地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場




 家庭ごみを出すのは私の役目。燃えるゴミ、可燃性or不燃系資源ゴミ、ペットボトルと白色トレイそして粗大ゴミ が我が市の環境センターによるゴミ区分。一周おきの金曜日に新聞紙や雑誌とともに資源ゴミで出す段ボール、折りたたんで小さくしてまとめるのは一仕事。今夜は、職場散歩用に購入したジョギングシューズの空き箱を折りたたんで取り込もうと、まず箱を展開。以前から感心するが、よくできている。接着の手間無用でしっかりと箱ができるようにしかも切り落とされる部分が最少となるように”デザイン”されている。感心。
 ただ、こんなに箱が必要なのかしらん。流通・運送のための梱包のようにも思え、丈夫すぎる段ボールにもやや不満。ファストでなければ商売とならん今世。何かがドンドンうしなわれてゆく ような。
 ところでこれだけの写真では寂しく思い、昨日にTV再放送された日本人デザイナー奥山氏の伊ピニンファリーナ社での活躍場面の合間に出てきた、古いフェラーリ。車名は知らん。選ばれた人々のためのデザイン、もあるわな。たしか、何年か前に同じ番組を見た記憶。氏が若手デザイナーを指導?して宇宙船のような(氏によれば)10年先でも通用する車体を発表させるまでを記録したもの。合間に写真のような佳きデザインの各種の伊車が走っていた。

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4時過ぎから里山道を彷徨する。体調がいま一つ、頭が重く酷い耳鳴り。午前に何とかかかりつけのお医者さんと図書館に出向いたものの、午後は家で過ごす。じっとすると頭が余計に悪くなる思いで、夕闇が近いのに里山道に向かう。
 神社を通り、村落に入ったところで綺麗に水の張られた小さな田圃1枚を見る。水面下に田螺の足跡模様(足跡?)。軽トラを停めた地点に戻るに、金王道をたどる頃には5時も過ぎようやくたどれる道筋。あぶないですな

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昨日夕方から田圃3枚分6反歩あまりのヒツジ草刈を始めた。以前も書いたヒツジ(草)とは、稲の刈り取り株から新生してくる稲草のこと。8月下旬から9月上旬には刈り取りを終わる当所では、その後も続く高温と秋雨とで切り株からどんどんヒツジが伸びる。刈っても毛が伸びるヒツジ。見かけは立派に籾までついてくる。
 田植え機の進行方向に直角に草刈機を進めてゆくと気持ちよく刈払える。が、広すぎて疲れる。午前中と夕呉れ直前にも頑張ったが、あと少し残っている。画面の田がおわっても、東側に3反歩の1マチがある。のんびりゆこか・・・甲斐のない仕事だし。ところで、この写真だけでは張り合いがないので一昨日に歯医者さんへ寄った時の夕雲の写真を添える。すぐに冬が始まりそう。

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 ボブ・ディラン氏がノーベル賞文学賞受賞と聞いた。よろしいこと。ただ、なぜ今頃になるのだろう。昨今の理系受賞と比べると受賞までが長すぎる。物理化学生化学のあの成果この成果には、(すぐにでも)検証できるテクノロジーがまちうけて、たくさんの?ノーベル賞が与えられる。知らされる方も、ははぁん、なぁるほど と不感症になるほど。
 比べてBC,AC何千年たっても、人の世の営みは変わったといえるのだろうか。いまは民主主義と言われても、どこかに逆境にあえぐ人々が住んでいる。平和であろうとしても諍いは身の回りにあり、地球上を覆っている。”大きな仕組み”は変わっていないでないか。右の頬を打たれたら左の頬を、次には右の と繰り返し、東方では輪廻になりして人は続いてゆくのでないかな。そんな時間の中の、あるスパンの中でちょいとした新生の潮流が生まれることもある。ただ、そのスパンが(理系に比べ)とてつもなく長いので、流れの終わる頃にしか潮流の始まりを感じることができないのでないか。ことほど、われら人間;特に私 は鈍いのでないかな。ま、ガタガタ行ったところで所詮、ダイナマイトのノーベルさんのこと。生業の理系のみならず文学賞も作ってくれたことは佳し としておこう。
 ところで、朝刊を見るとご本人とノーベル財団との連絡がつかないらしく、受賞辞退もありそうとのこと。ナチュラルでよろしいこと。
 さらにところで、恥ずかしいけど、風に吹かれての歌詞もよく知らなかった。検索したら、次に当たったので揚げておく。訳の真偽、作者の本当の意図は何処にあったかは当然私は知らん。
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歌詞は、1962年に雑誌「シング・アウト!」に、ディランのコメントとともに掲載された。

「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。ヒップな奴らは「ここに答えがある」だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」
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脈絡ない写真で今日一日をしのいでおく。
1.本朝はS先生とともに厳重な門(残念ながら写真とは別の、北側にある今様の)より入って検定試験。以前のこの門の写真では確か黄色のイチョウが青空に の構図であったはずだが、今年は黄色が控え目で。トイレに行くにも建屋への出入り口のカギを開けていただかねばならず、頻尿気味の私は緊張気味。が、緊張すると尿意が無くなる妙、よろし。おかげで試験は予定通り半日で無事終了、10kmも離れない職場に戻るにも惜しく、時々行きたくなる喫茶H香さんへ寄り道することに。門から数kmも離れていないJR阿漕駅前の通りの風景がアレッ?跨線橋は残るのに駅舎が無くなっている。無人駅の宿命かな。前職場時代には通ることもあった駅前だからパチリをしてしまう。
 朝が早く、賢妻弁当を作ってもらえなかった(おにぎり1個のし)ので職場近くのコンビニでソバを購入。駐車場が混んでいたのでいつもと反対側に駐車したら、隣接民家に竹ぼうきの示威?表示がなされていてこれまた珍しやとパチリ。さ、のんびり職場へ出勤。
2.まだ1/3も読んでない、アレクセイ・クルコフさんのペンギンの憂鬱です。久しぶりに愉しませていただきます。アラン・ブースさん以上にぴったりかもしれません。図書館で同氏の”ウクライナ日記”に出会ったことに感謝?さて、ノーベル賞は今年も村上さんからは離れていって、米国のボブさんに落ち着いたとTVが伝える。ワイワイいわれるので、村上さんの読む気がしないのです。今まで経験なし。喰わず嫌いかな

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かかりつけのお医者さんに体調不良を訴えたものの、2週間ほど状況を見ましょうで終えてしまってお昼前。無気力がのしかかり一日の休みなのに、畑あるいは田圃へも出る気がしない~気力がわかなくボンヤリすごす。
 3時に近くようやく山道にでもと軽トラに乗る。雲母峰方面とするが宮妻峡から入道ヶ岳北面の林道を歩くだけにする。もちろん、時間からして歩くのは少しだけ。冠山(鎌ヶ岳)が覗くようになって止める。帰路の林道わきに昭和39年の竣工銘板(コンクリ製でも銘板でいいかな?)を見、麓では車中から新名神工事の進行を見る。県内でも土木工事だけは盛ん。 

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 雨模様の朝。そこいら見学(研修?)で一日を潰すという妻とは別行動で、競技会場下見の午前、開会式・交流会の午後から夕べへと仕事が始まる。
 思いのほか広い会場で、選手・付添人の控え室に準備された大教室も余裕が感じられて◎。競技関連の部屋部屋もゆとりが感じられる。羨ましい。2葉目の右奥に建つ長い実習棟?が溶接材料&競技材料の渡し場、開先加工の場そして溶接競技場に当たる。直線的な動線で運営もスムーズにいきそう。4年後にわが県で開催の大会運営を想うと、競技会場はもちろん交流会場もスッキリ好い場がなく、やや、憂鬱。
『脱線』
 憂鬱とくると、昨日市立図書館で借りだし面白く読み始めたウクライナのアンドレ・クルコフ著”ペンギンの憂鬱”がある。氏の”ウクライナ日記”を返却する代わりに借り出して布団の中でニンマリする。旨い人だなぁ・・・後日、表紙だけでもUPしよう。
閑話休題?
 下見だけだから、顔見知りの方々と雑談しても時間に余裕があり、Tさん共々五稜郭方面へバスで出る。開会式は3時から函館駅に比較的近いホテル函館Rであるから時間がありすぎるほど。ともに連れ合いと連絡を取る。我妻は五稜郭近くの美術館?で佳い時間を過ごしておる という。幸い。夫婦2組で昼食しようと、Tさんと会場で配布された弁当4食を手に向かう。小雨模様のためタワー1Fで弁当を広げお腹を満たす。なかなかこじゃれて美味しい弁当◎。幸いなことに妻が職員旅行の折にはタワーができていなかったらしく、俯瞰を楽しめて◎よろし。

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勤務する事務局が関係する技能の全国大会が10/9に函館で開催された。遠方への出張のため、喜んで、妻と出かける。初めて入局した7年前も北海道の旭川へ妻と温泉旅行を兼ねて出かけた。2年前の秋田乳頭温泉(鶴の湯ではなかったものの)につづき、3度目のちゃっかり夫婦旅行であり、現職では許されないだろうな。
 競技前日には開会式と選手交流会があるので、7日に出立した。午後着のため十分な時間は取れないが、この半日だけ妻と一緒に行動できる。お隣県のT局長ご夫妻にもセントレアでご一緒となる。函館には五稜郭と函館山からの夜景そして港町くらいのイメージしかなかったが、妻は職場旅行で五稜郭は訪れたからもう観たくない という。旅館のご厚意で早めにチェック、荷を下ろせたものの夜景には早いから兎に角、港に近い末広町にある”坂の街”だな と、湯の川温泉から市電に乗る。
 改めて書くが、空港の外に出たら風が強く寒い。寒い思いをしながら日和坂を上る。一代で身代を築かれた相馬何とかさんの立派なお屋敷、旧イギリス領事館、旧函館区公会堂などその良さは分かるものの、さ、寒い。周りの人々(例によって、中華の方々もたくさん)コート、フリースはてはダウンなどを着用。白Yシャツにスーツの私は余計寒そうに(みえる)。下着とYシャツの着替えだけをバックに入れてきただけだから、せめて、カーディガンでもほぉりこんで来るべきだったの後悔も後の祭り。我慢できずに、坂を下りたレンガ倉庫のお店で安い薄手のカーディガンを購入してき込む。で、結局、函館山からの夜景は次回?に持ち越すことで夫婦の談合はまとまる。こうなれば、早くお宿に帰ってお風呂と食事しかない。チェックイン時にも(おそらく中華の)団体さんが遅く到着するので早めの夕食を勧められたし、やはり市電で戻る。・・・・2日目以降のことは明日にでも

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