かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

まずは登場人物紹介

2008-03-22 22:41:51 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 オリジナルキャラも多数出ておりますので、整理して紹介いたします。

麗夢(れいむ)・・・表の顔は美貌の白拍子。実体は夢を司り世の悪夢を退治する夢守の姫君。治承四年(1180年)春、都大路で平智盛に見初められるが、その後行方不明に。寿永二年(1183年)春に再び都大路で再会するが、偽名を使って智盛の前から姿を消そうとする。

平智盛(たいらのとももり)・・・故平相国清盛公の末子で眉目秀麗な青年武将。天才的な戦上手であるが、兄の宗盛に疎まれ、夢守探索の面倒ごとを押し付けられる。

築山公綱(つくやまきんつな)・・・智盛の乳母子で一の腹心。鬼築山とあだ名される平家きっての剛の者だが、外観は短躯の肥満体でにきびの目立つ愛嬌ある丸顔をしている。

匂丸(にほへまる)・・・智盛に拾われた後、従者をしている童子。目端が利き、公綱も重宝しているがその正体は金色の巨大狼、仁保平。

色葉(いろは)・・・公綱に危ういところを助けられ、その後公綱にべったりくっついて何かと世話を焼く正体不明の少女だが、その正体は夢守の姫君を護る漆黒の巨獣、伊呂波。

有王(ありおう)・・・鹿ヶ谷の陰謀で失脚した法勝寺の執行(しつぎょう)俊寛の稚児。俊寛が流された鬼界ケ島まで主を訪ねるが、その死に立ち会い、深く平家を恨む。その後宗盛の夢解きとして侍りながら、復讐を狙っている。

綾小路高雅(あやのこうじたかまさ)・・・夢守の一族、綾小路家の嫡男にして、麗夢の許嫁。自意識過剰で残虐なところがある。公綱に傷を負わされ、恨みを募らせている。

夢の大老(ゆめのたいろう)・・・夢守を統べる年齢不詳の老媼。麗夢を使い、夢守に伝わるある秘法を持って、末法の世を開かしめる究極の夢守を生み出そうと画策している。

平宗盛(たいらのむねもり)・・・清盛の三男で平氏の総大将。狭量で嫉妬深く、小心者と、およそ人の上に立つ人物ではない。

黒衣の老人・・・不思議な術をもって鬼界ケ島から有王を都まで連れ去り、綾小路高雅まで取り込んで何かを狙っている謎の人物。眼光鋭いやせこけた顔に、相手に突きかからんとするばかりに高々と聳える鷲鼻が特徴。夢の大老とも過去因縁があるらしい。

それでは、本編をお楽しみください。

序章その1に続く。
コメント

序章 鬼界ケ島 その1

2008-03-22 22:40:57 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 凪の砂浜に、幾筋かの煙が音もなく昇っていく。
 盛大に燃え盛った炎も今はくすぶるばかりに鎮まり、大海の彼方に消えていく真っ赤な太陽には到底抗すべくもない。だが、さすがにこの時刻になると、何もかもが目を突く鮮明な原色で彩られた風景も、少し和らいで見えるようだ。
 有王は、全てを失い放心した目で、ぼんやりその風景を眺めていた。
 一体自分は何のために、こんな人界の果てまで旅してきたのであろう。年明け間もなく都を発ち、途中土賊に襲われたり荒れた海に放り出されそうになる恐怖を超えて、四月の初めになってようやくたどり着いた結果が、この荼毘であった。
 結局間に合わなかったのだ。
 有王は急にこみあげてきた悲しみに、懐の錦の小袋を衣の上から握り込んだ。それは、主がいまわの際に有王に託した、文字通りの形見であった。だが、そうしていても悲しみは収まらなかった。いや、一層あの優しげな笑顔が脳裏に浮かび、有王の目から止めどなく涙が溢れ出るばかりだ。
 やがて凪の時間が終わり、動き始めた陸風に煙りが西の海へと漂いだした。有王は、その煙が西の果てにあるという浄土まで届くよう、亡き主のために手を合わせ、嗚咽を漏らしてむせび泣いた。
 主の名は、俊寛という。
 平相国清盛公の引き立てで法勝寺の執行(しつぎょう)に成り上がり、権勢を揮った僧侶である。ところが、東山の麓、鹿ケ谷(ししがだに)にある山荘を後白河法皇に提供したのが運の尽きとなった。清盛の専横を憎む法皇が、清盛打倒の陰謀をめぐらせる不満分子の巣窟として、この山荘を利用したのである。しかし、貴族連中の立てたあまりに非現実的な計画に、敗滅を予測した身内の一人が裏切った。この背反によって世に言う鹿ケ谷の謀議はあっけなく露見し、真の首謀者、後白河法皇は下々の者に罪をなすりつけ、多数の高位高官が捕縛、処刑された。その内、俊寛、平康頼、藤原成経の三名の者は、薩摩国より更に海を隔てて十里ばかりの洋上に浮かぶ小島、鬼界ケ島(現大隅諸島・硫黄島)に流罪となった。時に治承元年(1177年)6月のことである。だが、この南海の孤島で、ただ朽ち果てるのを待つばかりだった三人の運命は、翌年にわかに急転した。清盛の娘で高倉天皇に嫁していた中宮権礼門院が、子供を宿したのである。この吉事を祝って天下に大赦が行なわれ、鬼界ケ島の流人も許されることになった。
 一人、俊寛を除いては。
 基本的に清盛は寛大な性格である。下々の者に対する気配りも細やかで情に満ち、ために清盛のためなら我が身を投げ出してもかまわない、とする郎党達にも恵まれていた。
 その一方で、裏切り者に対する憤りは常軌を逸している。普通、罪も同じ、罰も同じという三人は、許すのなら三人まとめて、というのが常識的な処置であり、公卿の詮議もそう決まりかけていた。その至極当然の処置を、清盛は一蹴してひっくり返した。清盛には、俊寛には特に目をかけて援助を惜しまず、取り立ててやったという自負がある。それなのに、鹿ヶ谷の陰謀に加わるという裏切りをしたことを、清盛はけして許さなかった。一人辺境の地に残された俊寛の悲哀と絶望はいかばかりのことであったろう。そして有王もまた、そのために深い失望を味わったのである。
 有王にとって、俊寛は慈愛溢れる、尊敬するに足る主であった。稚児として仕えて以来二〇の今日まで受けた恩義は数知れない。結局、散々思い詰めた上、都での生活や親兄弟も捨てて俊寛を探しに行く決心をしたのも、そんな主に今一度会いたい、という真摯な想いに突き動かされたからである。
 だが、遅かった。
 治承三年四月、生死の境を綱渡ってようやくの思いでたどり着いた異郷の地は、都の生活に慣れた主の生命力を、三年足らずの間に貪り尽くしていたのである。
 散々探してようやく主と対面したとき、有王はそれが主だとは気付かなかった。皮がたるんではっきり骨が浮き出るほどに痩せ細った体に、元は何だったのかほとんど判別できないまでに汚れ、裂けちぎれたぼろを纏った姿。それが有王の目に映った変わり果てた主の姿だった。既に四肢に力なく、病み衰えていた俊寛は、有王がはるばる尋ねてきたという喜びに体が耐えられず、その場で昏倒して有王を驚かせた。その後何とか息を吹き返しはしたが、その後の余命はほとんど残っていなかった。甲斐甲斐しく介抱の手を差し伸べた有王の目の前で、再会23日後の今日、俊寛は息を引き取ったのである。

序章その2へ続く。
コメント

序章 鬼界ケ島 その2

2008-03-22 22:40:08 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
(せめて骨だけでも都に届けてさしあげねば)
 有王は止む事無く目から溢れる涙を拭い、嗚咽を堪えて立ち上がった。これ以上時を過ごせば、日没後の暗闇に骨を拾い上げのろとまだくすぶる木片や灰を突き崩していた有王は、夕闇迫る中、突然背後からかけられた声に、ぎょっとして振り返った。「むごいことになったものよのう、お若いの」
「あ、あなたは・・・」
 漆黒の烏帽子を乗せた豊かな銀髪を微風になびかせ、しわ深い顔の中央に、相手に突きかかるような、日本人離れした立派な鷲鼻を屹立させて、その老人は有王の質問を遮った。
「だが、このまま骨を拾って都に帰り、弔いをすれば俊寛殿は安堵して浄土に旅立てるのかのう?」
「なんですって?」
「きっと、俊寛殿は平家を深く恨んでおるぞ。ただ館を貸しただけでこのむごい仕打ち。しかも相手はやんごとなき貴顕中の貴顕。今をときめく法皇様じゃ。断りたくても断れるものではなかったろう。そのことは清盛も知らぬはずはない。それなのに、ただそれだけのことのためにこんな人外の異郷で荼毘に付されるはめになろうとは、これでは誰であっても怒らずにはおれぬ。恨まずにはおれぬだろう。その恨みを晴らしてやることこそが何よりの供養になる、そうは思わぬか、お若いの」
 いつしか有王は、早く骨を拾わなければ、という思いを忘れて、目の前の老人の言葉に心を奪われていた。確かにこの人の言う通りだ。何故敬愛すべき主がこんな辺地で死なねばならないのか。恨むべくは清盛を長とする平家の連中ではないか。その平家を懲らし、主の遺骨の前で手をあわせて許しを乞わせてこそ、主の留飲も下がり、無事、成仏できるようになるのではないか。有王はふつふつと心に怒りが煮えたぎるのを感じた。有王は言った。
「平家が、俊寛様をこんな姿にした清盛が憎い!」
「そうだろう、そうだろう」
 老人は値踏みするように有王を見つめると、その懐に視線を固定した。
「その願い、この儂が叶えてやろう。儂が、平家への復讐に手を貸してやる。代わりにお前がその懐に飲んでいるものを儂に譲れ」
 有王は、操られるかのように錦の小袋を取り出した。
「中の物を、手の平にあけてみよ」
 有王は、黙って袋の口を縛った紐を解くと、中の物を手の平に受けた。
 それは、黒っぽい、砂のような粒であった。有王は、ぼんやり主の最後の言葉を思い出した。
「この袋にあるのは、その昔、我が師より授かった夢の木、と言う木の種じゃ。何でも願いがかなうという有り難いものだから、大切にしまっておくように」
 願いがかなうというなら、何故こんな所から抜け出せるように願わなかったのだろうか。痺れたような頭で、ぼんやりと考える有王に、老人は無造作に近付いた。
「これが夢の種か。どれ」
 だが、老人が伸ばした手は、種に触れる寸前で、苛烈なしっぺ返しを食らった。ぎゃっと叫んで引っ込めた老人の人差し指の爪が、焦げ臭い匂いと共にうっすらと茶に変色し、わずかに煙まで立てている。老人は苦しげに眉を顰めながら、忌ま忌ましいと一人ごちた。
「ええい、やはりこの儂を拒むか。まあ良い。この種はしばらく此奴に預けるとしよう」
 老人は指先をふっと吹いて煙を蹴散らすと、有王に振り返った。
「さあ、それをしまい、儂と共に参れ。にっくき平家を滅ぼし、お前の夢をかなえてやろうぞ」
 暗黒そのものを凝縮したような直衣の袖が、蝙蝠の羽のように左右に伸び、有王を包み込んだ。
「いざゆかん! 平安の都へ!」
 老人のりんとした声が浜辺を圧したかと思う間もなく、すさまじい旋風が沸き起こった。旋風は瞬く間に二人を飲み込んだかと思うと、砂や海水を猛烈な勢いで巻き上げながら、東北、すなわち鬼門に向けて走り去った。ようやく風の収まった浜には、わずかに残る荼毘の煙だけが、所在無げに漂うばかりであった。

・・・公卿九条兼実日記「玉葉」治承三年四月二十九日の条にいわく。
「午の刻ばかり、京中に辻風おびただしう吹いて人屋多く転倒す。桁、柱など虚空に散在し、鳴りどよむ音はかの地獄の業風なりといえどもこれには過ぎじとぞ見えし・・・」

第1章その1に続く。
コメント

1.再会 その1

2008-03-22 22:39:15 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 煙る様な春雨が、都大路を静かに湿らせていく。その空気を淡く染めるのは、今を盛りと花開き、その花弁をゆらゆらとあるかなきかの風に乗せる桜達である。
 行く先も来た道もおぼろにかすむ七条大路を、一両の牛車が物憂げに進む。
 周囲を狩装束の侍が手に手に長刀や弓矢を携えて20人ばかり固めているが、それでも牛車に収まる人物のことを思えば、質素な警固といえたやもしれない。そんな一行を束ねる平家恩顧の侍、築山公綱(つくやまきんつな)は、何があっても離れまい、と心に決めた牛車から、また溜息が洩れるのを聞いて正直気の滅入る思いを持て余していた。
(また花が咲いた)
と、中の主は思っているに違いない。
 日頃は快活な主が、何故かこの季節にだけ、まさに春たけなわとなって世界が明るさを増す桜の季節に限って、深窓の公家人形のように溜息だけを身にまとい、憂愁に埋もれてしまうのだ。生まれながらの貴公子然とした風貌が憂いを帯びるものだから、この時期の主は宮中の女達の話題を独占してしまう。主第一の公綱にとってそれ自体は別に気に障ることではないのだが、公綱の知る主の本当の美しさは、そんな春雨の似合う柔若な姿ではなかった。
(見せてやれるものなら見せてやりたい)
 公綱は、女達が頬を染めてうっとり主を眺めるのを見るたび、そう怒鳴りつけてやりたくなることがあった。そのたびに公綱は、
(まあ見ていよ、今にその真価を披露するときもこようて)
と、苦虫を噛み潰して我慢してきたのである。
 公綱の知る「真の姿」とはこうである。
 雲一つ無い青空を背に、降り注ぐ陽光でその白銀造りの大鎧を燦然と輝かせて馬にまたがるその姿。初めてその神々しき姿をまのあたりにした時、公綱は、まさに軍神が降臨したのだと信じた。そして、乳母子としてそんな主と肩を並べ、先頭切って敵陣に吶喊した時、公綱は、生まれて初めて至福の時というものが実在することを知った。この君とともになら、源氏など一なぎで打ち倒せる、と確信したものである。
 が、あの時の昂揚感は、今はない。今、公綱とともにあるのは、主と知らなければはり倒したくなるような、理想からほど遠い姿をさらす抜け殻だった。
(大体、この牛車も悪いのだ)
 公綱は自分の苛立ちを、左脇でのろのろと歩む牛車にも向けた。そろそろ六波羅の邸宅を出て、鴨川を渡ってから半時は経っている。馬ならば、ほんの瞬く間の距離だ。いや、事実ついこの間までは、公綱も騎上の人となり、
「遅れるな!」
と笑顔で叱咤する主を追って、都大路を駆け巡ったものである。
 だが、それを咎め立てる者が出た。今をときめく平氏の御曹司が、そのようなはしたない振る舞いをなされるのはどうか、と。以来主は他のやんごとなき方々同様、普段の外出には牛車を用いるようになった。当然その歩みは牛にあわさざるを得ない。
 牛を扱う童子は、匂丸という名のなかなか気働きのきく子供である。
 三年前のやはり桜の時分、六幡羅の邸の前に行き倒れていたのを公綱が拾い上げ、勘の良さに感心した主によって身近く使われている。主が牛車を使うようになってからは、その口取りもするようになった。この童子のおかげで牛の歩みも相当ましなものになっているはずなのだが、どんなに急ごうとも、馬と比べられるものではない。その間の抜けたのんびりさ加減が、否応にも公綱の苛立ちを掻き立てるのである。
(おのれ、要らざる口を挟みよって)
 公綱は、苛立ちを牛車にぶつけるたび、したり顔で諌言した初老の貴族の顔を思い出し、その白粉で固めた化け物のような面を頭の中で散々に打擲(ちょうちゃく)して憂さを晴らした。もし公綱にその心得があったなら、呪(しゅ)の一つも送って、この世から抹殺してやりたいとも思った位なのだ。
 こうして公綱が、主の溜息に自分まで感染しそうになりながら憂鬱な歩みを運んでいた時、すぐ前を行く匂丸が、うつむき加減の顔を上げ、公綱に振り向いた。
「公綱様、喧嘩だ」
「なに?」
 匂丸の呼び掛けに公綱もまた顔を上げた。それでもしばらくはそのまま何事もなく一行は進んだが、やがて前方がにわかに騒がしさを増し、夢のように霞む桜と春雨を透かして、大勢の人が背中を向けて道を塞いでいるのが見えてきた。
(市の辺りだな)
 公綱は事前に報せてくれた匂丸へ軽く礼を言った。喧嘩など不快以外の何物でもないが、あらかじめ匂丸が報せてくれるおかげで、少し余裕を持って事態を迎えることが出来る。この童子は、勘の良さ、というには少しばかり過ぎた質のものを持っているらしく、よくこのようにまだ見えない前方の不穏な空気を読んだり、未来のことを言い当てたりすることがあった。陰陽師に聞きかじったところでは、見鬼とか言う能力だそうだが、なにはともあれ、この力は公綱も何かと重宝していた。
 とりあえずは確かめぬと。
 公綱は手近な郎党を一人走らせた。そしていくばくもせず戻った郎党が喧嘩だと注進した時、判っていたこととはいえ、公綱はあからさまに顔をしかめた。

第1章 その2に続く。
コメント

1.再会 その2

2008-03-22 22:38:13 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 今、平氏の棟梁前内大臣(さきのないだいじん)平宗盛は、帝の名前で諸国に檄を飛ばしている。二カ月後に、北陸の反逆者、木曽義仲を討伐する一〇万の軍勢を催すため、都へはせ参じるよう命令しているのだ。その命に応じた連中が、ぼつぼつ都に集まり出しているのだが、この連中が実はなかなかにくせ者だった。平氏の一族は、関東に蟠踞する源氏の勢に比べ、比較的都慣れしていて品が良いとされている。だがそれも、都から遠ざかればほとんど変わりはない。いや、なまじこちらの方が、
「我は平氏の縁者なり」
と言う態度もあからさまに都を闊歩するものだから、かえって始末に悪い事の方が多いのだ。あちこちで都人との軋轢が生じるだけでなく、別の地方同士で喧嘩刃傷沙汰になる例が、後を絶たない。公綱ら平氏直属の郎党達は、そんな都での作法を知らない輩を取り締まり、都の治安維持に、神経を尖らせていたのである。
「とにかく道を開けさせてこい。藤太(とうた)、紀連(のりつな)、一緒に行ってやれ」
 公綱は、手早く三人の若者を前方に走らせると、御簾(みす)近くまで顔を寄せた。
「どうも喧嘩らしいのですが、まもなく道を開けさせますのでしばしお待ち下さい」
 喧嘩と聞いて、中から洩れる溜息が一段と深まったように公綱には感じられた。責任感の強い方故、と公綱は主に同情したが、その音色が、単純な責任感から洩れたものではないことまでは、公綱には判らなかった。
「私が出てみよう。その方が話も早かろう」
 中から御簾を繰り上げようとする様子に、公綱はあわてて申し添えた。
「お、お待ち下さい、殿が出張るまでもございません。どうせ諸国よりかり集めた雑兵どもがまた騒いでおるに決まっております。この公綱におまかせあれ」
「・・・そうか・・・」
 公綱は、主の残念そうな音色に少しばかり不審の思いを抱いたが、それも突然前方で生じた怒鳴り声で、一瞬の内に頭を切り替えた。
(あの者らでは荷が勝ちすぎたのか?)
 公綱は、これ以上時を過ごせば本当に主が外に出てきてしまう、と、押っ取り刀で群衆の壁をかき分けた。見ると、先に出した三人の郎党が一固まりになって腰の刀に手をかけ、その前で居並ぶ数人の者達も、長刀を手にいきり立ち、一触即発の状態になっているではないか。
(ひのふのみの・・・八人か)
公綱はすばやくその人数を勘定し、ついでに風体も見て取った。その困り者達は、やはり公綱のにらんだ通り、すり切れた具足に不揃いな胴丸を引っかけた程度の雑兵だった。そして、何よりもその怒鳴り声が、都では余り聞かれない「なまり」を帯びている。しかも、つんつるてんの烏帽子の下の金壷眼が、明らかに酔っていると見えてまるで兎のように充血していた。が、公綱は、辺りを見回す内に随分場違いな者が一人いることに気がついた。清げなる白絹の水干をまとい、大きな市目笠をかぶった女である。顔は紗に阻まれてよく見えないが、何もかもが曖昧模糊となってしまう春霞の中でも、はっと息を呑むような碧の黒髪が艶やかにその背中を隠し、抜けるような白魚の指が、軽く笠のつばを摘んでいるのが見える。
(さてはこれが騒ぎの元凶か)
 公綱はそれだけ見て取ると、血気にはやる配下の若者達を抑えてその前に大きく一歩身を乗り出した。
「御どもは伊勢の国の住人、築山次郎兵衛公綱(つくやまじろうびょうえきんつな)と申す。貴公らが何者か知らぬが、御どもらは先を急いでおる。早々に道を開けられよ」
 いきり立っていた男達は、突然現れた公綱に思わず失笑しかけた。偉そうな態度をとってはいるが、背丈は背後の若侍達の肩にも届かず、幅は優に二人分くらいはある。顔はと言うとこれも赤ん坊のように血色良い丸顔で、一面にあばたにきびが散りばめられている。全体に達磨を連想するような、短躯のでぶである。一丁前に腰に刀を差してはいるが、そんな外観では男達が侮ったとしても無理はなかった。
「なんじゃこのちびは! 邪魔するな!」
 今三人と切り結ぼうとしていた男が、黄色い乱杭歯を大きく見せて、長刀の切っ先を公綱の鼻先に突きつけた。激発した藤太が、おのれと太刀を抜こうとするのを公綱はじろりと睨み付けて止め、改めて男に呼びかけた。
「暴れたいというのならいつでも相手して進ぜるが、先程も申した通り、我らは先を急いでおる。けがをせぬ内にさっさと道を開けい!」
 この、自ら喧嘩を買うも同然の言いように、後ろにいる三人の方が驚いた。公綱の外観に似合わぬ勇猛ぶりは周知の三人だったが、一方でその思慮深さや落ちついた物腰も良く見知っている。第一、日頃は配下の郎党達に、無暗に喧嘩するな、と口うるさい位なのだ。そんな公綱の思いもよらない喧嘩早さに、三人はどうなることかと固唾を呑んで見守った。対する乱杭歯の方は、どう見ても弱々しげな男が、恐れもおののきもせず、かえって居丈高に呼ばわったのに逆上した。男のこめかみにみるみる見事な青筋が盛り上がり、男は泡を飛ばして公綱を怒鳴りつけた。
「このちび達磨が、なめるんじゃねえっ!」
 同時に男は、いきなり長刀を振りかぶって公綱めがけて切りつけた。酔いの割には鋭い斬撃が空を割り、公綱の残像を両断して、ザクリ、と刃の半分を地面に埋めた。

第1章その3に続く。
コメント

1.再会 その3

2008-03-22 22:37:26 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「どこを狙っておる?」
 耳元で、先程からの変わらぬ平静さで呟かれた男は、初めて自分が相手の力量を正反対に読み違えていたことを知った。このマリのような達磨は、必殺を信じた一撃を苦もなくすり抜け、一瞬で懐まで飛び込んできたのだ。だが、男はその戦慄に冷や汗を流すいとまも与えられなかった。飛び込むと同時に鳩尾に突き刺さった公綱の右拳が、男の意識を無の世界へ強引に叩き込んでいたのである。公綱は、長刀とともにのしかかるようにして倒れてきた男を邪険につき転がし、残る七人にもう一度声をかけた。
「白拍子を引っかけたくば河原にでも行くがいい。さあ、どいてくれ」
 ここに来て、ようやく七人は相手の名前を思い出した。平氏家人にその人ありとうたわれた、伊勢の住人、築山公定の次男坊。悪次郎とか、鬼築山と呼ばれる、剛の者の名前を。その途端に前の方にいた三人がおびえもあらわに後じさり、他の者達も、一様にその表情をこわばらせた。だが、一番後ろで皆をあおっていた頭目格の男が、かえって憤りもあらわに立ち上がった。仲間内では暴れ者と畏怖されてきた自分の威信に、泥を塗られたような気がしたのだろう。男は殺気だった目で公綱を睨み付けると、ぐいと身を乗り出して大声を上げた。
「わしは三位中将平知盛様の家人で、長門の国で鬼神と恐れられる氷川安城じゃ!」
 どうだ、恐れ入ったか、と胸を張った氷川の後ろで、六人の金魚の糞が虚勢を取り戻した。六人は口々に公綱をからかい、自分たちのたくましい頭目をけしかけた。勢いづいた一人は、初めの目的通り、女の背後からその柔らかい身体を羽交い締めに抱きしめようと襲いかかった。
 次の瞬間、男達の恫喝や罵詈雑言にも眉一つ動かさなかった公綱は、突如宙を飛んで氷川の背中に降った男を見て目を円くして驚いた。いかにだらしなく隙だらけで抱きついてきたとはいえ、背後から迫る自分の三倍はありそうな男を、この白拍子は軽々と放り投げたのである。
(力では無いな。だが見事な間と当て身だ。ああ決められては一たまりもない)
 舌を巻きつつも女の妙技を冷静に観察していた公綱に比べ、氷川勢の混乱ぶりは醜態を極めた。
「この野郎! どけ、どかんかこら!」
 氷川は顔を真っ赤にして気絶した背中の男をはねのけると、怒りと屈辱で紫に変じた唇を震わせ、公綱に言った。
「こ、殺してやる!」
 やれやれ、と公綱は溜息をついた。
(どうしてこうも己の力量もわきまえず、突っかかるしか脳のない連中ばかり集まるのだろう。こんな奴等を率いて行かねばならぬとは、一苦労ではすみそうも無いぞ・・・)
 だが氷川は、そんな公綱の思いも知らず、長刀を公綱に振り向けた。
「主では無理じゃ」
「黙れ! そこな動くなぁっ!」
 氷川の長刀が大上段から公綱めがけて振りかぶられた。公綱は今度はその場を一歩も動かず、腰の太刀に手をかけた。勿論氷川の言に素直に従ったわけではない。岩も砕けよと満身の力を込めて切り落とされた長刀に、一瞬遅れて公綱の太刀が鞘走った。
「ひっ!」
と息を呑む声が重なった。その瞬間生じた異様な衝撃音がなければ、大勢の瞼が同時に閉じた音まで公綱の耳に届いたかも知れない。だが、代わりに公綱が聞いたのは、両手の衝撃に一拍置いて、目の前の地面より発した地を断ち割る刃の音であった。その後ろで、長刀の柄を叩き切られた氷川が呆然と立ちすくみ、チン、と公綱が刀をしまった音が合図だったかのように、へなへなと腰砕けにその場にへたり込んだ。
「それまでだ」
 腰を抜かした氷川を後目に残る六人をねめつけた時、背後からかけられた若々しい声に、公綱は、あ、しまった、と舌打ちした。苛立ち紛れに相手をしている内に、主が出てきてしまったのである。困った顔をして振り向いた公綱に、端正な顔が人々を引きつけてやまない笑顔を刻んだ。
「あんまり遅いのでな。だが、やはり公綱は強いな」
 何をおたわむれを、と赤面した公綱は、もう一度氷川らに振り返って、しゃちほこばって主を紹介した。
「ここにおわすは故平相国清盛公の末子、新四位少将平智盛様におわす。頭が高い、控えおろう!」
 呆然と見上げる氷川とその一党は、予想もしない大物の登場に驚きあわてた。そのあわてぶりに満足した公綱は、振り向いて智盛に言いかけた。
「あれな白拍子がこの不埒者共に絡まれておった様子です。だがあるいは助けは無用だったかも知れませぬな。なぜなら・・・」
 得々と白拍子が男の一人を投げ飛ばした様子を語ろうとした公綱は、日頃滅多に見ない主の様子に、思わず口をつぐんだ。智盛は、さっきまで湛えていた憂いの中にも慈愛を忘れぬ笑顔をかなぐり捨て、驚愕で大きく見開かれた目をあふれる涙で満たしたのである。その両目から持ちこたえられなくなった一滴が頬にこぼれ、十万の軍勢に命令を下しうる珠玉の口の横を通ったとき、僅かに洩れた息が、こわばった声を絞り出した。
「・・・れいむ・・・」
 わななくように上がった手が驚く公綱を脇へ押しのけ、ふらついた右足が、頼りなげに一歩、白拍子に向けて踏み出された。
「麗夢、麗夢ではないか・・・」
 公綱が、何か圧倒されるものを感じて声をかけそびれている内にも、智盛の足は夢の中を踏み惑っているかのようにおぼつかない一歩を白拍子に向けて刻んでいく。その先で、智盛を待つかのように白拍子は頭の笠に手をかけた。
(なんと・・・)
 公綱は、現れたその顔にしばし目を奪われた。年の頃なら一五、六と言ったところだろうか。白磁のように抜ける白肌に二つの生きた宝玉が、漆黒の瞳を揃えてこちらを見据えている。その視線が智盛と交錯したとき、智盛の口から、喜悦窮まる声が溢れ出た。
「おお! やはりそなたは麗夢!」
 だが、麗夢と呼ばれた白拍子は、智盛の近づけば火傷しそうな激情の迸りを、冷ややかに受けとめた。
「初めてお目もじいたします。こたびは危ういところを助けていただき、かたじけのうございます」
 深々と下げられた頭に、智盛の動きがぴたりと停まった。
「何を言っているのだ? 麗夢」
 戸惑いの波が、全身をわななかせる喜びの上を薄く流れていく。それをより決定的にしたのは、白拍子の次の一言だった。
「私は、昨日北陸道より上京して参りました淡雪と申します。どうぞ、これを機会にご贔屓賜りとう存じますが、今日は急ぎの道故これにて失礼いたしまする」
 では、と頭を下げて有無を言わさず立ち去ろうとする白拍子に、智盛の戸惑いは恐慌にとって変わった。

第1章その4に続く。
コメント

1.再会 その4

2008-03-22 22:36:25 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「待て! 待ってくれ! 麗夢!」
 矢のように飛び出した智盛に、今度は公綱が悲鳴を上げた。
「危ない! 智盛様!」
 公綱の頭に、さっき投げ飛ばされた男の様子が蘇った。智盛の身のこなしが公綱のそれに勝るとも劣らないことは日頃からよく知るところである。だが、今の智盛は、公綱にも信じがたい程の無防備さだった。あれではどうぞ投げ飛ばして下さい、と言わんばかりではないか。公綱は、咄嗟に智盛へ飛びかかった。
「殿! お待ちなさい! 殿!」
 あわやと言うところで辛うじてその腰にしがみついた公綱は、少しでも気を許せばたちまち振り解かれそうになるほど暴れる智盛を、必死で諌めた。
「公綱! 離せ! 離さぬか!」
「いーえなりませぬぞ! まずは落ちつきなされい、智盛様!」
 そう言いながら、公綱は白拍子に目配せして、早くいけ、と無言で促した。白拍子は黙って頭を軽く下げると、なんの未練もないのか、すうっと流れるように智盛の脇を抜け、東に向けて春雨に溶け込んでいった。
 その間にも、智盛はしがみつく公綱を振りほどこうとわめき散らした。公綱は必死でしがみつきながら、呆然と見ている郎党衆に、とにかく智盛様を押し止め奉れ! と命令した。固唾を呑んで見守っていた郎党達は、その声でようやく我に返り、公綱と共に智盛へ飛びかかった。
「はなせ者共! 早く、早く追わねば見えなくなってしまう! ええい放さぬか!」
「落ちつきなされと申しますに! 殿、殿はこれから西八条第の大殿に呼ばれて向かっている途上ですぞ! これを捨ててどこに参ろうと言うのです!」
「兄上などしばし放っておいても構わぬわ! それよりも、やっと見つけたのだ! ここで追わねば、また会えなくなってしまう!」
 公綱は、改めて智盛の狂乱ぶりに恐れ入った。この殿にここまでがえんぜ無いわがままな性格が眠っていようとは、今の今まで公綱も気づかなかったのである。それだけに、これはただ事ではないと公綱も考えた。
「殿! あの白拍子がどうしたというのです! あの程度の女、都にはいくらもいましょうほどに」
「おこなることを言うな公綱! あれだけの女が一体この世のどこにいるというのだ! ここで見失のうてはまた何時会えるともかぎらんのだ! さあ、早く、早く放せ!」
「殿! 殿は何時あの白拍子と会ったというのです?」
 今はそれどころではない、と暴れる智盛に、公綱はおっしゃるまで放しません、と言い放った。しばしの押し問答の末、智盛はやっと秘められた過去を語る気になったようだった。
 力を抜いて暴れるのを止めた智盛に、公綱は肩で息を切らせながら、改めて智盛に問いかけた。
「一体、あの白拍子と殿との間に、何があるのです」
「あれは・・・、麗夢は私が三年前の今頃、この場所で見初めた大切な女だ」
「三年前・・・」
 公綱は、智盛がやはり喧嘩に巻き込まれていた麗夢を助け、館に招き入れて詩歌管弦に時を忘れた末、将来を契りあったことまで聞き出した。
 当時の公綱は今より遥かに多忙だった。怒涛の如く過ぎ去った三年前、現帝で平家の血筋でもあられる安徳天皇の即位に始まり、突然都を駆け抜けた凄まじい竜巻の後始末。源三位入道頼政の反乱とその鎮圧。頼朝、義仲の蜂起。福原への遷都、そして、屈辱の富士川合戦敗北、南都焼き討ち・・・。そんな、まだ生々しい記憶が荒れ狂う治承四年(一一八〇年)、あちこちに駆り出されていた公綱の知らない内に、智盛はあの白拍子と切るに切れない深い仲になったというのである。
「ところがだ」
 智盛の語りに哀調が深まった。そうまで互いに愛し合ったというのに、何の音沙汰もないまま麗夢が消息を絶ったというのである。
 そういえば、と公綱は思い出した。智盛が春だけ「おかしく」なるようになったのは、丁度三年前からではなかったか。
 公綱は、前帝、高倉天皇が治承五年(一一八一年)、御年わずか二五才でお隠れ遊ばした事を思い出した。高倉天皇は、清盛公より愛妾葵の前を取り上げられ、落胆のあまり病づいてそのまま儚うなり遊ばした、と公綱は聞いた。もし同じ事が智盛の身の上に起こったら! 公綱は、あらぬ想像に思わず身震いした。それこそあってはならぬ事だ。公綱は、これだけ語れば後は良かろう、と再び走り出そうとする主を強引に押し止めた。
「判りました。それでは、この公綱があの白拍子の後を追い、その所在を確かめて参りまする」
「何? 公綱が行くと申すのか?」
「御意。されば智盛様は急ぎ西八条第に赴かれますよう」
 しかし、とまだ渋る智盛に、公綱は決然とした口調で言った。
「こたびのお呼び出しは、卯月発行の北陸道鎮定についてのお沙汰に相違ございますまい。ならばなんとしてもその一翼を、かなうことなら先鋒をお任せ下さりますよう、大殿にお願い申し上げ、今上帝にお取り次ぎ願わねばなりません。それがどれほど大事なことであるか、殿にはお判りいただけますな?」
 もとより、言うまでもないことだった。戦場で働き、手柄を立ててこそのもののふである。それにはまず戦場に出る資格を得なければならない。ましてや一〇万を号する大軍の先鋒となれば、その栄誉たるや計り知れないものがある。智盛も公綱も、そんな一時を手にするために、今日まで身を粉にして技を磨き、朝廷に出仕してきたのである。そのようなことを諄々に諭されて、智盛はようやく公綱の諌めを入れることができた。
「判った。麗夢の行方は公綱に任せる。きっとその所在を確かめてくれ」
「何のかのと申しましても所詮は女の足、直ぐに追いついて所在を確かめる位、わけないことにございまする」
 だから安堵してこの公綱にお任せあれ、と胸を張った公綱は、残る郎等達にこれ以上遅参することの無いよう先を急げと言い含めた。
「ではこれにて。吉報をお待ち下され」
「頼んだぞ、公綱」
 公綱は、やっと牛車に収まった智盛に一礼し、夕闇が迫りつつある都大路を引き返して行った。

第2章 その1に続く。
コメント

2.白拍子 その1

2008-03-22 22:35:32 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 既に夕闇が迫りつつあった。
 いつしか雨はやみ、これ以上濡れる心配はなくなったが、月明かりが透けてくるほどに空が晴れた訳ではない。その上、間の悪いことにやんだはずの雨はいつまでたっても地面に落ちつこうとせず、濃厚な霧となって都を覆いつつあった。夜目には自信のある公綱も、さすがにこれには閉口した。
 この時代、夜とはまさに闇に閉ざされた世界といってよい。満月が真昼と感じられるほどに、光に飢えた世界なのだ。もちろん人間には原初の昔から火という明かりを手にしている。が、その火をなんの気兼ねなく自由にできるのは、ほんのごく一握りの者だけであった。圧倒的多数を占める一般の庶民にとっては、油一滴、まき一本でさえそう簡単には使えないのである。そんな闇の中に、人々は様々な異形の姿を見る。常夜灯を点しうる権力者達も、もとはといえば闇を恐れるがゆえに、金に糸目をつけることなく火を焚き続けているに過ぎない。だが、公綱のすぐ前にいる娘は、公綱でさえ緊張を強いられる闇の中を、まるで臆する様子もなく足を進めている。よほど夜目が効くのだろう。公綱でさえ、ふとした拍子に娘の姿を見失いかけるのは二度や三度ではないのだ。
 そんな公綱の感嘆譜を背に受けながら、娘は都大路の東の端、東京極大路にさしかかった。大路というと巨大な道というよりは広場と呼ぶにふさわしい大仰な施設である。そのむやみに広い空間に沿って、東側にこれもどれほどの広さか検討もつかない真黒の谷が横たわっている。鴨川の流れである。その広い川原は、都のうちでも最も雑多で怪しげな雰囲気に満ち溢れていた。古来川原は刑場であり、死体の遺棄場所であり、遊女、くぐつ、芸人、盗人など、およそ繁華街にふきだまるあらゆる暗がりの住人達が蠢く世界であった。
 その中には、白拍子も含まれる。平清盛に寵愛された祇王、仏。源九郎義経の情人、静。滝口入道との悲恋で世人の涙を誘った、横笛など、世に名を残す白拍子もあるが、その多くは、今様を唄い、舞などして、貴人の宴に華やかな一時の花を咲かすだけの無名の芸人達である。彼女らは芸を披露する一方で、時に春を篠いで糧を得なければならない境遇の、一言に云えば下賎の者達であった。
(しかし、智盛様ともあろう方が、白拍子などに心を奪われるとは)
 あの美しさでは仕方がないか、と思う一方で、数多あるやんごとなき女御、姫君の類をそれこそ選りどりみどりに出来る身分の方なのに、少々安っぽすぎる恋だ、とも公綱は思う。
(まあ、いずれ正室は然るべき所より輿入してもらうとして、側室に迎えるというのならそう悪くないかも知れぬな。聞くところによると、あの木曽義仲も巴なる美女に鎧具足を付けさせ、一手の大将として使っているということだし)
 公綱の脳裏には、鮮やかに男を放り投げた、娘の技がまだしっかりと刻まれている。あの華奢な身体で重い鎧をまとい、長刀を振りかざして馬に乗れるかどうかはやってもらわないと判らないが、あの分なら今度の北陸遠征に連れていけば、義仲の巴御前といい勝負をするのではなかろうか。
(そうなれば、あの美しい顔をわしらも楽しめようて)
 公綱は、自分がそんなことを考えていることにはっとなって気付くと、あわてて頭を振って尾行に専念することにした。
 そんな公綱の思いも知らぬげに、娘は東京極大路まで出ると、方角を北にとって更に歩き続けた。やはり五条の辺りか、と思いながら、公綱も後に続いた。現代でもこの辺りは京都最大の繁華街になっているが、既にこの時代、内裏の整然とした官庁街とはまるで趣の違う都の姿が、醸成された婬靡な空気を孕んで、闇の中にわだかまっていた。鬼が出る、などというまことしやかな話も、それこそ一つ二つではない。そんな雰囲気が肌で感じられるのか、公綱は背後になんとなしの気配が感じられて、気味悪さが募る。だが、娘の足取りは河原の脇を通るようになってからも一向に変わる様子がなく、その落ち着き払った足取りが、かえって公綱を苛立たせた。
 やがて娘は五条橋のたもとを過ぎ、そろそろ四条辺りかと思われる所まで来ても、まだ真っすぐに歩き続けた。
(まだ先なのか)
とようやく公綱が不審の思いに囚われ始めた時、突然少女は左の小路に姿を消した。
「なに?!」
 公綱は、完璧に虚を突かれた。すわ! 気付かれたか?! といつになくあわてふためいて、大急ぎで娘の消えた小路に駆け寄った公綱は、その道からいきなり何の前ぶれもなく襲ってきた強烈な殺気に、弾き飛ばされるように立ち止まった。 
 うなじへ焼きごてを当てられたようにちりちりと苛立ち、背中に鋭い悪寒が走り抜ける。さっき手玉にとった田舎侍など百人分束にしても、これほどの威圧を覚えることはなかっただろう。
(逃げるか)
と公綱は半ば本気で考えた。かなうかどうかはやってみなければ判らないが、判らないと判断せざるを得ないことこそが、公綱を戦慄させた。だが、公綱はわずかの逡巡の末、結局正面からその殺気と対峙することに決めた。こっちが引いて見逃してくれるなら逃げるのも手だが、相手の殺気は既に脅しの領域を超えている。智盛との約束もあるし、公綱としてもここで一目散に後を向くのはやはりためらわれた。
 公綱は、一旦引いた足を思い切って小路に踏み入れた。

第2章その2に続く。
コメント

2.白拍子 その2

2008-03-22 22:34:44 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
(こいつは!)
 より鋭さと圧力を増した殺気が公綱を包み込んだ。そうと覚悟してなかったならば、さしもの公綱でさえ足がわななくのを押さえ切れなかったかもしれない。公綱はにじり寄るように足を前に出し、腰だめに太刀のつかを握りしめた。その目の前に、霧をまとわりつかせた巨大な影がわだかまっている。幅、背丈も明らかに公綱より二回りは大きい。全身から吹き出るような殺気が、恐らくは目玉であろう、横並びで光る玉に収束し、無形の矢と化して一直線に公綱へ射込まれてくる。その殺気をいや増しに増幅するかのように、微妙に霧を震わせる低音のうなり声が公綱の耳に届いた。
 猫のようでもあるが、その野太さや迫力は、とても猫の比ではない。あるいはこれが虎というものか、と公綱は額に脂汗を吹きつつ、太刀の鯉口を切った。その、金属が打ちあう小さく鋭い音を待っていたかのように、公綱目掛けて黒い影が飛び掛かった。一瞬遅れて、公綱の太刀が鞘走った。
 がっ! 
 その衝撃は、まさか刀が折れたのでは、と一瞬悲鳴を上げかけた程、強烈に公綱の腕へ襲いかかった。闇の中でもはっきりそれと判る真っ赤な舌と、一咬みで相手を絶命させ得る鋭く巨大な牙が、つば際をがっちりと押さえ込み、公綱の喉笛に食らい付こうと強引に押し込んでくる。それを公綱は、両の手に満身の力をこめてひたすら耐えた。
(引けば命はない)
 公綱は、ぎりぎりの命のやりとりの中で、その昔猟師に聞いた話を思い出していた。
「犬に咬まれたときは、決して引いてはならぬ。引けば牙が肉に食い込み、犬も放すまいと必死になる。もし早く離したいと思うなら、引くのではなく、むしろ押し込むのだ。さすれば犬も苦しがって、おのずと口を開く」
 公綱は、その記憶が正しいことを祈りつつ、しゃにむに刀を押し込んだ。この思いもよらぬ抵抗に、相手の巨獣も心底面食らった様子だった。巨獣は、公綱が逃げ腰になったところを追いすがり、一撃で首を食い千切ってやるつもりだったのだ。所が相手は逃げるどころが予想外の膂力で自分の突進を受けとめ、更にその太刀をぐいぐいと押し込んでくるのである。それでも強引に押しつぶそうと力を込めかけたその時だった。
「お止めなさい、以呂波」
 周りの空気も火を噴こうかという緊張の糸を、小さな声が断ち切った。それは決して怒鳴り付けるような調子ではなく、むしろやさしささえ感じさせる声だったが、それを聞いた巨獣は、まるで鞭でも当てられたように一瞬で二間も飛び下がった。予想もしない後退に、公綱は反撃の機会を捕らえ損なった。だが、公綱にしてみれば相手が下がった事で満足せねばならなかっただろう。よく見れば、公綱自慢の太刀はあの牙に噛み砕かれ、ほとんどちぎれそうになるくらいに破壊されていたのである。
「貴方は先程の・・・」
「四位少将平智盛の家人、築山次郎公綱と申す」
 既に鞘に戻せなくなった刀を握ったまま、公綱は答えた。その目の前で、靄の中から湧き出るように一人の少女の姿が現れた。その傍らに、寄り添うようにして先程まで公綱とやりあっていた巨獣がうずくまっている。互いの大きさからすれば、少女の姿などその巨体の影に埋没してしまうようにしか見えないが、公綱には、巨獣のほうこそが少女の影に隠れるように見えた。それほど、娘の存在感は際立っており、公綱は、以呂波の殺気とはまるで違う威圧を覚え、自然に片膝を降ろしていた。
(智盛様に似ている)
 公綱は、外柔内剛の典型のような自分の主を、目の前の少女に重ねあわせた。
「築山殿、貴方が何故私の後を追って参られたのか、は、敢えて問いません。ですが、これ以上はお命にかかわります。どうぞ、お引き取りください」
 普通なら、そんな言われようをされればかえって反発して意地でもついて行くという公綱である。だが、公綱は、娘の目に秘められた威厳に抵抗することができなかった。否、既に抵抗する気すら失っていたというほうが正しいであろう。巨獣が娘の前ではまるで子猫同然におとなしくなるのも道理だ、と、公綱は思った。
「我が主に復命いたさねばなりません。貴女の本当のお名前と、どちらにお住まいかを教えていただけぬか」
「それはできません」
 娘はきっぱりと公綱の要求を拒んだ。
「早々にお引取を」
 取りつくしまが無い。公綱はあきらめるよりないか、と観念した。以呂波が歯を剥いて唸ったのも、公綱の決断を促した。もっとも唸った瞬間に娘に睨みつけられ、以呂波はその巨体を一段と縮こませてしまったが。公綱はそんな外観からは想像もできない巨獣の愛らしい仕草に思わず笑みを浮かべたが、次の瞬間、その口元のほころびが凍り付いた。

第2章その3に続く。
コメント

2.白拍子 その3

2008-03-22 22:33:49 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「まさか本当にそのまま見逃すつもりではあるまいの? 麗夢殿」
 はっと振り向いた公綱は、小路の入り口、これから自分が戻ろうと思った方角に、一人の男が立っているのに気が付いた。
「全くなんて日だ。背後を取られてまるで気付かないなんて」
 公綱は、右手の壊れかけた太刀を握りしめ、自嘲的につぶやいた。そのことに気を取られたのか、しばらく公綱は、男の言葉に知りたかった答えの一片が紛れ込んでいることに、気が付かなかった。
「貴方ですね。以呂波をけしかけたのは」
「けしかけたとは心外よ」
 男は、ゆっくりと公綱に向かって歩きだした。霧に包まれて朧だった輪郭が、次第にはっきりと浮かび上がる。ほっそりとした顔の口元を、節くれだった指に持つ扇子で隠し、目だけが、人を小馬鹿にしたようなけんの強い笑みを浮かべている。
「その獣の役目は、夢守の姫君たる貴女の傍にあって常に守る事であろう」
 娘は、男の口調に眉を顰めた。この男は、以呂波のことを明らかに下等な生き物と蔑んでいる。だが、男は娘が嫌がっているのを楽しんでいるように目を細めた。
「それよりも、そやつをこのまま帰してはならぬぞ」
 伏せ目がちに、男は公綱をちらと見て、すぐに目を麗夢の方に返した。
「どうせよと言うのですか」
「無論」
 男は、また公綱を見た。相変わらずその目は伏せ目勝ちだが、明確な悪意が込められた冷たい視線が、公綱の額に脂汗を浮かべさせた。
「秘密を知られた以上、このまま帰す訳にはいかぬ筈だが」
「始末せよ、と、おっしゃるのですね」
 公綱は、少女の冷えきった語感に背筋へ冷水を浴びせられたほどに仰天した。男の言葉に込められた殺意にはまだ反発し、かなわぬ迄も一矢でも、と自らを奮い立たせることもできたのに、この年端も行かぬ少女の一言には、それすら不可能な、底知れぬ恐怖が潜んでいる。公綱は、男に対する反感を掻き立てて歯の根が鳴るのを押さえ込んでいたが、それもいつまで持つものやら、はなはだ心許なかった。そんな公綱の心情などおかまいなしに、男はまた目を細めて少女に言った。
「そのようにあからさまに申しては角が立とう。だが、姫君はどうやら我が思いに賛同頂けぬようじゃな。それならば、我が手を以て後の禍根を絶つと致そう」
 男は、ぴしゃりと音をたてて扇子をしまうと、懐から一枚の短冊を取り出した。同時に公綱が太刀を構えるのを見て、男は嘲りもあらわに言った。
「無駄なことよ。何が生じたか、知る暇もなく黄泉路に送り込んでくれる」
 公綱は、今度こそ絶体絶命か、と思い切った。この上は、武士として恥ずかしくない最後を究めるのみである。相手の仕草から、公綱は目の前の男が陰陽道の使い手と見た。となればあの短冊は超常の力を発揮する呪符の類だろう。それなら対抗する手段はただ一つ。相手が呪を放つより先に仕掛け、先手を打つよりない。公綱は即決すると、一瞬の溜めをおいて、脱兎のごとく飛び掛かった。
 男は、公綱が窮鼠猫を咬む挙に出ることは、一応予測していた。これまでにも逃げ惑う者に追い打ちをかけ、必死の反抗を受けた経験も一度や二度ではない。だが男は、相手の力量を完全に読み違えていた。公綱は、これまで相手してきたような公家達の何百倍も素早く、かつ勇猛だったのだ。
 たじろぐ間もなく、男は余裕の笑みを凍り付かせた。公綱は自分を見つめ、大きく見開かれたその目に、迷う事無く太刀を振り降ろした。だがその瞬間、予想外の手応えに、太刀の切っ先が宙を跳んだ。同時に公綱の身体が、毛むくじゃらなものに弾き飛ばされた。公綱はもんどりうって転がったが、すぐに立ち上がって半身の折れた太刀を身構えた。その先で以呂波が公綱をにらみつけていた。だが、はじめにやりあった時のような凄まじい殺気はまとっていない。どちらかというと不精不精という風な不貞腐れた態度に、公綱には見えた。
「以呂波」
 以呂波は、娘の呼び掛けにさっと態度を改め、また元の位置、娘の傍らに身を移した。たちまちその背後が露わになり、公綱は、当面の危機が去ったことを知った。

第2章その4に続く。
コメント

2.白拍子 その4

2008-03-22 22:32:54 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 男は、だらしなく尻餅をついてへたり込んでいた。左頬へ斜めにすっと赤いすじが走り、そこからにじみ出た血が頬を赤く濡らしている。以呂波が叩き折った太刀の切っ先が、ちょうど男の顔辺りをかすめて飛んだのであろう。ついでに男が手にしていた短冊も見事にすっぱりと切り落とされていた。男は、自分がいかにみっともない格好を晒しているかに気付くと、憤怒の形相も凄まじく、公綱にわめき散らした。
「・・・お、おのれよくもこの私に・・・。殺す! 絶対殺してやる!」
 さっきまでの余裕をかなぐり捨て、男は語気荒く言い放つと、役に立たなくなった短冊を地面に叩きつけ、新たな一枚を懐から取り出した。だが、男の憤りもそこまでだった。再び緊張が高まる二人の間を割って、少女が静かに滑り込んだのである。
「もうおやめなさい」
「そこをどかれよ! 麗夢殿!」
 れいむ? 公綱は、ようやくここにきて男が少女を麗夢と呼んでいることに気が付いた。確か智盛様も麗夢と呼んでいたのではなかったか。やはりこの少女は智盛様が探し求めていた娘なのかもしれぬ。公綱が悩める主のことを脳裏に思い浮かべたとき、麗夢と男の押問答は、ようやく決着が付こうとしていた。
「退かぬとあれば、麗夢殿とて・・・」
「私とて? いかがなされるおつもりか?」
 冷え冷えとした小さな声に、あれほど荒れ狂っていた男の殺気が、一瞬で当惑を交えた怯えに変化した。
「れ、麗夢殿、この男を放置して、一体太老様になんと申し開きされる積もりじゃ」
「高雅殿が心配することではありませぬ。さあ、お引取を」
「私は貴女のいいなづけだぞ、それを・・・」
「お引取を」
 高雅と呼ばれた男は、それでもまだ未練がましく麗夢、以呂波、そして公綱を落ち着かない目で見回したが、ようやくあきらめが付いたのか、改めて公綱に視線を固定すると、殺気を込めて男は言った。
「麗夢殿の手前、ここは引いてつかわすが、この次は必ず死んでもらう。左様心得よ!」
 公綱は黙ってにらみ返した。内容はどうあれ、挑戦を受けたとあっては武士として後に引くことは出来ない。男は公綱の不敵な視線を忌ま忌ましげに見つめていたが、やがて急にきびすを返し、白い闇に姿を消した。公綱は殺気が消えたのを確かめると、少女の前に片膝をついた。
「かたじけなくも命をお救い頂き、恐縮に存じます」
「いいえ。礼には及びませぬ。それよりも貴方も早くお立ち去りください。ここは、貴方のような方がいつまでもいて良い所ではございません」
 以呂波が、さっさと行け、というように顎をしゃくってみせた。だが、公綱は、これで引き下がる訳には行かないと、麗夢に話を継いだ。
「いいえ、主智盛のため、ひとつだけお聞かせ願いたい。貴女様は、麗夢様でございますな?」
 数瞬の沈黙が、二人の間を埋めつくした。再び以呂波のうなり声が公綱の鼓膜を震わせたが、軽く手を上げてそれを遮った娘は、やがて、思い切ったように口を開いた。
「確かに。私は智盛様がご存じの白拍子、麗夢にございます」
 公綱は、色めき立って顔を上げた。だが、麗夢はそんな公綱の期待を押さえるように、静かな口調で話し続けた。
「ですが、もう、あの頃の私ではございません。帰って智盛様にお伝えくださいまし。麗夢はもう亡くなった、と」
「そ、それでは、我が主が納得するとは思えません。どうか、今一度主にあって頂く訳には参りませんか?」
 公綱の申し出に、麗夢は力なく首を横に振った。
「それはなりません。これ以上、我らを追わぬよう、築山殿よりも申し添えください」
 ではこれで、ときびすを返そうとする麗夢に、公綱はもう一度追いすがった。
「お待ちくだされ! 貴女は、我が主、智盛をもうお忘れか!」
 振り向いた少女の顔に、公綱ははっと息を呑んだ。美しい白磁の肌に、つと流れるひとすじの涙を認めたからである。だがそれも一瞬のことであった。再びむこうを向いた麗夢は、二度と振り返る事無く霧の中に姿を消した。後を追って以呂波もその巨体を闇に沈めた。茫然と見送る公綱の耳に、玲瓏とした麗夢の声が響いた。
「心にも、袖にも残る移り香も、夢の内にや止めおくべし・・・」
 その声は押し返し押し返しこだまするように繰り返され、公綱は、それが聞こえなくなるまで、その場を動くことが出来なかった。

第3章その1に続く。
コメント

3.有王 その1

2008-03-22 22:31:56 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 「随分と遅かったな。智盛」
 揺れる燈の向うで、色白の下膨れな顔がつぶやいた。現在の西八条第の主人、平家総帥、従一位前内大臣平宗盛は、目の前にあぐらをかく若者の目を見据え、その端正な顔がうつむき加減に逸らされるのを待った。
(全く、何故同じ父の血を継いで、こうも顔形が違うのだろう)
 それは、今目の前にいる智盛だけではなく、つい先ほど退出していった維盛(これもり)でもつい浮かんでしまった思いだった。
(どうしてこいつらはこんなにも美しいのか・・・)
 自分も都の花と唄われた平家一門の中で、棟梁としての風格が出てきた、言われるようになってきた。だが、この智盛、それに小松三位中将維盛の、輝きがその内からあふれ出んばかりな美しさはどうであろうか。自分の、こぶを付けているのではと思えるようなたるんだ頬に比べ、二人ともすっきりと通った鼻筋に、引き締まった顎の輪郭が絵に描いたように美しい。光源氏の再来の名をほしいままにするだけのことはある輝かしさだ。それに引換え自分の顔立ちは、お世辞に言ってもみずぼらしさは拭えない。
 これも母の血の違いだ、ということは宗盛にも良く判っていた。平家の根拠地六波羅の奥、小松谷に居を構えた、兄、重盛に始まる小松一門は、亡き父がまだ昇殿も許されない下級貴族だった時分に愛していた女の血が色濃く伝わっている。また、智盛の方は、父が参議からようやく権大納言に上がり、権勢を著しく伸張させた頃に寵愛した、器量だけは古今第一級の、下賎の側女の顔そっくりだ。それに対して三男宗盛、四男知盛、など、今の平家の屋台骨を支える面々の母、平時子は、先の二人に比べればはるかに高位のやんごとなき身分の出ではあるが、美しさだけは残念ながら見劣りしてしまう。
 たが、単に美しいというだけなら、弟知盛が言うように、気にするな、の一言ですんだ。清盛の異母弟、経盛の息子、経正のように、評判の美しさを誇るものは他にも多かったからである。だが智盛と維盛の二人は、亡き父、平相国清盛公の寵愛を一身に受けたというところまで良く似ている。その点が宗盛にこの屈折したこだわりを覚えさせるのだ。
 孫の維盛は幼少の頃から、
「この子こそ将来の平家をしょって立つ男になるに違いない」
と言われ続け、末っ子の智盛も、
「平家に幸運をもたらす厳島神社の使いよ」
と溺愛されてきた。
 厳島神社は、瀬戸内海安芸の国に鎮座する、清盛の信奉篤い平家の守り神である。そして、確かに智盛が生まれた途端、参議から権大納言まで五年もかかった父がたちまちの内に昇進し、たった二年で従一位太政大臣という人臣を極めた。また、智盛元服と同時に、平家の将来を約束する現天皇、安徳帝が、清盛の娘、権礼門院徳子の腹より誕生した。このように、智盛の節目節目がそのまま平氏が一段と興隆する時にあたっているのだから、亡き父が縁起を担ぐのも無理はない。それでも、と宗盛は思う。今、平家の屋台骨を支えているのは、四年前に死んだ兄重盛でも、維盛でも、ましてや智盛でさえない。この自分、前内大臣平宗盛なのだ、と。
 智盛は、そんな宗盛の思いにまるで気付く事無く、真っすぐ視線を据えて宗盛を見返した。
「諸国駆り集めの兵がまた都大路で喧嘩沙汰に及び、それを取り締まるのに少々手間取りました」
「全く、そんなことは検非違使の連中にでも任せておけば良いものを」
「そうは申しましても、行き会ったとあれば放置する訳にも参らず・・・」
「何にせよ、遅参したのは事実だ」
 宗盛は、それ以上の言い訳は無用だ、と、智盛の言葉を遮った。
「・・・申し訳ありませぬ」
 宗盛は、消沈した智盛が頭を下げたことにとりあえず満足した。このように、いつも素直なら、宗盛とていらざる余念に感情を刺激されずにすむのである。宗盛は研の強く浮き出た視線を少し和らげ、用件を切り出すことにした。
「まあ良い。それよりも、今日出向いてもらった訳を話そう。智盛、そなた、夢の木、というものを存じておるか?」
「何です、急に。それより今日御呼び頂いたのは、北国下向の件ではないのですか?」
「木曾討伐なら、今し方、維盛に命じた」
「維盛殿に?!」
「正しくは、通盛と維盛を大将軍に任命することにした。それよりどうなのだ、知っているのか、おらぬのか?」
 宗盛は、こちらの質問に速答しない智盛に、一旦引っ込めかけた苛立ちをあらためて掻き立てた。智盛が気にしている木曾討伐の件は、宗盛にとってはとうの昔にかたの付いた話なのだ。だが、智盛にとってはそんな簡単に引き下がってよい内容ではなかった。これでは、何のために麗夢の行方を公綱に頼んだのか判らないではないか。
 智盛は、無礼を承知で食い下がった。

第3章その2に続く。
コメント

3.有王 その2

2008-03-22 22:30:59 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「兄上! 私は、私は木曾討伐に参加できないのですか?!」
「お前には別に頼むことがあるのだ。それより早く答えろ。知っているのか、おらぬのか?」
「別にって、それがその夢の木とやらの事なのですか?」
 智盛には、今の自分に木曾討伐以上の重大事があるとは信じられなかった。先鋒はまあ無理としても、号して十万という史上空前の大軍隊を催すこの一大決戦には、必ずなにがしかの役割を与えられるもの、と期待していたのである。宗盛もそんな智盛の気持ちを満更知らないわけではない。だが、いかに公家ずれしたとはいえ、本質的に武士である平家一門は、誰しも智盛と同じ気持ちを抱いている。そんな一門全員の期待をいちいち忖度していては、宗盛の方が身が持たない。宗盛は、そんな棟梁としての苦労も知らずにただ自分の希望をわめく若造に苦り切った。
「そうだ。答えろ智盛」
 熱くなっていた智盛は、その口調の低温度に初めて気が付いた。しくじったか、と言葉を失った智盛は、しばし押し黙って宗盛の言葉を吟味し、やがて、あきらめたように答えた。
「・・・存じません」
「本当か? 良く思い出してみろ。夢の木について、亡き父上が何か言ってなかったか」
「父上が?」
 宗盛の意外なしつこさに、智盛も思わず考え込んだ。だが、結局何も思い浮かばない。
「やはり、そのようなものは存じません」
「そうか、お前も知らぬのか・・・」
 宗盛は、ふうっとため息を一つついた。
「念のために聞くが、重盛殿からも、何も聞いてないな? お前は、亡き兄上ともうまがあったようだが」
「いいえ」
 智盛は訝しげに宗盛を見つめた。確かに、生前重盛公は何かにつけ自分を暖かく遇してくれた記憶があるが、元々27も年が違い、気のいい伯父のような感覚で接してきた積もりだった。まだ重盛の息子達、維盛や資盛の方が、歳が近いだけにうまがあうといえばいえるだろう。智盛は、木曾征伐の栄誉を担うことになる年長の甥の顔を思い出し、少し拗ねたように宗盛に言った。
「大兄様の事でしたら、小松家御長男の維盛殿にお聞きになられたほうがよろしいでしょう」
「維盛にはもう聞いた。だが、あれも知らなかったので木曾討伐にやることにした」
「そんな! では私も知らないのですから、行く資格があるはずです」
 あくまで軍旅にこだわる智盛に、宗盛は舌打ちして言った。
「遅参したお前が悪いのだ」
 遅れたのが悪い、と言われれば、智盛には返す言葉が無い。宗盛はとにかく智盛の反論を封じ込めると、軽くため息を吐いた。
「だが、父上の覚えめでたかったお前なら、何か聞いていたかも知れぬ、と思ったのだがな」
 宗盛は、一旦外した視線をもう一度智盛に据えた。
「実は夢の木が何であるか、わしも知らぬ。ただ判っていることは、夢の木は文字通りあらゆる夢が叶う木で、晩年、兄上や父上が相当入れ込んで探していた、ということだ」
 そして、志し半ばにして、謎の死を遂げた、という言葉を、宗盛は飲み込んだ。
「父上が?」
「智盛、お前も覚えているだろう。三年前の福原遷都を」
「もちろんですとも」
 智盛は、万感の思いを込めて宗盛の言葉を肯った。麗夢と別れる羽目になったのも、元はと言えばあの遷都の大混乱のせいだと智盛は思っている。
「あの遷都も色々と口実を設けてはいたが、実は都のどこかに隠されている、といわれた夢の木を捜すために、父上が無理矢理人々を都から追いだしたというのが真相だ、と言う説がある」
「そんな無茶な」
 智盛はあの混乱を思い出して唸った。あの時、自分たちの邸宅や法王、上皇、天皇の住まい、その外の大名、小名達の館を打ちこぼち、賀茂川に浮かべて福原まで運びだしたのである。あれがどれほど金と労力を費やしたか、想像するだけで気が遠くなるほどの苦労があった。しかも、六月にやっとのことで移った新都も、一二月にはこの旧都に帰ってくるという慌ただしさで、結局全て無駄になってしまったのだ。だが、父上が夢の木というものを捜したいがためにやったということなら、半年もたたずに元に帰ったのもなるほどと合点が行かないでもない。
「それだけではないぞ。この年末に、重衡が南都を焼き討ちしただろう?」
「ええ。でもあれが・・・、まさかあれも?!」
 宗盛は、智盛が期待どおりに驚いたことに満足の笑みをこぼした。
「そうだ。何でも東大寺にその秘密がある、という密告があったらしい。そこで南都の行状改めがたし、と理由を付け、兵を出して邪魔な坊主どもを一掃したのだ」

第3章その3に続く。
コメント

3.有王 その3

2008-03-22 22:30:04 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 東大寺を始めとするいわゆる南都の僧侶たちは、平城京以来の歴史を誇り、結束の堅さや気位の高さが並みのものではなかった。その上荘園や僧兵などを多く貯え、経済力や兵力の上でも侮りがたい一大勢力だったのである。元々平安京遷都も、そんな寺の権力増大を桓武天皇が嫌ったのが理由の一つになるくらい、当時の権力者にとっては扱いにくい存在だった。そしてつい四年前の治承四年(1180年)の夏にも、安徳帝即位でわく都のど真ん中で、以仁王(もちひとおう)と源三位入道頼政による反乱があった時、南都はこの朝敵に味方してその身柄を保護しようとしたこともあった。あの時は何とか事前に事が露見し、宇治川で反乱軍一行を取り押さえることができたから良かったが、もし万一奈良まで奔られ、諸国に檄を飛ばされでもしたら、あんなに簡単にけりを付けられたかどうか判らない。そんなこともあって同年12月に平通盛、重衡を大将に大軍を差し向け、一挙にその組織的軍事力を壊滅させたのだ。だが今の宗盛の言葉どおりなら、これも夢の木を手にいれんと欲する父清盛の望みで行なわれたということになる。一体夢の木とはそこまでする価値があるものなのか、智盛は初めて知る亡き父の心の深淵をのぞき見たような気がして、軽く怖気をふるった。
「だが、結局都にも、東大寺にもそれらしいものは何も発見できなかったようだ」
「あれだけのことをして何もでてこないとは・・・」
「そこでだ智盛」
 宗盛は、少し身体を乗り出すように傾けて、智盛に言った。
「お前が、夢の木を捜すんだ」
「わ、私が?」
 突然のことに言葉がでない智盛に、宗盛は畳み掛けた。
「そうだ。亡き父上が、平氏の存亡はこれに在りと最後の情熱をかけられた代物だ。それを父上の寵愛深いお前が探しだせば、父上への良き供養になるばかりか、我が平氏一門にとっても計り知れない利益となろう。頼んだぞ、智盛」
「お、お待ちください、兄上!」
 智盛は、予想もしなかったなりゆきに慌てて言った。
「父上が、あれほどの費えをかけてお探しになって見つからなかったものなのですよ。それを、急に探せといわれても、見つかるはずがないではありませんか!」
 智盛の、至極当然と思われる抗議に、宗盛はまるで動ぜず、自信たっぷりで答えた。
「心配ない。実はわしも見つかるはずはあるまい、と半ば観念しておったのだが、夢見の僧どもが、このところ続けて同じ夢を見ている。それを夢解きに占わせたところ、お前に探させれば夢の木は見つかる、と判じたのだ。だから、安心して探索に専念するがいい」
 平安時代、夢は神仏がお告げをする神聖なものとして認識されており、わざわざそんな夢告を得るために、寺や社に参篭、つまり夜にお堂などに篭もり、神仏を祈念しつつ睡眠をとる、ということが流行った。長谷寺の観音堂で夢を見るところから始まる藁しべ長者の話や、かの親鸞上人が六角堂で聖徳太子の夢を見、法然門下に入ることを決意したというのもよく知られている。また、こういった夢を見るのは、当の本人でなくてもかまわないとされた。宗盛のように日常忙しく、とても何日も潔斎してお堂に篭もり切りになることのできない者の換わりに夢を見る、という職業もあった。それが夢見僧である。現代の感覚からすれば到底理解に苦しむ話だが、「宇治拾遺物語」巻第十三の五に、奈良時代の大政治家、吉備真備が、播磨国で人から夢を買い求め、それが元で出世する話があるように、たとえ他人の夢といえども、その気になれば幾らでも自分の物に出来るという認識が、当時の貴人達にはあった。夢見僧は、そういった背景を元に、吉夢を見る専門家として重宝がられていたのである。
さらに、夢解きという夢を解釈する専門家までいた。
「しかし・・・」
 それでも智盛は容易にうんと言わなかった。いくら宗盛お抱えの夢見僧が吉夢を得たからといって、そんな雲を掴むような話に、容易に首を縦に振る訳にはいかない。だが、宗盛は一度決めたことを撤回する意志は毛頭無かった。智盛が渋っているのを気付かぬ素振りで、宗盛は言った。
「紹介しておこう。儂の気に入りの夢解きじゃ」

第3章その4に続く
コメント

3.有王 その4

2008-03-22 22:29:01 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「有王、と申します。以後御見知りおきを」
 突然背後から挨拶されて、智盛はぎょっとして振り返った。見れば一見目の前の兄と同じくらいの年か? と錯覚するような、生気のない若者がうずくまっている。智盛は、何故今までこの男が後に居ることに気付かなかったのか戸惑い、その慇懃な態度に警戒の念を抱いた。だが、宗盛は智盛ほどこの男に危険を覚えていないのか、自慢の宝を披露しているかのように、笑みをこぼしながら紹介を続けた。
「三年ほど前から我が家に仕えておるのだが、年に似ず、中々に良く夢を判じる男じゃ。今度の夢解きも、この有王が判じた。有王、こたびの仕事、少し説明してやれ」
 されば、と有王は膝を少し前ににじり寄せた。智盛は思わずのけぞりかけたが、何とかこらえて有王と膝突き合わせた。
「智盛様は夢の木、というものをご存じですか?」
 一度宗盛にも答えていたが、律儀にも智盛は知らない、と首を横に振った。対する有王はそうでしょう、と満足気に頷くと、おもむろに夢の木について講釈を始めた。
「夢の木、と申しますのは、遠く唐、天竺よりもはるかに西より伝わって参ったといわれる、伝説の木でございます。その形は一枚の葉も一本の枝もなく、ただ襞の多い柱に無数の刺をまとい、時折牡丹も色褪せるほどの美しい花を咲かせるそうでございます。ですが、その真の力は、花を咲かせる時、人の想いを具現させ、夢をかなえるという験を現わすことにございます。これが、その夢の木の種です」
 有王はおもむろに懐へ手を入れると、錦の小袋を取り出し、口を縛る紐を解いて、中身をさらさらと手の平にあけてみせた。胡麻というには形がいびつな、小さな黒い粒が有王の手の平に小さな山を築いた。
「私が、はるか西方より苦労の末手に入れた、一品にございます」
「しかし種があるなら何も探すことはあるまい」
 智盛の疑問に、有王はほんの一瞬小馬鹿にしたような笑みを顔面にひらめかせた。
「この種を芽生えさせるには、どうしても手に入れねばならぬものがあります」
「何だ、それは?」
 有王は、困惑する智盛にすぐには答えず、ゆっくりと夢の木の種を袋に戻してから、改めて智盛に言った。
「智盛様は、夢守、というものをご存じでございますか?」
「夢守? いいや、知らない」
「夢守というのは、はるか昔から人の夢に入り込み、夢の中身を左右できる特別な力を持った一族のことでございます。夢の木を芽生えさせるには、この夢守の力がいるとの伝承がございます」
「その夢守はどこに居る」
「都の、恐らくは綾小路のどこかに居るはずでございます」
 京の都は、史上有名なように、唐の長安をモデルとして、東西南北に碁盤目状の大路小路を規則正しく走らせた形をしている。綾小路というのはその道の一つで、四条大路の一つ南にあり、都を東西に走る小さな通りの事である。
「そこまで判っているのなら、何の苦労があるのだ?」
 有王は。ふふん、と意味ありげな笑みを浮かべ、智盛に言った。
「夢守は普段目くらましの術をもって人目に付かぬ様姿を隠しております。ただ綾小路を歩きまわっても、見つかるものではございませぬ」
「ではどうやって探すのだ?」
「私の夢占では、それはそう遠くない将来、智盛様ご自身により見つけられる、と出ております。どうか我が言葉を夢々お疑い無き様に願います」
 まだ難しい顔を崩さない智盛に、今まで黙っていた宗盛が口を挟んだ。
「話はもう良いな、有王」
「私からの話はこれで終わりでございます」
 深々と頭を下げた有王を下がらせると、宗盛は智盛に顔を向け、厳かに言い渡した。
「この件はお前に一任する。首尾良く夢の木を手に入れたときは、恩賞も大いに期待するがいいぞ。永らく四位に留まっていたが、この功の暁には三位中将の席を帝に願い出てやる。お前もようやく公卿の仲間入りというわけだ」
 同じ貴族でも、四位と三位では意味合いが全然違ってくる。四位五位というのは貴族のうちでも下級に属し、国司として地方に配属されたり、朝廷で雑用に使われるような低い身分でしかない。それが三位以上になると公卿と呼ばれ、朝議に参画して枢機の仕事を扱うようになり、うまくいけば、更に参議、左右の大臣、太政大臣への道も開けてくるのである。
 これ位餌をちらつかせれば食い付いてくるか、と宗盛は思ったが、智盛の釈然としない表情に、隠しているところを悟られてはまずい、とあわててきつく言い直した。
「念のため言っておくが、これは平氏棟梁としての命令じゃ。ここまで聞いたからには今更手を引くことは許さんぞ。更に話を聞きたくば、後で有王をお前の館に向かわせる故、その時に聞くがいい。では、帰っていいぞ」
 宗盛は、犬でも逐うように手を振って智盛に退出を促した。智盛は、まだ納得がいかず浮かぬ顔を隠そうともしなかったが、結局命令とあれば仕方がない、とでも思ったのか、そっぽを向く宗盛に一礼してその場を去った。宗盛は、ふうっと一息ついて一人ごちた。
「全く、兄上や父上の二の舞を踏むのは御免だからな・・・」
 こんな危ない仕事は、みそっかすどもにやらせておけば良いのだ、と宗盛は思った。兄重盛や父清盛が平家のためを思って夢の木を捜した末、いかに不慮の死を遂げたか。智盛にはあえて言わなかった事実を思い浮べながら、寒気を覚えた宗盛は、急いで奥の待つ寝所へと立ち上がった。

第4章その1に続く。
コメント