地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



一月もつごもりとなり ようやく寒らしい冷たい風の中、夕刻の5:30ころから小一時間を散策し自宅に戻った。実家の両親の世話をしての妻は当然の不在で、仕方なくファンヒーターにあたりながらブログでも書いて暇を流そう

京都での高校生駅伝、大学生の箱根駅伝ではピンク色シューズのことを記した。その後、両大会の好記録の源はピンク色や左右色違いのナイキ厚底シューズによるものだろう との記事が目立った。昨年の10月にはマラソンの世界記録保持者キプチョゲがウィーンで非公認ながら2時間をきるタイムを出した。その時のシューズもこの厚底。多量のプラスチックにカーボンプレートも内蔵らしく、そん使用については午前のTV放映が取り上げたBBSニュースでは薬物ならぬ”技術的ドーピング”と表現していた。なるほど。WEBしてみると、使用禁止の動きもあったようだが、世界陸連は”使用禁止を中断する” と昨日決めたとの記事が多い。
 どうなんだろう。カーボンプレートをバネ材と観てしまえばドーピングであろうし、薬物のように選手肉体に影響を及ぼさないから(使用の有無にかかわらず)通常のスポーツ器具・補助具である。スポーツに疎い私には棒高跳びのポール材の変遷と同じかな とみて、後者よりになってしまう。パラリンピック陸上で活躍する選手の足にもなっているし、しばらくは流れに注目する。(鈴鹿市の方が活躍されたパラリンピックの長距離走に使われた車椅子の開発技術もドーピングにならないかな・・・)
 
 寒かった今日は揚げる写真に乏しく、市役所へ提出すべく私なりの技術でエクセルを使った申請図面で、技術繋がりとしてお茶を濁しておく。時たま写真をUPする畑、進入坂道の手前には”歩車道境界ブロック”がある。邪魔をするので牛糞堆肥などを軽トラで畑に上げるにはアルミ製ブリッジをかける手間がいる。ずっと以前に4丁分のブロック撤去する工事の許可を市に相談したところ、申請に必要とされたもの。ただサンプルにいただいた玄人をまねた;CADですわな 素人の図を”お役所”が受け取ってくれるか不安あり。またDIY施工が上手くいくかも不安。許可さえ取ってあれば、業者さんに頼みやすいだろうと安易。ただ、5mm方眼としたエクセルシート上に手書きのように線を引くのには肩が凝って往生した。やれやれ・・・

 ついでに夕刻散歩でパチリした川の堆積土砂を浚え始めた現場の写真もあげておく。この場面だけ視ると、いいなぁ土木工事(土を動かしたら金になる と言ったら怒鳴られそうだな)。あ、朝は軽トラでなく娘の車で娘の職場までアッシーになった。早起きしたので久しぶりに”職場”を感じることができた。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




10日ほど前に我が町内を流れる椋川の河床堆積について少し書いた。

本日の写真ではないが我が家から南に数百メートルの堤防からパチリした堆積状況を挙げておく。流水面から見ても1m以上は堆積して居り、流水域は河床の1/3ほどとなってしまった!豪雨の災害を未然とする役所の流水量計算に堆積状況は組み込まれておるのだろうか いや、無い と。
 県土木、市役所の住民説明会ではそれらしい図面と流量値を示すが、てんで当てにならんこと。なお、わかりやすい堆積写真を撮れたのは、堆積物の植生を切り払ってすっきりしたことによる。年度末が近くなり浚渫除去をS組が始めたようで、その前段に、河床・堆積土砂に生えた!樹木草が刈払われた。橋より下流側で黄色いショベルが堆積土砂を掬い始めておりますな。何年も前にも動いておりましたぞ。
 私が小学生の頃の椋川も氾濫があったが、こんな堆積は無かった。川幅が狭く、大水が急流となり堆積を許さなかった と観る。ところがここ10年ほどむやみに川幅を広げて、役所の曰く、流量計算値を増加して大水に対処します と。川幅を広げれば、算術により流速は低下し土砂堆積になりますわな。せっかく川幅を広げても、遊水地を造ったようなもの。堤防の安全は ?ままである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午前10時から2時間半ほど林道散策とした。市西部の小川町の山中まで軽トラで向かい(時に、記した豊田自動織機のテストコースを南に望む)歩き始める。市北西部にある風光のヨロシイ石水渓から南西へと鈴鹿峠ふもとR1沿い坂下までを結ぶ林道の合流点からが本日の目的コース。変わり映えのない、舗装完備のダラダラ林道であるが、ガードレールが完備するほど手入れは行き届いている。歩きやすいが、(濡れはしなかったが)お山では今日も霧雨が時折、舗装路ゆえに滑りやすくもあった。写真の林道合流点までの道は軽トラがようよう通行可能なほどに困難な道で、前回は倒木に難儀させられたがこちらも片付けが綺麗になされていた。


 しかし、体力の衰えか1時間もあれば坂下に着くであろうの目論見は大外れ。1時間15分もかけてしまった。正直、何度もあるUP & downは嫌になる。登り切ってしばらく喘ぐ。林道をもてあますような、こんな体力ではなじみの鈴鹿の山山もずっと春霞のかなたに消えていきそう・・・大丈夫だろうか、私の肺。

山仕事のために在った廃屋、ようやく到着した坂下から見たR1号線、帰路にあり、いつも気になる一軒家だが数百メートル上にはさらにポツンと一軒。残念ながらともに無住。 等を以下に並べて置く。疲れた私は休憩としますわ




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




K帯ラジオでの国会中継を聞きながら市の西部の林道散策。桜を見る会関連で質疑がほとんどであったようだが、閣僚や官僚のどーでもよいような答弁、首相の馬鹿にしきった答弁ばかり。野党の諸氏はなぜもっと怒らないのか。このような態度の官僚閣僚が差配した予算案の審議がそんなに大切なのか。国会を止めてでもよいではないか。怪しい試験法を繰り出した萩生田文科相の責任は問われないのか。彼をなぜに無傷のまま有耶無耶の関を越させてしまったのか。これからの若人の大事な進路を振り分ける試験だからこそ、毅然として取り組んでほしい。
 で、もうひとつ。昨夜も記した新型肺炎について、渡航歴のない奈良の男性と接触があった百余名について、把握して追跡しておる と厚労省の説明があった。桜名簿があやふやなのに、たいしたこと と言ってやりたいが、違うだろう。この男性に感染させた中国からのツアー客とその集団の追跡こそが大事であろう。が、そんなことは無理なのは当方も承知で、ウィルスの怖いところ。問題なのは、大事な追跡調査を行わず(行えないので)いたこと。素直に認めるべきと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




数日前の徳勝龍関の初場所優勝で奈良に好ましい目が行ったが、今夕はTV速報により別の奈良が心配の種になってしまった。

奈良の60代男性が新型肺炎に国内ではじめて罹患した と速報が流れた。以後のニュースも含め、今月2度ほど それぞれ数日間にわたり武漢からのツアー客を乗せたバスを運転されての感染らしい。奈良とは県境を接する三重県に住む、NSIPタイプの間質性肺炎を発症している私には嫌なニュース。新型肺炎の終末期は間質性肺炎の劇症らしく、ウィルスが思わぬところから舞ってくるのが気になる。ま、気にしても仕方がなさそうでもありますが・・・

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いきなりの漢文調が恥ずかしい。昨夜に記したとおり長部日出雄さんがビニール残滓に汚された十三湖(じゅうさんこ)を取り上げながら、十三の村も寂れた今と異なり安東氏支配の15世紀頃までは十三湊(とさみなと)と呼ばれ港町としての繁栄を記している。

 長部さんの文をほぼママ引く。鎌倉幕府が海運業を振興するに『回船式目』を定め、十代貿易港として三津七湊を指定した。伊勢姉ヶ津;三重県、博多宇ノ津;福岡県、摂州堺ノ津;大阪府、越前三国湊;福井県、能登輪島湊(石川県)、越後今町湊;新潟県、加賀本吉湊;福井県、越中岩瀬湊;富山県、出羽秋田湊;秋田県、そして奥州十三湊;青森県が、その三津七湊である。姉ヶ津=安濃津であろうことは三重県民の私にもわかる。

 私の脳裏では今日まで、ジュウサンコと呼ばれる十三湖の湖(汽水湖であるが)とトサミナトと呼ばれた十三湊の港が混同してあった。とくにアランブースさんの津軽で読んだ最終章にあったはずの、『・・・ううぅむ がいぃい』と宿の下を通りすぎる十三湖の蜆売りの声を読んで!から、響きがよく十三湖はトサミナトと自分で完結してあった。
 隣が安濃津の津市=Z市でもあり湊について知りたく、&雨ですることもなく・・・お昼に小雨の中を傘さして散策はこなしたが・・・勢いでWEB検索を続けてみると、ママ引用、中国明代の歴史書『武備志』では、次の3港が「日本三津」「三箇の津(さんがのつ)」として記されている。安濃津、博多津、坊津 - 薩摩国川辺郡(鹿児島県南さつま市) とある。なるほど、中国からすれば薩摩が近い。大阪の堺湊とは離れるが、学生の頃の国鉄・関西線には下りで湊町行があった。なにか湊という文字が浮かび上がる。我が三重県の県庁所在地の津=Z市の港が三大津であることは以前にも知ったが、他の港が回船の泊り港として伝えられておるのに、なぜに太平洋寄りの安濃津が挙げられたのだろう。以下ウィキ;安濃津(あのうつ、あのつ、あののつ)は、伊勢国安濃郡(現在の三重県津市)に位置し、日本の古代から中世にかけて栄えた港湾。 漢字は安乃津・阿野津とも表記され、洞津(あなつ)とも言う。・・・近鉄の津新町駅そばにはプラザ洞津(ドウシン)がある。
 引用を続ける;東海農政局関連の?あるHP>中勢用水農業水利事業によれば・・・安濃津; しかし今から500年あまり前、明応7年(1498)に起きた大地震によって壊滅的な被害を受けてその港湾機能を失ったとされています。

うぅん~長部さんのを僅か数ページ読んだだけで津軽に取り込まれる。今夜も布団の友とする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/22に写真で記した野坂昭如さんの本で知った長部日出雄の、”津軽空想旅行”文庫本を借りだした。
佳い本である。昨夜からわずかにページを捲っただけだが、太宰やアラン・ブースの津軽を想い出しながら読めそうで愉しみ。妻と結婚した1975/6月に発行の本なのに、十三湖の漁師が不漁と死んでゆく海を嘆いている。鋭い視線を感じる。繁栄の残滓のビニール屑が漁網に絡み、かつ、海底に堆積してプランクトンや小魚の繁殖を抑えていることを嘆いている。半世紀近く後、田圃にせっせと外殻プラスチックの一発肥料を置いて伊勢湾に微細プラスチックを流しこんでおる私は自嘲するしかないのか。

薄い文庫本だが、ゆっくり作者の足を追いかけよう

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




野良の仕事の友にイヤホーンでラヂオをK帯同している。今日は雨だから聞いていないが、普通NKKのAMは藤井アナによる『すっぴん』、pmは武内アナによる『午後ラヂ』で女性お二人の軽妙な喋りにうなずいておる。ところで4時もまわると相撲中継となり、相撲にはあまり興味がないのでFMラヂオに切り替えている。
 そんな私だが、今日のTVで徳勝龍関の優勝を知り、ニュース時間にみだしの”肩書”なことを知った。奈良県出身力士も知らないし、幕尻という単語も初めて知った。優勝インタビューの回答も初々しくて、上位力士の優等生答弁でないように聞こえて好ましい。よろこばしい し、逃してしまった正大関ともども今後も活躍してほしい。

 で、お昼前の1時間弱の散歩道からゴムタイヤの処分工場の一コマをパチリしておく。破砕しておるようだが何に再利用されるのかしら。一頃は燃料に用いられていたようだが、もう少しこ益しな用途があるのだろう・・・しかし、消費は停まりませんな
 散歩終盤に見た(前から見ておるのだが・・・)休耕田での小規模な太陽光発電。すぐそばには放置された田圃と耕起済みの田圃があり、さて、今後はどちらの風景が多くなるのやら





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




3日分を書く。

一昨日は朝から久しぶりに雨。にもかかわらず我が家の東では新築作業が進む。朝からクレーンで部材を運び上げ、鳶さん?が柱・桁などを組み上げていったら、3時過ぎには屋根の形に木材系の合板が張り終わられて作業終了。雨のもと木材組の家を建舞することが信じられん。木が腐りやすくなる・カビはいいのか???写真では説明しきれないが、柱が立つ前に床材下の合板が並べられていた!いったい、柱は丈夫に建てることができるのか・・・よそ様のお家のことだから余計な心配。我が家の覚束ない耐震リフォームを笑われそう



昨夜のTVでは食器金属加工で有名な燕市の金型加工屋さんの技術紹介。金属ブロックを放電加工で切り出して、隙間が分からないほどに精密に組み合わせて見せていた。雄型となった文字を雌型に指で押し込み、消える文字が見世物であった。厳密に数値制御した放電加工のワザであろう。久しぶりに工学系の出し物を見せてもらったが、合点が行かなかったのは微修正に平面研削盤でチョイチョイと削り込んでいたこと。局面じゃないの と突っ込みたくなったが、ま、よろしい。



今日は我が市の大市。60年も前の小学生の頃、50円玉を貰って出かけた瀬戸物屋、苗木屋、地球ゴマ・日光写真(小学生にはこれらが目当て)などの玩具屋も露店を並べたのに、もぉ食べ物屋台だけ。人出はそこそこあるものの、寂しくあり、そそくさと帰宅。寒かっただけ。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




が、死刑囚の前夜の夢の詩とは知らなかった。懐かしがっておるだけの詩、半世紀以上もそれだけしか分からなかった。~汽車を降りたら、迎えに来てくれるパパやママ~

昨年から起こしはじめた畑に、折角だから牛糞堆肥(マヤ)を置いてやろうとパイロットの外れにある牧場で1車分いただいた。臭いのキツイ寝かしてないマヤでなく、何か月か寝かして十分に堆肥化した黒色のマヤをショベルしてくだすった。感謝。午後いっぱいかけ散布、耕運機で攪拌して明日からの雨にそなえた。5時も十分過ぎての帰宅で、することも思いつかずyou-Tubeで懐かしの曲をきいた。阿弗利加や踊り姫もよいが(あ、睡眠中のライオンさんも)、今日になって歌詞の最後が分かった(情けない英会話ヒアリング力)懐かしい緑草が一番。しみじみして よく眠れそう。




 現在のお眠りの友、表紙が揃って赤と黒のラトビアの作家による『ソビエト・ミルク』と野坂昭如の『男の詫び状』の2冊。前者は今朝の起き抜けに?布団の中で読み終えた。少ない経験で申し訳ないが、どの作でも父息子でなく母娘の物語は読みごたえがある。久しぶりに好い本に巡り合えた。野坂さんのは、火垂るの墓で十分な私には評し様もなく畏れ多い。もっとも、もともとのエロ事師たちも読みたくなったし、小沢昭一も読みたくなった。ところで氏の父は秋田県知事であったと記憶していたが、今ウィキすると副知事とあり、本篇でもどなたかが魚沼産の米を送ってくれるのが嬉しいとあった。(どなたであったか・・・気が向けば今夜の布団の中で確かめて明日追記 にする)





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ