verse, prose, and translation
Delfini Workshop
芭蕉の俳句(2)
2011-06-23 / 芭蕉
■旧暦月22日、木曜日、、沖縄慰霊の日
(写真)雨あがる
どうも気合いが入らない。蒸し暑い。
『チェーザレ』8巻読了。毎回、読み応えがある。今回も実に面白かった。レコンキスタでモスリムを排除し、スペインがキリスト教国家になる条件が整うと、今度は、国内の非キリスト教的要素、つまりユダヤの排斥を始める。この辺の事情が具体的によくわかった。チェーザレは側近に、ユダヤを多く登用している。もしかしたら、チェーザレの血にもユダヤは入っているのかもしれない。
☆
たのしさや青田に涼む水の音 真蹟懐紙(貞享二年)
■芭蕉の俳句で、「たのしさ」が詠まれているのはめずらしい。共感できた。
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Cioranを読む(56)
■旧暦5月21日、水曜日、、夏至
(写真)無題
今日は蒸し暑い日だった。
諸星大二郎の『諸怪志異』阿鬼篇、読了。面白い。幻想系のコミックや小説がいい気分転換になるのは、重たい現実を差異化してくれるからだろう。古今東西の不思議な話をぼちぼち集めてみたいと思っている。
内部被曝を回避するために。静岡産の深蒸茶はやめにして、九州からネットで取り寄せたのだが、二煎目も茶葉の色が変わらずおいしいので、吃驚している。今まで飲んでいた静岡茶というのは、なんだったんだろうと思えてくる。
群馬大学の早川由紀夫教授によるホットスポットの汚染地図。欺瞞の全体構造に改めて怒りが湧いてくる。マスメディアなどを通じて、これだけ、資本のイデオロギーに汚染されていれば、民主主義が機能しなくなるのも当然だと思う。
☆
Se retirer indéfini,ent en soi-même, comme Dieu après les six jours. Imitons-le, sur ce point tout au moins. Cioran Aveux et Anathèmes p. 56
どこまでも自分の中へ引き籠ること。ちょうど、あの創造の6日間のあとの神のように。少なくとも、この点については、われわれは、神のひそみに倣ってもいい。
■元祖引き籠りと言っていいのかもしれない。引き籠りは、ネガティブに語られることが多いが、無意識のプロテストという面もあるし、エネルギーの充填という面もある。引き籠っても生活が成り立つ条件があれば、の話だが。ただ、神のひそみに倣うとすれば、6日間は活動するわけである。その活動が、どう考えても善い活動とは思えないのが、現代だろう。自然を破壊し弱者を搾取する。原発事故を踏まえると、人間がくだらない活動をするくらいなら、引き籠った方がいいのではないかとも言いたくなるが、われわれは身体を持っている以上、労働(自然との相互作用と社会関係の構築)を避けるわけにはいかない。したがって、権力の発生を回避することはできない。だからこそ、善い労働のあり方や善い権力行使のあり方を考えるべきなのだろう。倫理学にアクチャリティがあるのは、この局面なのだろう。
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芭蕉の俳句(1)
2011-06-20 / 芭蕉
■旧暦5月19日、月曜日、
(写真)上野
腰痛のため、終日、コルセットを装着して、静かにすごす。夕方、施設に叔母を訪ね、特養への入居に関して、最終確認をしてくる。これで、判定会議の結果を待って、入居が決まる。特養に入れれば、こちらとしては、だいぶ、気が楽になるが、入居すれば、あとはよろしく、ということはなく、ケアスタッフと家族の協力体制の構築が必要になってくる。とくに、「見取り」という事態になったとき、この協力体制が問われる。今すぐではないが、その日は、確実にやってくる。そのときには、こちらも歳を取っている...。
☆
昨日の「父の日」に娘から、『芭蕉全句集』をもらったので、芭蕉全発句読みの2回目を、ぼちぼち、開始しようと思っている。
白河関
西か東か先(まづ)早苗にも風の音 曾良書留(元禄二年)
■早苗にはじめに風の音を聴く、という感性に惹かれた。曾良が書きとめた発句ということだが、脇に続くことが予感される句作りで、一句で屹立する現代の俳句とは趣が少し違うように感じる。「早苗にも」という個所にそれを強く感じる。一句独立なら、「早苗には風の音」と作るのではないだろうか。
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蕪村の俳句(100)
2011-06-18 / 蕪村
■旧暦5月17日、土曜日、
(写真)無題
腰痛が悪化して、動きが取れなくなってしまったので、家で大人しくしていた。徐々に、Facebookに慣れてきたが、個人だけでなく雑誌や新聞、NPOなどの団体もやっているので、なかなか、重層的で面白い。twitterが情報を一方向的に伝える傾向が強いのに対して、Facebookはinteractive。その意味で、web本来の持ち味が生かせているのかもしれない。
☆
温泉(ゆ)の底に我足見ゆる今朝の秋 明和五年
■一読して、秋の気配が伝わってきて惹かれる。秋の立った気配を朝の湯の透明感と水への触覚で掴んでいて、後世の類句の元祖的な句だと思う。
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Sound and Vision
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