崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

高齢者の自殺

2014年03月21日 04時22分27秒 | エッセイ
今日は午前には卒業式と午後は絹代塾に参加する。田中絹代氏の墓参りには参加できず残念である。卒業式には私が7年間指導した杉原トヨ子氏に博士号が授与される。私の全教歴の中で一番長く年月を掛けて完成に至ったケースである。彼女にはおめでとうと賛辞を贈りたい。昨日彼女から来たメールで終わってみると7年間は長くは感じないと言ってくれた。私より寛容の心を持っていると感じた。
 彼女は編入学当時大学教員として在宅看護関係を教えていた。その内容を聞いて私は老人の自殺をテーマにすることを勧めた。しかし私の前任校の国立大学大学院とは体制の違い、指導教員の体制も異なって、彼女の中間発表、予備審査など、さらに副査の交代などで困難な状況が続き彼女は2回、私は1回の進行を放棄宣言したが、研究科長は大学院は研究と同時に教育も重要であるということで、暖かい激励により完成に至ったのである。感謝である。
 私は『恨の人類学』で韓国の自殺について書いた。それは自殺は不慮な死であり、その死者の怨魂は家族と政治家に祟る信仰にもなっていることを分析したものである。彼女の論文では怨霊信仰には深く踏み込んではおらず、現在日本での高齢者の自殺率が高いことの不自然なことから日本人の死生観について分析している。研究対象の高齢者は年少時に学び修得した自尊感情が根底にあり、核家族化、老親扶養規範の衰退、介護保険の制度化の矛盾などと遭遇したといえる。高齢者個々の死生観は家族関係と大きく関与しているという。私の論文と比較する意味も大きい。さらに高齢化現象が予想される日本以外の国々において国際的に比較する上で参考になるだろう。
 

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