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飴山實を読む(43)

■旧暦10月27日、木曜日、

(写真)
生まれ、生き、そしき死ぬ一人一人が
この世を生きぬいたことにより
誇りをもって死んでゆけないようなら、
世界とは、いったい何だろうか?

哀れなドン・キホーテは、敗れて死んだ。
だが、絶望とたたかう魂を、彼は遺したのだ。
諸君には、ドン・キホーテの笑いが、
神の笑いが聞こえないだろうか?

ウナムーノ(1864-1936)バスク人。20世紀スペインを代表する文人思想家。1936年、市民戦争勃発後、共和国スペインに対するフランコの反乱をきびしく批判。幽閉のうちに死んだ。



五十嵐大介の『リトル・フォレスト』第一巻を読んだ。非常に良かった。ある意味、傑作ではないか。小さな農村に女の子が住んで、食物を作って、それを食べるという営みだけを描いているのだが、グルメ系のコミックとはまったく異なり、人間の生活や生きることが「ものを食べること」だったことに改めて気づかせてくれる。このコミックには、商品としての食物や消費するだけの食物は出てこない。ひたすら、己が食べる食物をどう作ってどう食べるかだけである。市場は、ぐっと背後に、「街」という表現で示されるだけで、そこで、傷ついた若者たちが、いわば、使用価値だけの小さな村の世界に戻ってくる。

「街」は、ここでは、こんなふうに表現される。

「なんか
小森とあっちじゃ
話されている
コトバが違うんだよ

方言とか
いうことじゃなくて」

「自分自身の体でさ
実際にやった事と
その中で自分が感じた事
考えた事」

「自分の責任で話せることって
それだけだろう?
そういう事を
たくさん持っている人を
尊敬するだろ」

「信用もする」

「なにもした事がないくせに
なんでも知っているつもりで
他人が作ったものを
右から左に移しているだけの人間ほど
いばっている」

「薄っぺらな人間の
カラッポな言葉を
きかされるのに
ウンザリした」


激しく共感できる科白だった。




骨だけの障子が川を流れだす


■障子を張り替えるとき、昔は、障子を川などに漬けておき古い紙が剥がれるのを待った。そのときの情景かと思われる。単独で完結した景として見た場合も、廃墟の打ち捨てられた障子が流れて出したようで、面白い趣があると思った。

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