かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

結局小泉政権の肥やしの運命だったというのは、やっぱり受け入れがたいものでしょうか?

2016-09-10 23:09:48 | Weblog
 奈良市の今日の最高気温は30.4℃。ただ、今日は名古屋の某大学で開催されたとあるシンポジウムに参加するため朝から出かけていたので、自分が晒されたのは最高気温32.2℃の蒸し暑さでした。都会はまだまだ暑いですね。久しぶりに地下鉄でラッシュというのを経験しましたし。朝夕の冷え込みと効きすぎる空調を警戒して上着を用意していきましたが、ほとんど手荷物になってしまいました。まあ寒すぎる空調で風邪をひく危険性を鑑みれば、少々荷物になるくらいは甘受すべきではあります。行きの電車ではそれなりに役に立ちましたし。
 
 さて、自民党で大臣や党の重職を歴任し、一時は首相に最も近い男の名をほしいままにした、政界のプリンスこと加藤紘一氏が、肺炎で亡くなられたとのことです。享年77歳、平均年齢からしたら少しばかり早いですが、まあ大往生と申し上げて良いかと思います。東大から外務省、そして国会議員へと超エリート街道をまっしぐらに突っ走った、多分相当頭のキレるヒトだったのでしょうが、切れすぎたのがいけなかったのか、あるいは頭のキレほどには度胸が欠けていたのか、はたまた運が足りなかったのか、20世紀終盤の絶頂期に小渕総理に挑んで失敗して主流派から干され、更に「神の国」発言などの失言や主要閣僚のスキャンダルで迷走し始めた森首相に野党が出した不信任決議案に同調して倒閣を狙った「加藤の乱」では、野中広務幹事長の切り崩し工作に対抗できずこれもあえなく失敗。結局、その後の小泉純一郎台頭の流れを生み出したという歴史的役割を終え、政界での影響力を失っていったという、その姿には自業自得の面もあるにせよ、全体としては悲運のヒトと言えそうです。
 結局小泉氏との差は何だったんでしょうね? 盟友山崎拓氏が週刊誌のインタビューに答えた内容によると、加藤氏は秀才で小泉氏は奇才だったそうですが、小渕・森総理でガタが目立ってきた自民党政権という緊急時には、秀才型の治世の能臣より何をしでかすかわからないが何か期待させるものがある乱世の奸雄が望まれた、ということなのかもしれません。登場が10年早ければ総理の椅子に手が届いていたかもしれませんが、これも巡りあわせというよりないのでしょう。
 ご冥福をお祈りすると致しましょう。

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