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蕪村の俳句(81)


■旧暦7月19日、金曜日、

(写真)無題

午前中、仕事。午後から、翻訳セミナーに出席。翻訳通信主宰の翻訳家、山岡洋一先生の講演を聴く。ユーモアのある面白い講演だった。ただ、やはり出版翻訳だけで喰うのは、難しい状況だなと改めて感じた。最近は、会長職に退いて、演劇活動にいそしんでおられるという柴田耕太郎先生にも、久しぶりにお会いできた。



朝がほや一輪深き淵の色   明和五年

■朝顔の藍色に淵の深い色を重ねたところに惹かれる。この句を知ってから、紺色の朝顔は、どれも、淵の色に見えてくるから不思議である。この句には、前書きがあって、「澗水湛如藍」(碧巌録八十二則)とある。この禅語を踏まえているようなのだが、その意味はよくわからない。禅は、いつか、まとまって勉強したいと思っているが、なかなか...。



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L・Wノート:確実性の問題(6)


(写真)無題

61 ...Eine Bedeutung eines Wortes ist eine Art seiner Verwendung.
Denn sie ist das, was wir erlernen, wenn das Wort zuerst unserer Sprache einverleibt wird.
Wittgenstein Über Gewißheit Suhrkamp 1984

言葉の意味とは、その言葉の使い方のことである。というのは、その言葉をわれわれの言語に始めて取りこむときに、われわれが習得するのは、まさに、その使い方だからである。

■すとんと理解できる。言葉の意味は、辞書で調べるというのが、一般的だが、実際の用例を調べて、意味を確定する方法が有効であることを示している。辞書で自動詞、他動詞などの表示があっても、実際は自動詞としての使用が90%以上で、他動詞として使われることはほとんどない、といった情報は、辞書にはない。言葉が、どう使われているのか、に注目するということは、言葉の適切な使い方と不適切な使い方があるということで、哲学的な諸問題を言葉の使い方から、検討するというアプローチを開く。しかし、一方で、生活から切れた問題は、哲学的な問題として存在しえないということにもなるのではないだろうか。その是非は、今は、よくわからない。



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