崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

オリジナリティ

2014年03月15日 05時30分58秒 | エッセイ
「ニューヨーク時事」によれば「STAP細胞」の論文をめぐる問題で、理化学研究所が中間報告を公表したのを受け、共著者の一人であるハーバード大のチャールズ・バカンティ教授は「示されたデータが間違いであるという有力な証拠がない以上、論文は撤回されるべきだとは考えない」と言っている。14人の共著の論文であるが、3人はすでに撤回の意思を発表した。大変ショッキングなニュースである。私も2,3の共著・共訳があるが、ただ名前を並べるようなことは硬く控えてきたつもりである。しかし自然科学の分野では一人が書いても研究の仲間の名前を連ねることがあり、共著者が多いのは私は以前から聞いて不思議に思っていた。
 今度の例でも論文発表の前に共同討論もせず、名前だけ並べたような「共著」の感がある。共著者のバカンティ教授は「圧力による」ということばを使っているが「圧力」とは何だろう。韓国でSBSテレビがソウル大学の黄教授を集中的に報道してつぶしたことを思い出す。昨日のインタビュー場にそのSBSが取材していた。
 今度の問題点の根本は他人の研究の「引用」である。ある人は自分の論文だけを引用している。他人のものを引用する時もその論文とは直接関係がなくとも有名度、名門大学の人、知人などを、「飾り」のように引用しているものが多い。私のことで恐縮ではあるが、巫俗の被差別集団は今では集団性は消滅しており、それに関しては私の調査が唯一であり、その件については引用されていいはずなのに人によっては直接引用せず、「再引用」されることは多い。
 14人の共著者は何のために名前を連ねているのか。メイン著者と共著者たちは共同で最後まで責任を持つべきである。その中から3人はすでにSTAP論文の撤回を決めたという。撤回しでも名誉回復は難しく思われる。これに関してはマスコミの騒ぎに左右されず、論文のオリジナリティの真偽を明らかにしてほしい。