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Cioranを読む(54)


■旧暦5月9日、金曜日、、時の記念日

(写真)無題

blog、twitter、Facebookとwebをやりすぎると、脳が興奮して、眠れなくなる。夜は、パソコンを切ってしまうことにした。その時間、好きな本を読むことにしたら、だいぶ、調子がいい。



Ce qui n'est pas déchirant est superflu, en musique tou au moins. Cioran Avuex et Anathèmes p.43

胸が引き裂かれるようなもの以外は無意味だ。少なくとも、音楽の場合はそうだ。

■この断章は、キュアのロバート・スミスの「痛み以外にリアリティはない」という言葉をどうしても思い出す。déchirant(悲痛さ)は、しかし、いつも直接的に表現されるわけではない。蕪村のように洗練されている場合もあるし、チェーホフのように、日常の延長線上にある場合もある。人の心に深く届くのは、むしろ、直接的に表現されていない悲痛さだと思うがどうだろうか。音楽の場合は、直接的でも間接的でも、届くような気がする。



Sound and Vision






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一日一句(141)





冷奴この世の酒は花に似て





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