地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



神社総代に就任して早々、須佐之男神本殿修理が終わってヤレヤレ。3/Eの引き継ぎ日に前任の総代2名(わが地区では2名の総代が3年の任期を務めます)から、ほれっ と見積書を渡されての修復作業で、当初は”ヒョロつき”ましたがな・・・本殿を宮大工;Iさん作業場へ移動しての作業となるため、突発事故にも備え、年度早々に急遽、契約書を交わして着工してもらった。移動の前には宮司による宵の遷宮祭でご神体『須佐之男神』を隣接の白山神社本殿に”お移り”いただいたりと、就任早々にA総代ともどもウロウロする。以降の段取りはAが逃げたくって全て私チャンネル~ヤレヤレ・・・
 それも今日で目途がたった ちゅうか、ほぼ終了。余裕が出てきたので白状すると、4名の宮世話のうち1名だけが助っ人山上の昨日の午前、クレーンで本殿を吊り上げ据え付けようとしたが、上手くなかった。隣接の白山本殿と本棟同士が”喧嘩して”収まらない。とりあえず、5cmほど南へ据え付けておく。



大工と見上げながら、『いよいよとなりゃぁ、本棟を10cmほど切りましょう』と灼けな手段を述べ、Iさんも手が無さそうであった。
 で、昨日の午後は農作業をして居ったのだが夕刻にIさんから連絡。なんと、本棟を180°回転間違いしていた とのこと。後の話になるが、特に社殿西にお住いのSさんによれば、白山本殿を据えるに須佐之男本殿の棟が邪魔だったから、2つの本殿の接する本棟を10cmほど切り詰めた と。(Sさん、子年で私より一回り年上85歳であるが、もぉ古老の風格である)。であるから、180°”も”間違えば、長いほうの本棟が突き当たるのは当然のこと。しかし!、ずいぶんといい加減な工事で白山本殿を据えたものだ。おかげで、須佐之男さんの北側と白山さんの南側の本棟は当初から10cmほどは切り詰めてあった と判明した。それぞれの北側と南側の本棟が長いことが写真で明白。田舎のエライところは、皆で行った(ことになる)こういった不祥事なことは声高に言い伝えないことである。一方、もしも私と大工の独断で棟を切り詰めたら代々言い伝えられたのだろうなぁ~
 夕刻であったが、板金工事を行ってくだすったYさんともども、まずは本殿屋根上で本棟を回転し据え直し。クレーンが無いから!3名でバールやつっかえ棒を駆使し人力だけで本殿を無事に北側へ4cm移動し、完璧に元の場所に落ち着いていただく。


ヤレヤレ である。本棟は2mほどであるが屋根の頂点に置いてあるほどのモノで、腐食材を交換のために外したのを据え間違いしてしまったのが原因で、Iさん曰く『もぉ、仕事を辞めるころですなぁ』。
 気を取り直されてか、本日は朝から小仕舞を終えられ、夕刻には元の本殿以上に立派なお姿にしてくだすった。ありがたし。これで7/6宵の遷宮祭を行える。



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落としてくれた卵の殻を観て1週間ほどの昨日、ツバメ巣No.4から嘴が2つ覗く。2日ほど前にも嘴の一つだけは観ている。しばらくは黄色い嘴だけだろうが雛の成長が待ち遠しい。前記事を遡ると、落ち着いてくれてからは1か月近くになるのだ。
 親さんは大変だろうなぁ。玄関を開けると直上にあるNo.4巣の親鳥は飛び立ってしまうことが多いが、近接するNo.3の巣では雄雌ペアが子育てに励む様子を時に覗かせてくれる。尾羽の長いオスが巣に留まっている。と、不揃いな尾羽で(スマン!)メスと分かる母ツバメが飛来し、たちまちオスは飛び立つ。母鳥は外縁から巣の中へ頭を出し入れしていた(ひょっとすると、No.3も孵化したのかしら)が、しばらくすると中に入り込んで抱卵中のスタイルになった。こうやって母は子によりそうのかしら・・・羨ましい。
長い尾羽がオスらしい一昨日のNo.4親も掲載。


”と、書いてきた今=6/24AM8時過ぎ、洗濯物干しのついでに見上げると、No.4からは3つの嘴が覗く、暑くなるけどがんばれよ”

 意外と晴天が続き、田圃の中干が進む。ちょいと進みすぎかと不安になるほど、我が稲穂が他家に比べ青緑色が抜け加減で黄緑色ちかくになっている。ぼちぼち満水にすべきだな。全面ではないが、田面にひび割れも入ったことだし。さてさて、我田引水の真夏が近づく。



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 一昨日の朝、玄関直上の燕巣;No.4 から卵の殻が落とされていた。排泄物用の木箱に敷いた新聞紙の上に1個の欠片が載っていた。燕がお礼にと最初の殻を落とす との記事の記憶もあり、ありがたい。近くには片割れ殻が転がっていたので、汚れた新聞紙を交換したついでに並べてパチリ。背景にしてしまったが、シライ跳びの体操・白井君お疲れさまでした。若くしてすごいことをやってしまったゆえ、私ごときでも その後の辛さは理解できる(気がする)。次のステップに上手く脱皮してくれると嬉しい。
 いらちなおぢさんは、はやくNo.4雛を観たい。No.1の巣立ちから現在まで可愛い雛を観ていない。No.3巣は抱卵最中のようで殻の落下ナシ、北側のNo.2’も抱卵中。これからだな・・・


 梅雨らしく、昨日の曇天、今日の大雨とはっきりしない天候が続く。書き出した一昨日は珍しく晴天で、爽やかな風に田圃の稲草がなびいていた。パチリ静止より動画が好いのだろうが、技能ゼロだからあきらめる。

 


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10日間以上ブログしていない。
今日も通院した質の悪い呼吸器疾病(NSIP)で、疲れやすくなったこと・付随して、落ち込む気分・・・やること/なすことに時間がかかるから、ま、仕方ないと諦めるか。ただし、日記気分だから少しは書いておこう。

時間のかかる呼吸機能検査では、まぁそれなりの劣化が認められるものの、たちまちどうこうのものではない と若い女性検査技師とこれまた若いG主治医から「気にしなさんな」と慰められる。うん、気分を直して頑張って農作業しよう。

 稲作のほうでは水稲の根の張りを良くする『中干』に入った。田圃を乾かしあげて、根の発育を善くしようとするもの。稲草の発育にも良いし、秋の取入れでコンバインが泥に埋まることも防げる。一番の労働は特に乾きにくい田圃の、土手状に高い畔際に溝を掘ることである。6/9午前、鍬を振り泥を掻き、整理田に長辺100m1本と短辺30m一本の溝を作る。この溝が樋の働きをして水田の水を落水しやすくしてくれる。2hrほどの作業で排水路に落水スタートできた。写真左側のY君の田圃が我が田よりも40cmほど高いのである。
 夕刻になり、他3枚の田圃も水尻を開けて落水させる。これらは土手状の畔に面していないので、乾き難いと心配する必要もなく放水するだけのスコップ一丁の楽な作業で終わる。黄色矢示の排水管から流れ落ちる水を観ると、苦労した我田引水が馬鹿らしくなって・・・罰あたりものめが・・・
 2日もすると、水の少ない部分では田面に小さなヒビ割れが生じて、中干らしい。

畑のこと。さきおととい(一昨昨日)はジャガイモを掘り上げ、おとといに家に持ち帰って乾かした。メークインはそこそこな出来なのに、妻が料理に是非と言う男爵芋は小ぶりなのが多い。育てた第2畑の粘土あるいは壁土(恥ずかしながら、区別ができないのです)状の重い土質の所為かしら? わからん。
芋の周りにマヤと籾殻が土塊と一緒に固まってあり、芋も私同様に呼吸し難いだろう と。ヤレヤレ

 その第2畑の状況。
ジャガイモ2畝を掘り起こした跡が”C”で、”B”には余ったヤーコンの、それもヒョロヒョロ芽が出たのを慌てて植えた。”D”は鳴門金時サツマイモで、東には第1畑に埋めてあるシルクスイート芋から生育した苗を植えようと欲張っている。”E”は失敗覚悟のカボチャ、スイカのいわゆる弦モノで皆さんよりも1か月近く遅れて植えられたのが、不憫。最後に、昨日マルチを張り上げた”A”だが、土質を考えてとりあえずサツマイモで胡麻化そう としている。
 そんな横で、小学校の下の土手に合歓の花。10年以上も前の6月に306を駆って旅した象潟を思い出す。





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本年度から3年間の神社総代をおおせつかった。須佐之男神社総代である。本日は町民安全を願い津島神社に代参した。宮世話で会計担当のIさんを愛車デミオ(6/9が車検切れで、おそらくMTを愉しむ最後のドライブ・以後は軽トラMTだけの生活・・・)に乗せ、意外に近い50km離れた愛知県津島市に向かう。交通費は実費、昼食代金1000円也の参拝である。

 毎年の初穂料;一万円を納め、拝殿で神官の指図に従い頭を垂れて終わる。大事なことは、会計が領収書代わりに金額を入れた御朱印帳を持参することである。たまたま、昨年までで帳面がフル使用となり、巫女さんが新しいモノを作成、押印してくだすった。

 姉君神からも嫌われた暴れん坊神とされるからこそ、祭神とされたのかしら・・・ヤマトタケルのこともあり、古代人、大君の思想はわからん。でもまぁ、生まれたら自動的に氏子となっておって、若いころの一時期以外は祖母両親そして古老の風に従順に染まって神社にお参りをしておる。そして、古希を過ぎ総代となってしまう。大人しいものですな

 ちなみに、県下では!207社が須佐之男さんを祭神としておるらしい。そんな中、地名が多い神社名の中にあって、わが社だけが須佐之男神社を名乗っておる。貧乏村であったのか、社一つを持ちかね隣市のI町・川俣神社に合祀されておったのを昭和になりようやく町内に戻り遷座された と。それなのに、社名は堂々とスサノオとある可笑しみ。総代職を愉しませていただこう。

***************** 津島市案内からコピペ**************************540年、欽明(きんめい)天皇元年の鎮座と伝えられ、長い歴史を誇る津島神社。御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。御相殿には建速須佐之男命の御子・大穴牟遅命(おおなむちのみこと)がお祀されています。古くは、除疫、授福の神である「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とも呼ばれ、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められています。また、全国に3000以上も点在する津島神社の総本社でもあります。

 長い歴史の間には、織田・豊臣・徳川から格別の崇敬を受けたことがあります。社殿は、桧皮葺(ひわだぶき)の屋根で朱塗りの柱との対照が華麗で美しさを感じさせます。****************************************************



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