地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



昨日で4年ほどお世話いただいた県医療C.へは最後の通院になりそうです。
診察室、ディスプレイ上の白黒であるべきXー透視画像は、なぜか褐色に見え汚らしく思いました。一段と繊維化が進んだのでしょう。お世話になったG主治医さんから、肺も終末像だし、以前から話すとおり療法施すすべもないし、どうしましょう・・・となりました。むしろ、以前から私がせっついていたこともありますし(特発性非特異性間質性肺炎に療法が無いと重々承知のことです)、主治医先生と頷きながら話を進めました。
 以前からも申しておりました通り(記憶あやふや)、住居に近い在宅医クリニックM先生に紹介状を書いてもらうことになりました。昨春彼岸の頃には妻のフジサンもお世話になり、夫婦そろって厄介になります。手際よく?連絡されたようで、今朝にはクリニックから電話をいただき身体が許せば近いうちにお邪魔・相談する としました。
 先週末から、体調が優れません。お風呂あがるとSPO2が70台に低下しますし、軽作業と思っていた洗濯物干しでも同じような数値になります。大人しく横たわるべきでしょうか・・・貧乏性とイラチが直りません


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夕方になり、自民党国会議員への自派閥から受けたキックバック金の是非を問う検察の立件・起訴の姿勢が明らかにされた。絵にかいたような、検察の見事な忖度劇である。捏造まで許す検察なら、お手のものだろう。行政に動かされる検察だけでなく、この劇にはマスコミの役割も大きい。元検察官のコメンテーターをはじめ、御用?識者が起訴の難しさを熱弁するのを、昼間にTV各局が流す。
 顰蹙を買うが、いえば、能登半島地震と羽田空港の事故がキックバックを霞ませた。この今を逃さず、起訴の発表を行う。とともに、派閥を解消する発表が今も故Abeの最大派閥からなされたように、全派閥をなくすようだ。
 ちがうだろう。人がよれば派ができるのだ。意見を述べ合って戦わせて良い政策案の立案ができるのだろう。金とポストのためだけの派閥だから駄目なのだ。と、当たり前のことをズラズラ言っても屁の河童である。


ただ、少しだけ言っておきたい。
派閥の上級?幹部級議員は起訴立件をパスできたようだ。しかし最大派閥主のAbeが銃撃される前に、キックバックを無くそう と言ったことは明らかなようだ(どのTVでも伝えとる)。主君の言うことを聞かない上級な臣下を想像するのは困難だ。すると、無くそう発言のすぐ、幹部はキックバックのことをキッチリと調べ上げたはずだ。いや、調べるまでもなく分かっていたのだから。それを棚に上げて、会計責任者が勝手にやったことで私は全く知らなかった と開き直る。国会のややこしい問答では重箱の隅をせせるような問答を繰り広げるのに、自分の身体の垢には気づかないふりをして、次の選挙風呂でさっぱりした顔をする・・・大人のTVは突っ込まない。ま、こんなもんです。


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その理由を自分なりに考えてみた。立位では内臓が下垂し、併せて横隔膜も下方へ移動してしまう。プラスして、歳とともにお腹も出て内臓の下垂の具合も壮年時よりも多いだろう。そこで、吸気時の横隔膜の下方移動の範囲が少なくなってしまう=吸気が十分でない と想像した。
 ただでさえ肺胞壁が”肥大=繊維化”する病であるから、拘束ともいえる横隔膜の移動量の減少は私には辛い呼吸困難症状となる。娘が用意した朝食の味噌汁を温めジャーからご飯を掬うためにキッチンで立っておるだけで、お腹の中に化粧回しを巻いたような拘束感を覚えてしまう。
 寝たりソファに延びたりの姿勢では横隔膜の移動の妨げにならない と思い込んでおります。そんなわけで、ついつい一日中TVの前で過ごしたりするのです。


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昨年末に歌手の八代亜紀さんが間質性肺炎で亡くなった と先週にマスコミで知った。昨秋から体調を崩されてようで、膠原病由来の急性症状悪化(急性増悪)らしく、私の間質性肺炎よりも症状の経緯が早かったようだ。演歌やカラオケ嫌いの私でも『舟歌』や『雨の慕情』の切れ切れ歌詞くらいは脳裏に浮かぶ。同い年の妻が居たなら歌唱力などを云々できたのに、年の近い人が亡くなるのは寂しい。

 つづいて軽率なことを申します。矢代さんのご病気名が知らされたことで、村内の方々に体調不安を訴えるのが楽になる予感がします。「あの八代亜紀さんが・・・」と会話の頭に持ってきそうです。心臓肝臓などの病とは異なり判ってもらい難い病気です。多くの人が「なんやお前、顔色ええやないかっ」と。そうなのです。ハァハァぜぇぜぇ と苦しくても、顔色に変化が無いのです。
 今夕、降圧剤などの処方を受けるに近くの呼吸器内科クリニックにお世話になりました。労作時にはSPO2が70代と超低下するとも訴えました。先生も眉を顰められましたが、下旬に主治医と相談するしかないです。クリニック隣接の調剤薬局の主任さんは以前から病状を気になさってくれます。しかし、やはり、酸素濃度の低下を伝えても「お顔の色もよろしいのに・・・」とおっしゃいます。ま、一般的な病でないから仕方ないですね。ただ酸素容量の低下はドンドン進むようで、衣服の着替えなど屋内での軽作業でも息があがります。昨年1月のブログを観なおせば、かろうじて茶パイロットの路を咳き込みながらでも歩んだ とあるのですが・・・ま、ブースさん式に「ま、みなさん そんなもんですよ」

 今年は大変な年明けであった。妻と新婚旅行した能登では大震災、羽田空港の滑走路では震災対策物資を運ぼうとした海保機がJAL航空機と激突してしまった。年寄りはアワワあわわ とTVに食らいつくしか能がない。救援の皆さん、わけてもボランティアの皆さんに頭が下がる。

 
そんなTVで、年末に小津作品『お早よう』の放映があった。例の笠さんが大宅壮一氏の一世を風靡した「一億(総)白痴化」を口にしていた。1959年作とあり、早くも警句が示されていたのか。が、おそらく村内で一番遅く白黒TVを入れた我が家では関係なかったのだな と変な納得をしてしまう。あらためてTVのこと、ジャニーズ・ビッグモーター・キャッシュバック とカタカナばかり取り上げてくれるが、その熱も2週間続けば佳いほうだ。コメンテーターがあきもせずにペラペラしゃべって終わる・・・検察も楽ですわな、不起訴の理由を言わずともよろしいし。捏造しなくとも、熱を入れなければ守れる?モノがありますわな。

(訂正)『お早よう』を黒沢作品・志村喬・1952年『生きる』と混同しておりました(翌朝編集)。


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