かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

堂々完結! 最後は簡単に解説など書いてみます。

2008-03-12 21:25:48 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 今日は窓から外を見たら朦朦とけぶるように景色がかすんでいますし、多分大半は黄砂なのでしょうけれど、あれが花粉だと想像するだけで鼻がムズムズするような一日でした。そのせいか朝から目が痒くて、通勤するのも一苦労です。しっかりマスクをしていたおかげか、くしゃみとか鼻水とかからは免れておりましたが、バイザーに眼鏡とそれなりにプロテクトしているつもりでも、やっぱりフィルターがない目には少々厳しいものがあるようです。

 さて、名実ともに「ドリームジェノミクス」完結いたしました。最後はほのぼのとした幕間劇的な〆めになりましたが、私は悲劇とかシリアス調子に最後を終えるのはあんまり好きではないので、大抵何らかの形で明るく終わるような描き方をしてしまいます。それが私自身の特徴でもありますし、多分弱点の一つにもなるのでしょう。とはいえ、今更変えようもない性格的な問題ですし、まったり同人小説やる分にはなんら支障にもならないでしょうから、これ以上どうこうするつもりも全然なかったりします。
 さて、本作品は、私のもう一つの弱点である「理屈っぽさ」をある意味突き詰めようとしたようなところのあるお話で、そもそも「夢」というあやふやなものに「遺伝子」という確固たるものを当てはめようとしたところがいかにもな感じだと自分では思っていたりするのですが、本当に描きたかったのは敵役高原博士の生き様だったりするのでした。もともと高原博士というのは、私の初期短編の一つで設定し、その姿が短編一つで使い切るのはあまりにもったいないと思ったのがきっかけで、装いも新たに登場させた人物でした。私は基本的に、実力あふれる完全主義者の自信家が大好きで、その自信家がちょっとしたことでつまづいて、失地を回復しようともがきつつも周囲の状況がどんどん悪化していき、ついに自滅への坂を転げ落ちるという物語に、言い知れぬ快感を覚えるのです。自分でもどうにも救いがたい嗜好だな、と思わないでもないのですが、山崎豊子の「白い巨塔」とか、貴志祐介の「青い炎」などには背筋に震えを覚えるほどの感動を覚えたりします。多分私が元祖死神博士ことショッカー幹部に惹かれるのも、同じような理屈なのではないかと思います。高原博士もそういう倣岸不遜な実力者が成功の一歩手前でたくらみを阻止される話、として構築することを目指したのですが、個人的にはまず満足のいく人物になってくれた、と思っています。でも、テーマとしては好きな人物像ですので、いずれまた何らかの形でこういった敵役を描いてみたいと思います。

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17.後日譚

2008-03-12 19:02:42 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
  数日後の午後三時。
  鬼童超心理物理学研究所にて---。
 
 「えーっ! もう変身できないの?」
 蘭の素っ頓狂な叫びが、鬼童の鼓膜を乱打して研究室全体にこだました。声こそ出さなかったが、同席する麗夢、アルファ、ベータに美奈とハンス、それに円光も、一様に驚きを禁じ得ない顔で鬼童を見た。鬼童は、まあまあ落ち着いて、とイスを蹴り飛ばして立ち上がった蘭をなだめた。
「高原先生の残されたデータと今の君達のDNAデータを総合すると、君達が再び麗夢さんと同等レベルの力を発揮する可能性は極めて少ないんだ」
「でも、もう一度あの薬を吸ったらどうなの?」
 蘭が諦めきれずに鬼童を問いつめた。すると鬼童は、難しい顔で答えた。
「君達が吸った薬品の残りを分析してみたんだが、あれは君達のDGgeneを活性化させる受容体に直接的な影響を与える薬品のようでね、今後も使用するのはお勧めできないな」
「それ、どういう意味?」
「まあ単純に言うと、あれは一種の麻薬なんだ。モルヒネがオピオイドレセプターに結合して強烈な快感を生み出すのと同じ様な形で、君達のドリームガーディアン遺伝子のレセプターと結合し、脳を活性化させるんだ。その副作用で麻薬と同じようにニューロン細胞その物、つまり脳全体に悪影響を及ぼす危険性が高い。廃人になりたくなければ、使うのはやめた方がいいと思う」
「そんな・・・」
 絶句する蘭を避けて、美奈が鬼童におずおずと問いかけた。
「今までの力も駄目なんですか?」
 美奈のもともと持っていた能力、それも駄目となると、これからは麗夢やアルファ、ベータと夢の中でお話しすることもできなくなってしまう。美奈の心配はそれであった。すると鬼童は、今度は明るく断言した。
「いや、ほぼ間違いなくそれは安心していいと思う。今の君達の遺伝子発現は、高原先生が最初に取ったデータと比べ、ほぼ同じ値を示している。このことから考えても、まず大丈夫だろう」
「よかった。あの力が無くなったりしてたら、商売上がったりだったわ」
 蘭がどさりと腰を下ろした。その様子に、榊警部がいなくて良かった、と麗夢と美奈は苦笑した。
「それにしても、高原博士は本当に夢を無くす積もりだったのかしら?」
 麗夢は最後の高原の様子に、そんな疑問が拭いきれなかった。確かに高原は、夢魔の究極的退治方法として夢そのものを消滅させようと考え、ほぼその筋書きにのって全てを企てた。死夢羅の邪魔で水泡に帰したとはいえ、それがなければ、今頃世界には次々と夢を見なくなった人が量産されているはずだったのだ。だが一方で、高原は美奈、蘭、ハンスの三人に「英才教育」を施し、ドリームガーディアン能力を一時的ながら開花させた。おかげで死夢羅の企みも最終的に粉砕することが出来たのである。一方で夢の破壊を試みながら、一方で夢を守る力を育てる。この矛盾した高原の行動に、麗夢は釈然としない思いが拭えなかった。
「今となっては先生の意図は分かりませんね。三人への待遇も、実験材料として確保しておきたかっただけなのかも知れませんし」
「いえ、きっと高原さんは、心のどこかでこの力の未来に希望を捨ててなかったんだと思います」
 鬼童の言葉を、美奈はきっぱりと否定した。
「あんなに幸せそうに手を取り合っていたんですもの・・・」
 手を組んで宙を見つめる美奈に、麗夢、蘭、ハンスも頷いた。最後の最後で見せたあの表情こそ、本来の高原なのかも知れない。鬼童はその顔を見てなかったが、今は亡き先達のそんな最後に、何故か何の理由もないまま納得した気分を味わっていた。
「それにしても、今回遺伝子には随分振り回されちゃったけど、夢の問題がここまで解明されたんだとしたら、鬼童さんの研究はこれで終わっちゃうの?」
 すると鬼童は、とんでもないとかぶりを振った。
「寧ろこれからですよ、麗夢さん。ようやく心と脳、そして遺伝子を一つのフィールドで論じることが出来るようになってきたんです。百年前にはどう足掻いても叶わなかったフロイトの夢が、もう少しで実現するところまでこぎ着けたんですよ。僕の仕事も、いわばこれからが本番ですよ」
 鬼童は手元のリモコンスイッチを押して、先ほど撮影した三人の夢見中の状況と、その最中に脳で起こっている血流変化を向かいの大型モニターに映し出した。他にも膨大なデータが、今、鬼童の解析を待ってコンピューター上にスタンバイしている。
「これを調べるだけでも、年単位の時間が必要でしょうね・・・」
 鬼童は巻き戻しボタンを押して映像の流れを逆方向に加速した。画面には様々なノイズが盛大に現れ、記録をした鬼童でさえ何が映っているのか良く判らない。が、一人だけこのモザイク模様の中に、尋常ならざる光景を見分けた人間が一人居た。
「ちょっと待て! 今の映像は?」
 それまで黙ってお茶を飲んでいた円光が、お茶を吹き出しながら鬼童に映像を止めるよう要求した。鬼童がそれに従って止めると、それは、大分前に麗夢が鬼童の夢を借り、美奈達の捜索に訪れたときの映像だった。
「コレガ、ドウカシタンデスカ?」
 麗夢と鬼童が別々のリクライニングシートに納まって、昏々と眠り続ける絵を前に、ハンスが問いかけた。
「もっと先だ、鬼童殿!」
 円光が珍しく興奮も露わにせき立てた。鬼童は、何を見たんだ? と当惑げに軽く早送りしていたが、やがて円光が何を目撃したのか、その場の全員が承知することになった。
「さあ、この破廉恥な映像について、しかと説明いただこうか、鬼童殿!」
 円光がまっすぐ指さした先で、寝ている鬼童に覆い被さっている麗夢の姿が映っていた。映像は更に進んで、麗夢が抱きつくところまで流れている。
「な、何この映像、麗夢ちゃん何してるの?」
 蘭が意地悪そうに目を細めながら、隣の麗夢をこづいた。
「まさか、き、キスしているんじゃ・・・」
 美奈が思わず口走ると、鬼童と麗夢が慌てて首を横に振った。
「ち、違うわよ美奈ちゃん! これは、その鬼童さんが死夢羅に殺されたと思って!」
「そ、そうです! 本当にそうだったらうれしいんですけどね」
「鬼童さんそんなこと言ったらみんな誤解するじゃない!」
「じゃあ何してたのよ」
「だから違うんだって! 鬼童さんどうして映像消しとかないのよ!」
「だってもったいないじゃないですか・・・」
 やれやれ、とアルファとベータは器用に腕組みをしながら後足を前に投げ出した。その瞳に、蘭に混ぜ返されて顔を真っ赤にした麗夢と、同じく頬を赤く染めてうつむきながらも、上目遣いに映像へちらちらと視線を向ける美奈、それにじっと画面に吸い付けられているハンスの姿が映っている。鬼童と円光はと言えば、麗夢を挟んで執拗に弁明と問責を繰り返している。これがついこの間、死ぬか生きるかの瀬戸際を綱渡りした人達とは思えない。これをあの高原が見たら何と言うだろうか。情けないと頭を抱えるか、ほほえましいと苦笑いするか・・・。
「もう! アルファとベータも誤解だって言ってやってよ!」
 麗夢の一言に、二匹は互いに目配せして苦笑すると、その騒動に参加するべく腰を上げた。のどかな午後のひと時であった。



                       終
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15.奇跡 その7

2008-03-09 00:18:06 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
麗夢は戦慄に不安を募らせながら死夢羅に言った。
「何をしたの! まさか鳩を・・・」
「その通り! たった今、鳩共を空に開放した。一万羽の死の天使が、愚かな人間共に鉄槌を下すべく飛び立ったのだ。もうお前達はおしまいなのだよ」
「その勝利宣言はまだ早すぎるな、死夢羅」
 半壊した出入り口に、よれよれのレインコートにくわえ煙草から煙をたなびかせる、蘭や麗夢にはおなじみの姿が現れた。麗夢達の絶望にひずんだ顔が、その姿を見てわずかに生気を取り戻す。一方の死夢羅は、怒りも露わに呼びかけた。
「どう言うことだ! 榊」
「対夢見小僧用の「秘密兵器」を、このビルに仕掛けさせて貰った。鳩は一羽たりとも空には飛びたたせんよ」
「対夢見小僧用秘密兵器だと?」
「窓の外を見るといい。死夢羅」
 榊警部の言葉に、死夢羅だけでなく、麗夢、美奈、蘭、そしてハンスもゆがんだ窓枠しか残っていない壁を見た。
「何? あれ」
 蘭が一旦目をこすって外を見直した。どうも霞がかかったように外の様子が見えない。麗夢達も訝しげに見ていたが、ようやく階上から降りてきた円光と鬼童が、その仕掛けを麗夢達に披露した。
「網ですよ、麗夢さん」
「網?」
「強靱なナイロン性の目の細かいネットが、このビル全体を覆い尽くしているんです」
「な、何だと?」
 死夢羅はあ然としてもう一度ビルの外を見つめ直した。すると、靄のように見えていたそれが、白色の細かい網模様を見せながら、時折所々できらりと光を跳ねているのに気がついた。
「ば、馬鹿な・・・、そ、そんな事くらいで、こんな馬鹿げたやり方で、このわしの苦心の策が破れたというのか!」
 すると榊は、うんざりしたように死夢羅に言った。
「馬鹿げたなどと言って貰っては困る。これでも夢見小僧に備えて、警察としても必死に知恵を絞ったんだからな」
「榊警部が任せて、って言ったのは、この事だったのね」
 麗夢が感心したように言うと、隣で蘭が腕を組んで溜息をついた。
「私はこんなベタなやり方でつかまったりしないわよ」
 まあまあ、と美奈とハンスが蘭をなだめる中、麗夢は改めて死夢羅に振り向いた。
「今度こそ観念なさい。死夢羅!」
 すると死夢羅は、ようやく上体を起こすと、麗夢を見上げて笑いかけた。
「ふふふ・・・今回は確かにしてやられたわい。潔く我が敗北を認めるとしよう。だが、この次はこうはいかんぞ、麗夢」
「この次ってこの状況でよくもそんなこと・・・」
「麗夢殿危ない!」
 円光がすんでの所で麗夢と死夢羅の間に割って入った。一瞬遅れて、大きく開けた死夢羅の口から、大量の瘴気が噴出して辺りを一瞬だけ闇に眩ませた。
「しまった!」
 慌てて麗夢は瘴気の渦を振り払ったが、ようやくそれが晴れたとき、うずくまっていた死夢羅の姿は、跡形もなく消え失せていた。
「ええい! 取り逃がしたか!」
 円光が悔し紛れに錫杖の石突を、ついさっきまで死夢羅のいた床に叩き付けた。麗夢も千載一遇の好機を逸し、しばらく唇を噛んでいたが、直ぐに気を取り直して皆に振り向いた。
「こっちこそ、次はきっちり返り討ちにしてやるわよ! こんなに頼もしい味方も増えたんだし」
 美奈、蘭、ハンスが、照れくさそうに麗夢の差し出した手を握り返した。元の可愛らしい姿に戻ったアルファ、ベータが四人の組んだ手の上に飛び乗り、榊、円光、鬼童も、互いに一仕事終えた充実感を共有しながら、笑みをかわし合った。やがて白んできた東の空に明るい太陽が力強く姿を現し、射し込んだ朝日が、わずかに残っていた瘴気を完全にぬぐい去った。
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15.奇跡 その6

2008-03-05 08:02:24 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「ハンス!」
 悲痛な蘭の叫び声も虚しく、ハンスの長身が、文字通り掃除機を前にしたほこりのように傍らを飛び過ぎた。美奈も何とか顔を上げたが、悲鳴を上げることすら出来ないまま、ハンスが暗黒の穴に吸い込まれていくのを見つめるばかりだ。だが、ハンスの身体はすんでの所で消滅を免れた。死夢羅の左手ががっしりとハンスの喉元をつかみ取ったのだ。更に死夢羅は、ハンスの長身を高々と持ち上げた。ハンスの足が床から一〇センチ近くも浮き上がり、顔が苦痛と呼吸困難にゆがむ。
「お前の先祖はなかなか立派な男だったが、末裔はどうしようもなく堕落したな、え? ハンス・ゲオルグ・ヴァンダーリヒよ」
 ハンスは返答の代わりに手にしたレイピアを振るって死夢羅に斬りつけた。だが、死夢羅はあっさりと右手の鎌でハンスの攻撃をはねつけた。その衝撃でレイピアが飛び、瞬く間にブラックホールに呑み込まれて消えてしまう。ハンスは死夢羅のくびきを逃れようと、両手で必死にその左手首を握りしめたが、死夢羅は眉一つ動かさず片手でハンスを吊り上げ続けた。
「先祖の名を汚す愚か者は、このわしが直々に粛正してくれる。だが、反省して闇に還る積もりがあるなら答えるがいい。お前の先祖との旧交に免じ、わしがお前を鍛え直してやろう」
「ダ、ダレガ死神ノ手先ニナドナルモノデスカ!」
 ハンスは苦痛に呻きながらも、精一杯の声を振り絞り、死夢羅に叫んだ。死夢羅は、心底面白くないと表情をゆがめて、溜息をついた。
「所詮残りかすは残りかすでしかないか。正統なる血筋なればこそ、あるいはと思ったのだがな・・・。もういい。死ね」
 死夢羅の左手が離れた。たちまちハンスの身体が、頭上の暗黒に向かってふわりと浮き上がり、美奈、蘭、麗夢の息を呑む悲鳴が交錯した瞬間。
 ハンスの右手が、まっすぐ死夢羅の胸に突き出されていた。その手にしているのは、さっきまでの細身の剣ではない。それよりも遙かに重厚で巨大な、一振りの大剣だった。その剣が死夢羅の胸を突き破り、後ろの床に深々と打ち込まれていたのだ。死夢羅は信じられぬ思いでその剣を見、そして、今にも暗黒に呑み込まれようとしていた青年の顔を見て、更に驚愕の表情で固まった。
「お、お前は・・・」
『私の実験材料を勝手に処分して貰っては困るな、オーナー』
 ハンスの顔の前に、穏やかに微笑みを浮かべる透明な高原の顔が重なっていた。死夢羅は必死にその剣から逃れようともがいたが、はじめに貰った一撃と異なり、その剣はけして死夢羅から抜けようとはしなかった。
「な、何故抜けぬ? き、貴様! 一体何をしたぁ!」
『燃え尽きる前の最後の輝きという奴かな』
 高原の顔が晴れやかに笑った。死夢羅は愕然となって、その影のない笑顔を見た。
「ま、まさか! あれほどわしを憎んでいた貴様が・・・、神も愛情も幻想だと断言した貴様が、どうして・・・」
 憎しみに囚われた力なら、死夢羅は容易く自分のものに吸収することが出来た。初めの一撃はそのために全く通じなかったのだ。だが、今高原が繰り出した剣には、死夢羅が必要とする憎しみも、怒りも、悲しみも、およそ負の感情が一切混入していなかった。逆にもっとも忌むべき力、愛情と慈しみの波動が、色濃く載せられていたのである。
『私はようやく悟ったのだ。人にとってもっとも価値ある幻想が何かを。だから私は、憎むのをやめた』
「あ、あれ!」
 ブラックホールの吸引力が失せ、美奈はようやく顔を上げることが出来た。そして、見た。透明な高原に寄り添うように柔らかな光を放つ、うら若き女性の姿を。麗夢と蘭も、背中に真白い鳩のような羽を柔らかく広げながら、おだやかに微笑む和風美人の顔を見上げた。高原は死夢羅から視線をはずすと、ややはにかみながら、心底うれしそうにその女性に笑いかけた。女性は黙って高原に手をさしのべた。高原もまた笑顔を返しながら、その手を取った。途端にハンスの身体が床に落ちた。死夢羅の胸に突き立った剣が跡形もなく消え失せ、高原とその女性-在りし日の幸福を再現した好美とが、しっかりと手を携えて消えていった。死夢羅もたまらず膝をついた。麗夢は、跳ねるように飛び起きると、まだ苦しげに手をついたままの死夢羅に剣を突きつけた。蘭、美奈も麗夢に習ってそれぞれの得物を死夢羅に向けた。
「終わりね。観念なさい」
 死夢羅は苦しげに首を回し、まだ生きている左の目で麗夢を見上げた。が、その唇は奇妙に笑みを刻んでいた。
「勝ったと思っているのなら、甘いな、麗夢よ」
「この期に及んで何を・・・」
「麗夢さん! スイッチ!」
 美奈が気づいたときにはもう遅かった。死夢羅は身体に隠すようにして持っていたリモートコントロール装置のスイッチを、思い切り押し込んだのである。その途端、どこか上階の方でくぐもった機械音がこだました。
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15.奇跡 その5

2008-03-02 09:34:14 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「はああああああぁあっ!」
 全身を雷電が駆けめぐり、一瞬後、部屋全体を真っ白に漂白する燭光が麗夢の身体から放たれた。同時にトレードマークのピンクの上着と赤のミニスカートが内側から弾け飛ぶ。際どいカットのビキニスタイルに肩と膝を覆う赤いプロテクターが硬質な光を反射し、突き上げた掌からまっすぐ伸びた剣が、あらゆる夢魔を浄化する聖なる光を力強く宿して輝いた。遂に夢の戦士へと変化した麗夢は、眦決して死夢羅を睨み付けた。
「絶対に死神の思い通りになんかさせないわ! いくわよ、みんな!」
「はいっ!」
「了解!」
「オゥ!」
 麗夢は駆け出しながら、喜色満面な円光と鬼童に叫んだ。
「お願い! 二人は警部と協力して、鳩を何とかして!」
「心得た!」
「わ、判りました!」
 円光と鬼童が死夢羅を避けて上階へのルートを探しに駆けだした。アルファ、ベータがその援護に走る中、麗夢達四人のドリームガーディアンは、勢い込んで夢魔の大群目がけ突進した。
 美奈が、往年の名人も及ばぬ程の早技で次々と矢を放った。矢は光芒を引きながら誤ることなくまっすぐ夢魔の肉体へと吸い込まれ、風船を割るように次々と奇怪な肉体を破裂させる。一瞬遅れて、上段に槍を構えた蘭が一群の夢魔に突っ込んだ。たちまち数体の夢魔が槍先に上げられ、更に石突を突き落とされて床に砕ける。隣ではハンスのレイピアが一匹の夢魔も逃すまいと縦横に振るわれ、挑みかかってくる異形の化け物が、次々と切り裂かれては消えていった。円光と鬼童を無事送り届けたアルファ、ベータも、一段と勢いづいて夢魔の大群にかぶりついた。麗夢は三人の思いもよらぬ奮戦振りに舌を巻きながら、自ら剣を振るって夢魔達に飛びかかる。こうして一方的な戦闘は、開始からものの数分の内に夢魔の大軍を押し返し、残った夢魔達は、雪崩を打って死夢羅の周囲に寄り固まった。
「ええい! 不甲斐ない奴らめ!」
 死夢羅は鎌を一振りして縋りつく夢魔達を蹴散らし、一番手近にいた蘭目がけて襲いかかった。はっと固まった蘭の頭上に、巨大な闇が打ち広がる。マントを翻した死神の鎌が、その闇に一瞬の光をはじいて、命を刈るべく振り落とされた。
「蘭さん(サン)危ない(ナイ)!」
 異方向から同時に飛んだ悲鳴に載って、一本の矢と数匹のコウモリが、宙を舞う死夢羅を襲った。死夢羅は危うく身をひねって美奈の矢を避けると、小うるさいコウモリを払いのけ、蘭への攻撃を中止して一旦引き退いた。
「ありがとう! 美奈ちゃん! ハンス!」
 美奈がうれしそうに笑顔を見せ、ハンスがウインクしながら親指を立てる。
「今よ! そっちから突っ込んで!」
「OK! 麗夢ちゃん!」
「おのれ! 小賢しい真似を!」
 死夢羅は左右から同時に槍と剣を打ち込まれて、防戦一方で後じさった。そこへまたハンスの操るコウモリが突っかかり、隙を突いて美奈の矢が唸りを上げて飛んでくる。頼みの夢魔達もハンスと美奈に討ち減らされ、アルファ、ベータに平らげられつつあった。死夢羅は突然の形勢逆転に耐えかね、遂に怒りを爆発させた。
「いい加減にせんか!」
 死夢羅から倍する瘴気が噴出し、力を得た鎌が、麗夢と蘭を薙ぎ払った。短い悲鳴を上げて二人が尻餅をつき、コウモリと矢が時ならぬ突風に煽られて吹き飛ばされる。
 死夢羅は肩で息をしながら、麗夢達に吠えた。
「高原の研究で力を得たのはうぬらだけではないわ! 見るがいい、我が闇の力を!」
 死夢羅から吹き出した瘴気がその頭上で渦を成し、その中心がぽっかりと暗黒の穴となって開いた。途端に凄まじい吸引力が穴に生じ、瓦礫も夢魔達の残党も一緒くたにして巻き上げ、吸い込み始めた。死夢羅の頭上に出現した超小型のブラックホールが、フロアの全てを無に返すべく、闇の力を開放したのである。
「この!」
 美奈がありったけの念を込めて矢を放った。が、光を放ちつつ一直線に飛んだ矢も、途中で強引に軌道を曲げられ、暗黒の闇に消化されていった。光すら呑み込んで消滅させてしまう強烈な闇の重力の嵐は、死夢羅の思いのままにその指し示す先々を吸い上げ、粉砕し、完全なる無へとそのエネルギー全てを呑み込んで消滅させてしまうのだ。
「ふはははは! 思い知ったか! 所詮光の力などそんなものだ。この偉大なる闇の前に、ひれ伏し、泣きわめき、許しを請いながら消えていくがいい!」
 アルファ、ベータが頭を低くし、必死に四つ足を踏ん張りながら、麗夢と蘭が飛ばされないようにおさえ付ける。床に食い込む足の爪が、不気味に唸りながらじりじりと数本の筋を刻み、死夢羅の方へと引かれていく。一瞬でも気を抜けば、たちまち麗夢や蘭ごと、あのブラックホールへと吸い込まれてしまうに違いない。美奈も今はただ床にはいつくばり、少しでも暴風を避けるだけで必死だった。ハンスも辛うじて残る柱にしがみつき、黒マントをはためかせながら、必死に抵抗している
 死夢羅は辺りをねめ回し、自分と同じ姿をした金髪の美青年に目を付けた。吸引力のベクトルをその青年に収束し、強引にその手を引き剥がした。
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15.奇跡 その4

2008-02-27 19:29:25 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 高原の先導で、榊を除いた三人が地下通路を駆け抜けた。辛うじて機能を残していたエレベーターに飛び乗り、遂に美奈達がいるフロアへと辿り着く。真っ先にアルファとベータの変身した巨体が目に入り、その元気な姿に、思わず麗夢の目頭が熱く潤んだ。だが、その向うに見えるおどろおどろしい夢魔の大群と、中央にそそり立つ漆黒の姿は、麗夢達の心を一気に沸騰させた。
「死夢羅!」
 円光が真っ先に錫杖を鳴らして突っかかり、麗夢も愛用の拳銃を抜いて走り寄ろうとした。が、二人は、右目の端から飛び込んできた光に、思わず足を止めて振り返った。
「あ、あれは?」
 視神経を灼き切らぬばかりに輝いているというのに、ちっともまぶしさを感じない。やがて膨大な柔らかい光がフロア全体まで満ちあふれ、夢魔の一群は気圧されるように後退した。
 はじめ、光から湧き出た姿は、三人三様のいでたちであった。先頭に立つ少女は、紺の袴に白い白筒袖の着物をまとい、その上から、黒のハート型を横にして引き延ばしたような胸当てを当て、手には背丈の一・五倍はありそうな弓を携えていた。その後ろに並ぶ若い男女は、女性が全身を覆うグレーのレオタード姿、青年が豊かな金髪に黒のシルクハットを載せ、死夢羅を彷彿とさせる黒マントとタキシード姿であった。が、見る間にその姿が再び光に包まれた。まず華麗な装飾を施された弓を持って、一人の少女が光から再登場した。その衣装は、まるで光その物をそのまま生地にしたような白を主体に要所要所を紺で締め、透明なミニのフレアスカートを靡かせてている。手にするのは銀に輝く天使の弓である。もう一人はサファイアのような宝石をあしらった豪奢なコバルトブルーをベースにした華麗な装いに、長い棒を持って現れた。おのおのに特徴ある姿はしているが、デザインの基本コンセプトは同じベースであると言えた。肌も露わなビキニスタイルに肩や膝を覆う硬質のプロテクター。妖艶にして力強く気高き戦士の姿。それは、普段麗夢が纏う夢の戦士その物であった。
「あら、結構いいじゃない。動きやすそうだし」
「あ、あたし、ちょっと恥ずかしいです・・・」
「大丈夫よ、可愛らしい上に強そうじゃない」
「そうでしょうか?」
 水着よりも露わになった肌に、美奈は思わず頬を真っ赤に染めてうつむいた。蘭はそんな美奈を励ましながら、二メートル近い槍を軽く振った。
「私の武器は、これね」
 蘭は一旦槍を両手でしっかり握ると、はっと気合いも鋭く槍を振り回した。まるで生き物のようにしなって、穂先が縦横に宙を割く。一通り振り回した蘭は、両手を上げ、くるりと頭上で槍を一回転させて、腰だめにびしっと構え直した。空を切った切っ先が前に突き出されてぴたりと止まる。その凛々しいポーズに、思わず美奈の溜息が漏れた。
「蘭さん、かっこいい・・・」
「そう? 何故か自然に出来ちゃったんだけど、って、今美奈ちゃんなんて言った?」
「だから、かっこいいって・・・」
「じゃなくて、今、私の名前呼んだでしょ?」
 美奈は、あ、と軽く驚いて手を口にやった。
 蘭はうれしそうに頷くと、にっこり笑って美奈に言った。
「それでいいのよ。私達、仲間だもんね。いつまでも他人行儀じゃ一緒に戦えないわ」
「私ノ武器ハ、コレノヨウデス」
 しゅっと風切り音を奏でて、ハンスが手にした得物を軽く振り、まっすぐ自分の顔の前に立てた。フェンシングの剣のような細身の刀身に、コウモリの羽を模した装飾が施されている。
「格好はそのままなのね」
「でざいんハ御先祖様ト同ジデス」
 ハンスは照れくさそうにはにかんだ。
「みんな! 無事だったのね!」
 麗夢は喜びを爆発させて、美奈達の元に駆け寄った。
「麗夢さん! 来てくれたのね!」
 蘭と美奈の目が大きく見開かれ、その顔が喜びにはじけた。
「それにしても、その格好どうしたの?」
 驚く麗夢に、蘭が胸を張って答えた。
「今日から私も、ドリームガーディアンの一員よ」
「美奈ちゃんも?」
「は、はい。高原さんの薬を吸ったら、急に力が湧いてきて・・・」
「自分ノ一番強イト思ウ姿ヲ思イ浮カベタラ、コウナッタンデス」
 ハンスもまだ照れくさそうだ。麗夢もくすっと笑って言った。
「みんな、よく似合っているわよ」
「麗夢さんも早く変身して! みんなであの死神をやっつけよう!」
 蘭の言葉に、美奈とハンスも期待の目で麗夢を見た。高原の言葉が正しいのなら出来るはずだ。麗夢は意を決して頷いた。途端に体の中で、力の源が音を立ててあふれ出てくるのを麗夢は感じた。今までずっと忘れていた、夢の世界に自分がぴたりとフィットする感覚が戻ってきたのだ。麗夢は自然に両手を前に突き出した。手の平に物体の感触を覚え、そのまま軽く握って上下に重ねる。一段とリアルになったその感触を更にぎゅっと握りしめ、麗夢は両手をまっすぐ天に向かって突き上げた。

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15.奇跡 その3

2008-02-24 10:04:38 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「ひ、ひどい・・・」
 くらくらする頭を押さえながら、麗夢は思わず呟いた。夢を奪うどころか、ほとんどの人間を逃れようもない悪夢に苛みながら、ウィルスによる病で死滅させる。そんな、まさに悪魔の所行としか思えない未来が、もうほんのそこまでやって来ているというのである。
『私は、自分が間違っているとは認めない。人類から夢を消すのが、夢魔を滅ぼすもっとも良い手段だと今も考えているからだ。だが、このままでは私は、それを証明するどころか、全く逆に、夢魔達に未曾有の繁栄をもたらす手助けをすることになる。だから君達にお願いする。あの子たちを助けて、死夢羅の企みを阻止してくれ』
「しかし、麗夢さんがこの状態では・・・」
 鬼童の一言が、麗夢の沸騰した怒りに水を差した。確かにそうだ。今、自分があの場に駆け付けたところで、結局足手まといにしかならない。力を失った自分には、あの夢魔達に立ち向かう手段が無い・・・。意気消沈した麗夢に、高原は言った。
『大丈夫だ。そろそろ効力が切れる。君に仕掛けたのは、遺伝子組み替えではない』
 高原の言葉にもっとも早く反応したのは鬼童海丸だった。鬼童はずっと考えていたのだ。効果が比較的ゆっくりで、持続的に麗夢のDGgeneを抑えられる手段。それが遺伝子組み替えでないのだとしたら、方法は一つだけだ。
「そうか! RNAi(アール・エヌ・エー・アイ)!」
『そうだ。私が綾小路君に施したのは、ドリームガーディアン遺伝子をベースにした、RNAiだ』
 鬼童は手短にRNAiを説明した。
 遺伝子の発現は、メッセンジャーRNAがDNAの遺伝子コードを読み取り、その情報をリボゾームに運んで、そこで機能を発揮するタンパク質を合成することで現れる。これに対し、21~23塩基対程度の小さな二本鎖RNAが、このメッセンジャーRNAを切断し、機能を失わせる現象が発見された。この現象をRNA interference(RNA干渉)と呼んだのが、遺伝子研究の爆発的な進化を生み出した、RNAiの始まりである。発見は1997年アメリカ・カーネギー研究所。当初の対象は線虫やショウジョウバエだったが、2001年には、ドイツ・マックスプランク研究所において人間の細胞でも確認され、今や遺伝子研究のツールとして必須のアイテムとなった。二本鎖RNAを、標的のメッセンジャーRNAに合わせて設計すれば、事実上あらゆる遺伝子を自在に機能喪失させることができる。このように遺伝子の機能を失わせることを、俗に遺伝子を「黙らせる」と呼び、そうして遺伝子を「黙らせた」時に生体に何が起こるのかを観察して、その遺伝子が生体内でどういう役目を担っているかを特定するのである。このような技術は過去にもいくつか存在したが、それらに比べてRNAiは、極めて簡便に、遙かに強力に、そして持続的に遺伝子を「黙らせる」事が出来る。高原は、その手法を使って麗夢のDGgeneを文字通り「黙らせ」、ドリームガーディアンとしての力を奪ったのである。
「じゃあ、私直るの?」
 鬼童の説明に麗夢の憂いがにわかに晴れた。期待の目で見つめられ、鬼童も笑顔で頷き返した。
「ええ、RNAi現象は、大体数日から長くても数週間で影響が無くなります。高原先生がもう効果が切れるというなら、確かにその可能性は大です!」
「では参ろう! いくらアルファとベータでも、あの状況では危ない」
 鬼童の一言に、円光、麗夢も同時に頷いた。
 すると榊が、携帯電話を取り出しながら3人に言った。
「鳩のことは私に任せてくれないか。ちょっと考えがあるんだ。構わず先に行ってくれ」
「榊警部に? 一体どうやって・・・」
「説明は後で、とにかく急いで!」
 麗夢は頷くと、半透明に消えかかった高原に言った。
「近道があるんでしょう? 教えて!」
 麗夢の言葉に、高原は厳かに頷いた。
『きたまえ、案内しよう』
 3人は、高原に連れられ、携帯電話に怒鳴る榊を横目に、研究室を出ていった。
「・・・ああ、私だ。榊だ。今すぐ茨城県警に連絡して、怪盗241号対策チームを大至急先端科学技術工業団地に寄こしてくれ! え? じゃない! 叩き起こしてでも出動させるんだ! 責任は私がとる! ええ? 違う! ドリームジェノミクス社じゃない。その隣のナノモレキュラーサイエンティフィックだ。ナ・ノ・モ・レ・キュ・ラー・サイエン・ティフィッ・ク! そうだ、『新兵器』も忘れずにな! 頼んだぞ!・・・」
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15.奇跡 その2

2008-02-21 21:40:11 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 高原が消えてなおしばらく、円光は身を削る思いで結界の維持に腐心していた。高原本人を前にしたときよりは楽になったが、それでも全身全霊を尽くし、最大限に法力を発動させ続けていないと、たちまちその圧力の前に屈してしまいそうだ。正直、あとどれくらいこの状態で耐えられるのか、円光自身も心許ない。いかにあらゆる魔を滅砕するほどに鍛え上げた法力といえども、こうして際限なく発揮し続けていればいずれ限界に達するのは自明の理であった。何か変化が欲しい。この安定してしまった不利な状態を揺るがす変化を。それがどのようなものであったとしても、変化の瞬間には必ず隙が生じる。その隙を掴むことが出来れば・・・。円光は結界を維持しながら、ひたすらその時を耐えて待った。
 どれほどの時が経っただろうか。円光が待ち望んだ変化が、もっとも望みうる形で現れた。高原の結界が消えたのである。円光はその事を悟ると、油断無く八方に気を巡らした上で、自らの結界を解いた。同時に全身から脂汗を吹き上げて、円光の肉体が床にへたり込んだ。
「だ、大丈夫? 円光さん」
 麗夢が慌てて円光に声をかける。円光は大きく肩で息をつきながらも、笑顔を浮かべて麗夢を見返した。
「拙僧は大事無い。それよりも麗夢殿、大変なことになっているぞ」
「何? まさか美奈ちゃん達に何か 」
「美奈殿達はまだ無事だ。だが、死神が来ている。急がぬと、危ない」
「死夢羅が!」
 麗夢、榊、鬼童も、円光の言葉に飛び上がらぬばかりに驚いた。高原と死夢羅はやはり繋がっていたのか? あの二人を前にしたら、美奈や夢見小僧、それにハンスも、まさに風前の灯火以外の何物でもない!
「は、早くいかないと!」
「しかし、どう急いでも十分はかかるぞ」
 隣の建物、窓外に並び立つナノモレキュラーサイエンティフィックは、手を伸ばせば届きそうに感じるくらいに、直線距離にするとごくわずかにしか離れていない。だが、工業団地内の区画が異なるため、両社を移動するには、一旦ドリームジェノミクス社を出て団地内道路を走り、ナノモレキュラーサイエンティフィックの敷地に至るルートしかないのだ。この四階から大急ぎで一階に降り、車に乗り込んで飛ばしても、現場に到着するのは榊の言うとおりたっぷり十分はかかるだろう。
「いけない! あの男の気が急に小さくなって、死神の瘴気が急激に大きくなっている!」
「だからこそぐずぐずしてられないわ!」
 とにかく駆けだそうとした麗夢は、前触れもなく頭に鳴り響いた声に思わず足を止めた。立ち上がった円光、それに麗夢の後を追おうとした榊、鬼童も、同じく足を止めた。
「高原先生・・・」
 鬼童が呟くと、四人の目の前に、さっき飛び出していったばかりの高原の姿が、おぼろに浮かび上がってきた。榊は思わず目をこすったが、直ぐにその高原の姿が目をつぶっても見えることに気づいた。
『鬼童君、どうやらお別れだ。君とはもう少し話がしたかったが、是非もない』
「どうしたんです先生、貴方らしくもない。それよりそっちは今どうなっているんです?」
『今はあの猫と犬が踏ん張っている。間もなくあの子達も立ち上がるだろう。それで、しばらくは支えられるはずだ』
 高原の幻像が薄れ、代わりにひどくぼやけた映像が浮かび上がった。音は聞こえない。ただ、オレンジとグレーの巨大な獣の後ろ姿と、その向こうに蟠る得体の知れない何かが見えるばかりである。だが、一同はその何かの中に、見間違えることのないシルエットを見て戦慄を新たにした。漆黒のシルクハットとマント、右手に握るのは柄の長い巨大な鎌。間違いなく死神、死夢羅の姿である。
『見えにくくて悪いが、もう私の肉体は限界に近い。耳は聞こえなくなっているしな。程なく視神経系も閉ざされるだろう・・・』
 時折、突然映像がとぎれ、何も見えなくなる。再び映った後も、像は不安定に揺れ、焦点がぼける。高原の目を通して見るその修羅場は、霞がかったまさに夢の世界にも見えた。
『死ぬ前に一言だけお願いがある。どうかあの子達を助け、死夢羅の野望を挫いて欲しい・・・』
「貴方と死夢羅は、同じ穴の狢でしょう?!」
 麗夢の叫びに映像が消え、高原の姿が再び映った。弱々しく苦笑を浮かべるその姿は、さっきまでの傲然とした気配がほとんど感じられない。死を目前にした透明な理性が、高原その物を浄化してしまったようであった。
 高原は言った。
『確かに・・・。結果からすれば私は死夢羅と共謀したに等しい。私は見事に奴の手に乗り、人類滅亡に、今まさに手を貸そうとしている・・・』
 高原が言い終わった途端、膨大な映像と言葉が、四人の頭に直接流れ込んできた。死夢羅がスポンサーとして高原に研究資金を提供したこと。そして、その研究を踏み台に企む究極のハルマゲドン。一万羽の鳩が運ぶ死のウィルスが世界に散らばったとき、人は、もう滅亡の運命から逃れる術を失うだろう。その全貌が、あますところなく四人の脳髄へ強制的に送り込まれた。
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15.奇跡 その1

2008-02-17 16:38:54 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「高原さん!」
 美奈は思わず高原に駆け寄った。だが、もはや為す術もないことは美奈が見ても明らかだった。高原が薄い目を開けて美奈を見上げた瞬間、見事に両断された白衣の切れ目からぱっと赤い飛沫が飛び散った。見る見る白衣が内側から真っ赤に染まり、高原の顔から血の気が引いていく。
「し、しっかりして! 高原さん!」
 それでも美奈は高原に取りすがり、必死になって呼びかけた。この呼びかけが、高原に最後の気力を振り絞らせた。
「君か・・・無事だったのだな・・・」
「しゃべったら駄目! すぐ、直ぐに助けが来るわ!」
 だが高原も、自分が越えてはならない一線をまたいでしまったことは自覚していた。我が手で恨みを晴らすことが出来なかったことは悔しいが、まだやるべき事が残っている。旦夕に迫った命を強引につなぎ止めた高原は、震える手で今は消防車のように変化した白衣のポケットから、小さなアンプルを取りだした。
「いいか・・・この薬を、鼻から吸引・・・するんだ・・・」
 何とか言い終えると、高原はうっと目を剥き、激しくせき込んで大量の血を吐いた。
「高原さん!」
 わずかに残っていた襟元も赤く染めた高原は、すがりつく美奈の手を強引に振りほどき、その掌にアンプルを押し付けた。
「いいか・・・。生き残りたかったら、三人とも、この、薬を吸うんだ・・・。そうすれば・・・助かる」
「これを? これを吸えばいいの?」
 ようやく自分の手の中に注意を向けた美奈に、高原は弱々しく微笑んだ。
「そうだ・・・。では、よく聞けよ・・・、私からの、最後のレクチャーだ・・・。夢の中での闘いは、イメージする力が、全てを、決める・・・。自分が、もっとも強いと感じる姿を・・・、思い浮かべろ・・・。それが、君、達の、最強戦闘・・・、フォームになる・・・。いい、か、・・・お、思いを、思いを集中する・・・ん・・・だ・・・」
「美奈ちゃん! 早く逃げて!」
 突然の蘭の呼びかけに、美奈ははっと顔を上げた。その脇を、小さな影が猛然と走り抜けていった。一瞬遅れてその姿を追った美奈は、アルファとベータが、迫り来る死夢羅に飛び込んでいくのを見て息を呑んだ。
「よい機会だ。お前達もその男と共に果てるがいいぞ」
 死夢羅の鎌が飛び込んできたアルファとベータを水平に薙ぎ払った。一瞬の判断で飛び離れた二匹は、闇の瘴気を浄化する、真白き閃光に全身を包み込んだ。途端に真の力を開放し、数十倍に膨れ上がった聖なる魔獣が、三人の仲間を助けるべく、死夢羅の前に立ちはだかった。
「麗夢の使い魔どもめ、無駄なあがきよ!」
 死夢羅はマントを翻して魔の瘴気を倍増させると、その暗黒の奥から闇の眷属を召還した。ゆらゆらと揺れる半透明なウツボの如き夢魔達が次々と姿を現し、奇怪な実体を得て広がっていく。アルファとベータは、一匹も後ろにはやるまいと、脱兎のごとく飛びかかった。
「・・・今の・・・うちだ・・・、早く!」
 虫の息の高原が、最後の力を振り絞って美奈の身体を蘭とハンスの方へ押した。美奈はあふれ出る涙を拭い、二人にアンプルを渡した。
「ダ、大丈夫ナノデスカ? コノ薬?」
 ハンスは、まだ半信半疑で美奈からアンプルを受け取った。その気持ちは蘭も同じであるが、だからといって他に方法はない。
「あの高原がこれしか助かる方法がないって言ったんなら、きっとそうなんでしょうよ。もし毒だったとしても、あの様子じゃそれほど変わらないわ」
 アルファ、ベータの奮戦で夢魔達の動きは抑えられてはいた。だが、何分数が多い。さしもの二匹もじりじりと後退を余儀なくされている。程なく、自分たちもあの修羅場に巻き込まれるのは確実だった。
「私、高原さんが本当に夢魔を亡ぼしたいと思っていたその気持ちを信じます。だからきっとこれもそのための力になるはずです!」
「マ、待ッテ!」
 慌ててハンスが止めようとしたが、美奈は言い終わるとすかさずアンプルのふたを取り、中身の微粉末を鼻に吸い込んだ。
「ま、やるしかないわね、ハンスも覚悟決めなさいよ」
 続けて蘭もアンプルの先を鼻にあてがい、一気にその中身を吸い込んだ。ハンスはやれやれと首を振ると、美奈と蘭の後を追った。
「集中して思い浮かべるんです。自分の一番強いと信じる姿を。それが私たちの最強の戦闘フォームになるって、高原さんが言ってました」
「最強の戦闘フォーム・・・」
「一番強イ姿・・・」
 美奈の一言に、蘭とハンスも目をつぶってイメージを追った。美奈も自分の強いと思う姿を念じた。その脳裏に、凛々しくも弓を引く先輩の姿が浮かんできた。ついで夢魔の女王と闘う麗夢の姿。数瞬後、死夢羅と夢魔達、そしてアルファとベータは、次第に強く輝く三人を包み込んだ暖かい光に気がついた。その中で、何かが息づきはじめている。やがてその光の中から現れてきた三人の姿に、アルファとベータは喜びに満ちた驚きを覚え、死夢羅と夢魔達はわずかな怯みを帯びた驚愕に囚われた。高原の遺志を継いだ三人の戦士が、今まさに生まれようとしていた。
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14.死神の陰謀 その6

2008-02-13 22:10:58 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「しむら? あ、あの男が死夢羅なの 」
 思わず声を漏らした蘭に答え、それを肯定するイメージが、露わとなった敵意を伴って三人の脳髄に届いた。それに呼応してガラン、と三人の脇の瓦礫が崩れ落ちた。はっとそちらに視線を走らせる三人の頭に、目眩を覚えるほど一段と力強さを増した敵意が流れ込んできた。だが、三人の喜びはその目眩を吹き飛ばすに充分であった。掌に載るほどでしかない小さな姿ではあったが、雄々しくも四つの足を瓦礫に踏ん張るその姿は、三人のこれまでの苦労を労うかのような輝きを伴って、三人の目に飛び込んできたのである。
「アルファ! ベータ!」
 二匹は軽く尻尾を振って、三人の呼びかけに答えた。その時だけ強烈な敵意が弛み、再会を言祝ぐ明るいイメージが三人に飛ぶ。だが、同時に死夢羅が微笑んだ途端、アルファ、ベータは改めて低いうなり声を上げ、厳しい視線で交錯する高原と死夢羅を睨み付けた。一方死夢羅は、自分を見つめる一〇本の視線に気づいたのか、一段とおどけるような笑みを刻んだあと、芝居じみた苦しげな声を出した。
「・・・み、見事・・・だ・・・高原・・・」
 苦しげな歯ぎしりとともに、息も絶え絶えな死夢羅のつぶやきが高原の耳に流れた。
 勝った。
 急速に力が減衰し、ほとんど死夢羅に寄りかかるようにして立ちながら、高原は間違いなく確信した。これで好美も浮かばれる・・・。その死夢羅も肉体を支える闇の力を失ってしまえば、もう消滅するより無い。高原は、憎き相手の最後を見届けようと、辛うじて顔を上げて、死夢羅を見た。
(?・・・何故こいつは笑っているんだ?・・・)
 突然、傷口から噴き出る瘴気が、渦を描いて死夢羅を取り巻いた。突風にも似た圧力に、高原の身体が思わずのけぞる。見ると、今にも二つに分断され、倒れようとしていた左半身がそのまま何事もなかったかのように直立し、死夢羅の右手が、腹まで達した高原の剣を上から鷲掴みにしていた。
「惜しかったな、高原」

 高原の驚愕をあざ笑うかのように、死夢羅はぐいと肉体に食い込む巨大な刃を持ち上げた。渾身の力を込めて袈裟懸けに斬り落とした剣が、いともあっさりと抜き取られていく。やがて、肩口からその大剣を抜き取った死夢羅は、ほこりでもはじくようにその剣を左に放り出した。ずん!、と重量に相応しい地響きを伴って、剣の切っ先が床に突き刺さった。
「・・・な、何故だ?」
 腹から肩へ、急速に復元していく死夢羅の姿を見つめながら、高原は思わず声を漏らした。確かな手応えがあった。驚異的な力を誇る相手だけに、この一撃だけでとどめを刺せなかったことはあり得るかも知れない。だが、最低でも、しばらくは再起不能になるだけのダメージを与えたはずだ。少なくとも、あのように平気な顔で傷口を復元していくなど、あっていいはずがないのだ・・・。
 ほぼ完全に肉体を元通りにした死夢羅は、こりをほぐすように二度三度と首を回し、半ば呆然としている高原に笑いかけた。
「なかなか効いたぞ、高原。これが真に正しき光の力であったなら、さしものわしも危うかったかも知れぬな」
「ど、どう言うことだ」
「お前は確かにDGgeneの発現を高め、その力を駆使してわしを斬った。だが、お前の心はどうだ? 憎しみに満ち、復讐だけを望むどす黒い闇に染まっているのではないか? それではわしを斬ることは出来ぬ。いや、逆にお前のそのおどろおどろしい復讐の念がたぎるほど、それはわしの力となるのだよ。判るか高原。今のお前は、いかに力を揮って見たところで、わしに傷一つ付けることも出来ぬのだ」
 言い終えると死夢羅は、堪え切れぬように胸を張って大笑した。
(そ、そんな!・・・愛する者を奪われたこの怒り、恨みが駄目だというのか? 復讐を望んではいけないと言うのか? 何故だ! 何故なんだ!) 
 そんな高原の心に答えるかのように、死夢羅は笑いを収めた。
「さて、そろそろ余興も幕としよう」
 死夢羅のマントが翻って、遂にその右手が突き出された。高原の目に、その手に握られた危険な大鎌のきらめきが映る。同時に奔騰した死夢羅の瘴気が、弱まった高原の結界領域を瞬く間に悪夢へと塗り替えていった。ほぼ同時に高原の重厚な甲冑が、力の象徴でもあった巨大な剣と共に宙に溶けた。今や高原は、ほとんどの力を消耗し尽くし、元のややぞんざいに着こなした白衣姿へと戻っていた。
「お前は、わしの記憶に残すに相応しい面白い男であったよ。では、さらばだ!」
 死夢羅の右手が無造作に振り上げられ、一閃の光芒を残して、鎌の切っ先が高原の胸を走り抜けた。強烈な衝撃に高原の身体はひとたまりもなくはじけ飛び、二度三度と床を跳ねると、美奈達の膝元まで転がってようやく止まった。
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14.死神の陰謀 その5

2008-02-10 22:08:23 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「さて、夜明けと共に鳩共を放す準備をしないとな。この世に終わりを告げるのが平和の象徴とは、本当にお前のセンスにはほとほと感心するわい。あの娘も鳩が使われると知れば、泣いて喜ぶだろうて」
 死夢羅の一言が、凍り付いていた高原の呪縛を断ち切った。和風美人を絵に描いたような、煙る笑顔が脳裏に浮かぶ。そうだ。好美は鳩が好きだった。だからこそ数ある鳥から鳩を選んだんだ。単なる平和の象徴と言うだけではない。にっくき夢魔を亡ぼす先兵として、好美のために私が選んだんだ・・・。忘れかけていた憤怒が、腹の底からしびれていた高原の脳を蹴り上げた。全身に再び気力が充実し、高原は吠えるがごとく叫んだ。
「待ていっ!」
 叫びと共に、怒りの炎が高原から死夢羅へとまっすぐに走った。死夢羅は振り返りざま咄嗟に脇へ飛び退いた。さすがに危険を覚えたのであろう。それほどの怒りと憎しみが、形となって灼熱の炎に燃えたぎっていたのである。
「ほほう? まだそんな力を残していたとはな」
 死夢羅は半身になりながら、横目で高原をうかがった。
「貴様を、貴様を討ち滅ぼすまでは、我が怒りのおさまる時きはない!」
 再び高原が腰を据えて剣を構えた。全精力を切っ先に集中し、うつむき加減に佇む死夢羅に向ける。死夢羅は肉眼を残す右目だけで様子をうかがいながら、ぼそりと言った。
「だが、そろそろ時間切れだろう? 高原」
 !
 突然、高原の剣ががくんと床を舐めた。額にどっと冷や汗が吹き出し、息荒く剣を杖代わりに床に突き立てる。先にも増して燃え上がった戦意が急速に萎え、高原は自身を襲う不調に喘いだ。さっきの怒りが、燃え尽きる前の蝋燭の火その物だったのか? もう少し、あと一太刀でいい。保ってくれ、俺のDGgene! 高原はようやく息を整え、よろける膝を叱咤して立ち上がった。
「怒りの余り力を浪費しすぎたな。そんな状態で、一体何が出来る?」
 死夢羅のせせら笑いに、高原も弱々しく笑みを返した。
「・・・まだ、まだだ」
 高原は静かに息を吐き、残りの力を振り絞った。途端に建物を覆う高原のフィールドに変化が生じた。さっきまで隣の建物まで覆い尽くしていた結界が、死夢羅と自分を含む半径数メートルにまで一気に縮小したのである。死夢羅は敏感にその事を感じ取ると、物憂げに高原に言った。
「なるほど、結界を畳んで負担を軽くしたか。だが、所詮薬で無理矢理増幅した力だ。お前の脳細胞はもはやまともに反応してはおるまい?」
「・・・そんな余裕は、我が太刀を受けてから見せるがいい・・・」
 ゆらり。
 その構えはこれまでの高原の姿とは大きく異なっていた。どっしりと大地に根を生やしたような重厚さが失われ、今にも落としそうに剣先をだらりと床にはわせるその姿は、やもすればそのまま倒れて眠り込んでしまいそうにも見える。恐らく、その巨大な剣を構えるだけの力も今は残っていないのだろう。だが、情念の炎だけは、全身を揺らめかせるほどに燃え立っていた。恨み、怒り、憎しみ。これまでの高原の人生を彩ったエネルギーがほむらだってその身体を包み込み、かつてない巨大な力が、高原に宿ろうとしていた。
「ふふふ、心地よいなお前の波動は。よかろう、見せて見ろ。お前の力を」
 死夢羅は高原に振り向いた。
「死夢羅、・・・、覚悟!」
 瞬間、高原の姿が一閃の光となって消えた、と意識する間も無く、凄まじい烈風が吹きすさび、死夢羅のマントがちぎれんばかりにはためいた。さしもの死夢羅も目を細めて立っているのがやっとという中、突然現れた白銀の甲冑が、死夢羅の黒と交錯した。その瞬間、はじめて死夢羅の顔が驚愕と苦痛に引きつった。巨大な剣が、死夢羅の左肩から腹の真ん中辺りまでを見事に断ち割り、その傷口から、鮮血のごとく漆黒の瘴気が吹き出したのだ。
 高原渾身の一撃は、そのついでとばかりに強烈な烈風の渦を呼んで周囲の瓦礫をも吹き飛ばし、気を失っていた三人の意識に、手荒い往復ビンタを浴びせかけた。仰向けに倒れていた美奈と蘭がうめき声を上げて上体を起こし、うつ伏せになって二人をかばっていたハンスが、頭を振りながら四つん這いになって起きあがる。意識がはっきりするにつれて、束の間互いの無事を喜んだ三人は、間もなくまだこの「悪夢」が醒めないばかりか、一段と凶悪度を増して繰り広げられていることに気づかされた。「何よ・・・あの男・・・」
 蘭はほとんど身体が二つに分断されかかっている漆黒の長身を見て呟いた。美奈、ハンスもごくりと息を呑んで、高原の背中とそのシルクハットからはみ出した銀髪を見つめた。その黒ずくめの老人が何者なのか、三人とも知らなかった。だが、美奈だけはその姿を過去に二度だけ見たことがある。高原の禁断の夢。その中で女性の首を大鎌ではね飛ばした死神の姿と瓜二つなのだ。が、こうして目の当たりに見る、その姿は、高原の夢の中では感じなかった強烈な威圧感を、美奈に覚えさせた。その圧力は蘭とハンスもはっきり感じ取っている。自分達は知っている。この男が何者なのかを・・・。そんなもどかしい戸惑いに、はっきりしたイメージが割り込んできた。
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14.死神の陰謀 その4

2008-02-06 23:03:38 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 にわかに戦意を露わにした高原に対し、死夢羅は得物の大鎌を出すでもなく、相変わらず隙だらけのまま、にやにやと笑みを崩そうとしなかった。
「わしは、お前の計画を邪魔するつもりはない。いや、大いに支援してやっただろう」
「この期に及んで何を訳の分からないことを・・・」
 高原は聞く耳持たぬとばかりに気を剣先に集中した。その時である。高原の目の前で、再び死夢羅の姿が奇妙にぶれ、唐突に背が縮み、肉付きと顔色が良くなって、頭髪が後退した。更に衣装まで、黒マントのタキシード姿から、格子縞のはち切れそうなスーツ姿へと変化した。
「ごきげんよう、高原博士」
 それは、ドリームジェノミクス社とナノモレキュラーサイエンティフィックの設立運営資金を提供した資産家、嶋田輝の姿に他ならなかった。まりが転がるような甲高い声やちょび髭を右手でいじる癖が、全く本人とうり二つである。
「愚かな・・・。今更そんな変身で私の目は誤魔化されはせんぞ!」
 すると嶋田の好々爺とした微笑みが、突然嘲りを伴った不快な笑いに豹変した。
「まだ判らないかね、高原博士?」
「?」
 高原の大脳前頭連合野に、不安の色をしたクエッションマークが点滅しはじめた。それを振り切るように高原は言った。
「何が、言いたい?」
 努めて冷静さを保つよう、高原は口調を抑えた。だが死夢羅は、その音色の微妙な硬さにほくそ笑んだ。
「判らないかね? そうか、判らないのか・・・」
 初めは堪えるような押し殺した含み笑いが、次第にボリュームを上げて高原の鼓膜を不快に乱打した。
「これはいい! あの三人に偉そうに説教を垂れていたお前が、まぁだ判らないと言うのかね! まさに傑作だな!」
「黙れ! 何を言おうともはや貴様に生き残る術はない! ここで貴様を粉微塵にうち砕いてから改めて夢阻害因子をばらまけば、貴様等夢魔共もそれで終わりだ!」
「まだあの鳩共の持つ改変鳥インフルエンザウィルスが、自分の作ったものだと信じているのかね、高原博士?」
「何っ?!」
「やはり、自分の見える世界以外はまるで鈍いな。しょうがない、いつまでも話が見えていないようではわしも楽しめぬからな。教えてやろう。お前の研究資金は、この「私」が出してやったのだ」
 資産家の丸い身体を凝視して、それがどうした、と高原は言おうとした。が、その瞬間、高原は、嶋田輝の姿をした死夢羅が一体何を言っているのかを唐突に理解した。三顧の礼で自分を迎え、ここの施設を提供した好々爺の正体を、今突然に理解したのだ。だがそれは、あまりに受け容れがたい屈辱に満ちた内容だった。毎夜怒りを忘れぬようあの悪夢を再現し続け、憎しみと闘志をかき立て続けたその相手が、自分の研究を全面的にバックアップしてくれた恩人だったとは! 内心の驚愕が、剣先の震えを生み出した。心のどこかで、惑わされるな、これも奴の手だ、と警告する理性の声が囁いたが、事実の破壊力は、その程度で再建できるほど生やさしくはない。高原の気が見る間に輝きを失うと共に、嶋田輝の身体を中心とした暗黒の瘴気の力が、急激に増していった。
「お前は夢の遺伝子やドリームガーディアン遺伝子、それにナイトメア遺伝子を研究した。夢魔が人間に取り憑く経路もかなりの部分まで明らかにした。だが、お前は何よりもまずドリームガーディアン遺伝子の発現阻止を第一に考えてくれただろう。吉住の進言、即ちわしの要求に従って。おかげでわしは、充分余裕を持って、夢遺伝子阻止因子の代わりに、DGgene阻止因子を持たせたインフルエンザウイルスを、吉住明に用意させることが出来た。あとはわしの掌で踊っているとも知らず、寝る間も惜しんで仕事に邁進する愚か者を見物していればよかったと言うわけだ。これはこれでなかなかの娯楽だったぞ」
 確かに、この事業における最大の障害が、自分以外のドリームガーディアン能力を持つ者達だと注意を喚起したのは吉住明だった。マイクロニードルによる抑止法を提案したのも吉住だ。だが、自分でもそれは考えていた。特にもっとも自分に近い力を持つ少女、綾小路麗夢が、最大の障害になりかねないと危惧していたのだ。だからこそ、少々アクロバットなやり方で自らその能力を封印するために行動した。だが、その事を改めて死夢羅から告げられた今、高原は本当にその考えが自分の発案に基づくものなのかどうか、自信を持って断言することが出来なくなった。死夢羅の笛に合わせて舞っていたと言う事実が、高原を支えていた強固な自信に致命的な傷を付けていたのである。
「おかげでわし自身も知りたかった夢の謎の一端を、お前が解いて見せてくれた。より効率よく、全ての愚かな人間共に悪夢を届ける方法も準備できた。あの厄介な小娘に邪魔されることなく、だ! 高原、全てお前の研究と協力のおかげなのだよ!」
 死夢羅はその傷へ丹念に塩をなすり込むように言葉を続けた。
「ああ、もちろんウイルスの毒性も強力なものに改変したぞ。これで多くの人間が高熱を発しながらおぞましき悪夢のうちに死ぬことになろう。それを乗り越えて、辛うじて生き残った者共にも、際限ない悪夢に取り込まれる絶望の未来が残されている。これで、永劫続いた光と闇の最終戦争が、闇の勝利で確定されるのだ。感謝するぞ高原」
 死夢羅は、一人呆然と立ちすくむ高原を残して、階段に足を向けた。
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14.死神の陰謀 その3

2008-02-03 19:22:38 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「所長」
 まるで高原が振り返るのを待っていたように、階段から見慣れたひょろりとした白衣姿が下りてきた。ナノモレキュラーサイエンティフィックの吉住明である。吉住は神経質そうに銀縁眼鏡に手をやりながら、さながら産業廃棄物処理場と化したフロアを見回した。
「また派手におやりになりましたね。大地震でも来たのかと驚いてしまいましたよ」
「い、いや、すまない。つい取り乱してね。それより吉住君、君は一体今までどこにいたんだ」
 高原はようやく安堵の溜息をついて、唯一無二のパートナーに歩み寄った。
「ちょっと鳩達に最後の仕上げをしておりました。では、始めますか?」
「そうしてくれ」
 返事をしながら、高原は妙な違和感を覚えた。それは、自分が愛用する大剣にふと目を落とした瞬間、具体的な疑問となって口をついて出た。
「ちょっと待ちたまえ! 君は一体何で私のフィールドの中で自由に動けるんだ? 君のDGgene活性は入社の時ちゃんと調べた。君にこの力場を無効化する力は無いはずだぞ!」
 高原は少しでも検体候補を増やすため、所員全員のDGgeneを、DNAマイクロアレイで調べている。夢見状態の対象者の血液を採取し、更にその中からメッセンジャーRNAを精製する。それを、スライドグラス上にドリームガーディアン遺伝子を張りつけたチップに流し込む。遺伝子は蛍光物質でマーキングがされており、もしそれが反応すれば、一定強度の光を発する様に作られている。メッセンジャーRNAは、検体の遺伝子発現をリアルタイムに示す指標だ。このとき、採取・精製したメッセンジャーRNAによってスライドグラス上の遺伝子が反応すれば、そのときの光の強さを読み取ることで、検体の遺伝子の発現量が判るのである。したがって、検体がもし夢見中にドリームガーディアン遺伝子を高発現させる素質を持っているならば、その検体から得たメッセンジャーRNAにその情報が反映され、DGgeneチップ上で強い光を発するはずなのである。高原は所員全員のDGgene発現量を全て頭に書き記していた。そのうち吉住明の項目には、「-」、即ち陰性としか記されていなかった。今、高原は脳のDGgeneを活性化する薬品の力を借り、通常の数倍に達する力をふるって、ドリームジェノミクス社とナノモレキュラーサイエンティフィックを完全に自分の夢空間下においている。美奈、蘭、ハンスの三人ならともかく、ドリームガーディアン能力に欠けた通常の人間は、この結界の中では深い眠りに落ち、自由に動くことなど出来るはずがないのだ。
 高原は、にわかに感じたまさかという疑問に、初めての不安を覚えた。
 すると吉住は、ずり落ちかけた銀縁眼鏡をはずしながら、高原に言った。
「ふふふ、やっと気づいたか。高原」
「?・・・」
「もう気づいているのだろう? わしが誰かを。もっとも、認めたくないのは判るがね」
 吉住は眼鏡を放り投げると、引きむしるように白衣を脱ぎ捨てた。その瞬間、筋肉も贅肉も量目不足な若者の姿が強烈にぶれ、同時に高原の結界を浸食する、醜悪な暗黒の瘴気が若者の肉体を内側から吹き飛ばした。半ば呆然とその光景を見ていた高原は、やがて実体化した闇の結晶に、信じられぬ思いで目を見張った。
「き、貴様・・・貴様は・・・、死夢羅!」
「ふふふ、久しいな、高原。また会えてうれしいぞ」
 死神死夢羅は、銀髪を収めたシルクハットを傾けながら、険の強い視線で舐めるように高原を見た。高原もようやく一時の衝撃から我に返り、隙あらば挑みかからずにはおれないようにそそり立つ鷲鼻と、漆黒のマントに包まれた姿を睨み付けた。
「いずれ貴様が私の計画を嗅ぎ付け、阻止に出てくるとは思っていた。のこのこ姿を現すほど馬鹿とは思わなかったが・・・。まあいい。貴様、吉住をどうした?」
 高原は内面の衝撃を収めると、静かな口調で死夢羅に言った。だが、死夢羅の目と耳には、高原の全身が炎たつ怒りに包み込まれ、轟音を奏でるのが手に取るように判る。死夢羅は心底うれしそうに口元をねじ曲げると、ぎりぎりまでたわめられた目の前の男に答えた。
「聞かずとも判っているはずだ。あの若造は研究の遅れに焦り、悩んでいたからな。少し甘い言葉をかけてやっただけで、見事わしの筋書き通りに動いてくれたわ。あんな無能を右腕に使っているようでは、お前も大して進歩していないな」
「私は彼の研究成果が欲しかっただけだ。だが、あのマイクロニードルはどうした?」
「ふふふ・・・、京都からわしが取り寄せてやったものだよ。あ奴の仕事ではない」
 高原は剣を床に突き、じっと死夢羅を睨み付けていたが、やがて剣を持ち上げると死夢羅に言った。
「なるほど、そこまで使えなかったとは私も自分の不明を素直に認めよう。だが、わざわざこの私の前に姿を現すとは、貴様もうぬぼれが過ぎたな、死夢羅」
 高原は、今三人を吹き飛ばしたばかりの長剣を死夢羅に突きつけた。
「夢魔を完全に絶息せしめる今回の計画ではあるが、貴様だけは直接私自身の手で叩きつぶしてやりたいとずっと思っていたんだ。その夢を叶えてくれると言うなら、有り難く頂戴するまでだ!」
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14.死神の陰謀 その2

2008-01-30 22:25:29 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 高原は一見隙だらけにぐるりと辺りを見回し、今度は蘭を見据えて言った。
「ふん、吉住達をどこに閉じこめたのか知らんが、直ぐに元通りに戻してやる」
「そ、そうはいくもんですか! 夢を無くすだなんて、本当にそんなことが許されると思っているの?!」
 蘭の叫びを、高原はせせら笑った。
「聞いていたのだろう? 私と鬼童君の話は。こんな単純明快な話が理解できないとすれば、君たちはまだまだ子供だ。そして子供は、大人が知識と道理とをしつけてやらねばならぬ。故にこれからの私の攻撃は、全てその愛の鞭だと思ってくれ」
「何ヲ勝手ナ事ヲ・・・」
「第一、ここには私達が来たときには誰もいなかったんです!」
 ハンスと美奈が相次いで高原に言葉をぶつけたが、相手にそれを聞く耳は存在しなかった。悠然と佇んでいた高原の姿が、瞬きする間もなく消えた。
「危ない! 夢見さん!」
 美奈が叫んだときには、一撃を食らった蘭の身体が、後ろの壁へ大の字に叩き付けられていた。一瞬壁に貼り付けられたかのように見えた蘭の身体が、ぐらりと揺れて足元から崩れ落ちる。が、倒れることは許されなかった。たちまち高原が突進し、蘭の喉元を左手でぐいと持ち上げたのだ。蘭は苦しさのあまり両手で高原の左手を握り締めたが、高原はそのまま首の骨を折りかねない力で、がっちりと押さえ込んで放さなかった。
「特に君は、あまりに手癖が悪すぎる。ここに来るのに、エレベーターのシークレットキーも使ったんだろう? 全く、恐れ入る泥棒猫振りだ。だが、私は言ったはずだな、二度とこのような振る舞いは止めてくれと。人の注意を聞こうとしないガキには、それ相応のお仕置きが必要なのだよ!」
「やめて!」
「ヤ、ヤメナサイ!」
 見る見る青ざめていく蘭の様子に、たまらず美奈とハンスが駆け寄った。だが、高原は後ろを振り返ろうともせず、絶妙のタイミングで右手の剣を水平に薙ぎ払った。途端に剣から生じた衝撃波に、美奈とハンスが簡単に吹き飛ばされる。高原は、木枯らしに舞う落ち葉のように転がっていった美奈とハンス目がけて、左手一本で蘭の身体を投げつけた。蘭は人形のようにみじろぎもせず宙を飛び、慌てて手を出したハンスを巻き込んで、更にホールの床を転がっていった。
「さあて、そろそろ終わりにさせて貰おう。私も時間が惜しいのでね」
 高原は再び剣を構え直した。剣をまっすぐ上段に振り上げ、左に降ろして八相に構える。丹田に精気を集中し、腰を落として右足を大きく一歩前に踏み出した。野球選手のバットのように立てた剣を、少しずつ息を吐きながらまっすぐ前に倒してゆき、口元の高さで床と水平にぴたりと止めた。
「死なない程度には手加減をしてやる。はっきり力の差を思い知ったら、今後は二度と私に逆らわないことだ」
「そ、そんな貴方を、好美さんが許してくれると思うの」
 二人の必死の呼びかけに、ようやく息を吹き返した蘭の一言が、高原の動きを止めた。ぴたりと制止していた剣先がぶるぶると震えだし、驚愕のあまり見開かれた目が、ぼろぼろになった三人を見据えた。
「な、何故君が好美のことを知っている?」
「し、調べたのよ・・・。怪盗夢見小僧として、ターゲットになる貴方のことをね。そして美奈ちゃんに貴方の夢のことを聞いて確信したわ。これだけの力を持ちながら、恋人を夢魔から守れなかった、その事に何より自分自身が許せないでいるんでしょう? だから、必死にその償いをしようと夢魔を亡ぼす事だけを考え続けてきた。貴方は人類のためとかご大層な理屈を並べているけど、本当はただ恋人を失った自分のために、復讐を果たしたいだけなのよ! 自分への怒りを、夢にぶつけてるだけだわ!」
「だからどうだというのだ!」
 今や、わなわなと震える高原は、再び怒りを顔中に漲らせた。
「認めてやろう! 確かに私の動機は復讐だよ。そう、絶対、絶対に許せるものか! だが、私の復讐で夢魔が人類から完全に駆逐できるのもまた事実だ! 君達はその邪魔をしているだけなのだぞ!」
「よ、好美さんは、そんな復讐を望んでいないと思います・・・」
 今度は美奈がおずおずと高原に言った。
「貴方の夢の中で、好美さんは、貴方の無事だけを願っていました。し、死神に首を切り落とされる瞬間まで、ただ貴方の身を案じて・・・」
「黙れっ!」
 高原は剣を改めて振りかぶると、岩も砕けよと床に叩き付けた。フローリングの床がすっぱりと切れ、心材のコンクリートがまるで脆い砂の塊のように粉砕される。同時に生じた凄まじい衝撃波が三人に襲いかかった。一瞬も踏みとどまることが出来ないまま、三人は後ろの壁まで吹き飛ばされた。
「黙れ黙れ黙れ黙れぇっ!」
 高原が瞬時に剣を逆袈裟に切り上げ、また強引に振り下ろした。本人ももうどう剣を振り回しているか、恐らくは意識していなかっただろう。太刀筋も何もあったものではない無茶苦茶な剣舞が何回も続き、ようやく息が続かなくなった時には、もうもうとほこりの舞う中、折れた柱や砕けた床面が、高原を中心に放射状に広がっていた。一撃で吹き飛ばされた美奈達の姿も、瓦礫に埋まって全く姿が見えない。
「くそっ! 私としたことが・・・」
 ハアハアと荒く肩で息をしながら、高原は剣を降ろした。これ以上建物にダメージを与えては、肝心の仕事が出来なくなってしまう。
「取りあえず、まずは吉住を捜さないとな」
 高原は足元の瓦礫を蹴り飛ばすと、階段の方に向きを変えた。
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14.死神の陰謀 その1

2008-01-27 22:49:47 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 ガチャン! と受話器を放り投げた蘭は、してやったりと得意満面で受話器を奪い合った二人に振り返った。
「さあ、戦闘開始よ!」
 だが、案に相違してあれほど昂揚していた美奈とハンスが、今は緊張した面もちに不安の色を浮かべている。二人とも、ついさっきまでアルファ、ベータの件で怒り心頭に達していたのだが、その怒りを吐き出した途端、冷静になった頭へかえって不安が募ってきたのである。
「大丈夫デショウカ?」
 ハンスがたまらず蘭に言った。蘭は、憤然として二人に言った。
「今更何言ってるの! もう挑戦しちゃったのよ。覚悟を決めなさい!」
 すると、美奈がまだ眠ったままのアルファをぎゅっと抱きしめた。
「こ、このまま逃げたら・・・」
「駄目よ! どこへ逃げたって、眠ったらその時点で掴まっちゃうわ。今度掴まったらもう猶予はないわよ」
 蘭の一言に、二人は一段と肩を落として来るべき災厄に目を逸らそうとした。蘭はやれやれと腕を組むと、二人に言った。
「いいこと? 今あの高原の野望を阻止できるのは私達だけなのよ? 夢を無くしちゃうなんて、そんなこと許せるわけないでしょう?」
 三人はすっかり高原と麗夢達の話を聞いていた。蘭が、実験室前で高原に偽物のセキュリティーキーを渡したとき、隙を見て盗聴器を白衣のポケットに放り込んだのである。その微弱な電波に乗ったノイズの多い会話を、三人は寄り添うようにして聞いていたのだった。
「とにかく頑張るしかない。私達が頑張って高原を少しでも弱らせれば、麗夢ちゃん達が何とかしてくれるわ」
 やるしかない! 蘭の決意に二人も退路が無いことを改めて意識した。弱気が影を潜めて、悲壮な決意が表に上がってくる。
 その時、人気のないナノモレキュラーサイエンティフィックの空気が、突然一変したことに3人は気がついた。ちりちりと首筋が焦げるような感じがして、思わず3人は身震いした。しかし、周りを見回してみても辺りの風景は何も変わっていない。閑散としたホールに人気は絶えて無く、3人の人いきれさえ聞こえてきそうなくらい静寂に包まれている。だが、3人の研ぎ澄まされたドリームガーディアン遺伝子がこの気配を感じ取った。励起したDNAがその波動を敏感に捉え、眠っていた力を呼び覚ます。三人もその感覚にようやく気づいた。これは、夢の中と同じ感覚だ。
「きっと高原の仕業ね」
「ドウシマス?」
「どうするも何もないわ。夢の中で闘うというならそこでやるまでよ」
 こともなげに蘭は言ったが、正直夢の中でのトレーニングでは、三人がかりで高原相手に一本どころか有効一つ取った試しがない。ハンスは、やれやれと天を仰ぐと胸に抱いたベータをせめて少しでも危なくないよう、エントランスホールの壁際にそそり立つ、柱の影においた。美奈も習ってアルファをその隣に寝かしつける。
 こうして再び三人が寄り添ったその時、奥に三つ並んだエレベーターの右端の一台の頭上に突然灯が灯り、ちーん、と到着音の澄んだ音色が鳴り響いた。三人の緊張が再び高まる中、そのエレベーターのドアが開いた、その瞬間。
 美奈は、気がつくと天井が高速で流れていくのを見つめていた。音もなくただ肌に靡く風が妙に冷たい。と、唐突に背中が折れ砕ける勢いで打ち付けられ、肺の空気を一瞬にして失った。ほとんど同時に後頭部へ倍する衝撃が走り抜け、文字通り目が真っ赤に発火する。美奈は、濡れ雑巾を思い切り振り回して床に叩き付けたみたいに、なんの抵抗も出来ないままのびた。
「起きろ! 馬鹿者共!」
 高原の怒号が、美奈の耳に遠いところから耳鳴りのように響いた。起きようとして、全身が張り裂けるような痛みに思わずうめき声をもらす。それでもやっとの事で上体を起こしてみると、一〇メートルは離れたところに蘭、そしてハンスの身体が転がっており、美奈と同じく全身強烈な電撃を浴びたように感覚がしびれたまま、なんとか起きあがろうともがいていた。続けて美奈は、さっきまで三人が固まっていたその場所を見てさっと青ざめた。一瞬、またあの時の夢を見ているのかと思ったのだ。あの、高原が片時も忘れないと言う夢。憤怒の形相で古びた西洋甲冑に身を包んだ高原の姿だ。だが、今高原は轟然と床に立ち、手にした大剣を振り回している。
「起きろと言っているのが判らんのかぁっ!」
 怒りの叫び声が、強烈な物理的圧力を伴って三人を翻弄した。正面からまともに受けたハンスは、ようやく上体を起こしたと思う間もなくまた仰向けに倒された。美奈、蘭も目をつむり、必死に圧力に耐える。それが薄れたところで、三人はようやくの思いでよろよろと立ち上がった。
「ほう? よく立ち上がったな。さっきの一撃は手加減無しだったんだが、そこまで成長してくれていたとは、私もうれしいよ」
 高原は、大きく剣を回して、とんと肩に載せた。その顔は一時の憤怒を収めて、笑みさえ浮かべている。だがけして心は笑っていない。大噴火が一段落し、次の破局のためのインターバルタイムに入っているにすぎないことは、三人にもはっきりと理解できた。
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