地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



今年は飛来してくれる燕を観ることが叶うだろうか

昨年は翌月の中旬に飛影をみている(その2週間後、妻は遠くへ去ってしまった)。あと1か月が気がかりなほど病状が進みつつある。こうやってパソ机からブログを書けるしM井君とメール談話も出来るのだが、昼食にと湯を沸かせて冷凍うどんを整えるだけで息があがる。ソファに延びたくなる。歩きも作業もないのに。尿意で机を離れてトイレに歩行するとハァハァとなる。HOTで鼻から酸素なのにこの有様。
 もう数か月前から風呂から上がると大変な息切れであった。最近、風呂上りの身体をベッドに横たえてSPO2を観ると、真っ赤な表示(私の現行器は88未満で赤表示に)で70台、60台になってある。昨夜などは3分ほど経過しないと90台の緑表示にならない。咳痰が酷くなった。HOTで鼻から酸素なのにこの有様。
 貧乏性&負けず嫌いなのに、軽作業もヤル気がしない。朝の洗濯物干しは娘の連れ合いC君に世話になりだした。休みをまとめてかフランスから来てくれたのだが、洗濯干しと風呂掃除をやってもらう。それまでは洗濯物を室内に干すようにして運動量を減らし、お風呂は娘に任せるようにしていたのだが、完全委託となった。さてさて、あとはいつ頃からベッド生活になるのやら・・・


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時に愚痴るとおり、室内のわずかな歩行移動でも息切れがする。屋外に出ようとすると大事になってしまう。よほど決心しないと玄関から出ることができない。毎朝の担当であった洗濯物干し、娘の助言に従って室内干しにした。それでも広背筋の動きが呼吸筋?の動きを妨げるのか、ピンチをつまむのも嫌になる。
 先週まではボンベを愛車・軽トラの助手席に置いて、各種のゴミを市のカレンダーにしたがって集積場へ運んだが、今週からは完全にリタイア―!。息子夫婦or娘に依頼となった。すこしだけでも離れた場所であれば、軽トラを使えば出かけてみようとする。昨日など、借りだし期限をとおに過ぎ返却最速の通知までいただいてしまった2冊の日本文学全集を市の図書館へ返却に出かけた。これも図書入り口の外部返却ポスト口まで、軽トラの一時駐車位置から数十歩ほどすむからである。先の洗濯干しでは移動距離が長いこと・バケットを持つ筋の拘束が苦しいのである。もぉ、図書館からの借りだしは無理です。ちなみに最後の借りだしは新潮・日本文学全集1963年頃;中野重治と武田麟太郎/坂口安吾/織田作之助 でした。
 おかげで今週は済まそうとしている些細な神社用務も済ませていない。明日には何とか~。神社は我が家から道を挟んですぐ西に在るのだが、ほんの目の先の距離を動く気がしない。軽トラでの移動距離なら酸素ボンベを載せていくのですが、神社などなまじ近くへの移動では洗濯物同様に、ボンベを担って筋に負担をかけるのが苦痛なのです・・・こうなると、まさか と思っていた電動椅子も頭に浮かびます。しかし、出かけるところもあまりないですし・・・


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室内を歩いただけで、着替えをするだけで・・・作業とも言えないそんな動作のあとは、咳き込みながらソファに延びないとどうにも我慢できない。胸郭・腹腔の容量・運動量を常時感じながら生きている。おかげさまで睡眠時だけ意識が解放される。パソに向かう今も気管支というべきか、吸気の度に胸部のザラザラ感が拭えない。これから入浴だが、温まり浴槽から出てバスタオルで始末して、ハァハァしながら裸ママにベッドに倒れ込む。倒れた瞬間のSPO2(ま、血流中の酸素濃度ですな)は80ほどなのに、10秒ほどで70台、それを切ってしまうときもある。現在のところ、2分もすれば95以上とはなるのだが、酸素過給でこの値では今後の見通しは・・・くらい。
 病のことで情報を求めようと2chも覗いたが、最近、ブログ記事を探し始めた。昨夜、4年ほど前にこの病で60歳過ぎで亡くなられた在宅医さんを偲ぶ同僚医さんのブログを見つけた。直前まで勤務されていたのに、急性増悪か救急外来されたらしい。その時のSPO2=31 なる低値に担当医も驚いたらしい。残念ながら数か月の入院で逝去とのこと。ほんとうにいろいろなタイプがあるのですね・・・

 
 と、そんなやるせない?体はソファに延びるしかなく、TVがお供になる。昼下がり、これまでに2度は観た寺尾聡+宮崎美子『雨あがる』を観た。スタートは雨模様の画面も、中盤以降は緑の樹木が映り込み、脱力しそうな生き方に余計に延びました。
 ついでと申すもなんですが、つづけてデコトラを愛して駆るオジサンが紹介されました。行燈とかよばれるのかすごいデコレーションのダンプや貨物自動車です。全国一番の集団でmax.3,000台であったのが現行では300台に減少とか(正確に記憶しません・スマンです)。1977年頃の菅原文太の『トラック野郎』では、同じ間質性肺炎で逝去した八代亜紀さんも出演でした。



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国会議員への『裏金』配布がマスコミを長らくにぎわかしている。当初、数百万円級としていたAbe幹部級のHなど最近は2千ウン百万円を受け取っていたらしい。もっとも事務所あるいは秘書か が勝手に・不注意で受け取り&記載忘れた という。このあたり正しい表現をしようとも思わない。結果だけでよろしい。不正でも何でもありませんと、高額な金を懐に入れる態度が気にいらん。
 時折、公務員が業務で知り得た数値を業者に知らせて対価を得た として、無念な懲戒免職処分となる。数十万円で定年前の職場を追われるのだ。それと比較して欲しい。Hのことが気に喰わないのは、K学園や統一教会絡みでニコニコしていたからである。私にとって、それだけで十分である。


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酸素につづき在宅医療となります。
先週、市内の在宅医療クリニックへお願い面接にあがりました。昨年の今頃は妻もお世話いただいたM先生が、医療センターからの紹介に目を通していただいてあるようで、お世話くださることとなります。
 愚痴っぽくなる噺を聞いてくださり、少しは方が楽になったように感じたのですが、1週間ほど自宅で過ごすうち呼吸能が一段と劣化したように感じます。体力保持もあるだろうと洗濯物干しを担当しておりましたが、娘と自身の分を外の干し場(小屋の軒先)に運ぶのも苦痛で、以前から娘が以前から進めるに従って室内干しとしました。いくら軽労働でもボンベを背負っていると、広背筋?が拘束され肺収縮の自由が奪われるようです。室内なら酸素のチューブと共に移動すれば拘束から逃れることができます。
 ただ、わずかな身体の変位にもハァハァとなってしまいます。特に、状態をかがめたりする動作が入ると一段と呼吸をキツイものに感じます。幸い、トイレや入浴は単独で十分ですが、入浴後は裸のママにベッドで延びてしまいます。倒れ込みすぐではオキシメーターは真っ赤な表示値70台となり、緑の90台には1~2分を要しております。正直なところ、昨年の、妻がなくなってすぐに始まった在宅酸素ではこんなに早く酸素拡散能が劣化するような肺胞の肥大が進む とは思っておりませんでした・・・・・残念


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