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芭蕉の俳句(161)

■旧暦10月25日、火曜日、

(写真)
遠い死は恐ろしく近い死は懐かしい。(山頭火)

このごろ、寝る前に『山頭火随筆集』(講談社文芸文庫)を読んでいる。山頭火の俳句は、今ひとつピンと来ないが、随筆には大変感銘している。こんな言葉も残している。俳句の深さや高さは、いったん、こういう面を突き抜けないと出てこないような気がする。

生命ある作品とは必然性を有する作品である。必然性は人間性のどん底にある。詩人は自発的でなければならない。価値の創造者でなければならない。新しい俳人はまず人間として苦しまなければならない。苦しみ、苦しみ、苦しみぬいた人間のみが詩人である。(『同書』p.70)



年々や猿に着せたる猿の面   (薦獅子集)

■元禄6年作。いよいよ、最晩年の句境に入ってきた。上5の「年々や」によって、句全体が寓意を帯びてしまうところが、俳句文法を活かしきれていない印象はあるが、一読惹かれる。どこに惹かれるかと言えば、「猿に着せたる猿の面」という措辞である。これには、二通りの理解がある。一つは、狂言「うつぼ猿」に見られるように、猿に扮する人間に猿をかたどった面を着せたという理解。もう一つは、猿舞師が現実の猿に何らかの面を着せて舞わせているという理解。この場合、「猿の面」は「猿に着せる何らかの面」という意味になるだろう。趣深いのは、後者の方であろう。前者では、批判が直接的で痛烈すぎて、却って興をそぐ。
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