崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

休み、労働、遊びを総合的に考える年初

2014年01月07日 05時59分05秒 | エッセイ
 昨日は大学で始務式が行われた。個人的に会う度にする新年の挨拶の煩わさがこれで不要になるということで便利な式でもある。今回の年末年始は9連休ともいわれ、長過ぎるくらい長い連休であった。昔は名節の期間が長かったので逆戻りした感がした。連休が長いと銀行や郵便などの利用も不便なことがある。アメリカ・ボストンの川島擁子氏からファクスが届いた。暴雪のなか郵便が心配であったのにやっと私の拙著が届いたという。
 連休が長くて苦労話も聞けた。子供が多い家では子守に疲れるという人もいる。ここでは年末年始にかけて温暖な方であった。週末からは寒くなると気象予報が出ている。寒波も地球の一部分である。地球には真夏のところも多い。雪道を走るトナカイに乗ったサンタクロースのクリスマスと正月の時間帯をもつ地域も広い。
 連休期間が過ぎて日常に戻るときである。自然の時間とは異なって文化の時間は意味合いが大きい。日常と非日常の折目があるのが人間社会である。
連休の「休み」は楽しいといえる。つまり仕事、労働をしないことが楽だからである。しかし製造会社の経営者であれば労働しない社員に給料を払うという矛盾性もある。そんなことも考えてみた。労働から解放されたいのが人間の理想、「怠け思考」かもしれない。仕事と休みとの組合せは人間社会の基本構造である。労働と休み、職と無職、給料と年金などは社会福祉の基本ともいえる。
 休みとはなにか。動かない、寝ることなどが大きな意味であろう。休みに動的な要素を加えると遊びになる。遊びは労働と逆な行動であり、消費や浪費が伴いやすい。遊びが社会を滅ぼすのか、活性化させるのか、いろんな理論がある。休み、労働、遊びを総合的に考えて政策をたてなければならない年初である。