verse, prose, and translation
Delfini Workshop
フランス語になった俳人たち(14)
2009-07-24 / 俳句
(写真)トマト
午前中、O君と会う。フロストの詩について話し合う。午後、仕事。夕方、デジカメの電池と粗大ゴミ処理券を買いにゆく。
週に1回以上は、病院へ行くので、いろいろ、見えてくる。整形外科と脳神経外科は、大半の患者が高齢者。病院の職員と高齢者の会話は、かなり、シュールな展開を見せることがあって、不思議な空間にいるような気分になるが、一時、よく見られたような合理的で事務的一点張りの対応は、職員もしなくなり、男性職員がしゃがみ込んで老人と話し込んでいたりする。めでたいものに触れているような顔つきで。それでも、突然、老人が、激怒することがある。対応のまづさや勘違いからである。人にもよりけりだが、老人ほど、生のニュアンスに開かれた存在はないように思える。
先日、娘が大学の成績がいいということで、学校から賞状をもらってきた。成績は、もちろん、人の優秀さの基準の一つでしかない。だが、この10年、ぼくの取ってきた方向性は、良い環境を形成できたという意味で、大枠正しかったと思える。事情を知らない人が読めば、ただの親ばかだが、ぼくには、感慨深いものがある。
◇
デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳
the cherry blossoms fall--
I apologize to a dog
in passing
chiru sakura inu ni wabishite to^ri keri
ちる桜犬に詫して通りけり
by Issa, 1813
◇
愚案ずるに冥土もかくや秋の暮 芭蕉
Ce couchant d'automne―
on dirait
le Pays des ombres
※Traduction de Corinne Atlan et Zéno Bianu
HAIKU Anthologie du poème court japonais Gallimard 2002
この秋の暮は
まるで
黄泉の国のよう
■on diraitは、「まるで~のよう」という慣用表現だが、on(people)が主語になることで、芭蕉の個人的な感慨が後退したように思う。
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