伊勢志摩オトナの修学旅行 前半

2013年08月17日 23時59分58秒 | 旅行記
8/5(月)、8/8(木)に次いで8/17(土)は今夏3度目の友人との旅行。
3回とも違う友人というのが何ともおもしろいところですが、今回は2人とも「テツ」なので、通常の旅行らしい行程に加えて撮影や乗車などもふんだんに組み込み、互いが満足するプランを作成。
目的地は1月にも訪れた伊勢方面ですが、混雑するのを避けて伊勢神宮は次回以降の楽しみにとっておくことにして、まずは普段着の伊勢志摩を満喫することにします。

京都5:33発→木津6:24着


奈良線の始発電車は221系のトップナンバー。てっきり103系だと思い込んでいたのでこれは予想外でした。
「近郊区間大回り」も久しくおこなっていない現在、久々に奈良線を乗り通すこととなりましたが、府南部の長閑な風景というのは変わらないものです。もっとも、宇治までは将来の複線化が控えていることもあって車窓の激変も予想されますが、まだ早朝の優しい陽射しが山城の田畑を照らす様子に心を癒されつつ、列車は一路木津へ。


木津では乗り換え待ちの間、残り少なくなった初期型の103系、クハ103-167・168をを含む編成に遭遇。
特に167は現在の奈良線最若番です。関西ではまだまだ残っているように見える103系も、非ユニットサッシが特徴の初期型は近年徐々に数を減らしてきています。

木津6:48発→加茂6:54着

駅前のコンビニで食料調達を済ませてから、関西本線の加茂行きに乗り換え。
どうもこの時間だとタイミング良く接続してくれないようです。友人とはここで車中合流と相成りました。

加茂6:55発→亀山8:16着

加茂から先はこれまた久々の非電化区間。早朝ということで労せずキハ120のボックスシートに陣取ることが出来ましたが、シートピッチの狭さに改めて驚きました。


笠置発車後、窓外に見える通称・幽霊ホテル。
春はお花見、夏はBBQやキャンプが盛んな笠置も一歩離れるとこのような秘境。奈良線南部然り、同じ京都府ながらも自然の豊かさを実感します。

亀山8:23発→徳和9:29着

亀山からは四日市(河原田)回りで伊勢鉄道経由のアクセスも思い浮かんだのですが、名古屋方面はしばらく時間が空いていたので、接続していた伊勢市行きに乗車。JR東海・キハ48の3両編成です。青モケットのボックスシートが並ぶ車内はどこか一昔前の急行列車のようで、まさに「ローカル線の夏」を演出するに相応しい役者と言えるでしょう。


何というか、いかにも三重県らしい風景です。(笑)


途中、高茶屋では特急「南紀1号」を待避するため10数分ほど停車。
お盆期間中であるほか、奇しくもこの日は熊野花火大会がおこなわれるということで特急は軒並み6連増結。紀勢本線独自仕様の(?)、鹿除けスカートの付いたキハ85を初めて見ました。

実は沿線で撮影をすることも考えていたので、車窓に目を凝らして撮影地探し。
比較的本数のある多気までの紀勢本線区間で狙おうと考えた結果、松阪と多気の間にある徳和駅で降りました。
駅の北にある田園地帯を歩きます。


快速「みえ1号」。
まだまだ夏の暑さでしたが、頭を垂れる稲穂に実りの季節を感じます。

東に100mほど置いて近鉄が並走している区間なので、そちらにも目が行き…




気付けば近鉄の撮影がメインになっていました。(笑)
近鉄は複線かつ特急街道である一方、JRは単線で本数もまばら。私鉄優勢の地域であることを改めて実感しました。

そして近鉄特急と言えば、最近の話題は専ら観光特急の「しまかぜ」が中心。
もう少し待てば名古屋発・難波発の2本が続行して通過するようなので、その時間まで粘ることにしました。




初遭遇・初撮影の「しまかぜ」。
従来の近鉄イメージを覆すカラーリング、そして角張ったデザインはまさに「未来の乗り物」。
ちらっと見えた車内は空席の気配が無く、噂に違わず盛況のようでした。

時間もお昼となったので撤収し、次の目的地へ。
この辺りから、花火大会への臨時列車運行に伴う時刻変更などの影響が出てきているようでした。

徳和12:20(8分延発)→鳥羽13:10(6分延着)


鳥羽到着後、隣の近鉄ホームには先ほど撮影した「しまかぜ」の回送が入線。
ホームには複数のスタッフが待機していたことから、どうやらここで折り返し便に備えた車内の清掃がおこなわれるようです。それにしても、このように豪華特急と単行気動車が並ぶと両者の差をまざまざと見せつけられた気がします。

鳥羽では遅めの昼食を摂るべく、駅前の食事処を物色。
おいしそうな海産物の匂いに気を取られ…


そのうちの一軒で、季節の盛り合わせを。やはりご当地のおいしいものを食べてこその旅です。
当然これだけでは物足りないので、ご飯+味噌汁+漬物(300円)を付けました。

昼食後、次に乗る列車までは1時間半ほど空くので街並みを散策します。


赤福鳥羽支店。こちらは盛況ですが…


その近くには、時代に取り残されたようなビルが。
屋上の「お食事とおみやげ」の文字はもちろん、入り口の角に書かれた「階上大食堂」の表示が時代を感じさせます。店内は暗いものの、開いているということは、今も細々と営業しているのでしょうか。


しばらく歩くと住宅やコンビニが並ぶ生活圏に入り、なかには廃業したカラオケスナックも。


その近くに、「鳥羽みなとまち文学館」はありました。
ここが今回鳥羽を訪問した目的の一つです。かの竹久夢二や江戸川乱歩とも交流のあった画家・風俗研究家の岩田準一(1900-1945)の住まいを利用した施設で、現在まで残る彼の数少ない作品や、交流のあった2人に関する展示がされています。ここ1.2年で抒情画家たちの作品を見る機会が増えたこともあって訪問は外せないものと思い、今回の伊勢志摩行に急遽組み込んだのでした。
訪問にあたり鳥羽について詳しく調べるまではまさかこのような施設があるとは知らず、それも夢二・乱歩のような大家と関わりを持っていた岩田準一も現在の知名度は低いながらなかなかの人物です。風俗研究家という肩書きも当時では先駆的だったでしょうし、どこにどんな歴史が眠っているかはまだまだ分からないものですね。


入るとホーロー看板たちがお出迎え。
寄せ集めで「取って付けた」感は否めませんが、どれも実際に掲示されていたと思しきものばかりで、一枚一枚は非常に味があるものです。


驚くことに庭の井戸は現役でした。水が反射しているのがお分かり頂けるでしょうか。
左のレバーを持ち上げると確かに右の白パイプから水が出るようになっていて、井戸の「遺構」しか見たことのない自分にとってはものすごく新鮮でした。


屋外に掲示されていた、竹久夢二・岩田準一・江戸川乱歩の年表。
関わりのあった出来事や時代が一目で分かるスグレモノでした。


鳥羽で忘れてはならないのがもう一つ、三島由紀夫『潮騒』の舞台。
そのストーリーが宮藤官九郎脚本で現在放送中のNHK朝ドラ「あまちゃん」の典拠となったことは明らかで、小泉今日子による劇中歌「潮騒のメモリー」の歌詞もそれを裏付けています。
ハマってほぼ毎日観ていることもあり(笑)、本来ならばドラマの舞台である北三陸を訪れるべきなのですが、なにぶん遠隔地であるため、同じく海女漁盛んなここ鳥羽でそれに近い雰囲気を少しでも味わうことが出来れば…と思っていたので、この看板との出会いは意外な収穫でした。

引き続き、鳥羽を散策します。(後半に続く)

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