崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「絹代塾」の塾長として

2013年03月05日 04時55分34秒 | エッセイ
 まだ寒い。三月になって急に寒さが緩んだように感じてわりと寒さに強い東洋ランをベランダに出した。研究室で二つの集いの準備のためにワーキンググループの集まりで長として議論して帰宅する時は夜になっていた。再び寒さが戻ったようであった。ベランダに出した蘭が気になった。零下にはならないので我慢してくれると信じ、そのままにしておいた。「春よ来い、春よ恋い」。蘭が寒いから。
 新年度から下関出身の名女優田中絹代を顕彰するNPOメモリアルの「絹代塾」の塾長を努めることになった。さっそく職務を務めることで年間計画を準備した。下関を中心に映画人は多い。彼らを総動員できればと思っている。まずスタートは3月20午前中央霊園で田中絹代の市民墓参会の「花嵐忌」に参加することである。その日の午後は「田中絹代の旅立ち~占領下の日米親善芸術使節」という未公開のフィルムを上映することになった。
 今地方の町村では村おこしが盛んにブームになっている。そこで注意すべき点があると思う。それぞれのゆかりのある人物を探して照明を当てることは良いこととしても狭い郷土心に埋没された縄張り意識を強調するようなことは禁物。田中絹代を下関の出身の人物というよりは大正昭和を生きた時代の象徴、日本さらに世界に向け、普遍化のための顕彰となるようにすることで私の塾長としての使命は重い。