崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

小林綾子との対話から

2006年04月27日 12時27分32秒 | エッセイ
 先日述べたように小林綾子氏と同席した時、映画のエピソードを聞いた。彼女が目が見えない人の役をする時、目隠しをして練習したという。そして見えないということの辛さを味わって演技をしたという。努力している俳優であると感じた。私は風呂場で目を閉じて物を探して見て、障害を身近に感じた事があることを話た。 広島大学では時々目隠しをして歩く練習をする学生たちに出合って社会福祉科の学生だと実感した。障害者を扱った韓国の映画「マラソン」を再び見た。保護者の母親の執念が強く出ている。母は他人と変わらない健常者の息子にしようとしたが、マラソンでは他人より優秀な成果を達成した。それでハッピエンドである。母が自分の息子は「他人と変わらない」と学校の先生に強弁している。そして息子の好きなマラソンに夢を持たせて二人で努力する。人間はは身体的な条件で標準は無いはずである。障害があっても不完全な人間ではないということをあらためて考えた。

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