かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

まあ今年はそれなりに良くやった、と自分をほめて来年また頑張りましょう。

2005-12-31 22:41:44 | Weblog
 今日で2005年も終わります。思い返せばいつにもまして色々あったように感じられる一年でしたが、その活動ぶりに十分満足しているかというと、今振り返ってみると結構後悔する点も多々あったりいたします。もっとも、当時としてはそれなりに精一杯しておりましたし、あの時あれ以上頑張っていれば、成果もそれなりに出たでしょうけど、その後ガタガタに体調を崩して倒れていたかも知れず、そうなると一年通しの決算では、収支が大きな赤字になっていたかも知れないわけです。それを思えば、今年は取りあえずつつがなく一年何とか乗り切りましたし、収支はとんとん位になっているんじゃないかと思います。
 そんな中、今年もっとも大きく変わったことと言えば、まずこのブログ日記が上げられるでしょう。それについては前回に既にいくらか書いたので重複は避けようと思いますが、来年もこの継続というのが大きな目標になっているあたりは、一昨年の末には無かった、新しい抱負と言えましょう。
 いわゆるライトノベルという奴に手を出したのも今年の特徴で、「マリア様がみてる」が結局一年で23冊、他、20冊くらいその手の本が増えました。、内容はどうあれ、一年でこれだけ本が急増したのは学生時代以来のことで、本棚にずらりと並ぶその背表紙を改めて眺めますと、結構壮観だったりします。他にも幾つかの小説や戦史物、歴史・考古学関係、科学啓蒙書など、趣味や小説の設定のために読んだ本などもあわせると、結構な数の本を購入し、読んできたことになります。読み切ってない本もまた多かったりするのですが、「マリみて」など全巻最低3回は読み返していたりもしているわけですし、それらをあわせ考えると、学生の時より読書に費やした時間と経費は多かったのではなかったか、と思ったりもいたします。ここまで書いてて、なんのかんのいってこれだけ読む時間を確保していたんだな、と改めて気が付きました。それを思うと、来年もそれなりに何とかなりそうな気がしてきます。
 まあいずれにしても過ぎた時間を取り戻す術は無いわけですし、今年やり損なったことは、再挑戦するなり、切り口を変えてみるなりして来年またやり直せばよいことです。
 そういうわけで取りあえず来年の最たる目標はやはり夏コミになるでしょう。合同企画と自分の個人的作品と、いかに両立を計って実りある成果をものにするかが、問われる年になるでしょうね。是非美味く折り合いを付けて、来年の今日の日記には、充実した満足の行く年であった、と記録して〆をしたいものです。
 それでは皆様良いお年を。来年も変わらぬご愛顧を賜りますようお願いいたしますと共に、皆様のご健勝ご多幸を記念して、今年の日記を締めくくりましょう。

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たまには面白くなかった本の話でもいたしましょう。

2005-12-30 21:43:57 | Weblog
 冬コミ参加の方からメールで速報を頂きました。その方もどうやらそれなりに順調な売れ行きだったようで、まずはおめでたいことです。それと、会場では私の本をご所望になられた奇特な方が数名いらっしゃったとか。この度はすっぽかしてしまってまことに申し訳ないとこの場を借りてその方々にお詫び申し上げます。来夏にはきっと素晴らしい企画本と私の拙い戯れ文をまとめて並べさせていただきますので、ご勘弁願わしゅう存じます。まあ既刊につきましてはご連絡いただければ通販でもお受けいたしますので、メールなりこのブログや拙サイトの掲示板なりに連絡の書き込みでもしていただければ、小躍りして御返答申し上げます。
 
 さて、普段は当たり前のようにあって、時間がないときは開くのが面倒になる事もあったりする新聞の夕刊が、正月進行なのか、ここ2日ほど姿が見えません。無ければ無いでちょっと残念で淋しかったりもしますが、その分ちょっと「つん読」しすぎて発酵しかかっているような本をこの際まとめて読んでみようかと、相変わらず活字を追い求めております。ただ、ちょっと見ただけで放置していた本というのは、やっぱり面白いというには少し無理がある本が多いみたいです。例えば、11月に購入した、大戦中の航空機関係のとある本。表題に惹かれて手に取ってみたのですが、読みにくくてなかなか進みませんでした。何故読みにくいかというと、この本は私の見る限り、同人小説などでよくみるおたく的弊害がありありと表に出た書物だったからです。即ち、意欲過剰知識偏重技術過小。ひけらかしたい知識が前に立ってそれを伝えるための言葉の練りが足りないため、何が言いたいのかよく判らない文章が気になってしょうがない本でした。私は第二次世界大戦や大東亜戦争に興味を抱く人間として、一応当時の武器、中でも艦船についてはそれなりに目を通したりするのですが、航空機もそれなりに好きなので、たまにはこの手の本も読んだりいたします。でも、私の興味は歴史や人間関係に重点があって、メカにそれほど造詣があるわけではありませんし、興味もさほど強くありません。そんなあくまでちょっとかじる程度な自分がこの本を選んだのは、あるいは間違いだったのかも、とちょっと反省もしているんですけど、ただ、出版社もわざわざ文庫にして世に出そうとした訳ですから、それなりに広く読んでもらう意図があったのだと推察いたします。それならもっと読ませる文章を書くよう、出版社が責任持って作家を指導・育成すべきじゃないかと思うのです。少なくとも担当編集者は、この原稿を読んだ時に、作者の意図がこの文章で正確に読者に伝わるかどうか、位は判断できないと仕事にならないのではないでしょうか?
 せっかくの情報を正しく伝えるための努力というのは、これからもますます大事になってくると思います。それは、その世界だけで通じる専門用語をなるべく使わないように、というような事だけでなく、ちゃんと意味が伝えられるように正しく言葉を使う、ということもあるはずです。いわば専門家は、たとえ理系でも、文系以上に言葉を操る術を身につける必要がある、ということになるかと思います。何も全員が作家になる必要は全くありませんけど、その気になれば小説の一つくらい簡単に書ける、と言うくらいの文章力があっても邪魔にはならないと思うのです。寧ろそんな人が我が国でももっともっと増えて、専門の世界を舞台にした様々な物語を世に出してくれるようになったら、私などは生涯退屈しないで済むだろうに、などと勝手なことを思ったりするのですが。

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クリスマスにやったスペシャルをようやく見終えました。

2005-12-29 22:52:47 | アニメ特撮
 今日でこのブログ日記を付け初めてちょうど300日目。抜けが6日ありますので、300投稿は来年になりますけど、一応一里塚というか、一つの区切りがついた感がいたします。それ以前HTMLで記述していた旧かっこうのつれづれは昨年10月からスタートしておりますので、もう1年以上日記を書き続けているわけですが、既に何度か述懐しているとおり、よくここまで続けられたものだ、と意外な粘りぶりに自分でも少々驚いております。初めは毎日じゃなくて気の向いたときに書くだけ、終了もいつ止めても構わないと言うくらいの軽い気持ちで始めたのですが、いつしか書くことが当たり前になってしまって、色々都合で書けなかったときは何か物足りなく思うようになっておりました。今後いつまで続くのか全く予測が付きませんが、こうなると少しでも長く続けておきたいと思います。まあ、少なくとも来年の今頃は続けているのでしょうね。そしてまた、2年も続きました。信じられません、何て書くに決まっております。
 
 取りあえず今日はわずかな隙を見て年賀状書きをしておりました。去年は昨日、冬コミ出発前に済ませていたので、今年は一日遅くなっております。冬コミ準備もしてないのにどうしてそんな遅くなってしまうのか、ホントに首を傾げたくなる今年の年末ですが、取りあえず無事投函できたので良しといたしましょう。遠方の方は元旦に届くかどうか、郵便局の努力に期待いたしましょう。

 さて、ガンダムシードデスティニーの最終話作り直しバージョン、放映の時に録画していたのを、今日まで少しずつ見て、ようやく見終わりました。何か色々もったい付けて飾り立てていますけど、どう見てもこれは、あのラスト失敗だったから作り直しました、って事ですよね。随分中身が分かりやすくなりましたし、前回感じた、前半パート終わって残り時間でどうやって締めるつもりなのか? というハラハラドキドキは無くて済みましたけど、ならば最初からこうできるようにスケジュール管理やれば良いんですよ。理由は色々あるのでしょうけど、やはりそこはプロなんですから、やれば出来ることをやらないのは問題があると思います。
 既に終わったシリーズの尻拭いに今更言うことはあまりありませんが、今回のあれでもまだ、レイが翻心した理由としては弱いと言うか、判りにくい気がいたします。どうしてデュランダルの命を奪うような真似をしたのか、レイの腕なら銃を撃ち落とすくらいは余裕でしたでしょうに。監督や脚本家はあれで満足なのかもしれませんが、その脳内に宿る補完内容をちゃんと映像にして下さらないと、私のように物わかりの悪い人間には何を語りたいのかさっぱり届かないのですよ。
 気に入ったのはラスト、慰霊碑の前から去るラクスがキラの方に頭を預けて、すっかり安心しきっているシーン。ああやっと終わったんだな、と納得できたシーンでした。ただ、同じく立ち去るアスランと同行したのがメイリンだったのは、おいおいそれは後でもめる元になるんじゃないのか?と思わず突っ込み。オンエアから冬コミまで3日ほどありましたから、今日明日にこの内容を盛り込んだコピー紙を出したサークルさんもあったんじゃないかと思わずにはいられません。自分のジャンルが種デスだったらやってたかも?
 まさかそんなネタ提供のために作ったとは思えませんが、せっかくまずまずの終わり方だったのに妙に引っかかってしまいました。
 最後の最後まで色んな意味で気の抜けない、ヘンなお話でした。・・・今度こそ、終わったんでしょうね? おもちゃ売るためにまた話を蒸し返して、別視点で同じ事件を描いたりとかしないだろうかとちょっと疑ってみたりして。

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私はこの作家と同世代で本当によかったと思います。

2005-12-28 20:25:27 | Weblog
 ようやく読み終わりました。このところ思わせぶりに書いておりましたのは、「マリア様がみてる」新刊「未来の白地図」、ではありません。これはもちろん既に読み終わって、更に3回くらい読み返しておりますので、いずれ近い内に感想は書きますけど、今回読むのに手間取っていた本というのは、瀬名秀明著「ハル」(文春文庫)のことです。お話の主題はロボット。2001年から2030年まで、架空のロボットが普及した世界を、それぞれ少しずつリンクした5つのお話で紡いであります。更にその幕間に人類が滅亡したはるか未来を舞台にした、ロボットの少年の物語が断片的に語られます。もちろんこの作家らしく、背景をなすロボット工学関係の科学技術設定は骨太そのもの。リアリティ溢れる人物(大半が研究者というのがまたこのヒトらしい)が次々と登場、現実の世界と架空のお話とを違和感無く融合して、めくるめくドラマを繰り広げつつ、間近な将来に迫るヒトと機械との関係性についてきっちりと語られていきます。最新刊でも人工知能を題材にした話を書いているとのことなので、この分野は前々作「ブレイン・ヴァレー」からこっち、数年来のライフワークになっているのかも知れません。
 この作者の魅力は、その分野の論文・著書を渉猟し、最前線に立つ研究者達とのインタビューと言う名の討論を通じて、がちがちの科学ドキュメンタリーも手がけるほどの理解をベースに物語を組み上げるところです。しかも単なる科学オタクがやらかすような知識のひけらかしをするわけでなく、適度な露出と驚くべき飛躍を無理なくつなぎ、ちゃんとしたエンターテイメントとして見せてくれるところが、最大の魅力です。それは時にハードに、時にハートフルに、まるでクラークとアシモフとハインラインを化合してその精髄を高純度に精製・結晶化したような輝きを持ちながら、決して過去の作家達の焼き直しではない作者独自の言霊を駆使して、創作世界を披露してくれます。もっとも科学苦手な文系にはハードルが高かったりするところがあるのかも知れませんが、この「ハル」においては、そんな金気臭いところが比較的少なく、理系でなくても存分にその世界を味わうことができる造りになっています(多分)。円熟味を増した作者の持ち味が存分に堪能できる豪華で贅沢極まりない一冊と言えると思います。ホントいつかは私もこんなレヴェルで己が調べを語ることができるようになりたいものです。そんな羨望を抱きつつ、私はこの作家と同世代であることの幸運を、心から感謝します。何故なら、お互いが普通に生きていれば、私は生涯この作家のつむぎ出す新たな物語を、リアルタイムに味あうことができるのですから。私は本気で、瀬名秀明と同年同月同日に生まれずとも、同年同月同日に死ぬことになりますようにと願わずにはいられません。・・・イヤ、絶筆が死後出版されたりしたら思い切り悔しいので、ちょっぴり私の方が長生きしたいかも(笑)。

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P2Pウィルス禍で大会社の社長も平身低頭しなくちゃならない世の中って一体?

2005-12-27 23:24:13 | Weblog
 今日は大変帰るのが遅くなり、今頃慌てて日記を認めています。本の感想を書こうと思ったのですが、とてもその余裕がないので書くのは明日以降にします。
 それにしても、確か私は仕事は要領よく適当に済ませて、空けた時間を同人活動に突っ込むお気楽人間だったはずなのですが、年の瀬も押し詰まった今になって、あわや午前様? という仕事どっぷり状態にはまっているのは何故でしょうか? 今年はどうもそんなボタンの掛け違いが何かにつけて頻発したような気がしたのですけど、一体どこで何を間違えたんでしょうね? ちゃんと反省して来年は軌道修正しませんと、夏コミすら危ないかも知れないとただ今気を引き締めております(そんなことより仕事しろって?)。
 
 さて、わずかの合間に昼ご飯を食べているとき何気なくテレビのニュースを見てますと、経済産業省が、P2Pソフトのウィルスによる原発情報流出に関して、関西電力社長に厳重注意して情報管理の徹底を求めたと、放映しておりました。それを見ながら、はたして関電としてどういう手がうてるかつらつら考えて見ますに、安易に行くなら全社員P2P禁止、しか無いような気がいたします。社用PCはもちろん、個人用でも、USBメモリやCDRWなどで仕事用とデータを共有するようなら断じて御法度、発覚したら最低でも減給、万一それで社に損害を与えたりしたらクビ、位の社則を作って、全社員に徹底する位はやらないと、根絶は難しいでしょうね。でも、もしそんなことをしても、これでは結局その場しのぎに過ぎず、いずれまた違う形で似たような事件が起こるだけになるかも知れません。そもそもあれだけ情報が出回っているような、そして対処もそう恐ろしく難しいわけでもないウィルスに引っかかってしまうような社員がいては、ネット上の色々な危ないトラップに引っかかり、もっと対処の難しい甚大な被害を出しかねないかも知れません。第一、確か今の著作権法では、P2Pで著作権ファイルをアップロードするのは違法ですけど、ダウンロードするだけなら違法性を問えなかったと記憶しております。それが正しいなら、そういった社則その物が個人の自由裁量に著しい制約を科すことになるわけで、それ自体違法と取られるかも知れません。
 もちろん関電がそういう「臭いものに蓋」式の対処法を取るかどうかは判りませんし、そもそも関電だって光通信でNTT西日本としのぎを削っている通信業者を子会社に持つ身の上、即ち、今日のP2P隆盛を支えた張本人の一人ですので、そう言う立場の方々がはたしてどういう対策を講じるのか、非常に興味がありますし、マスコミには是非続けて追いかけてもらいたいものですが、多分素人考えでは、もっと社全体のネットワークやPCのセキュリティをしっかり固めて置くことと、地道に社員教育してPCの危険性や安全対策についてみっちり仕込むしか安全対策は無いように思えます。仕事用PCで何の躊躇いもなくP2Pに興じるような愚か者を根絶することこそ、社としても大事なことなのではないでしょうか。経産省もテレビ局をお膳立てした部屋に社長呼びつけて厳重注意するパフォーマンスを演じる暇があったら、総務省などとしっかり協議して、本気で対策を練るべきでしょう。でないといずれそのうち、霞ヶ関発のPC関連事件が、世情をにぎわすようになるかも知れませんしね。

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ES細胞疑惑、やっぱり願望では事実を生み出すことが出来ませんでした。

2005-12-26 22:46:23 | Weblog
 面白い、と読みふけっている本は、今日読み終わるつもりでしたけど、読み切れませんでした。何せお風呂で半身浴している間だけ読書しているもので、このまま一気に読み切ろうと思っても、のぼせてきたり家族の者が早く空けろと催促したりでなかなか思うようにならないのです。うーん、残りページ数から読み切るのは余裕だと踏んでいたのですが、文章の密度が高いというか、それも文字数とかではなくて、中身の濃さがにじみ出ているというか、それでいて飽きや疲れが来ない、即ち面白いというのが素晴らしい。まあ、明日か明後日にはこの日記に感想を認めることが出来るはずなので、楽しみは後に取っておきましょう。

 さて、とうとう韓国のES細胞捏造疑惑も、全ての細胞がES細胞でなかった、と言うことで決着が付いたみたいですね。これだけは本物だったのかも、と淡い期待を持っていた最後の2株のDNA鑑定も、まことにもって残念な結果を出してくれたようです。こうなると、そもそもこの元英雄の博士は、どこまで本当の仕事をしていたのか、という疑惑が生まれてきます。ひょっとするとその前の成果であるクローン動物も、噂通り偽物だったのか、とか、更にその前の研究成果も、信用できるのか、とか。この人をソウル大の教授にまで祭り上げ、国家予算を傾けて入れ込んだ政府や、それを全面的に支持して応援したマスコミ、そして国民は、何故そんなことになってしまったのか、真剣に考えるべきでしょう。ただ単に稀代の詐欺師にしてやられたのだと考えているとしたらそれは大きな間違いで、一人の哀れな虚言癖の男に、渇望する英雄偶像の仮面を貼り付けて、今日の今日まで脱ぐことを許さずにいたのだという事実こそ、検証されるべきでしょう。
 私はこの一連の話を垣間見て、大東亜戦争の台湾沖航空戦の顛末を思い起こしました。この作戦は、昭和19年10月、劣勢著しい日本海軍が態勢挽回をかけ、夜に艦隊攻撃できるよう特殊訓練を施した虎の子の選りすぐり航空兵力を駆使して、アメリカの機動部隊に一大攻勢をかけた乾坤一擲の作戦でした。その期待通り当初報告された戦果はアメリカ航空母艦11隻撃沈、8隻撃破、戦艦2隻撃沈、2隻撃破という真珠湾攻撃をはるかに凌ぐもので、国民を上げて久々の大戦果にわき返ったと言うことです。しかし、実際には撃沈した敵艦はなし。逆に300機あまりの航空機を失い、航空兵力をすり潰してしまった日本海軍は、航空機の支援のないままレイテへ水上部隊を突撃させて文字通り壊滅、組織的抵抗力を失いました。そして、かの悪名高き神風特攻が行われてしまいます。それはさておき、この戦いでどうして誇大と言うにはあまりに酷い報告が成されたかというと、この攻撃を指揮した司令部が、全く光のない夜間、外れた爆弾が上げる閃光や対空放火の明かりを、自分達の爆弾や魚雷の命中によるものと錯覚した搭乗員達の報告を鵜呑みにして、ありもしない戦果を積み上げていったからでした。ここにあるのは、自分達が出しうるありったけの力を総動員して実施し、実際に大きな損害も受けた作戦が、相手に何の被害も与えていないはずがない、と言う何ら根拠もない願望のみで、本当に爆弾の命中を確認したのか、攻撃で沈む船を見たのか、それが確かに空母や戦艦だったのか、を冷徹に問いつめて検証する姿勢はありませんでした。ただただ自分の願いを現実に塗り重ねて、それに縋るだけの思考停止状態だったのです。更に恥の上塗りには、海軍首脳部はそれが一大誤報だったことをすぐに知ったにも関わらず、それをメンツにこだわり陸軍側に通告しなかったために、フィリピンなどで死ななくてもいい10万もの戦死者を生み出してしまった事でした。
 英雄願望から博士を祭り上げた韓国の民と、態勢を挽回したかったばかりにありもしない戦果の幻に酔った日本海軍。このように、見事な相似形があるように私には見えるのですが、今回韓国がわずかに救われるのは、隠すゆとりもなく、全世界にその事件をさらけ出すことになってしまった事でしょう。少なくとも、それ以上大きな被害を及ぼす危険はこれで去ったのですから。
 ここで願わくば、単にこの研究者を断罪するだけで満足したり、あるいは責任転嫁などに興じることなく、どうしてこんな事になってしまったのか真摯に自分自身の問題として事態を見つめ直し、思いこみや感情よりも事実と理性を重んじる、真の科学立国を目指す国になってもらいたいと言うことです。旧日本軍の愚行をなぞることの無いようにと、隣国の民としてその事を切に願います。

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神仏を畏れ敬う心はまだ滅びていないとは思うのですが・・・

2005-12-25 23:17:57 | Weblog
 どうもこのところ休みになると生活が輪をかけて怠惰になって、昼近くまで寝てしまうぐうたらぶりになってしまい、ちょっと難儀なことだな、と頭を抱えております。なら早く起きろよ、と自分を叱咤したいのですが、寒い中、暖かい布団の中の心地よさは得も言われぬものがありますし、ぐずぐずしているうちに思ったよりもずっと時間が過ぎていて、8時過ぎ?と顔を上げてみれば、時計は無情にも11時を回っている事実を厳然と突きつけてくれたりします。こうして時間を無駄にすること自体はまあしょうがないな、という感じなのですが、眠りすぎると頭痛がしたり、食生活が不規則化して食欲が落ちたりと健康面ではあんまりよろしくない状況に陥ります。睡眠時間と死亡率の関係でも、眠りすぎは明らかにマイナス要因になって寿命を縮めるみたいですし、気持ちの上ではしっかり早起きして活動したい所なのですが、今一歩の気合いが足りないみたいです。やはり冬コミに行かない、と言うのが良くないのかも知れませんね。でもそれではただのコミケ中毒でしかなかったりするところが困りものですが。
 
 そう言う一日なのであんまり日記にするような話題もないのです。今かなり面白い本を読んでいるのでこの感想を書きたくてうずうずしていますけど、まだ読み終わってないので書くわけには行きませんし。そう思いながら新聞を繰っていましたら、地方版に掲載された今年の県内ニュース回顧、という囲み記事に目が止まりました。今年の正月に一万円の偽札を使った事件で逮捕者が出ているのですが、その犯人が使った場所というのが、関西各地の寺社だというのです。はて、そんな事件あったっけ? と思いつつ読んでみましたが、住吉大社や春日大社で使用したという事件が確かにあったそうです。何に使ったのかまでは記事には書いておりませんが、もしそれがお賽銭だったりしたのなら、一体何を願って投じたのだろう、と、その漫画的構図に苦笑いを禁じ得ません。そう言えば屋台で偽札が使われた、と言う事件があったような記憶もありますので、多分お賽銭などではないとは思いますが。いずれにしても、神仏に対して、あるいは神仏のお膝元で偽札を行使することに、この犯人は何の躊躇いも罪悪感も無かったのか、と言うことが、私には不思議です。いや、だからといってスーパーで使うのがいいというわけではないのですが、浄域で不正を働いたりして、罰が当たるかも、という不安は無いのか、というのが不思議の原因でした。こう書いてしまうと自分でも実に不合理で根拠のない迷信だと思うのですが、例えばゴミの不法投棄が頻発する場所に小さな鳥居を立てたら投棄が目に見えて減少した、というような話を聞いたりいたしますと、まだまだ日本人はそう言う神仏に対する畏れを心の奥底から捨て去っていないんだと思います。私はこういう心のありようを大切にしたいですし、戦後教育が合理性一点張りで神仏への畏れや敬いを迷信として片付けることに、大きな抵抗を覚えます。この犯人は神罰てきめんと言うことなのか、すぐ逮捕されて実刑判決をくらっているようです。人の心とは不合理なもので、それを道理に沿わせるために、かつては八百万の神々や仏がその倫理面を担保してきたのがこの国の歴史の一面だったのだと思います。それをないがしろにして、といって欧米で倫理を担保しているキリスト教のような一神教に宗旨替えするわけでもなくただ表層の合理性だけを迎え入れてしまったつけが、こういう「罰当たり」な事件に現れてしまっているのではないのでしょうか? 日本人が想ってきた「正しさ」のあり方を、改めて問い直す必要があるように思いました。

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潔しこの夜、韓国の科学界は立ち直ることが出来るでしょうか?

2005-12-24 23:22:26 | Weblog
 本当は表紙にしようと思っていたのですが、到底間に合わないのでかなりおおざっぱに仕上げてとにかく「今日」に間に合わせようと、ブログに上げてみることにしました。次は年賀用CGですが、はたして間に合いますでしょうか?(笑)
 
 さて、韓国のES細胞疑惑は、とうとう渦中の博士が白旗を揚げて終わりと言うことになりそうです。成功の報を聞いたときは、バラ色の未来が見えた気が確かにいたしましたので、正直言ってこの結末は大変残念です。この研究成果をベースに、世界中で次の研究計画が組み立てられていただけに、この捏造問題がES細胞を巡る世界の研究その物を中断させ、再検証と研究計画の練り直しを余儀なくさせてしまう事になったのです。それが一体何年分のロスになるかは判りませんけど、最終的に我々一般市民にその成果の波及効果が得られるようになるのは、10年単位で遅れるかも知れません。
 それにしても、どうしていずればれるに違いない捏造をしてしまったのでしょう? ご本人の供述を聞かねば判らないことではありますが、一つ可能性として、我々日本人も含めて韓国、中国にも多分共通すると思われる性格的特性があげられるかもしれません。即ち、「失敗」に対する不寛容です。日常的に失敗というのは我々の周囲に当たり前に存在します。交通事故などの様に人が怪我をしたり死んだりするような大きなものもあれば、もっと身近に小さな失敗というのは結構頻繁に起こっていることでしょう。いわば人間は失敗するように出来ている生き物であるとも言えると思いますが、個人レベルの物ならともかく、社会的に影響のある失敗をやらかしたとき、しばしば我々はその失敗した個人の責任を責め立てて、話を終わりにし勝ちです。交通事故などまさにその典型で、不注意、義務違反、過失などと、とにかく事故を起こした運転手を責め立てる事に終始します。でも、個人が責任を負える範疇で注意をしても避けられない事故や、個人の注意力を損なうような様々な状況、現象が複合的に作用して生じる事故だってあります。でも、そう言う点が焦点になることは希ではないでしょうか? 
 このように失敗を個人の問題に収斂させると、結局失敗するのはお前が悪いからだ、となってしまうでしょう。
 この博士も、本人が今もまだ主張するように、ひょっとしたら幾つかの成功は手にしていたのかも知れません。でも、それ以上に多くの失敗をしてしまっていたのかもしれません。本来研究というものは思いもよらない事象の前に失敗を重ねて真相に迫ると言うところがあります。時にはそんな中から素晴らしい成果がくみ出せたりもする事があります。だから失敗もまた貴重な体験なのですが、国家の英雄として、経済的にも社会的にも祭り上げられてしまった結果、この博士は謙虚に自分の失敗を明らかにすることが出来なくなったのではないでしょうか? いずれにしてもこの事件の顛末は、当の博士一人の問題ではなく、捏造を見抜けなかった科学界や、最初の疑念が生じたとき、熱狂的にその声を圧殺した政府やマスコミと言った構造的な問題も含めて、韓国という国が世界に伍して立てるかどうかを占う試金石ともなることでしょう。せっかくの研究の灯を消してしまわないよう、科学の発展のために祈りたいものです。

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しょせん病気と特効薬はイタチゴッコの関係にならざるを得ないのでしょうね。

2005-12-23 21:49:19 | Weblog
 高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)に感染して死亡した13歳と18歳のベトナム人の女の子2人から、抗ウイルス薬タミフルへの耐性を持つウイルスが検出されたそうです。耐性ウイルスによる死亡はこれが初めてとみられるとか。いずれもタミフルによる治療を受けた甲斐もなく、それぞれ発症8日目と20日目に亡くなったとのことです。現在、我が国をはじめ、世界中でインフルエンザの流行に備えて増産と備蓄が進められていますが、薬剤耐性ウィルスの出現によって、その努力の成果がかなり減殺されてしまう懸念があります。もっとも実験室段階では既に耐性ウィルスが存在していたそうですから、いずれ現れるというのは専門家の間では予測されていたのでしょう。
 ところでタミフルとは一体どう言うもので、どうインフルエンザに効くのか、また、どうして効かなくなったのか、正直何も知りませんでしたので、良い機会と少し調べてみました。タミフルと言うのは日本の製薬会社が使っている商品名で、正しくはオセルタミビルと言うんだそうです。中華料理で使う香辛料「八角」に含まれている成分で、1996年にアメリカで開発、日本には2001年に保険適用となり、今では全世界の7割に当たる量を、日本一国で消費しているんだとか。その能力は、インフルエンザウィルスの増殖を阻害すると言うもの。インフルエンザに限らず、ウィルスというのは、自分達だけで増える能力がありません。彼らは自分の遺伝子を、他の生物の遺伝子コピー機能を使って、増やして行きます。古典的な生物の定義の一つに自己増殖能というのがありますが、その定義からすると、ウィルスは生物とは言えないわけです。
 インフルエンザウィルスの場合、その大事な遺伝情報をタンパク質の膜の中にしまい込み、その膜の外側に、赤血球と結びつくための手や、そこから離れて他に行くための装置をちょうどウニの刺のようにまとっています。その手の役割をするのがヘマグルチニン、離れるための装置がノイラミニダーゼと言い、よくインフルエンザウィルスをH1N5型とか言うのは、それぞれの単語の頭文字を取って、型分けしていると言うことです。Hの型は現在15種類、Nの型は9種類知られており、人、豚、馬などでそれぞれ感染する型が一部重なっておりますが、一応別々にあるみたいです。その中で特に鳥インフルエンザが話題になるのは、鳥はこの全ての型に感染するという性質を持つためで、鳥ー人感染というのも型次第で確かに起こり、それが渡り鳥などで世界的に広がったりするからです。
 タミフルは、この離れるための装置であるノイラミニダーゼという名前の酵素の働きを阻害し、増えたインフルエンザが他に移動するのを妨げる能力があります。他の細胞を見つけてくっつかないと次世代が生み出せませんので、後は体の防御機構がそうして増殖出来なくなったウィルスを駆逐してしまえば、病気が重くなる前にやっつけることが出来る、と言うわけです。
 ・・・と、このあたりまではちょっとぐぐれば判るのですが、ではどういう機構でインフルエンザはタミフル耐性を獲得したのか、は判りませんでした。酵素というのはよく鍵と鍵穴の関係にたとえられたりしますが、ようは一対一の関係で化学反応を促すことで仕事をするものです。ですから世の中には色々な種類の酵素があり、人の体の中でも様々に活躍しているのですが、その酵素を阻害するはずの薬剤が阻害できなくなったと言うことは、酵素その物が変容して、薬剤に反応しなくなったのか、あるいはその薬剤が酵素に届くのをブロックするような新たな楯みたいな物をウィルスが作ったのか、ひょっとして体に投入されたタミフルを迎撃し、ウィルスまで届かなくするような物質を生み出すなんていうような力を身につけたのか、いずれ調べているうちに判るだろうとは思いますが、いずれにしてもこちらが使いすぎれば相手も生き残りをかけて進化して行くはずですので、少しでも長く効果を保てるように、特に体力のある大人などには薬の使用を控えさせるとか、厚生労働省は指導した方がいいんじゃないか、と思いました。もちろんそれくらいで耐性ウィルスの出現確率を下げることが出来るなら、という前提ですが。

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赤ワインが体に良いというのは本当なんでしょうか?

2005-12-22 21:15:39 | Weblog
 運良くこれまで冬将軍の到来を免れてきた我が大和の国も、とうとうその冷たい刃に斬りつけられてしまいました。昨日の夜はまだ雨だったのですが、それがかえってよくなかったのか、今日は朝から見事に氷の道状態。その上吹雪くように降る雪が一日中引きも切らず、凍てついたアスファルトに積み上がっていきます。融雪剤も巻いてすぐは効いているみたいですが、程なく溶けて流れるとかえって道を凍り付かせる始末。気温も氷点下を下回ったままの帰り道、チェーンを巻いたはずのリアタイヤが、ちょっと急目の下り坂で軽く左右にダンスのステップを踏んだときは、さすがに肝を冷やしました。何とか無事帰り着きましたが、ああいう経験はあんまりしたくないものです。
 
 ネットニュースに、ポリフェノール量3倍のワイン醸造に成功した、という山梨大学とメーカーの共同研究成果が報道されていました。ポリフェノールは高い抗酸化活性を持ち、巷ではやりの健康機能性成分の一つです。そもそもポリフェノールに注目が集まったのは、大酒呑みのフランス人が他の人種に比べて有意に心臓疾患などの病気が少なく、その原因がポリフェノールを多量に含む赤ワインを飲んでいるせいだ、といういわゆる「フレンチパラドックス」から始まったもの。もう随分昔の話ですが、以来ブルーベリーのアントシアニン、大豆のイソフラボン、お茶のカテキン、等々と、様々なポリフェノールがマスコミで報道され、健康食品として認知されて今に至っております。実際の所、本当に人間の体で言われているような機能が有効に働くのか、副作用はないのかなどはまだ研究途上なのですが、もともと食品に含まれる成分として日常的に摂取されていることもあり、食品業界では割とラフに取り扱われている節があります。このポリフェノール3倍増ワインにしても、わざわざブドウの実に紫外線を当て(紫外線を当てると、その強力な活性酸素生成に対抗するためか、ポリフェノール含量が増えるみたいです)、黒紫な果皮からポリフェノールの抽出を促すため、高温で発酵させる(ポリフェノールは水溶性の物質で、温度が高い方が溶けてきやすいのでしょう)など色々工夫されたみたいですが、はたしてお味はどんな物なのでしょう。
 私は赤ワインは渋いので好きではないのですが、あの渋味こそがポリフェノール。この高機能性ワインが渋味も3倍増だったらちょっとイヤだな、と思ってしまいました。それにしても、幾らフレンチパラドックスと言っても、お酒を飲むだけのことに健康機能性を気にする人がいるんでしょうか? 寧ろそれを口実に飲み過ぎる人が増えて、かえって体をこわしたりしないか、と言う方が、どちらかというと私には心配です。

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くじが当たる夢を見ましたが、吉凶とは関係ないようで・・・。

2005-12-21 21:27:05 | 夢、易占
 今朝の夢は、最近珍しいリアルな夢でした。私はどこぞの商店街の福引き会場にいます。紅白の幔幕が囲む仮設テントの会場で、ハッピを着た役員さんが景気良く呼び込みをする中、私は例のガラガラを回して、なんと2等を引き当てました。「おめでとうございます!」と言う声と共に渡された景品というのが、年末ジャンボ宝くじ60枚と、旅行券6万円分、という物でした。私は夢の中で、これで手持ちの宝くじは100枚になるな、少しは当たるだろうか? と思いつつ、むしろ旅行券の方にうれしさを覚えておりました。これで東京に行ける、と。目が覚めてからしばらくは、自分の手の中にその両方の戦利品がないことに、しばし奇妙な喪失感を覚えておりました。まあその前の夜にガラガラ(これ、正式名称は何て言うんでしょう?)で福引きしているシーンをテレビで見てましたし、そのシーンが夢に出るのも不思議ではありません。宝くじも既にしっかり購入しており、夢の中でその記憶がちゃんと踏襲されております。ただ、私が買ったのは30枚なので、60枚もらっても合計100枚にはならないはずなのですが、そこは夢の中ということで、一応納得しております。それにしても、どうして60枚、とか6万円、とか、こうも中途半端な数字なのか、ちょっと不思議です。
 ところで早速夢占いの記述を見ると、くじが当たる夢を見るのは、そう言う願望があるから、と、神秘性のかけらもない身も蓋もない記述でした。確かに宝くじには是非当たって欲しいと思っておりますが、せめて占いくらい「これは幸運の予兆」位に書いてくれていたら、しばらくはいい気持ちでいられるのにな、と思います。それで外れても、所詮は夢のこと、と笑っていられるでしょうし。まあ悪夢・凶夢でないだけましだったと自分を慰めておきましょう。

 今夜からまた大雪の懸念が高まっているとか。明日が休みならぬくぬくの布団に丸まってのんべんだらりと過ごしていれば良いんですが、仕事ですからそうもいきません。朝起きて真っ白だっりしたら本当に困りものです。

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超高齢化と人口減少、もう蓬莱島を目指すしかない?

2005-12-20 23:29:14 | Weblog
 もう毎日厳寒なので、寒い寒いというのが当たり前で珍しくなくなってしまいましたが、今日は改めて寒さを再確認しました。通勤途上見かけるため池の表面に、うっすら氷が張っているではありませんか。それまでは強烈な北西風に波立っており、その少し前は白く蒸気をたなびかせていたのに、池の水はすっかり中心まで冷え切ってしまったのですね。この調子だと、年が明ける頃には上を歩けるようになったりするのかも知れません。
 
 さて、2005年の人口動態統計の推計値で、遂に出生数が死亡数を下回る人口減状態に入ったことが確実になったようです。予測では2007年からと思われていたのが2年早まったわけで、いずれくることとは言え、さすがに夕刊の一面を飾るだけの衝撃があります。人は城、人は石垣、人は堀、などという言葉が象徴するごとく、国力の基は人にあります。その人がこれからはどんどん減っていってしまうというのですから大変です。しかも年寄りが減って若者ばかりになると言うならまだしも、若者が減って年寄りばかりになってしまうのですから、もうその行く末の暗澹たることといったら、想像するだに恐ろしいものがあります。労働力を提供し、税金や社会保障を負担する層が減少するわけですから、遠からず日本は世界第2位の経済大国の地位を滑り落ちざるを得ないでしょう。政府や自治体が途方もない借金を抱えて何の保障も出すことができなくなり、国民はただ体だけが言うことをきかなくなっていくのでしょうか? そして、あちこちに食事も満足にとれないまま行き倒れていく老人の屍が山となる日が来るのでしょうか? 
 これを克服するには、産まれてくる子供の数を増やすしか無いのでしょうけど、残念ながら結婚・子育ての重要性を何ら教育してこなかったつけが積み重なって、容易に増やすことなど出来そうにありません。となると、もう老人達が自らの手で未来を切り開くしかないようにも思えます。即ち、抗老化に関する研究やサイボーグ化の研究を一段と押し進め、人間の寿命を飛躍的に伸ばして、衰えた能力は機械でカバー、豊かな経験と知恵を活かした。老人の老人による老人のための国を築き上げる事を、今から優先的に考えてみるのはどうでしょう。80才が「若造」と言われるような国になれば、うまくいけば世界一老齢化スピードの速い我が国は、未だどの国も経験したことのない、「己の欲するところに従えどものりを超えない」叡智溢れる一億総仙人国家を築き上げる事が出来るかも知れません。ひねくれたこすっからいジジババばかりが蔓延する世界になるかも知れませんが・・・。

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小銭入れを無くしてしまいました。

2005-12-19 21:15:49 | 夢、易占
我が住まい周辺は幸いにしてほとんど雪らしい雪を見ませんでしたから、これは気象庁も大げさなことをのたもうたものかな、と気楽に思っておりましたところ、名古屋市では22センチもの積雪だったとかで、他にも広島などあちこちで12月としては過去最大級の雪を観測したんだとか。たまたま我が大和の国は襲い来る雪雲から運良く逃れていたと言う訳ですね。うちのような田舎は名古屋並に降れば多分20センチくらいでは済まなかったんじゃないかと想像いたしますが、この調子だとそのうちどかっと降って交通が完全に麻痺するような時が来るかも知れません。それが冬コミの時分、東京周辺とならないよう、心よりお祈り申し上げます。

 さて、この間から愛用の小銭入れが見あたらなくなっておりまして、大体小銭で1500円くらいは入っていると思うのですが、いつから見えなくなったのか、というのが実はもう一つ記憶に残っていないと言う困った状態なのです。私は粗忽者というかうっかりさんというか、手にしたものを手近なところにポン、とおいて放置する悪い癖がありまして、いつも読みかけの本やらメモリスティックやらを無くして、探し回っております。置いたところを記憶していれば良いんですが、大体本当に何気なく、ほんの一時のつもりで無意識に置いてしまうので、どうしても置いた場所が思い出せなくて弱るのです。大体置くところと言うのは決まっているのですが、それでも時折思いもよらないところに放置してあったりするので、探すのに難儀いたします。今回の小銭入れもその類のものです。こういう風に、杳としてその姿を失ったときは、まずあちこちがむしゃらに探し回るのですが、それでも見つからないときは、最後の手段で易の卦を立てます。ただ、私は何度かこれまでにも書いておりますが、霊感のような超感覚に類するものは極めて乏しいので、一発でズバリ紛失物の在処を的中させるような名人上手の技を持っているわけではありません。「ジョジョの奇妙な冒険」というコミックスに、相手の心をイエスかノーで読みとることができるという超能力が出てきましたけど、私の易占はちょうどそれに似ています。例えばまず紛失物がかえってくるかどうかで卦を立てます。この時、見込みがない卦が出れば、すっぱりそこで諦めます。まんざらでもない卦が出て希望がもてそうだったら、次は家の中にあるか、職場にあるのかなど、大まかに想定される場所を幾つか上げながら、更に卦を立てていきます。そこで家の方がありそうだとなったら、家のどこにあるのか一部屋一部屋問い、更に上の方か下の方か、廊下側か壁側か、テレビの側か、東西南北のどっちの方か、とかいう風に、少しずつ網を絞っていきます。そうして大体絞れたところで、おもむろに捜索に向かい、想定される場所を徹底的に探すのです。経験上、大抵それで発見できることが多いと私は認識しています。この間は取り込んだ洗濯物の山に埋まって部屋の隅に隠れてしまっていた本を探し出しましたし、過去には無くしてはいけない鍵の在処をひねり出したこともあります。100%的中するわけで無し、場所を正確に当てられるわけでもないのですが、そうして導き出した場所にその無くしものがあったりすると、本当に不思議な気分になります。私が自分の物を自分で置いて忘れたものなので、共時性という考えからすれば、私とその物とは何らかのつながりを保持していると言うことなのかも知れません。でも、私がやっているのはただ手の中で振り回した8面体サイコロ2個と6面体サイコロ1個を机の上で転がしているだけなので、どうしてそれで現れる3つの数字でそんなつながりをあぶり出すことが出来るのか、そもそもそのつながりとは物理的にはどう定義付けできるのか、まるで判らないので、今のところ、本当に不思議だとしか言えないのです。自己暗示とか錯覚ならそれはそれで構わないのですが、生じている現象はどうもそう言う概念では捉えきれない様でもあります。
 もし今後も科学的に解明しようとするヒトが現れないようなら、将来年を取って暇になったところで、是非自ら研究してみたいと思っております。そのころにはもう少し手慣れて、街頭で客が取れるくらいの腕前になっていれば、自ら確実な実験を重ねる事が出来るので、今から楽しみでもあります。
 ちなみに今回の小銭入れは、ほぼ100%職場に置き忘れている、と出ました。更にもう少し絞り込みをかけて、明日早速探してみるつもりです。
 
 
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この幼稚な高校生が、今の教育水準とは思いたくありませんが・・・

2005-12-18 21:45:26 | Weblog
 栃木県の小学1年生殺害事件の後、ネットの大型掲示板に、次回の事件予告を書いた高校1年生が逮捕されたとのこと。「世間を騒がせてやろうと思った」「面白半分でやった」という実に幼い動機。確かに見事世間を騒がせることが出来たので、目的達成という点では100点満点なんでしょうけど、威力業務妨害容疑で逮捕というきついお灸で幕を閉じましたので、その収支決算が黒か赤かは本人のみが知るところでしょう。ひょっとしたらこの経験を糧に本でも書いて成功したりしたら、長い目で見たらこの愚行は最終的に黒字になるかも知れませんしね。
 ところでどうしてそんな幼稚なことをしたのか、という「犯人」の精神面の問題もさることながら、世間を騒がせたいと言う割には杜撰な自分の身元に対するセキュリティー不足の方も、首を傾げたくなる事件でした。携帯電話から書き込みしたそうですが、逮捕までの速さから見て、まず間違いなく、闇市場で入手したプリペイド携帯、とかではなく、日頃自分が使っている、ちゃんと通信会社と契約した携帯でやったんでしょう。そんな事では人物が簡単に特定されると言う点について全く考えつかなかったのでしょうか? あるいは、冗談のつもりだったから、それが逮捕される事件になるかも知れないとはまるで考えなかったのかも知れませんが、ネット掲示板では、書き込み内容によっては警察が捜査したり、あるいは逮捕される場合があるという事は、既に知られていることでしょう。ましてや掲示板の常連なら、その手の逮捕スレに目を通さなかったはずはない、と思うのです。
 こう疑問ばかりが募るのは、あまりにも内容が馬鹿馬鹿しくて正直一体犯人の頭の中はどうなっているのか、と逆に大きな興味をそそられたからなのです。この一人の高校1年生が特殊なのか、あるいは一般的にこの年代の少年達に、こんなどうしようもない幼稚さがはびこっているのか、と言う点も非常に気になるところです。
 世間では、「ボット」と呼ばれる難儀な悪質ソフトが出回り、かなりの台数が感染して、PCが誰かに乗っ取られて悪事に利用されているらしいですが、もし世間がセキュリティー意識ゼロのこの少年のようなヒトばかりだったとしたら、その蔓延も頷ける気がします。
 私は、自動車というのが、安全対策、と言う極めて重要な要素の研究を疎かにしたまま発展してしまったが故に、年間1万人近くも人の命を奪う凶器になってしまった悲惨で愚かな道具の一例だと考えておりますが、PCのネット社会は、免許制度も交通法規に類するものもないまま、ただ便利さのみを追求してはるかに大規模かつ急速に日常生活に浸潤しております。もちろん車に於ける免許制度や交通法規などが安全確保に対してどれほど役に立っているかというと、実はそれほど大して役に立っていないのではないかとは思っていたりもするのですが、それでも無いよりはまし、と言うのは間違いないと思います。一方、PCが物理的に人を殺傷することはまずほとんどありえないでしょうけど、社会その物を混乱に陥れる威力は、十分にあると思われます。その結果として、あるいは人命が損なわれたりすることが無いとも限りません。車の運転は、少なくとも教習所で一定レベルまで達するよう、その技術や心得を叩き込まれるのです。今回の少年の例を見る限り、そろそろ本気で、PCや携帯を含むネット利用についても、初心者に対する強制的な教育を考えるべき時代になっているのではないかと思います。そうなったらそうなったで、法の網の目を潜り抜けることに長けた連中が増えるのも困るかもしれませんが。

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本当に実在したのかどうか、白黒はっきりして欲しい。

2005-12-17 23:33:34 | Weblog
 麗夢20周年板での議論が白熱して、大変面白くなって参りました。共同作業というのは、やはりこうでないといけないと思うのです。単なる喧嘩や中傷は論外ですが、皆言いたいことは胸にしまっておかずにがんがん意見を述べあいたいもの。私のような声のでかい、もとい、多量の文字を書き込む輩が場を圧していてはいけませんでした。今回はそのあたりを少々反省させられた次第。皆、思いはそれぞれでしょうけど、私はこの企画が回り回ってまだ見ぬ新作に何らかの影響を及ぼしうるものに育ってくれたら、と大胆な夢を抱いております。手元にある宝くじが当たったら、新作製作資金を提供するスポンサーになることで、その夢も一気に現実味を帯びるのですけどね。その時はエンドクレジットに是非仲間である皆さんの名前を刻みつけたいものです。

 さて、昨日も話題にしたソウル大のES細胞研究成果ねつ造疑惑、今日はその研究チームメンバーの若い研究員が、論文に付した写真の捏造を告白してました。証言の信憑性は判りかねますが、これで一気に渦中の教授は窮地に立たされることになるかも知れません。 この研究員が言うには、作成したES細胞は6株で、うち4株が汚染で使い物にならなくなり、のこる2株を撮影、11株あるかのごとく装った、とのことです。つまり、論文にあるごとく11株は虚偽だったとしても、その言を信じるなら、一応2株は実在していたことになります。それを前提とするならば、何故2株、ということで、発表しなかったの
かが疑問になります。確かに11株のES細胞と言うのは、その数が十分衝撃的な内容と言うことになるのでしょうが、2株だって立派な成績なんじゃないでしょうか? しかも、この研究員によれば、実際に8株が培養されているのを直接見ており、ソウル大でのES細胞培養成功は疑いない、と言っております。ES細胞の培養自体が大したものなのですから、正直にそう書いていればその細胞の存在自体を疑われるような、こんな大変なスキャンダルにはならなかったはずなのです。ES細胞は将来の人類に計り知れない利益をもたらしうる可能性を秘めた研究対象なのですから、こんなことで研究その物がとん挫するようなことがないようにして欲しいです。

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