崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『比較民俗研究』28号に巻頭文

2014年01月28日 04時50分33秒 | エッセイ
 『比較民俗研究』28号に巻頭文「植民主義者が記念されている南アフリカ」を書いた。大英帝国の植民地であった南アフリカのケープタウンを訪ねて調査した内容である。一読を願う。

 今は近い歴史、絶対悪とされている植民地史の現場を見廻るために私は南アフリカに行った。大げさなようであるが、遠くて近い話であり、植民地と近代化、抑圧と自由、不幸と幸福の調和や葛藤はどうなっているのか、観光ではなく、調査でもなく、放浪者のようにただその街を歩きながら考え悩むような旅であった。この旅行を計画している内に私は体調を崩してしまい、周りの人から、旅行を中止したほうがよいのではないかと心配する言葉を多くいただいた。しかし私は内心、「最後の旅」になっても行くと強く心に決めた。反日と親日の東アジアから遠く離れ、解放されて考えたいと思った末の旅であった。植民地という悲惨な歴史は希釈されており、歴史は歴史、現実は現実であるということをここでこの目で確かに見たい。ここで負の遺産を探して小さい問題を大きくするつもりはない。
 南アフリカのケープタウンにおいて2週間イギリス植民地遺産に関して見たり聞いたりした。2009年8月末、現地時間で朝7時ころ黄土の平野のヨハネスブルグに着き、3時間待って乗り換え、2時間飛行した後ケープタウンに着いた。春というより初夏のようであった。シャトルバスの利用者は私一人、車窓の左側には岩山の絶景、その下に見えたオレンジ色の屋根の建物群がケープタウン大学、右側は美しい海であった。気温と景色の良いところに多くの西洋人たちが早くから移住し、植民地化したところである。ケープタウンに来て3日間は晴れており、天気の良い国だと思ったが以後、風が強く雨が降って市の背景の山のテーブル・マウンティンのケーブルカーが運行中止になってしまった。それでも年中、気候は良いという。海に向っている高級住宅街には大英帝国からのイギリス人が多く住んでいる。その海辺を散歩しながら時々休憩をして、彼らの幸せを感じてみた。ここに訪ねてくる人は楽しみを味わうためであるとガイドは言っている。
 金やダイアモンドの世界的生産地として早くヨーロッパに植民地化され、人種差別の国、長期囚人であったマンデラ氏が大統領になった国である。イギリスはボアー戦争を行い、 1910年から有色人種を支配、約1世紀にわたり悪名高いアパルトヘイト問題を抱えながら近代化を成し遂げて先進国となったのである。現在アフリカ最大の経済大国であり、アフリカ唯一のG20参加国であり、ワールドカップが行われた。
南アフリカ人たちは植民地によって使うようになった英語であるが、南アフリカでは植民地に強制された英語を今でも公用語として使用し、英語が話せることにプライドを持っている。彼らは英語の下手な人には苦笑いをする。韓国人の目には植民地にされ、強要された言葉を使うことにプライドを持つということは理解に苦しむところである。しかし、ケープタウンにはその英語を学ばせるために韓国の小中高生たちが600人ほど来ていて(2008年現在)、 子供の時から英語教育を受けさせている。つまり安く英語を学習するために選択されており、その保護者を含めて圧倒的な数になる。
到着して直ぐケープタウン市内を歩いて回り、疲れて歩道に置いてある椅子に座ろうとしたら一つには白人専用(White only)、もう一つには白人以外の人用(Non White only)と書いてある。そのそばの建物が人種差別の裁判を行った場所だとの説明がある。人類の歴史には恥ずかしいものが多い。私は何処に座るべきか。以前日本人は白人扱いされたという記憶がある。これが人種差別の象徴的なものであろう。そのまま奴隷博物館に入場した。奴隷制に関する充実した博物館には観覧者が少ない。資料映像の動画が多く流されている。奴隷を残酷に扱っているのがテーマであろう。中には東南アジアから奴隷として売られてきたという歴史があるとも説明されている。イギリス人の人種差別とイギリスによる近代化の成功がともに展示されている。
 長時間歩いていてもここでは白人はほぼ見当たらない。日常的には全く有色人の世界である。白人たちは元の植民者、支配者であり、主に海岸沿いの景色のよい住宅街に住んでいる。同じ国民として被支配者の原住民、差別を受けてきた有色人種がいる。彼らは植民地として白人に支配されたその歴史を本当に受け入れているのか、あるいは法律や規制による安定状況にあるのか。彼らは元支配者の財産を「敵産」として収奪しなかったのか。アフリカは暗黒の大陸というイメージがあるにもかかわらず、有色人種は先進国民の意識を持っているのだろうか。それらを知りたい。
 マンデラの出身の刑務所はどうであろうか。偉い政治家がそこから輩出された環境は何だろう。悪名高い刑務所、マンデラ元大統領が27年間服務した刑務所へ向かった。ケープタウンから11キロ離れたロベン島へはフェリーで40分かかった。見張り塔の中にレクレーションホール、キリスト教会、映画館、図書室と図書館、運動場、テニスコート、病院、研究セクション、クリニック、医師は週2回ケープタウンから来院するなどが設置されていた。ガイドから人種、差別、植民地の話を聞きなかったらも監房を除けば福祉施設とみ間違いそうである。
 韓国でも多くの政治家、運動家、元大統領の金大中氏をはじめ多数の有名人が刑務所出身である。日本の刑務所のように中央から監視しやすくするために扇子型構造ではなく、ひとりひとりを管理するように感じた。しかもそこに読書室Study officeも用意されているのには驚かされた。刑務所とはほんとうに「教導所」であるという意味であろう。本当の意味で刑務所とは何だろう。罪と罰の話は二の次になっている。1994年その刑務所からマンデラ氏が釈放され、初めて黒人大統領になって、実質的に解放独立国になった。マンデラを釈放したのは白人のクラーク大統領であった。
 南アフリカでは現在も治安や人種問題などを多く抱えている。都会から職を求めて移動してきた人々を始め難民などが集まってできた町townがある。このケープタウンから20キロメートル離れたカリチョ(Khayelitsha)という難民キャンプである。これはこの国最大規模の黒人難民町がある。4万人ほどの黒人たちが集まって生活をしている。内部には警察もおらずく政府は犯罪を恐れて夜9時にはこの町に入る門を閉じて出入りを禁止している。私は中に入ってみたいと関係者に強く希望を出した。殺人事件もあって、個人で入ることは大変危険な所だと言われて断わられたが、再び願って入ることができた。仮の小屋のような家が密集していた。数軒の家を訪ねて入ってみることもできた。

 私の最大の関心は南アフリカでは植民地からの負の遺産をどう考えているかであった。終局的に関心を植民地支配者であったセシル・ジョン・ローズ(Cecil Rhodes) に絞ることにした。彼は1853年イギリスで生まれケープ植民地政府第6代首相を経て、1902年(48歳)ケープタウンで死去した人物である。ローズは生まれつき病弱でそれを心配した父親は、彼の兄が気候の良い南アフリカに行っているのでローズをそちらへ送った。健康を取り戻したローズは、兄とともにキンバリーで坑夫としてダイアモンドを掘り、1880年に鉱業会社を設立し、全世界のダイアモンド産額の9割を独占するに至った。この経済力をバックに政界へ進出し、1890年に首相にまで登りつめた。イギリスが1806年占領して以来、南アフリカを植民地として統治し、ローズはその中で生きた植民地主義者であった。彼は英国植民地アフリカに夢を持った一人である。ローズは首相として数々の政策を行ったが、それらは全て、大英帝国の下、 南アフリカに広大な統一された植民地、南アフリカ連邦を建設することを意図した。彼はまた、ケープとカイロ間を電信と鉄道で結ぶ計画を推進した。
ローズはまさに南アフリカの政治・経済の実権を一手に握り、その威風は帝王を思わせ「アフリカのナポレオン」と呼ばれた。「神は世界地図が、より多くイギリス領に塗られる事を望んでおられる。できることなら私は、夜空に輝く星さえも併合したい」と著書の中で語っている。彼は現在のジンバブエのマトボに埋葬されている。彼を扱った映画『セシル・ローズ―その生涯と伝説―』などでそのように描かれている。ローズは熱心な帝国主義者であるとともに人種差別主義者でもあった。
 しかし彼は今も被植民地であった南アフリカで尊敬され、ケープタウンの市民の基金で建てられたローズ記念碑は生前彼が好きだったテーブル・マウンテンの北側の山腹に立っている(写真)。記念碑にはラドヤード•キップリングの詩:「彼はこの土地で生きて、この土地で死んだ/ここに霊がいる」と刻んである。その公園のコーナーには1910年ころ原住民の家をモデルに建てられたコテージのローズ記念レストランがある。私はそこで昼食をとりながら被植民地であったところに植民主義者が記念されているのは皮肉にも感じた。
私は既にイギリス植民地であったアイルランド、香港、シンガポール、マレイシア、ミャンマー、スリランカ、南アフリカを廻ってみた。またフランスの植民地であったベトナム、そして日本植民地であった台湾、サハリン、旧満州、韓国と北朝鮮、オランダの植民地であったインドネシアなどを廻って混乱してしまうような気がする。植民地であってもイギリスやフランス圏では旧宗主国に対しての怨念はそれほど感じないが、日本植民地圏ではそれが強く感じられる。同じイギリス植民地であってもアイルランドのナショナリズムと南アフリカの人種主義は異なっている。宗主国への怨念と恩恵の相反するようなことも感じた。
 500年も続いた南米諸国ではどうであろうか。私の旅はこのような疑問を持ってこれからも続くだろう。

John c. Hawley, India in Africa, Africa in India, Indiana University Press, 2008
Martin Meredith, Diamonds, Gold and War, Jonathan Ball Publishers: South Africa, 2008
Robert L. Rotberg, The Founder: Cecil Rhodes and the Pursuit of Power, Jonathan Ball Publishers: South Africa,
Alec Russell, After Mandela , Windmill Books, 2008
Charlene Smith, Robben Island, Struik Publishers, 1997