goo

フランス語になった俳人たち(14)

■旧暦6月3日、金曜日、、河童忌

(写真)トマト

午前中、O君と会う。フロストの詩について話し合う。午後、仕事。夕方、デジカメの電池と粗大ゴミ処理券を買いにゆく。

週に1回以上は、病院へ行くので、いろいろ、見えてくる。整形外科と脳神経外科は、大半の患者が高齢者。病院の職員と高齢者の会話は、かなり、シュールな展開を見せることがあって、不思議な空間にいるような気分になるが、一時、よく見られたような合理的で事務的一点張りの対応は、職員もしなくなり、男性職員がしゃがみ込んで老人と話し込んでいたりする。めでたいものに触れているような顔つきで。それでも、突然、老人が、激怒することがある。対応のまづさや勘違いからである。人にもよりけりだが、老人ほど、生のニュアンスに開かれた存在はないように思える。

先日、娘が大学の成績がいいということで、学校から賞状をもらってきた。成績は、もちろん、人の優秀さの基準の一つでしかない。だが、この10年、ぼくの取ってきた方向性は、良い環境を形成できたという意味で、大枠正しかったと思える。事情を知らない人が読めば、ただの親ばかだが、ぼくには、感慨深いものがある。



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

the cherry blossoms fall--
I apologize to a dog
in passing

chiru sakura inu ni wabishite to^ri keri

ちる桜犬に詫して通りけり

by Issa, 1813




愚案ずるに冥土もかくや秋の暮
 芭蕉


Ce couchant d'automne―
on dirait
le Pays des ombres


※Traduction de Corinne Atlan et Zéno Bianu
HAIKU Anthologie du poème court japonais Gallimard 2002


この秋の暮は
まるで
黄泉の国のよう


■on diraitは、「まるで~のよう」という慣用表現だが、on(people)が主語になることで、芭蕉の個人的な感慨が後退したように思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )