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芭蕉の俳句(169)

■旧暦2月17日、月曜日、

午前中、雑用に明け暮れる。午後からサイバーに入る。今日は、一時、激しく降ってから晴れて、また、曇った。角の八百屋で夏蜜柑を購う。ここのは鹿児島産のおおぶりでジューシーな夏蜜柑である。スーパーでは、なかなか「ザ・夏蜜柑」はないのである。

調べたら、去年も初夏に、夏蜜柑を話題にしている。懲りないもんである。今年は、「角の八百屋」を発見したことが大きい。

(写真)桜が開花



松倉嵐蘭を悼む
秋風に折れて悲しき桑の杖
    (笈日記)

■元禄6年作。松倉嵐蘭は、松倉甚左衛門盛教。肥前島原の板倉家家臣で三百石を領したが、致仕して江戸に出て、延宝3年ごろ、芭蕉に入門。もっとも親炙した門人の一人。元禄6年8月27日没。47歳。

芭蕉には、塚も動け我が泣く声は秋の風(元禄2年作)がある。これは、36歳で没した一笑への追悼句。蕪村の俳体詩にしても、一茶の露の世は露の世ながらさりながらにしても、門弟や友人や我が子を悼む気持ちが実にストレートに表されていて、たじろぐほどである。

こうした句や詩はどれも直情的だと言えると思う。今、何気なく「直情」という言葉を使ったが、調べてみると、意外にも、文献の上に現れるのは、19世紀末からである。文献を絶対視することは危険であるが、一つの目安にはなるだろう。1874年に出た「広益熟字典」に「ココロノママ」と定義されて出てくる。

「直情」という心のありようが、19世紀末になって初めて世の中に現れたのではなく、「直情」なる心の状態が、この時期に、「直情ならざる何か」に直面して、初めて、その対称として意識に上ってきたと考えたらどうだろうか。「直情」に類似した心の状態は、恐らく、他の言葉でも表現されていたであろう。だが、西欧と接触したこの時期に、この言葉が生じたというのは、なかなか興味深い。
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