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フランス語の俳人たち:Jean-Louis Bouzou(5)

■旧暦5月24日、木曜日、

(写真)朝顔

朝から、久しぶりにOくんに会う。京都・大阪方面を旅行してきたという。神戸の話をすると、興味を持ったようだった。ひとしきり、関西の話をする。その後、フロストの詩について議論する。8月には、帰国するという。その後、仕事に入る。今日は、暑い。黒の日傘をさしている男性を見かけた。夕方より、兼業へ。かなかなは、お互いに鳴き声を聴き交わしているようだ。鳴き声が重ならない。一匹が鳴き止むと次が鳴き始める。

一見、どうでもいいようなことだが、実は非常に大事だと思うのは、「ニュアンス」への感受性、「ニュアンス」の構成である。「ニュアンス」は、アファナシエフの概念と言っていいが、生活や事態、言語の「ニュアンス」を感じ取り、それを救い出すことは、現在進行中の諸事態―一言で言ってしまえば、生活世界の合理化あるいは科学主義に基づいた管理化―への抵抗の一形態となりえるのではないか。詩や俳句の存在する理由の一つはここにあると思う。

Udo Wenzelが応募俳句をすべて公表している。



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

in a thorn patch
some paper, to and fro...
a long day

bara yabu ni kami no bura-bura hi naga kana

茨薮に紙のぶらぶら日永哉

by Issa, 1814




Médiant
sur l'éternité
je n'ai pas vu le temps passer:


永遠
について考える
わたしは時が過ぎるのを見たことはない


■あまり面白くない。底が浅い。
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