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フランス語になった俳人たち(12)

■旧暦5月13日、日曜日、

(写真)無題

朝5時起床。返事が遅れていたメールを一本、手紙を一本書く。朝飯を食べながら、ツェランの詩を検討する。夏草の川を見て帰宅。午後から仕事。1975年に出たイリイチの『脱病院化社会―医療の限界』を検討しないと、今、翻訳しているテキストの問題意識がはっきりしない。さっそく、訳書をオーダーした。今日は、風が涼しい。



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

just a tip remains
of the harvest moon...
Sumida River

meigetsu ya kurenu saki kara sumida-gawa

名月や暮ぬ先から角田川

by Issa, 1811




かれ朶に烏のとまりけり秋の暮
  芭蕉「曠野」


Sur la branche écorchée
du couchant
un corbeau s'est perché


※Traduction de Corinne Atlan et Zéno Bianu
HAIKU Anthologie du poème court japonais Gallimard 2002


夕暮の
裸の枝に
烏が止まっている


■この翻訳には、2点、疑問がある。第一は、かれ朶を「la branche écorchée」と訳出している点。動詞écorcherは、いくつかの辞書で、調べると、skinを剥く、というのが原義で、葉が落ちた、という意味はない。辞書を基に、日本語に直すと「皮を剥かれた枝」という意味になるが、これでフランス語では「裸木・枯木」を表わすのかもしれない。こういう場合は、実際の用例を検討してみるべきなのだが、適当なデータベースまで行き着かなかった。グーグルで検索したレベルでは、俳句関連(まさにこの訳そのもの)と日本のアニメ関連で、この表現が出てくる。これだけから決定的なことは言えない。

もう一つの疑問は、芭蕉は「秋の暮」とはっきり述べているのに、翻訳では、「de couchant」(夕日、夕焼、夕暮)を表わす言葉だけであること。なぜ、秋が抜けたのだろうか。シラブルの関係ではないだろう。

ただ、翻訳者は、次の2点は理解していると思った。一つは、烏が一羽であること。もうひとつは、代名動詞の複合過去というひどく複雑な文構造を用いて、時間が「現在完了」であることを示している点。このときの「けり」は、過ぎ去った過去の変え難い事実ではなく、「現在」に影響している少し前からの時間と捉えるのが適切だと思う。


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