verse, prose, and translation
Delfini Workshop
フランス語になった俳人たち(12)
2009-07-05 / 俳句
(写真)無題
朝5時起床。返事が遅れていたメールを一本、手紙を一本書く。朝飯を食べながら、ツェランの詩を検討する。夏草の川を見て帰宅。午後から仕事。1975年に出たイリイチの『脱病院化社会―医療の限界』を検討しないと、今、翻訳しているテキストの問題意識がはっきりしない。さっそく、訳書をオーダーした。今日は、風が涼しい。
◇
デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳
just a tip remains
of the harvest moon...
Sumida River
meigetsu ya kurenu saki kara sumida-gawa
名月や暮ぬ先から角田川
by Issa, 1811
◇
かれ朶に烏のとまりけり秋の暮 芭蕉「曠野」
Sur la branche écorchée
du couchant
un corbeau s'est perché
※Traduction de Corinne Atlan et Zéno Bianu
HAIKU Anthologie du poème court japonais Gallimard 2002
夕暮の
裸の枝に
烏が止まっている
■この翻訳には、2点、疑問がある。第一は、かれ朶を「la branche écorchée」と訳出している点。動詞écorcherは、いくつかの辞書で、調べると、skinを剥く、というのが原義で、葉が落ちた、という意味はない。辞書を基に、日本語に直すと「皮を剥かれた枝」という意味になるが、これでフランス語では「裸木・枯木」を表わすのかもしれない。こういう場合は、実際の用例を検討してみるべきなのだが、適当なデータベースまで行き着かなかった。グーグルで検索したレベルでは、俳句関連(まさにこの訳そのもの)と日本のアニメ関連で、この表現が出てくる。これだけから決定的なことは言えない。
もう一つの疑問は、芭蕉は「秋の暮」とはっきり述べているのに、翻訳では、「de couchant」(夕日、夕焼、夕暮)を表わす言葉だけであること。なぜ、秋が抜けたのだろうか。シラブルの関係ではないだろう。
ただ、翻訳者は、次の2点は理解していると思った。一つは、烏が一羽であること。もうひとつは、代名動詞の複合過去というひどく複雑な文構造を用いて、時間が「現在完了」であることを示している点。このときの「けり」は、過ぎ去った過去の変え難い事実ではなく、「現在」に影響している少し前からの時間と捉えるのが適切だと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )