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北と南(17):春荒

■旧暦2月21日、金曜日、

戸定館の枝垂れ桜。早くも満開(写真)

沖縄ノート訴訟、大阪地裁判決は妥当であり、二度と集団自決のような悲惨な歴史を繰り返さないためには、有効な判決だと思う。しかし、この問題、そう簡単に白黒つくようなものではないように感じる。少なくとも、元戦隊長の被害者的側面を見落としてはいけないだろう。お国のためとか、天皇陛下万歳で、死んでいったいったり、命じたりしたんだから、国と天皇の責任問題はきちんと議論すべきだろうし、そもそも、そんな風に国民全体を洗脳していった「皇民教育」のメカニズムをもっと知りたいと思った。南京陥落のときには、朝日新聞は体制の提灯を持って祝賀の句を虚子に要請している。虚子も喜んで応じている。いったい、これほど、他者への想像力が欠如したのはなぜなのか。また、体制内で己の命と引き換えにする他に抵抗のしようがないとき、「責任」という概念をどう考えたらいいんだろうか。それを裁く司法制度とは何なのだろうか。大江健三郎の『沖縄ノート』を読み始める。



春荒(はるあれ)

3月15日から4月7日の期間を「春の荒れ」という。近海に前線が停滞し、台湾低気圧(別名台湾坊主)が次々に通過するため、短期間で天気が変わる。古来「二月風廻り」(にんぐゎちかじまーい)と呼ばれと、海難事故が4月4日ごろの「寒の戻り」(かんぬむどうい)まで続く。この風廻りを境にして、風向きは南に変わる。


二月風廻りねむれる島起こす
   小熊一人

二月風廻り行商の魚光る
    三浦加代子

春荒や足におわせる漁夫溜まり
   嵩元黄石



※『沖縄俳句歳時記』(小熊一人編著 那覇出版社 1985年)




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