崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「送別がすなわち派遣」

2013年03月14日 04時48分59秒 | エッセイ
下関にて5年間勤務し転出する方の招待に便乗させていただき昼食を共にしながら歓談をした。それは世俗的な別れの形式的なものではない。彼の人徳や人脈は広く深く多くの業績を残して行かれる。彼と数多く関わったこと、出会いから別れまでの話し、人情のある付き合いの5年間の回想であった。同席した二人の彼の同僚の方々も忙しい中の一時であった。私は彼らの書いたものを読んでいるのでそれを話題にしようかと思っていたら逆に彼らが私のブログの読者であり、靴を抜いて置く向きの話や徴兵制度の話などが話題になって私が中心になったようであった。帰宅して我が家で一人のお客さまを迎えたが、彼女もまた私のブログやFBの内容を話題にした。今日お会いした人とは文通や対面などを通して、二重三重の人間関係が重なり、人情が深まるようであった。
 今月はまだまだ転出、卒業、定年などの話が続くであろう。私も多くの送別会や歓迎式を受けながら転々としてここまで来ている。別れても、離れてもインターネットやグローバルな意識においてはそれが無意味に感ずる時代になっている。むしろ別れがもう一つの連結の鎖であると考えるべきであろう。何処までも愛情の杖、網、鎖を投げながら生きる時代であることを嬉しく思う。いま私は南アフリカで難民キャンプの中で宣教するPeter Han牧師が私をそこへ案内してくれたことを思いFBで繋がっている。「送別がすなわち派遣」と思うと言いながら彼にサヨナラと手を振って別れた時はやはり寂しかった。