崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

老人の癖

2014年03月13日 03時28分03秒 | エッセイ
昨日講演依頼者から生年月日の問い合わせがあった。確かに私は高齢者である。「速足先生」と言われた私の歩くスピードも大分ダウンしている。バスのシルバーシートに座って、少し手前のバス停から歩いて帰宅した。郵便物の中に送った郵便物が100円不足だと張り紙付きで戻ったものがあった。郵便局で確認して書籍なので封筒の上の部分を切って、教えられたとおりにして、すでに数十冊送って何事もなかったのに何で?それをもって速足で最寄りの郵便局に行って聞いたら分類作業が間違っているという。意味がわからない。分類作業を間違えたのは郵便局員であろう。怒りたい気持ちを抑え、帰宅したら留守電に郵便局員からのお詫びの言葉が入っていた。
 よく考えてみたら最近私は若者に怒ったり叱ったりしたことがあるがこのたびはよく我慢したと思った。怒りっぽいのは老人の癖ではないかと反省している。私の恩師の尹泰林先生は『韓国人』を著した韓国一の教育者、人格者であるが70代には、やはり怒ったり叱ったりしておられたことを思い出す。奥さまから聞いた話では先生は時々独り言で悪口も言うという。先生の著書の中でもそう書かれてあった。一つの心理療法であろう。
 最近私もそう思っている。高齢者になっているという自覚と同時に、ある一つの心理的な変化があることを告白しておきたい。それは死を近くに考えているか、死を前にしている人の勇気のようなものである。恥や面子もそれほどなく、目上の人も少なく、ただの勇気、韓国語でいう「蛮勇」が出るのである。戦中に死を前にして戦う戦士がいつ死ぬか分からない状況で乱暴になったり、性暴行を起こしたりしたこともような心境に似ているのだろうか。高齢者の心には戦士のような心理があると言える。この点は否定されてもよい。私の経験からの戒め、老人の癖の一つであろうと思っている。若者よ、貴方も永遠に若くはないんですよ。