






本年度から3年間の神社総代をおおせつかった。須佐之男神社総代である。本日は町民安全を願い津島神社に代参した。宮世話で会計担当のIさんを愛車デミオ(6/9が車検切れで、おそらくMTを愉しむ最後のドライブ・以後は軽トラMTだけの生活・・・)に乗せ、意外に近い50km離れた愛知県津島市に向かう。交通費は実費、昼食代金1000円也の参拝である。
毎年の初穂料;一万円を納め、拝殿で神官の指図に従い頭を垂れて終わる。大事なことは、会計が領収書代わりに金額を入れた御朱印帳を持参することである。たまたま、昨年までで帳面がフル使用となり、巫女さんが新しいモノを作成、押印してくだすった。
姉君神からも嫌われた暴れん坊神とされるからこそ、祭神とされたのかしら・・・ヤマトタケルのこともあり、古代人、大君の思想はわからん。でもまぁ、生まれたら自動的に氏子となっておって、若いころの一時期以外は祖母両親そして古老の風に従順に染まって神社にお参りをしておる。そして、古希を過ぎ総代となってしまう。大人しいものですな
ちなみに、県下では!207社が須佐之男さんを祭神としておるらしい。そんな中、地名が多い神社名の中にあって、わが社だけが須佐之男神社を名乗っておる。貧乏村であったのか、社一つを持ちかね隣市のI町・川俣神社に合祀されておったのを昭和になりようやく町内に戻り遷座された と。それなのに、社名は堂々とスサノオとある可笑しみ。総代職を愉しませていただこう。
***************** 津島市案内からコピペ**************************540年、欽明(きんめい)天皇元年の鎮座と伝えられ、長い歴史を誇る津島神社。御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。御相殿には建速須佐之男命の御子・大穴牟遅命(おおなむちのみこと)がお祀されています。古くは、除疫、授福の神である「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とも呼ばれ、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められています。また、全国に3000以上も点在する津島神社の総本社でもあります。
長い歴史の間には、織田・豊臣・徳川から格別の崇敬を受けたことがあります。社殿は、桧皮葺(ひわだぶき)の屋根で朱塗りの柱との対照が華麗で美しさを感じさせます。****************************************************