、パチリしてしまった。多くの方が亡くなられたと放映されてあった。



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病を愚痴ることが多くなったので、ちょいと気分転換。毎年、春から夏にかけて田圃の稲作、畑の下手な野菜作り、鈴鹿など低山徘徊そして燕君の記事でブログしました。屋外は✕不能な身体ですから、今年は燕君だけが頼り!です。けれども酸素チューブを引っ張って巣を見上げるだけでハァハァ、ソファに倒れ込むのが情けないのですけど。
 さて、3月下旬ころから今日まで3つの巣にペアが居ついたようです。玄関先がNo.1で昨日に巣の縁から雛を認めました。それまで雛が待ちどおしくて親鳥さんが卵殻を落としてくれるのを待っていたのですが、No.1君はお礼殻を落としてくれないのかしら・・・さて、幸いにも今日のお昼ごろ少なくとも4羽の雛をパチリできました。親鳥さん、脅かしてスマン。パソ机から2~3mの軒下にはNo.2ペアが居り、抱卵も終期に思うのです。待ち遠しいです。あ、この撮影は4/20夜です。

 (先の短いわが身のこれからを想い、燕君を賢妻にも幼い頃の可愛らしかった息子や娘に想うのです)


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小学生の頃に図書の本はほとんど読み上げたと言った妻は、私が漢字を得手勝手に読むことを度々笑ったもの。しつこい私は、例えば俳優の笠智衆さんをカサチ トモであるべきだっ と申しておりました。昨春に逝くまで、こんな私に飽きず よぉも一緒して呉れたものと感謝しております。

 のがれられない疾患;特発性の非特異性間質性肺炎についての”読み間違い”を2件あげる。原因不明をあらわす『特発性』と容態の悪化をあらわす『増悪』の2文字を、正しくトクハツとゾウアクと読めなかった。当然のようにトッパツとゾウオと発音していた。突発であり憎悪がそのとおりであるが、突発は特発と近く思う。ただし憎悪は増悪とは離れておりますな。しかし、私以外の方でも特発や増悪をママ読めるかは疑問です。つい、トッパツ・ゾウオ とでるのじゃないかな・・・


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病気のことを書くので、せめてもと今日の燕君を挙げておく。No.2が産卵に入りかけた様子。玄関口のNo.1は抱卵が長く続くので、もぉじき卵の殻をおとしてくれますかな


在宅の酸素と医療で近い先には被介護の身体となるから、相談したくケアマネージャのTさんに来訪いただいた。昨年の妻のケアではTさんにお世話になった。そこで介護の件とは別に、障碍者手帳の申請を勧められた。酸素に繋がれた身では妥当な申請に思えるのだが・・・実は簡単でなさそう
 昨年の4月と11月に酸素リハビリで短期入院した県総合医療センターで
指定難病認定の希望を伝えたのだが、主治医のG先生は困った笑顔で『〇さんの動脈血の酸素分圧を採血測定すると(入院中それぞれ1回)、通常の80~100torrに入ってしまうのですよ』とおっしゃった。人体に暗い金属屋崩れの私には、大気圧=760torrだから1/5量の酸素なら、大気の酸素分圧=150torrなことくらいしか分らん。血中ではナントカ鉄と結びつくから酸素分圧が半分ほどになるのかしらん???ま、それでも指定難病認定は数値的には困難なことが分かった。
 が、しかし である。指定を受けるには55torrを切らねばならんらしい。私の生活では簡単なパルスオキシメーターで測定するしかないが、入浴後には疲れ切ってしまうほどに酸素欠乏となるようで、お風呂からベッドに倒れ込んで測定すると70を切っている。4~5分で90台には戻る(1ヶ月も前なら3分もあれば十分に復帰していた)ものの、この間の苦しさを想うと、55torr以下の生活って棺桶の上で横たわっているのじゃないかいな・・・・
 難病は措くとして、障碍者認定を受けようと県の障害者認定医として指定されてあるごく近場の(田舎のことでありますが)M台クリニックのT先生を尋ねた。最近では軽トラで出向く気がしない程に億劫なからだとなり、嫁に連れて行ってもらった。残念なことに、動脈血酸素分圧の測定が不能だから、診断(見解)書が書けないとのこと。ただ、先生は首を傾げられる・・・酸素補給の時にならないのかなぁ と。そう、そうである。で、今朝までに調べ上げると、酸素補給だけでは✕なようで、酸素分圧を求められるようだ。
 エエィ、市の医療センターへ螺子込んでみようとしております♪

暗い病気記事ばかりだから、ソファで観た録画画面から。
ダイ ハードがヒットしたブルース ウィリスの『RED』で、モーガン フリーマンとは別にヘレン ミレンが出ていた。私は『ペイドバック』ごとき?で気になった女優さんで、デンチさん同様に気になります。もぅ読書と映画鑑賞?とがお友達になりそうですわ。





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月の上旬ころまでは朝も8時頃には、不承不承?であるが床を離れられた。
ところが先週頃から、9時過ぎになることがある。眠ったっ心地がない。疲れ一杯の身体をベッドから剥がすことが難儀である。3度ほどもある夜間頻尿と呼吸の不自由が睡眠不足をもたらすのだろうから諦める。が、健康体だったころの朝とともに病は去っておるとの期待ができない。というより、朝ごとに病の進度を痛感する。
 起床後の着替えが難儀で、洗面が辛さのあとを押す。もぉハァハァとソファに倒れ込む。酸素チューブを引き摺り玄関先へ新聞を取りに行ってはソファへ。TVを観ながら息を整える。なかなか朝飯の気分になれん程に食欲ゼロ。無理に腹を膨らませると10時頃になる(今朝は娘が座卓の朝のため9時過ぎに納めたが)。腹が膨れると、?理由が不明だが?呼吸が楽に感じる。横隔膜を隔てた内臓群と肺臓との場所取り合戦だろうか・・・・・16日に通院する呼吸クリニックさんで尋ねる。こちらのT先生は先月に開院、T総合病院にお勤めのころ何年も主治医先生でお世話いただいた。


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ブログのスタートは2004年10月で、曲がりなりにも20年はに続いておる。
同じように長い付き合いの間質性肺炎、最初に記したのが2006年8月。そこに記したとおり、2004年夏の定期健康診断時にはX線透過像がクリーンでなかったから、ブログ歴と病歴との期間はまるっと一致する。
 記したとおり胸部の精密検査を受けたのが鈴鹿市の中央病院、諸事情で近場の回生病院に10年以上はお世話になった。2009年の定年までには(時期を失念)主治医の立ち合いと施術で、三重大学付属病院で気管支内視鏡を差し込まれた。この結果『(繊維細胞優位な)非特異性間質性肺炎;NSIP』と確定されたのだが、今思い出しても検査は苦しかった。主治医=研修医か と大学病院との連絡ちがいか私の生来の不注意からだろうが、午後の検査に横着にも!職場から附属病院まで自家用車で向かった。咽頭部の奥(気管支までかな)までたっぷりと麻酔を振りかけられたから、検査後もフラフラ。主看護師さんに車で職場に戻ることを呆れ叱られた。やむを得ず、空き部屋で数時間?休養させていただき、夕刻に10km程の飲酒運転状態で職場へ帰還した。事故でも起こしたら、飲酒処罰になったのだろうか??
 それから10年近く零細米農家を続けながら第2職場に通った。その職場も終えて田圃と畑との完全田舎生活でのんびりしていた。しかし2020年になり、静かに進んでいた病が一歩踏み出したのを観たT主治医(Fさんの後任)さんにより、四日市市にある県医療センターへの紹介となった。改めて内視鏡の世話になるも泊まり検査だから麻酔を遠慮なく!使ったようで、楽な検査であったものの、妻が連れ帰ってくれた翌日は寝床で眠ったママ過ごすしかなかった。以後、G主治医さんのもとオフェブの服用を始めたりしたが、2021年秋頃までの1年間で中止となった。消化器へのアタックが薬効より大きかったのが原因。ま、治療薬でない抗繊維化の薬だから中止もしかたない。野良作業はできたものの、ゆっくりと、しかし確実に病気が進んだようで昨年から在宅酸素、今年からは在宅医療の身になりました。当然なことでボンベとともには野良作業は不能で、畑作はもちろん草刈り機での軽い作業もできなくなった。
 あのころは◎〇作業や▼山に登ったり、妻と◇温泉へ出かけたなぁ と過去と亡き賢妻を想うだけの生活になってしまった。先月末頃から、体感では日毎に病態悪化が進むようである。朝起きるのも億劫な身になり、洗面や着替えなど軽い動作の一挙手一投足にも息が続かない。すぐにソファに延びる。そしてTV画面を流して時間を潰してしまう。


 そんな先日、中日新聞になんと、2ページ繋ぎで間質性肺炎が採り上げられた。患者としては喜ぶべきか・・・?取材先が私も患者の会に入らせていただいた陶生病院のK先生であり、注意して読んだ。なお、前回のWEB会合では掲示された病態図でf(繊維化)タイプのNSIPの表現に工夫があるようで嬉しかった。以下に私の記事所感。

・入り口
 60代後半の男子、息切れ酷く入院・起き上がりも難儀なところ薬物療法で改 善あるも、進行により2年後に亡くなられたとのこと。ステロイドパルスなどの薬効で、一時的には改善されたのかな
・肺炎の説明
 間質性肺炎について一般的な説明がなされてある。ただ、『特発性』間質性肺炎の患者が最も多い と明記されている。これは知らなかった。そして間質性肺炎の20~50%を占めるのが厄介な『特発性肺線維症』と記されているのも初めて。ところで私の非特異性間質性肺炎も内視鏡検査で線維化細胞が優位であるから、今の症状は肺線維症と呼んでいいのでは と考えておる。しかし、呼吸器の先生は明答をくださらない。指定難病の繊維症の認定条件はよほど厳しいらしく、私の場合なら認定=すぐ昇天と思っております。
・療法
 ニンテンダニブ(オフェブ)やピレスバなど抗繊維薬の開発があったが、2~3年の進行延期が期待できるほどとのことで、私も1年間の服用で効能よりも消化器出血で止めたのは上記の通り。繊維化を抑えるでなく繊維化細胞を生じさせない治療薬が欲しいです。現状、60歳までの肺移植法しか治療法がないのはしかたない。
・締め
 最後に19年に特発性で余命3年とされた60歳女性がリハビリに励むこと、05年に余命数ヶ月と言われた現会長の記事があり、この肺炎の『厄介さ』がよくあらわれております。


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何度も愚痴るように、在宅酸素しても息があがることが多くなってしまった。

当然、身体を動かすのが大義になりソファに延びてTV画面のお守りばかりする。せっかくの時間、読書でもすればよいものを読本に姿勢を正すと呼吸を意識してしまう。日に日に募る肺呼吸の不調は何故だろう。病の本質、肺胞間質の肥大化は分かる。間質が障害となり血管(というか血中)への酸素の拡散が邪魔されるのは理解しやすい。
 ただ、ベッドやソファから立ち上がって数秒もすると腹腔に化粧まわしを帯びた感じがしてしまう。ついソファに倒れ込みたくなる。たとえば食事後、茶碗を洗う軽動作でキッチンに立つと、腹部の拘束感が半端でない。咳もでる。トイレや部屋間の移動も同じ苦しさ。運動量も少ない延びた状態が病んだ肺に優しいのはよくわかる。しかし、立位の苦しさは何故だろう。とりあえず、以下に考える。
 寝た状態では横隔膜が肺臓に沿うほどに柔軟な動きを示すのに対して、動いたり立位では横隔膜が下位に移行してしまい、肺臓の伸び縮みに付随できないのじゃないか と。これ式に考えると、立ち上がっての苦痛もよくわかる。ただ、動いた苦しさを無くそうと、ベッドで横になっての1~2分間ほどの苦しさが理解できん・・・・

 ん、なわけで動きたくないのだが燕君のシーズンとなった。嬉しいことに2ペアができたようで、玄関先にひとつ、2mも離れていない軒先に二つ目の巣がお泊りとなりました。二つ目をお昼頃にパチリしたのですが、これだけの撮影でハァハァとソファに倒れる情けなさです。妻が逝って1年がたってしまいました。




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