昨日は東亜大学の櫛田宏治学長のお母様の告別式に参列した。葬儀礼式場での告別式に参加したのは初めであった。故人とは時々立ち話や挨拶を交わす程度であったが家族ぐるみの交際もあって本当に残念であり、心から冥福を祈った。学長が経営者であり、親族の多くを知っているので私も親族の行事に参加したような感もした。仏式で仏僧による念仏と説法の後、追悼のお言葉があり、続いて親族の焼香と250人弱の一般参加者の焼香が行われた。親族代表には喪主の櫛田学長、故人の夫であり大学創立者と息子の嫁、二人の娘が立っていた。娘婿は座席にそのままだった。韓国の儒教式とは親族と非親族の区別、娘婿のあり方が異なっていた。子供の参加は目につかず、静粛さが終始一貫した。一人の娘が涙を拭くことはあっても泣く場面は一切なかった。『哭きの文化人類学』の著者として、日本社会では距離のある本だったと自省した。
仏壇は極楽を象徴するように仏像と故人の写真を中心に宮殿のような建物と菊、らん、カサブランカ、バラなどの花に埋まっており極楽鳥が仏壇の両側に飾られていた。これは「子供一同」「孫一同」の寄贈であると表示してあった。それらにはそれぞれの配偶者の名前は直接見えていない気がした。喪主学長のご挨拶では心を込めた母親の思い出をかみしめながら話をされた。心にしみるスピーチだった。思い出のアルバムの画像をみて、閉式になった。式前に電報の読み上げ、顕花は両側に飾られており、説明はなかった。世俗性を最小限にした仏式の良い印象であった。また参加者の中には大学在職中不和の人も参加していて、故人との関係、あるいは故人を以て改められたのであろう。故人と生者、生者と生者の関係を改める場でもあると思った。
仏壇は極楽を象徴するように仏像と故人の写真を中心に宮殿のような建物と菊、らん、カサブランカ、バラなどの花に埋まっており極楽鳥が仏壇の両側に飾られていた。これは「子供一同」「孫一同」の寄贈であると表示してあった。それらにはそれぞれの配偶者の名前は直接見えていない気がした。喪主学長のご挨拶では心を込めた母親の思い出をかみしめながら話をされた。心にしみるスピーチだった。思い出のアルバムの画像をみて、閉式になった。式前に電報の読み上げ、顕花は両側に飾られており、説明はなかった。世俗性を最小限にした仏式の良い印象であった。また参加者の中には大学在職中不和の人も参加していて、故人との関係、あるいは故人を以て改められたのであろう。故人と生者、生者と生者の関係を改める場でもあると思った。