ベランダにはそれほど数を増やしていない植木鉢が成長して、今は茂っている。室内には「花は夜咲く」幸福の木の花の香りは十日ほどで終わり、散歩道には野バラやアカシアが香る。私の生まれ故郷にはアカシアの小さい森があった。材木などで活用価値はなく、ただ増えて茂る、棘のある雑木であった。しかし私は花と香りの美しさを思い出す。先日本欄でアカシアに触れた時、ある読者から「にせアカシア」と指摘された。清岡卓行氏は『アカシヤの大連』で「正確には、にせアカシャ、いぬアカシャ、あるいはハリエンジュと呼ばなければならない」と触れいている。彼は踏み込んだ感想を書いている。懐かしいとか、美しいとか陳腐の常套句ではない。植民地大連に生まれ育ち、その生まれ故郷を「にせ故郷」にするのでは、すべきか、深く考えている。この世には多くの人が「ニセの故郷」に住んでいる。私もそうである。