崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

仏壇が死者との接点

2014年03月11日 04時19分44秒 | エッセイ
神奈川大学常民文化研究所主催のシンポジムでは多くの参加者が朝から夜の懇親会までの長時間、人を保つ力に驚いた。これは会議の運営などもあると思うが、佐野賢治教授の人徳、人脈の力が大きいと感じた。彼の人柄を知ることもできた。私も研究所を運営する際には大いに参考になると思う。常民文化研究所には渋沢敬三の映像や民具などが多く保管されており、いろいろと行事があるので展示会などに行ってみたい。それらを参考にして映像に関する今執筆中の原稿を完成したい。(写真は祝辞を述べる渋沢敬三の息子渋沢雅英氏)
 昨日は北村皆雄氏、三浦庸子氏、神野氏と朝食を取りながら韓国のシャーマンの映画製作の話をしてから、拙著『雀様が語る日本』発行の新典社を訪れ、岡本社長と担当の田代幸子氏にあいさつ、さらに去年亡くなられた村口一郎氏の第一書房を訪れた仏壇の前に座って黙祷した。仏壇が死者との接点であった。悲しかった。丁度生前彼が座っていた椅子に座った。今は奥さまが変わりなく書店や出版も順調に運営されている。夫の思い出話を聞き、私は1973年からのお付き合い、そして彼が戦前南洋で砂糖きび農作業をするところで終戦を迎え、当時のつらかった思い出の話を奥さまから聞いた。急いで行かなければならない羽田空港へは、都内の階段をカバンを持って上下してかなり疲れ、前日東京首都大学の女教授の何彬氏が「先生のカバン持ちになりたい」という言葉を想起した。