崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

生き残りの人生

2014年01月24日 05時42分10秒 | エッセイ
 周りから訃報3件、特に順番を間違えたような訃報に心痛めている。夫が先に逝った後、妻の順という意識のある私にとって、逆では大変な困難が予想される。私にそのようなことが起きたら生きられない。悲しみは言うまでもないが、まず銀行でカードを使ってお金の出し入れや振り込みなどもしたことがなく、日常生活に困ることが多く、冗談っぽく「自殺するしかない」と言ってしまった。クリスチャンとして神からいただいた命の放棄は大罪であるのに。
 これと関連して一言いっておきたい。「生き残った」ことへの感謝である。私は朝鮮戦争の中から生き残ったことを常に感謝している。それは多くの犠牲者、死者に対して申し訳ない気持である。戦争犯罪を叱咤するよりもっと根源的、根本的な姿勢である。震災などで多くの人が亡くなった。またそこで多くの人が生き残った。中には重傷、財産を亡くして「生き残った」人もとても多い。まず死者を考えて生き残ったことに感謝の気持ちを忘れてはいけない。それが生きている苦労を克服する力である。誰でも波乱万丈の人生、生き残りの人生であるはずである。
 一般社会へ出る一歩前の4年生の「日本思想」の講義で教育観、死生観を語った。「人がいる」という知識教育を改革して「なぜ人がいるのか」のような考え方を指導するような教育の改革の必要性を強調した。この授業には韓国から訪ねてきた高校の4人の教員が参加した(写真上)。教員の一人は私の教え子の教え子であり、光栄だと嬉しさを隠さなかった。学生たちも嬉しい表情だった。
 今朝の山口新聞に私が人生論などを書いたエッセイ集『雀様が語る日本』が掲載された(写真下)。長い付き合い、長いインタビューしてくれた森脇直樹記者に感謝している。彼は私の取材を最後に社内でのデスクワークでの編集に専念するという。