彼岸の中日さん以後,相変わらずバタバタ。億劫で、テキトーに写真を挙げて書いておく。
①21日AM 前日に組のNさんが80歳のお年で亡くなられた。元気であらせられたのに。前夜の組頭からのアナウンス・招集要請により小雨の肌寒い朝から組員が集合し、手分けして居住区自治会の町内全戸に”10円玉1個を入れた”非時袋を配り歩いた。最近は我が村落でもお家からも仏さんが出て逝かれることがなくなり、Nさんも葬儀社からの送りとなった。ために、組の仕事はお通夜22日、告別式23日の受付役くらい。ただ今回、我が家は②の事由により参列できずに義理を欠いてしまわねばならない。
②22日pm 伊勢に住む娘が23日の福島市でのアンサンブルコンテストにI高生徒を引率して出発。我ら夫婦も仏国から来ている娘婿Cの”お守り”役にと、並行して出立。娘が以前から段取りをつけていたので止む無く①不義理となった。田舎ゆえ少し肩身が狭い。
宿は2つのグループ共に飯坂温泉にとってあったが、公私をわきまえ?分宿としてあった。行程も娘は伊勢市から近鉄で、Cは前夜から我が家に泊り我ら夫婦と共にJRでまずは名古屋へと 完全な別行動で、わずかに福島駅でお互いの顔を見合わせた程度。にぎやかな娘と一緒でないのは寂しいが、予約してくれた摺上川ぞいの宿、摺上亭大島には満足。お湯も良いので(この日の体調に合っていた感)22、23の連泊で大正解。
③23日AM ビール大好きのCと一緒の夜に日本酒を飲み過ぎたのかぼんやりした朝がはじまるが、お湯につかれば元気。朝早くから福島市音楽堂でのアンコンを観る・聴く予定はないので、I高出演の午後3時頃までは物見遊山とする。白状すれば、貧乏性ゆえに折角の福島、あれもこれも見たい と思っていた。レンタカーを借り、妻やCには磐梯山や五色沼、私自身のためには福島原発まで走り込みたかった。妻や娘により全部却下。歳を考えなさい!Cのことも考えなさい!そういうところ(事故原発あるいはゲットーなどなど)を好んで観たがる精神がおかしい???大人しく従い福島市内のそれも音楽堂だけにする(この日のために娘の唄仲間Yさんの福島在の義理のお母様がわざわざ市内案内図を送付くだすってたにに、申し訳ないが他に興味が移らない・・・)。
飯坂温泉駅近く市が管理する堀切邸を見学。堀切三兄弟といわれた人物らが育ったとされる。福沢諭吉あるいは昭和天皇との写真も展示されていた。福島に限らず東北からは偉人が輩出しており東海の三重県はさびしい。兄弟は5男さんまでみえたのだが、5-3兄弟=2のとおりのお二人は凡庸だったのかと、すこしうすら寒さと寂しさを感じてしまう。石床と三和土の立派な十軒蔵もよろしい。温泉街近くにはほかに観るべき箇所はナシ。市中心に向かう。
④午後pm ちゃんと地図を見ておけばビックリすることもなかったのに、妻が真っ先に立ち寄りたい古関裕而記念館は音楽堂敷地内にあった。これは好い。流石に音楽の都。長崎の鐘、君の名は、イヨマンテの夜、黒百合の歌、高原列車は行くなどを作曲され、高校野球、阪神や巨人軍の歌なども作られた と初めて知る。妻は館内のビデオに首ったけとなりCと私は呆れる。
2時も十分回ったので、音楽堂へ入る。写真で見ていたが正面パイプオルガンにも吃驚。タイル貼りにみえる正面は音に好いのか素人がやや疑問。
入場すこしで福島安積高の合唱を聴いたが、のびやかな声に感心。あとで銀賞と知ったが同じ福島の高校で金賞3校の一つ郡山高はどんなに好いのかまたの機会に聴きたいもの。I高は参加の証・優良賞どまり。なぜに福島の合唱が好いのかは不明ママ。合唱指導の経験ある妻も?とか。
⑤24日AM 帰路となる。東京駅にて生徒にpm3時までの自由時間を与えた娘が合流し、2夫婦で丸の内側から皇居の通り抜けにむかう。けっこうな人出に対してはバックの中まで調べられるほどの厳重な警備。新年の皇居参賀ではどれほどの混雑になるのやら。坂下門から乾門までをゾロゾロ歩む。桜木のあるところでは皆がパチリパチリなのに、肝心のデヂカメは東京駅の一時荷物預かりに忘れたまま。娘スマホに頼る。かくして物見遊山も終わり、JRに揺られて自宅までの長い帰路が待っている。あぁ~疲れるなぁ。
⑥付録 福島行きの前に水稲苗の籾種を水浸し催芽にそなえさせねばならん。消毒の済んだ籾を鋳物製の風呂釜で水浸させるのだが、前年まで使っていた釜の排水口に篭める亡父作の木製の栓(ノミと言っていたが漢字がでない!)をリフォーム工事で無くしてしまった。やむなく鉋を駆使して自作したものの、一晩で目に見えるほどの漏水。3本目にしてようよう完成。万事がこのようで、父と大違いの下手な手を持った息子ですわ。
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