地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



昨夕の無茶散歩の勢いで、山に入ってしまった。続いた雨で畑も田圃も仕事にならんのも背を押す。慣れた入道さん故、多少遅い時間でも大丈夫とスタートから無茶。猿田彦・椿神社からすぐの北の尾根登山道入り口に軽トラを止めたのが13:45、うす暗くなった3時間後の16:45に帰還。ガタガタの脚になっていた。最後に示す写真は北の頭から戻る折々に撮ったもの。

スタートのいやらしい石段(帰路には踏む)を避け、横の踏まれたジグザグ道を取る。椿さんの分社が石段終点にあるが、登山道はこのあたりから始まるイメージ。ロープが張られた小さな岩々をよじ、しばらくで小さな避難小屋。実は、もぉこのあたりで好いかな と思い始めたが、根が貧乏性で意地汚い。それまでの花呼吸が以降は口が開けっ放しのハァハァゼェゼェ~数十m進んでは停まるようなカタツムリ歩行となってしまい、腕時計の針の進みの早いこと。NSIP肺炎では脚の筋肉の燃焼に十分な酸素量を摂取できないのか、ふくらはぎが言うことを聞かなくなりつつある。
 少し離れたところを駆け足で登る若い人。トレイルランの愛好者かしらん。そういえばわが市が誇るクライマー;尾崎さんも御在所辺りで駆け足して居られたそうな=現役職場時代の私をいろんな山々へ連れてくだすった職場やや先輩でM山岳会に入っていたケンさんの噺。イヌツゲ群を目にした時、あ、北の頭は近いとアドレナリン?噴出を感じたものの、近づかない・・・何とか種切れ前に360度近い展望点に到着。やれやれ~~~15:35頃ですやんかぁ 俯瞰写真もそこそこに下山。重力はえらいものでバテた身体を引きづり下ろしてくれる。ケンさんの言葉。登れたら下りれるもんや と。もちろん、足をくじいたり滑落したりでは本も子もない。暗くなるのが早い秋。もお1時間早い入山か、いやいや、午前中に登りきるよう生活を整えなければいけません。
 帰路の軽トラからの夕焼け色はよかったです。





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間質性肺炎がジワリ進んでいるのか、目一杯の空気を吸い込もうと肺を膨らまそうとしても、背中から胸部にかけ拘束感があり、咳こんでしまう。吸気が悪ければ排気も不十分で、会話の声も裏返っているようで嫌になる。咳、痰が多くなった。幸いなことには現状、農作業もできるくらいに生活を続けてはいる。が、不可逆的な細胞の硬化?が進む治療法のない肺炎ゆえ、ボンベやHOT(ホーム・オキシジェン・テラピー=自宅酸素濃縮器 やね)の酸素世話になるまでの期間を何とか長くしたい。10年以上も前に診断してくだすった先生がおっしゃった『佳いQOLを』放したくない。再就職した協会事務局長も迷惑をかけることを惧れ昨年5月に辞めた。オリンピックイヤーの来秋には全国大会の担当県となったこともあり、無責任のそしりを逃れようとI副会長には診断書で納得いただいた。1年ほどかけて後任N君を事務局へ引き込んでおいてよかった。あとは身の周りのことだけだな(ほんとうかな?計画性ないからなぁ~)。

 農作業で忙しい時期が済み、時間があれば散歩をするようにしている。少しでも呼吸器周りの筋を丈夫にしておこうと。といっても、ここ1週間ほどのこと。1日に1hrほど界隈をほぉっつき歩く。今夕は昨夕よりは30分早い時間に同じコースをスタート。自宅からcw(右時計回り)で北側団地に上り、JR駅方面へ下る。通った小学校の跡地が近く、校舎玄関脇にあった尊徳石像が旧東海道沿いにある。昨夕と今夕の写真を並べておく。学校はここにあった頃にはお隣鈴鹿市からも通学があり、亀山市鈴鹿市学校組合立井田川小学校と長い名称だった。当時の亀山市の通学圏から現在は新・井田川小学校のほかに東小学校へも通う児童がある。

踏切を越え鈴鹿川左岸を砂利プラントまでで右折し東海道方面へ。


自宅方面が近くなったが、なぜか物足りない。不安ゆえか、無茶に歩きたい。ええぃ と途中からであるが一昨日のコースで石上寺をこなして?自宅へ戻ろうとする。が、自宅を目前にして欲から、も一度団地へあがってから帰宅とした。計1.5hrは最近の記録。病気が背中を押しているのかな・・・

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連日の雨の朝、TVではIOCが東京五輪の陸上長距離会場を札幌に移すと表明したことをうけ、都知事を交えぺちゃぺちゃ噺ている。終わり頃に、開催時期の問題が喋られていたがおざなり。アスリートファーストなら前の東京五輪のとおり10月開催前提で手を挙げていれば佳かったのに・・・IOCの放映収益金目的の8月開催に東京・日本が振り回される。”東京”だけが欲しくて歓んでいたおもてなし組。おっと、もぉこのあたりの記憶が定かでない。東京と決まってから8月開催だったの?8月&東京での開催だったのかな??遡って確かめてもせん無いことだし、しょせん東京のこと。どうでもいいわ。せめて、知事には北方領土じゃなくてお隣の福島会場と言って欲しかった。
 そのTV画面の速報に経産相の辞任が速報される。週刊誌の香典記事が発端であると。言葉や法的にも相応しいとは思わないが(ま、そんな程度の私ですが)香典ごときで野党もTVマスコミも張りきるなよ と。特区特区と言い続けてきた人々が地方に国会に文科省とそのトップに居座り続けて、その代表は令和の幕開けに国民を代表して万歳を三唱した。

時折、雨が止む。畑にも行けず、散策に出ようかどうか悩んでおる。昨日は曇り空となったお昼前に南方の石上寺方面へと1hr行脚。用心のため折り畳み傘を持った。2葉をパチリ

①石上寺の亡き前住職さんは亡父と同級生の布留さんとおっしゃり、何年か前にしまわれた奥様に(私は)小学校1年生2年生と担任いただいた(卒業まで担任くだすった4教師は全員が女性でした)。司馬さんの街道をゆくシリーズを枕の友としていた頃、奈良辺りの段で布留の地名を見た。ちなみに大辞林;奈良県天理市の地名。石上いそのかみ神宮がある。⦅歌枕⦆ 「石上-の神杉かむすぎ神かむさぶる/万葉集 2417」
 我が家のお寺とは格段の差異がある立派なたたずまい、最近は除夜しか聞くことがないが毎夕ゴォオ~ン♩の鐘を撞いてくだすった。どんな経緯でこの地まで下ってみえたのかしら



②お寺から数百mのお菓子処のT屋さん、残念ながらお店を仕舞われた。当地名産のカメヤマローソクの形をした(としか思えなかった)最中タイプの「ともしびの里」が売りだった。お通夜見舞いにはピッタリでした。



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合間の晴天の昼前、田舎散策に出かけた。
自宅北の団地から安楽川右岸を東に下り、JR関西線を潜り抜けO町からJR井田川駅、坂を上り詰め団地から自宅へ と1hr強の汗がにじむ気持ち良いウォークであった。こんな散策ルートをいつかmapで記したいもの。
散策写真2葉プラス1。



安楽川近くに揚げられた飛行機は以前にも挙げた。潜り抜けたJR鉄橋を挙げたのは、鉄路にはいい意味とあまり話すべきでない事柄が関係するから と書けば大げさ。田舎育ちで車時代スタートの少し後を過ごした身であれば、蒸気機関車・ジーゼルカーが多くの場面で必要となった。高校への蒸気機関車の窓から石炭滓が顔に白いシャツにと飛び込み、その匂いも鼻腔深くに残る。で、BS放送される『六角精児・呑み鉄旅』が大好き。昨日、今日と3月には配線となっていた秋の三江線(島根・江津~広島・三次)模様で、山近くの駅風情が◎だったためパチリ。



 こんなさわやかな秋の日、もぉ昏い思いも書いておこう。祖父の妹Fは未婚身重を苦にし鉄道自殺した。幼いころから祖母からたびたび聞かされ、踏切を歩いて渡ったり鉄橋の下を潜る時に思い出してしまう。Fの死亡地は自宅でも病院でもなく(当然か)線路の通る字名が記されている。
 ついでだ。祖父も首をくくってしまった。父がようよう少年になろうとしたころで、祖母は苦労したはず。一言も愚痴も言わず、しかも!(私には)祖父の自死を語らずにいた。聞かされたのは農作業が過ぎてまいって死んでしまった と。それを正したのは妻。ある日、父とその弟(叔父)とがお互いにその日の(あり様の)記憶があるか と話し合っていたのを妻は耳にしたらしい。父に聞きようもなく、親族に確認した次第。子供2人が自裁した曾爺さん婆さんは辛かったであろうが、もっと辛かったのは祖母であろう。心筋梗塞で60代で亡くなった我が母とともに、その苦労のおかげでのんびりした私の今がある。もったいなし

さて自宅東のミニ団地では今日も建てまいで、今見たら屋根の形も出来上がった。




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リチウムイオン電池関連で吉野さんのノーベル賞、悦ばしい。受賞者がどんどん増えればA倍さんでなくとも日本人は喜ぶ。ただ、理系の端くれに居る人間には釈然としないこともある。

最近では現実の産業に貢献が著しい発明が受賞対象になることが多い と見てしまう。それだけモノの根本は発見・議論され過ぎたのかもしれず、新たな見解は出にくいのかもしれない。

私が研究の真似事でお世話になった透過電子顕微鏡;TEM の勉強をし始めた1980年代の終わりころ、1931年にTEMを考えだした発明者ルスカさんと、その50年後に丁度のその頃話題にあがったトンネル電子顕微鏡;STMを考案したビーニッヒ(およびローラー)さんとが揃って1986年にノーベル物理学賞受賞となった。(ルスカさん、よかったね長生きしてくだすって!)

斜めから見ると、STMだけの授賞では片手落ちに見られるのを嫌ってTEMも対象にしたのかな と。幅広い科学学問に取り入れられたTEM、取り入れられすぎで、それまでルスカさんの授賞がなかったのかしら。STMでは微細な駆動(原子サイズに匹敵するような)が必要とされる。その関門が技術進歩で開けられ、誰もが気づかなかったトンネル電子を捉まえることで原子の配列を明らかにしたビーニッヒさん。たちまち、受賞となった次第。

アイディアが即、実用となる科学技術の進歩。早すぎる と思うのは後期高齢が近づいた我が身かな・・・
 
 ちょい脱線。昔の酒席で、アップルのスティーブ・ジョブスさんMSのビル・ゲイツさんが受賞しないの と愚問を挙げてしまった。と、先輩格のYさん(後に県議会議員さんに)に、〇君は単純だなぁ~、たんなるアッセンブルで誰でもが考えることができるから対象外となるのだよ と。かもしれない、おそらくそうだろう。だから数学賞もないのかな。けど誰も考えなかったから彼らの仕事があったのじゃないかな。

**********以下、ウィキからコピペ************

ルスカのこと・・・最初の電子顕微鏡 (TEM) は1931年にベルリン工科大学のマックス・クノールとエルンスト・ルスカが開発した。さらにルスカは性能を高め、この功績で1986年にノーベル物理学賞を受賞した。シーメンスの科学ディレクターだったユダヤ系ドイツ人のレインホールド・ルーデンベルク(en:Reinhold Rudenberg)が1931年、特許をとり、1938年に電子顕微鏡を売り出す。

ゲーニッヒのこと・・・走査型トンネル顕微鏡(STM)を1981年に開発した功績でノーベル物理学賞(1986年)を受賞したIBMのチューリッヒ研究所のゲルト・ビーニッヒ(Gerd Binnig)は、トンネル効果が生じるような非常に近い距離では探針と試料の間に有意な力が働くことを発見した。この力を利用する事により、STMでは不可能な絶縁体の測定を実現しようとビーニッヒは考え、同研究所で1985年にAFMを開発した。



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夕刻になって山の下刈に出かけた。もとは山だが15年ほど前から梅を植えてある空き地で、風通しが悪いせいか梅の木も枯れ始めている。手入れをしなければ と思うだけで、年に少なくとも4回ほどの草刈に追われてほぉりっぱなしである。いわゆる赤道でしか通行手段がなく、ミニ団地に接した袋地で、なろうことなら手放したい。草刈機を振り回すほどに身体が動くうちは好いが(現に午前中は近くの更地宅地の草刈をすませたところ・・・ここも4回/年は必要ですなぁ)、歳をとった私に代わって息子が草刈の時間が取れるかが心配。田舎ゆえ、所有する土地がだんだんと負動産化しつつあります。なかでも面積が一番広い田圃、どうなるのかしら・・・
 閑話休題;終わったら作業ズボンに草の実がビッシリ。上着のシャツにもしっかりついておる。勝手にイヌフグリ?と思っていたが、今調べるとヌスビトハギとえらく風流な名前。ただ、実の表面にはマジックテープ状の小さな釣鉤が密生しているらしく、食らいつきやすい と。そこで軍手が登場し、擦り取ると軍手に移ってくれて作業着は綺麗になる。2度目の職場でのお昼の散策で、好んで荒れた道を選ぶものだから、ジョギングシューズの靴紐にびっしりと付いたのを、試しに軍手で擦ったらうまくいった経験が生きる。こんなことしか上手くならん人生だった。



 ただ空き地の草刈は未終了であと一日は必要。疲れるわぁ~

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臼摺り、JA米出荷も終わりホッとした所為か体のだるさが続く。ブログにむかう気も起らず、2週間ほどのブランク。ただ、畑の草は待ってもくれず、まして撒き時・植え時はもっと待ってくれない。ついつい思いつきで畑に向かい手当たり次第の仕事をするものだから、観てがっかりする畑状況。

背丈は十分に伸び(伸びすぎ)10日ほど前から脇から倒れ始めたサトイモ。2株ほど掘りだしてみると、そこそこの形状に仕上がっておるのだが、炊いて食すると;辛子をつけて ゴリゴリ感が強い。わからん


秋ジャガは育ちにくいと聞いておるが、特に今年の高温の所為か枯れてしまった茎が目立ち、何日か前に植え直した。余計にだるさが襲う。


ジャガイモとおなじ根菜類のため比較的育てやすい大根も、芯葉が委縮気味。双葉から小さな黒丸いハムシの栄養源になって居るよう。畝を歩きながら捕まえては指爪で潰しておるのだが・・・ま、育ってくるだろう。


強力な害虫;ヨトウムシ が白菜を食い荒らしておる。一昨日に思い切ってネットを外した。台風の影響の雨を避けるため薬剤の散布を見送ったが、明日にでも噴霧してやろうか・・・ただ、67日タイプとしてある白菜種;無双 の芯葉にはヨトウムシがたかっているが、90日タイプの冬峠 は今のところ無事、このこともよくわからん。



情けない畑状況を年上のKさんに話していたら、一昨日にはセルで育てられた白菜苗をくだすった。昨日、慌てて一畝分を植えつけた。


こうして畑でバタバタして帰宅するに(といっても200mほどだけ)、我が家の東下ではミニ団地に家々が立ち並び始めた。雨が降ろうがこれらの家々の”建舞い”は行われており、そんな木材は当然湿っているはずで、防水紙や断熱材で保護され”カビ菌”には快適じゃないかいな と。



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