崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

堀研の個展

2017年05月14日 07時01分12秒 | 旅行

 久しぶりに家内と福岡天神へ出かけた。別府社長に迎えられて10分ほど歩いて出版社で長く最後の校正に時間を費やした。その後ホテルニューオータニで開いている堀研の個展に行って絵を見た。花が多い。華麗な花の王女のバラやチューリップの類ではなく、ツバキや草花のアザミが彼の色、彼の思想で再構築しながら描かれている。照明のせいか明るくなって新鮮さを感じた。照明のことを堀氏に聞いたら画廊側に任せたという。
 
図録も異色のもの、娘からのことばが印象的である。私は堀氏と長い間の付き合いの中、数回個展を見せていただいているが見るたびに新鮮である。私の見方が変わるということもあるだろうか。この言葉は娘さんから「父の目にうつるもの」という文の中にある。文学者のまどか氏は「父が見ている世界は私とは違う」という。私も同感。石の階段の絵の前では高齢者の私には障害物のようなものが美の対象になるのか、なぜ彼はそれを美の対象としたのか、聞くと長い議論になりそうであった。ミレーの「種まき」を思い出す。オープニングにはそれぞれ縁の深い人が集まった。私は芸術家だけの美で終わるのではなく、我々の美の生活化が先進国であると言った。夕焼けから黄昏、闇の時間の流れを窓から確かめながら帰宅した。


堀研の個展

2017年05月14日 07時01分12秒 | 旅行

 久しぶりに家内と福岡天神へ出かけた。別府社長について10分ほど歩いて出版社で長く最後の校正に時間を通やした。その後ニューオータニホテルで開いている堀研の個展に行った。長い間の付き合いの中数回も見ているが見るたびに新鮮である。私の見方が変わるということもあるだろうか。この言葉は珍しくも娘からから「父の目にうつるもの」という文の言葉である。照明のせいか明るくなった新鮮さを感じた。照明のことを堀氏に聞いたら画廊側に任せたという。図録も異色のもの、娘からのことばが印象的である。そして絵を見た。花が多い。華麗な花を王女のバラやチューリップの類ではなく、ツバキや草花のアザミが彼の色、彼の思想で再構築しながら描かれている。文学者のまどか氏は「父が見ている世界は私とは違う」というように私も同感した。石階段の絵の前では高齢者の私には障害物のようなものが美の対象になるか、なぜ彼はそれを美の対象としたのか、聞くと長い議論になりそうであった。ミレーの「種まき」を思い出す。オープニングにはそれぞれ縁の深い人が集まった。私は芸術家だけの美で終わるのではなく、我々の美の生活化が先進国であると言ったが伝わっていない。夕焼けから黄昏、闇の時間の流れを窓から確かめながら帰宅した。