かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

13.麗しき、夢

2008-03-15 23:03:29 | 麗夢小説『麗しき、夢』


 峠の険峻は行き同様に榊一行を苦しめたが、晴天にまだ星のきらめきが残るうちから動き出した精鋭の前では、その背を灼いてへたりこませようとした太陽も、敗北を認めざるを得なかった。頂上の涼風に生き返る心地したのがついこの間のことであったのに、今、榊等の間を吹き抜ける風は、汗ばんだ肌にやもすると寒気を憶えさせる質のものに変わりつつあった。
(もう秋だな)
 榊は、その風に故郷の田畑を思い浮かべた。
(帰ったら、さっそく稲刈りの準備を進めなくてはならぬ)
 榊は、故郷へと流れていく雲を眺めつつ、あれこれ思い出すようにこの数日の不思議な激闘を反芻した。結界、死者をよみがえらせる秘術、化け物を生んだ奇怪な遺産、そして夢守。榊はあの夜悪夢から自分を救ってくれたのは貴女だったのだな、と麗夢に礼を言ったが、今となってはそれ自体が夢のように思えないこともない。
 あれから麗夢は悲しさを忘れるためか、一段と積極的に結界を作るのに躍起になった。鬼童、円光も手を貸したが、榊としては特に何をするでもなく、てきぱき動く三人を黙って見ていただけである。それでも作業を終えた三人は、榊との別れを惜しみ、揃って榊の出立を見送った。最後に榊は、一同を見回して言葉をかけた。
「ではこれにて我らは鎌倉に帰るが、皆さんはこれからいかがなされる?」
 鎌倉まで同道なされるなら、歓迎するがとの榊の言葉に、円光と鬼童は目を合わせて麗夢を見た。麗夢は言った。
「私は、ここで智盛様の後生を弔い、再び悪夢が目覚めないように見守ることに致します」
 そうですか、と名残惜しげに榊が呟くと、私もこれでお別れです、と言いながら、鬼童が満を持した笑顔を浮かべて、一つの包みを差し出した。きょとん、として受け取った麗夢は、促す鬼童につられて包みを解いた。その中から現れたのは、二尺ばかりの大きさの、十二単もあでやかな一体の人形であった。
「これは・・・」
「夢見人形と名付けました。貴女の気を込めれば、未来永劫、智盛卿を見守る礎となりましょう」
 鬼童は少しばかり顔を赤らめながら、麗夢に言った。
「麗夢殿にそっくりだな。しかし、いつこれを?」
 鬼童のはにかみに新鮮な驚きを覚えながら、榊は問うた。
「ええ、暇を見て少しづつ。最も、こういう使い方をする予定ではなかったのですが・・・」
 では一体どういう積もりで、と円光は聞いてみたかったが、それよりも、良くあの忙しさの中で、あのように器用に、という驚きの方が大きかった。
「鬼童殿には随分驚かされ申したが、まさかそのような技までお持ちとは」
 改めて深々とおじぎをする麗夢と、かえって恐縮する鬼童を眺めながら、明らかに虚を突かれた円光は、ほろ苦い想いを感じずにはいられなかった。何か対抗できるものを用意したい。そんな円光の秘めた心は、やがて一つのものを形づくった。
「では拙僧は、結界の大岩に麗夢殿の姿を写し取ろう」
「御坊は、絵をお描きになるのか!」
 鬼童の驚きに少しばかり面目躍如した円光は、さりげない風に、まだ寺にいた頃、仏の姿を好んで写し取っていたことを鬼童に告げた。鬼童は、是非見たいものだと言い出して、先程の「お別れです」をあっさりと反古にした。その滑稽な物言いに皆は久しぶりに笑ったが、ひとしきり笑った榊は、名残惜しさを振り切って、では、お別れだと三人に告げた。
「麗夢さん、何かあったら鎌倉の私の元に知らせて下さるといい。出来る限りの助力をさせていただく故」
 対して麗夢は頭を垂れたが、ごめん、と立ち去ろうとする榊の足を留めて言った。
「皆さん、夢守の首を使わずに作った結界は、いずれ時古びれば自然と破れましょう。今からこの様なことを申し上げるのも気の早い話ですが、もしその時が来たら、また力をお貸し下さいね」
「勿論! いつでも、何処にいようとも意の一番にはせ参ずる!」
「私こそ、何を差し置いても参上つかまつる!」
 いや私が先だ、いや僭越ながら拙僧の方が早い、と延々続ける二人にあきれつつ、榊はそれはいつ頃のことかと問い返した。麗夢はしばし宙を見つめて考えていたが、やがて息を飲んで麗夢の言葉を待つ二人に、こう答えた。
「そうですね。およそ、八百年ほど後のことでしょうか?」
「八百年?!」
 榊はその時自分がどれほど目を丸くして驚いたかは棚に上げて、円光、鬼童が同時にして見せたそっくりな表情を一生忘れることはあるまいと、一人笑いを抑えるのに苦労した。だが、その八百年後の手助けには、自分も人数に入っているのである。
「八百年か・・・」
「え、何かおっしゃいましたか?」
 そばにいた佐々木源太が、榊の独り言を聞きとがめた。いやなんでもないと手を振った榊は、少し怪訝な顔をして向こうの郎党達の輪に去っていく若者の背を眺めながら、何故この男にはあの記憶がないのだろうかと不思議の思いが拭えなかった。佐々木だけではない。ここに集う百人ことごとくが、誰一人として夢隠しの郷で遭遇した不思議な出来事を全く記憶していないのである。彼等は炎天下、ほとんどいる可能性のない平智盛を捜して当てもなく山中をさまよったことしか憶えていなかった。八条大夫の運命など、無理と無茶を重ねた挙げ句の病死という記憶が刷り込まれているのである。勿論そこには、狂える探求者崇海のことも、美しい夢守、麗夢のことも、鬼童、円光のことすら欠落しているのだった。出立前にその事実に気づいた榊は、何人もの郎党を捕まえては執拗にその事実を問い正し、気味悪がられる代償に、自分が選ばれた一人であるということを、改めて認識することになった。
「八百年、か。」
 榊はもう一度口の中でその言葉をじっくりかみしめると、悩みを吹っ切るように一声高らかに宣下した。
「出立だ! 鎌倉に帰るぞ!」
 懐かしき、鎌倉の名に鼓舞されて、漲る闘志も溌剌と、百人の武士達が動き出す。それは、戦いに明け暮れる男達にとって、ごくありふれた日常の一景であった。


終わり
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12.夢守 その8

2008-03-15 23:02:54 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 智盛は瞑目してしばし沈黙を守ったが、涙に暮れる二つの瞳に、もう一度その目を開いて見せた。
「私のことよりも、そなたのことだ。封印の首が必要なら、この私の首を使うのだ。麗夢」
「ご、ご存じだったのですか? 封印のこと」
「肉体こそ悪夢に引きずられてままならぬ身だったが、そなたの話は皆聞いていたよ。力だけでなく、目も耳も、普段の何倍も鋭くなっていたようだ。そなたの話は、耳元で鐘を鳴らすようだった」
 麗夢は少し頬を赤らめたが、直ぐに思い詰めた顔に戻って智盛に言った。
「では、封印の首は、夢守のものでなければならないことも、ご存知の筈です」
「生きていた頃の私の首なら、確かに無理だったろう」
 智盛は、達観した穏やかさで麗夢に言った。
「だが、今の私は、まさに我が身体そのものが悪夢を入れる器と化している。反魂の術が、私に器としての力を授けたのであろう。このまま我が首をはね、そなたが結界を施して封じてくれれば、きっとうまくいくはずだ」
「でも・・・」
「お願いだ、麗夢」
 再び涙にかき曇る漆黒の瞳を見つめて、智盛は言った。
「この私に、一度でよい、そなたの役に立てる時を与えておくれ」
 智盛の言葉は、深く麗夢の心を貫いた。もう智盛の決意を翻意できないと悟ったが、それでも麗夢は動けなかった。一度はおのが身を呈してその命を助けた愛しい男である。既に一度、夢守の名の下に手をかけてしまったというのに、その後悔も覚めぬ間に、もう一度刃を手に取ることなど、今の麗夢にはそもそも無理な相談だった。智盛はそんな麗夢に深いため息をつくと、口調を改めて麗夢に迫った。
「よいか、麗夢。私はもう死んだのだ。心こそ妖術に囚われてここにこうして縛り付けられてはいるが、我が魂は既にこの世のものではない。私を哀れと思うなら、ゆっくり眠る時を与えてくれ。二度と私に、そなたが死ぬところを見せてくれるな!」
「私には、智盛様の死ぬところを見せてもよいとおっしゃるのですか!」
 笛を握る手の甲が青く筋立ち震え、激情が涙となって目から溢れた。理性の鎖はあっさりとその任を放棄して、麗夢の身体を智盛へと跳ね飛ばした。智盛もまた、押さえ込んでいた想いのたけを解き放った。二人は互いの身を確かめあうように固く抱き合い、相手の温もりを少しでも掴もうと唇を重ねた。榊も円光も、二人の運命を涙無しで見ることが出来なかった。その鎧と墨染めの衣の袖が濡れそぼつ隣で、鬼童もまた、滅多に見せたことのない涙を浮かべていた。
 いつしか東の空が朱に染まり、遠く一番鶏の時告げる声が山々にこだました。智盛は、このまま永遠にと願う想いを必死に断ち切り、麗夢の肩を両手で掴むと、静かに麗夢を引き起こした。
「もう行かねばならぬ。そろそろ悪夢が私の中で蠢動し始めたようだ。これ以上時を過ごせば、再び私は自分を失ってそなたを始め、相手がいなくなるまで殺戮の限りを尽くすだろう。お別れだ。麗夢」
 智盛は右手を懐に入れ、一本の笛を取り出した。
「もう一度、そなたの舞にあわせて吹いてみたかった・・・」
 智盛は名残惜しげに笛を握っていたが、やがて思い切ったようにそれをすっと麗夢に差し出した。
「これを形見に、我が後生を弔い賜え。私はこれより洞奥に至り、自ら首をはねる。そなたはもう一度洞窟ごと悪夢を封印するのだ。いいね」
 麗夢は智盛の愛笛を呆然として受け取ったが、立ち去ろうとする智盛の背中を見た途端、その手の形見を投げ捨てて智盛に飛びついた。
「お願い! もう一度だけ抱いてっ!」
 智盛は少し困った顔をしたが、それでも愛しい女の最後の望みをすげなくするような真似はしなかった。もう一度振り返った智盛は、しっかりと麗夢を抱きしめた。智盛は、そのまま麗夢の後ろで涙に暮れる三人の男に顔を向けた。
「榊殿とおっしゃったな。憎き源氏の旗を掲げているとはいえ天晴れな武者振りでした。我が首には万金の価値があるだろうし、出来れば貴方のような方にこそ我が首を差し上げたいところではあるが、かような次第、曲げて容赦願いたい」
 遥かに高位の四位少将が下げる頭に、榊は感激した。涙を拭って何度もうなずいた榊は、それが少しも惜しいとは思わなかった。確かに智盛の首は貴重である。鎌倉まで持参すれば、国一つ位では安いほどの価値がある。だが、相手は此方をもののふと認めた上で、頭を下げているのである。この意気に感じずして誰がもののふと名乗ることが出来ようか。余人は知らず、榊はそれを否定できるほど恥知らずではなかった。忝ないと改めて頭を下げた智盛は、残る二人にも声をかけた。
「あなた方は、余人にはない特別の力を持っておられるようだ。どうかこの麗夢を助けて、封印の成就 に力を貸していただきたい」
 円光鬼童も榊に習って頭を下げた。
「ではさらばだ。麗夢。いつかまた、浄土で会おうぞ!」
 智盛は三度麗夢を抱きしめると、はじけるように鍾乳洞に駆け込んだ。麗夢は呆然とその姿を見送るばかりであったが、やがて奥から我が名を叫ぶ愛する男の絶叫が届くと、崩れるようにその場に倒れ伏した。新たな涙がその場を満たし、生まれ変わった平穏な日々を約束するかの様に、朝日にきらめいて見せた。
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12.夢守 その7

2008-03-15 23:02:31 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 智盛は、叫び声とともに眉間に飛んできた気の塊を、自分に対する攻撃だと判断した。崇海にとって最後に訪れた悲劇は、智盛の巨大な足の裏に、ぼやけつつある視界が埋め尽くされるまで、智盛はまだ自分の術中にあると信じていたことにあっただろう。断末魔の悲鳴すら上げることなく崇海が全身の骨を砕き、全ての血液を土に染み込ませた時、智盛の注意は、完全に周囲から逸れていた。この絶好の機会を榊は逃さなかった。全身に刻まれた戦場の勘が、無意識に榊の指の力を抜いた。滑るように弦が榊の指から逃げ、限界まで引き絞られた弓が、その溜めた力の全てを一本の矢に託して跳ねた。
 チン!
 遥か遠くで、玉の砕ける小さな音が鳴った。と同時に智盛の背中で細かい砂をこぼすようなきらめくもやが月光に照りはえた。
「当たったか?!」
 榊は、半ば確信しながらも、そう口にせずにはいられなかった。一見見た目には何の変化のない構図。だがその中で、ただ一点だけ変化したことが、次第に榊へ歓喜の炎を燃え上がらせた。智盛の背に立つ脇差し、その白木で出来た柄の部分が消し飛んで、刀身の末を黒々と見せていたからである。それはまさしく矢が当たり、その先端の曲玉とともに、柄をも打ち砕いたからに相違なかった。そして智盛は、あれほど激しく野分のように吹き荒れた動きを停め、棒立ちになって立ちすくんだ。
(忝けのう存じます。皆さん)
 三人は直接耳元でささやかれたような感じがして、麗夢の姿を追った。麗夢は、智盛の前で一差し舞うように立ち回ると、右手に笛を握り、太刀のように振り上げて跳躍した。三人はまるで夢でも見ている気分だった。振り上げられた笛は忽ち光を発して三尺を越える長さに伸び、それを振りかざす少女は、神々しき紫の袖と薄絹の羽衣をなびかせながら、宙を飛んで一息に智盛の頭上へと舞ったのである。一回転して体を入れ替えた麗夢は、落ちる速さも加えて両手に構えた光の剣を、智盛の眉間に叩きつけた。
 かっ!
 稲光が智盛の頭ではじけた。麗夢は途端に力を失ったように体勢を崩し、木の葉が舞い散るようにゆっくりと地に落ちた。我に返った円光の身体が、考えるよりも速く麗夢に向かって走り出した。あっとばかりに榊、鬼童も円光の後を追う。円光は全力疾走のまま麗夢と地面の間に滑り込んだ。瓦礫の地面はしたたかに円光の背中をえぐったが、その甲斐あって麗夢の身体を傷つけることは出来なかった。思いの外に軽い、脱力した四肢を円光に預けた麗夢は、疲労困狽した目で円光を見つめた。
「また、助けていただきましたね。円光様」
「助けていただいたのは拙僧の方でござる!」
 円光は、背中の激痛もものともせず、麗夢を抱いたまま立ち上がった。その直ぐそばで、「化け物」智盛の自壊が始まっていた。円光は、榊、鬼童とともに麗夢を守りつつ、智盛から離れた。その直ぐそばに、智盛の巨大な鎧がほぐれるようにバラバラと落ちて、白銀の瓦礫を積み上げた。堪えかねるように片膝付いてしゃがみ込んだ智盛は、左肩から抜けるようにして腕が落ちたのを合図にどうと仰向けに倒れ伏した。円光に下してもらった麗夢は、その残骸の山と化した智盛によろけながらも近づいた。
「智盛様、お目を覚まして下さい。智盛様!」
 麗夢の声が何度かむなしく山にこだまし、音色に悲痛なものが混じり始めた頃、瓦礫の山の一角が突然崩れ、一本の手が突き出された。榊は反射的に腰の大刀に手をかけたが、麗夢は円光の手を振りきってその手に飛びついた。
「智盛様、しっかりして! 今お助けします!」
 円光も麗夢の後を追って瓦礫に取り付いた。二人の手に傷が隙間もないほどに増えた時、ようやく智盛の上半身が露になった。おそるおそる榊と鬼童も側により、円光の肩越しに智盛を見た。
 智盛は暫くそのまま動かずにいたが、何かを振り払うように二度三度頭を振ってゆっくりと目を開けた。
「おお、これは夢か? もう一度、そなたの顔を見ることが叶おうとは」
「智盛様!」
 智盛は時折顔をしかめながらも、表面は完全に平静を保った。円光と麗夢の気に一時的に押さえ込まれたとはいえ、悪夢は霧散したわけではない。今ももう一度智盛の肉体を乗っ取ろうと果敢に活動しているはずである。それに耐えて戦っている智盛の苦しさが、麗夢には痛いほど理解できた。
「智盛様、今楽にしてさしあげます」
 涙ながらに語る麗夢に、智盛は弱々しい微笑みを返した。
「麗夢、そなたには助けられてばかりだ。都で、八島で、そしてこの夢隠しの郷で。本当に済まぬと思う。だがこれ以上そなたに負担を強いるわけにはいかない」
「そんな、智盛様」
「いいや、麗夢、元はと言えば全てこの私の、平家再興という妄執が招いた罪なのだ。だがもののふの家に生まれ、戦場で生涯を送った私にはこの修羅道の他に選ぶ道が無かった。今更それから逃れたりすることは出来ぬ。こうして動いている限り、私はその罪から逃れることは出来ないのだ」
「でも、このままでは智盛様は救われず、再び鬼と化して未来永劫、苦しみ続けなければなりません」
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12.夢守 その6

2008-03-15 23:01:33 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 鬼童は懐から掌ほどの小さな石を取り出した。表面はつややかに磨かれており、微妙な曲線を描く涙滴のような形で全体に緩く弧を形作っている。鬼童は鏃の金突を折りとって捨て、驚く榊も構わずにその小石を矢の先端に縛り付けた。そして円光に改造した矢を渡し、先の小石に込められるだけ気を込めるように頼んだ。黙ってそれを受け取った円光は、その小石が秘めた力に一瞬はっと顔色を変えたが、黙ってうなずく鬼童に促されて一心に気を練り始めた。その様子を不思議そうに見ていた榊は、その石は何かと鬼童に聞いた。
「勾玉ですよ」
 鬼童はこともなげに榊に言った。勾玉? と更に首をひねった榊に、鬼童は少しだけその秘密を語った。
「勾玉というのは、天地ようやく開闢してまだ神と人が混じりあっていた上古、大和の大王が珍重した宝玉の一種です。勿論それ自体の美しさもさることながら、かつての大王はその石が秘めた力を利用し、大和の国の礎を築いたと言います。その力を少しだけ、借り受けようと言うわけです」
「結界を張った水晶球のようなものか?」
「使いようによっては遥かに強力ですよ。これで効果がなければ、我々には巨人化した智盛卿にかすり傷一つ付けることもかなわないでしょう。まさに、最後の頼みの綱です」
 鬼童が話す内にも円光は全身全霊を振り絞ってありったけの気をその石に練り込んだ。まさにへとへとになって大きく肩で息をしながら円光が矢を鬼童に返すと、鬼童はその矢を榊に手渡した。
「後にも先にもこの一矢が全てです。これを、確実にあの柄に射当てるのです。そうすれば円光殿の込めた気が勾玉からあの剣に流れ込み、智盛卿の傷を深く、大きく抉りましょう。それで何とかならなければおしまいですが、我々に出来る精いっぱいのところがこの矢です。ゆめゆめ、射損じめさるな」
 矢を受けた榊は、身体の芯から起こる震えを止めることが出来なかった。かつてこれほど緊張する役目を負わされたことがあっただろうか。矢はたった一本。対する目標は遥か彼方の小刀の柄。届かせるだけでも至難の業であるのに、その小さな的に必ず当てなければならないのだ。榊は、源平合戦の折りに那須与一が射抜いた扇などより、これは遥かに難しいことだと思った。が、今、自分に出来ることはこれしかない。これが出来なければ、自分を信用して気を使い果たした円光や、策を授けてくれた鬼童に対し、何の面目あって再び顔見せできるだろうか。榊は両手を広げ、自分の頬を左右からしたたかに張り付けた。改めて弓を手に取り、指ではじいて弓弦の強さを確かめる。これも榊の古くからの戦友だったが、日頃の手入れの甲斐もあってその強さには寸分の狂いもない。榊は必中の気合いも高く、鬼童に肩を貸してくれるよう頼むと、矢をつがえて遠く智盛の背に立つ柄に狙いを付けた。
 今、智盛は麗夢の舞に翻弄されて激しく剣を振り回している。榊はなかなか矢を放つ機会をつかむことが出来なかった。二度ほど、(今だ!)と思い定めたのも束の間、すんでの所で思いとどまった。瞬間智盛の身体は大きく動き、榊は失敗の重い二文字を背負い込まずにすんだのである。
「ええい、少しじっとしてられんのか! でかい図体のくせに!」
 榊は、次第に募るあせりもあって珍しく悪態をついた。が、確かにこのままでは成功はおぼつかない。息を整えた円光が、自分が行って何とか麗夢殿と一緒に智盛の動きを止めてみる、と言いだしたのも、そんな榊の苦悩がその顔に滲み出ていたからである。だが、円光決死の申し出は、その寸前で食い止められた。三人は忘れていたのである。この場に残る、もう一人の主役を。智盛に走り寄ろうとした円光も、一心に狙いを定める榊と鬼童も、突然湧いて出たかのようなその老人の登場に、今更ながらに驚いた。が、この驚きを当の本人が聞いたら、さぞその自尊心を傷つけて、憤ったことだろう。幸か不幸か、本人はそんな周囲に気を配っていられるほど、余裕も余力も持ち合わせていなかった。
「智盛、智盛ぃ」
 老人の声は蚊の鳴くほどな小ささだったが、老人としては今精一杯の声量である。
「智盛、その力を我に、この祟海によこせ。それは、わしのものじゃ。わしの、わしのものなのじゃ」
「祟海の奴、一体、何をするつもりだ?」
 榊は、まだ生きていたのか、と一人ごちたが、祟海がはうようにして智盛と麗夢の戦いの場に近寄ろうとするのを見て、何と無謀なと思わずにはいられなかった。健脚の円光にさえ、近寄るのは危険すぎると制止したばかりなのである。満足に歩くことさえかなわない祟海など、踏みつぶされるのがおちではないか。だが、あくまで智盛はまだ自分の支配下にあると信じて疑わなかった祟海は、榊程危機感を抱いていなかった。もっとも、抱こうにもそれだけの感覚を喪失し、執念だけで何とか前に進んでいるばかりなのである。
「さあ、返せ智盛。わしの言うことが聞けんのか。何をしておる、早く返さぬか!」
 祟海は、ほとんど残りかすですらない自分の気を限界まで引き出して練り上げた。
(智盛は、自分が気を失ったほんの少しの間、一時的に暴走しているに過ぎない。こうしてもう一度命令を直接打ち込めば、再び自分に盲目的に従うかわいい化け物に戻るはずじゃ)
 祟海は、もう本当に目が覚めているのかどうか、自分でも怪しくなる程に意識朦朧としていたが、これだけは何としてもの執念が、その状態からは信じられないほどの大きな気を集めさせた。
「さあ、返すんじゃ、智盛ぃっ!」
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12.夢守 その5

2008-03-15 22:57:40 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 立ち上がり、智盛に向かって歩き出した少女に榊は叫んだ。
「そんな、お待ちなさい! 他に、他に方法はないのですか!」
「あなたの首など使わないでくれ! しゃれこうべだろうが水晶だろうが、必要なものがあれば私が用意してくる!」
「首が必要ならいっそこの拙僧の首を!」
 鬼童、円光も相次いで麗夢を引き留めた。が、麗夢は少し困ったような微笑みを残してその手を振り切った。
「お志は真にかたじけのう存じますが、智盛様を救うにはこれしか方法がありません。どうか皆さんは安全な所に下がっていて下さい」
「しかしどうやって!」
 鬼童は言った。
「どうやってあの巨大化した智盛卿から、悪夢を引きずり出すのですか!」
「それは大丈夫です。夢守には、それだけの力が天から与えられていますから」
「麗夢殿!」
「円光様、鬼童様、それに榊様、本当にお世話になりました。この上真に申し訳ありませんが、後始末の方、よろしくお願いします」
 なおも肯じない三人に一礼した麗夢は、今度こそ智盛の方へまっすぐ向くと、二度と振り返ることなく再び笛を取り出した。


 またも静かに流れだした旋律は、先程とは微妙に違う音色を湛え、麗夢を包み込んだ。やがて、その笛の音が一粒一粒小さな光の粒に変わったかのように、麗夢を淡い燐光が覆い始めた。光は笛の調べに乗って麗夢から美しい真円を描いて放射され、仏の背輪のように麗夢を中心に照り輝いた。円光は、優美という文字をそのまま形に表したかのような如来の姿をそこに見た。思わず手を合わせる円光の前で、突然麗夢の血染めの衣装がはじけるように解けた。一本一本の絹糸がほぐれると、一瞬目も眩む燭光となって飛び散った。三人の漂白された眼球が再び映像を捉えられるようになる前に、彼等の鼻がまず辺りを清めるように広がったえもいわれぬ馥郁とした香りに気がついた。中でも榊はその香りに覚えがあった。この夢隠しの郷にやってきた最初の晩、自分を苦しめた悪夢をどこからともなく現れていとも簡単に払ったあの女性。その時の姿は既におぼろにしか記憶には残っていないのに、とうに忘れていた香りがその夢の女性を鮮やかに脳裏に蘇らせたのである。それは、目の前の少女の後ろ姿にうり二つであった。緑の黒髪が美しく扇を開くその向こうに、鮮やかな紫の狩衣姿が透けて見えた。薄絹の羽衣が天女のそれに等しく少女の身体へふわふわとまとわりつき、櫛目もすっきりと通った頭に、金色の冠が輝いて見せた。
(あれは、夢ではなかったのか?)
榊は、改めて夢守にと変じた麗夢の姿に見入った。
 麗夢は姿を変じてからも相変わらず笛を吹き続けたが、巨人と化した智盛は、いつまでもそんな演奏を聴くつもりはなかった。突然、思い出したように剣を振り上げた智盛は、自分の十分の一もない可憐な少女に、苛烈なる一撃をもって迎えた。空を切る轟音が麗夢の耳元をかすめ、逃げ遅れた髪の幾筋かがその身体に別れを告げた。必殺の間合いを外された智盛は怒り狂った。再び天高く振りかざされた剣が少女目指して疾駆し、またもその柔らかな身を捉え損ねて地面に巨大な穴を穿った。智盛の振るう剣はまさしく稲妻の嵐と化して麗夢を襲った。剣が落雷の轟音を轟かせる度に地は裂け、岩は砕け、木は消し飛んだ。が、まるで柳が強風に煽られながらも決してちぎれ飛ぶことがない様に、麗夢の身体は絶対に智盛の剣に触れなかった。だが、いつその剣が麗夢の柔らかな身体を捕らえるかと思うと、円光も榊も気が気ではない。さりとて自分たちに何が出来るという訳でもない。それが何とも悔しく、情けなさに涙すらこぼしかねない二人である。とうとうたまりかねた榊が、鬼童に向かって何とかならないのかと問いかけた。
「せめてあの化け物を、一瞬でもいい、止めることが出来ないのか?!」
 榊の切迫した口調とともにすがるような円光の視線も感じて、鬼童は目をつむって腕を組んだ。
「一つだけ方法があります。いや、可能性がある、と言うくらいのものですが、第一、出来るかどうかすら怪しいかも知れないのです」
 ややあって言い出した鬼童に、それでも構わないから早く話せと榊は促した。鬼童は言った。
「榊殿、円光殿、あの、智盛卿の背に立った脇差しの柄は見えますか」
 二人は目を細めてそれを確認すると、鬼童は続けた。
「あれは、恐らく刃を受け付けないであろう智盛卿の肉体に直に突き立った、唯一の刀です。即ち、外から幾ら切りつけても効かない攻撃も、あれを拠り所にすれば直接智盛卿の肉体に打撃を加えることが出来るはずです」
 成る程とうなずく二人に、鬼童は難しい表情を崩さず榊に言った。
「榊殿、ここから、あれを正確に射抜くことが出来ますか?」
「あれを?」
 榊は改めて柄を見た。白木の半分位を智盛の血で赤く染め、五、六寸ばかりな長さを残して背に立っている。だが、距離は榊の強弓でも届かせるのがやっとかも知れなかった。それを更に確実に当てるとなると、武芸では達人の域に達した榊をしても躊躇しないではいられない。榊は内心の自信の無さを取りあえず隠して、鬼童に問い返した。
「あれを射るだけでいいのか? この矢で」
 榊がやなぐいから取り出した矢を鬼童に渡した。
「いいえ、ただ矢を当てるだけでは駄目です。まずこれを付けます」
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12.夢守 その4

2008-03-15 22:56:44 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「あぶない!」
 円光は、咄嗟に麗夢の背後に回り、耐えきれずにはねとばされた華奢な身体を受け止めた。その間も智盛の変容は止まらなかった。棒でも突っ込まれたかのように手足は突っ張り、目、口、耳鼻はおろか、腕、足、胸、背中と身体中から光が噴き出した。やがて爆発的に広がった光は、遂に球状に智盛を包み込み、急激に成長していった。二人は、手をかざしつつ光球の中心に呑まれていった智盛を見た。その瞬間である。麗夢は、自分の頭に直接響く、絶対に忘れる筈のない声を感じた。
「智盛様!」
 麗夢は目を閉じて耳を澄ました。初めの内こそ断片的で意味を為さなかったつぶやきが、少しずつ形を為していき、同時にその姿まで脳裏に浮かんだ。
「麗夢・・・」
「智盛様!」
 智盛は先程までの甲冑姿ではなく、在りし日の懐かしい公家装束で麗夢の脳裏に蘇った。きれいに白粉を振った顔に形良く眉ずみ引いて、きりりと格好良く烏帽子を着けた顔が、一点の曇りもなく塗り上げたお歯黒の並びも美しく、笑みを浮かべて麗夢に語った。
「逃げなさい。麗夢。これ以上ここにいるのは危険だ。私は結局平氏再興の妄執を捨てることが出来なかった。それがこの悪夢に格好の入れ物を与えることになってしまった。もうすぐ私はこの悪夢に呑まれてしまう。そうなってはもはやそなたをそなたと認めることもなく、嬉々として引き裂くことをためらわぬだろう。私は、たとえ乗っ取られたとはいえ私の身体にそなたを害させたりはしたくない。お願いだ。逃げてくれ」
 麗夢は激しく首を振って智盛に言った。
「いやです! もう二度と離れたくありません。今、この私がお救い申し上げます。お気を確かに持って下さい」
 智盛の表情が翳った。少しずつ苦しさを増すかのように息も荒く、一言ずつに力を込めて智盛は言った。
「お願いだ。もう私も持たない。すまぬ麗夢。すまぬ」
「智盛様! 待って!」
「早く逃げるんだ。早・・・く・・・」
 智盛の姿が次第に遠ざかるに連れて、その声もまたとぎれとぎれに、やがて聞こえなくなった。麗夢は必死に追いかけたが、その姿をもう一度見ることは出来なかった。
 はっと麗夢は目を開けた。智盛を包む光球は既に小山一つほどにも巨大になり、ゆっくりと空へ上がっていった。それが大木の高さほどでぴたりと止まり、一際強く輝いたかと思うと、急速にその光を失っていった。
「あれは?!」
 円光は、薄れいく光の中から現れた巨大な足に息を呑んだ。更に遥か上空で左腕が宙に突き出され、続いて右腕が、それも腕に合わせて巨大化した草薙の剣を天高く振り上げて現れた。光はようやくその役目を終えて次第に消滅し、入れ替わるように、白銀作りの甲冑に身を包んだ巨人が、ゆっくりと月光に照らされた。かつて智盛と名乗った巨人は、力を持て余すように両手を突き上げ、天にも轟く咆哮を、月に向かって投げかけた。
「ぐわおおおうぅっ!」
 地響きを伴ってこだまするその一声は、巨人にとってはこれから行われる破壊と殺戮への歓喜の叫びであった。
「何てこった・・・」
 榊は鬼童と共に円光と麗夢の元へと走りながら、もうこれが自分の為しうる範疇から大きく越えていることを自覚せずにはいられなかった。円光もまた、これが末法の世というものかと思った。思わず口ずさんだ経さえ虚ろに聞こえ、無力感ばかり募る心は、円光の全身から全ての気を散じてしまうような錯覚さえ生んだ。その彼等の目の前に、突然ぼたりと空から降ってくるものがあった。首である。首は既にその力を使い果たしたのか、初めて見た時のようなまがまがしさをまるで残していなかった。落ち窪んだ目はもう光を失い、底知れぬ暗黒の穴を穿ってむなしく三人を睨んだ。が、一応形を保っていたのはほんの数瞬の間だった。たちまちその皮膚がめくり上がると、わずかな髪も抜け落ち、瞬く間にしゃれこうべに変わっていった。さらに白骨化した首は、その骨すら地上には残さなかった。まるでうずみ火に辛うじてもっていた灰が、なんの前触れもなく崩れるように、しゃれこうべはほんの一瞬骨の姿を見せただけで、たちまち小さな砂の山に変わったのである。円光は麗夢の肩を思わず強く抱きながら、手の中の少女に問いかけた。
「麗夢殿、これは一体どうしたと言うんですか?」
麗夢は、振り返ることもなく円光に言った。
「悪夢を封印していた夢守の首が、その力を使い果たして元の姿に帰ったのです」
「徐福の首ではなかったのですか?」
「或いはそう名乗っていた時もあったかも知れません。でも、もうそれを確かめることもできません」
「何か、智盛殿を助ける方法はないのですか?」
 麗夢は、円光の問いに少しだけ答えるのを躊躇した。が、今は何かが吹っ切れたのかも知れない。しばしの沈黙の後、麗夢は口を開いた。
「一つだけ、方法があります」
「どんな方法です」
「もう一度、封印するのです。夢守の首を使って。皆さん、お手伝い下さいますか?」
 おうと言いかけて、三人は大慌てに麗夢に言った。
「ちょ、ちょっと待って下さい。夢守の首というのは、まさか・・・」
 ここで初めて麗夢は皆に振り向いた。にっこりと笑う顔に、三人は耳を疑った。
「私の首です。麗しき、夢を守る一族の末裔、この時に行き会わせた夢守の責務を、果たさなければならないのです」。
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12.夢守 その3

2008-03-15 22:56:02 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「智盛様! 智盛様、しっかりして!」
 麗夢は、我を忘れて倒れた智盛を抱き起こした。白絹の衣装が智盛の血を吸って赤く染まるのも構わず、麗夢は智盛の名を呼び続けた。智盛は、一度閉じた目をもう一度開くと、既に力を失った手を辛うじて動かし、麗夢の手を染めた己が血を拭った。そして泣きじゃくる麗夢の顔に手を伸ばし、その頬の涙をぬぐい取ると、一言づつ噛みしめる様に麗夢に言った。
「今一度、そなたに会えて、本当に、良かった・・・。れい・・・む・・・」
 麗夢の手の中で、智盛の身体が急に重さを増した。妖術で無理矢理肉体に縛り付けられた魂が、今ようやくその呪縛から解き放たれるのだ。麗夢は、為す術ない自分の無力さをこの時ほど呪ったことはなかった。一族として果たさなければならなかった運命と、その責任において自分が何をしたのかという衝撃は、麗夢の心を圧しつぶさずにはいなかったのである。が、その哀れと言うには余りに言葉の足りないこの光景に直面して、円光、鬼童、榊等は、目の前にある重要なことを見落とした。智盛の手にある草薙の剣が、不気味にも未だ燐光を失わないことを、三人は見逃したのである。ただ一人、それに気づいたのは、今の今まで麗夢の笛に苦しんでいた、祟海ただ一人だけだった。
(おのれ小娘め! だがわしはまだ負けてはおらん。わしをここまで苦しめた報いを受けるがいい!)
 崇海は気力を振り絞って立ち上がると、智盛の右腕に飛びついた。あっけにとられる他の者達も構わず、崇海は草薙の剣ごとその右腕を持ち上げると、すぐ脇にあった徐福の首岩めがけて神剣の切っ先を叩きつけた。
「大願成就じゃ! 智盛! 今しばらく、こと切れるなよおっ!」
 剣は崇海の悲鳴に近い叫び声に呼応するように、智盛の腕を通じて新たな力を得た。鈍い光りが太陽のきらめきを取り戻し、その力が岩の結界と激突したのである。岩は一瞬神剣を拒むかのように鳴動し、崇海に冷や汗を流させた。しかし、八陣すら切り破る剣の前に、岩は後少しを耐えきれなかった。智盛の魂ばくは今しも旅立とうとしており、ほんの数瞬踏ん張っていれば、剣は絹すら切れぬ骨董品に帰ったはずだったのだ。だが、このかけに崇海は勝った。剣の光がはじけるように岩の結界と火花を散らしたかと思うと、突然、稲妻のような亀裂が岩の上半分を覆い尽くし、瞬間一気に砕け散った。同時にもうもうたる黒煙が立ち上り、周囲の山の高さに届くと、渦を巻きながら横に広がって天を覆い尽くした。月も星もその光を地上に届けられず、辺りは暗黒の闇に閉ざされるかに見えた。ただ、黒煙を吐き続ける岩だけが、中から不気味な燐光を放ち、周りを妖しく照らし上げた。岩はその間にもゆっくりと崩れ続け、やがてその底を残して完全に破片と化した。そして、その中身を衆目に晒したのである。榊、円光、鬼童は、一様におぞけをふるった。榊など、戦場で幾らも見たことのある物だったが、今目の前にある物は、これまで見たものの恨みを、全て練り上げたとしてもまだかわいい位に思えてしまう程のまがまがしさをそれに覚えた。それは、「首」だったのである。わずかに残って互いにほつれあう頭髪、中の目玉を失ったように大きく落ち窪んだ目、既にミイラと化して張りと艶を失いながら、名状しがたい生気を漂わせている皮膚。その姿そのものが、首に許しがたい凄みを与えるのである。が、祟海だけは、その首に頬摺りせんばかりに喜んだ。
「おお、やっと見つけたぞ、徐福よ」
 草薙の剣に精を吸われ、意識も朦朧となりつつあった祟海だったが、ここまで来れば後一息である。今、祟海を辛うじて失神から救っているのは、三十有余年をかけてきたこの瞬間に対する執念でしかなかった。祟海は最後の力を振り絞り、もう一度智盛の腕を持ち上げた。
「さあ目覚めよ、徐福の首よ! そしてその秘めたる力を、このわしに譲るがいい!」
 祟海は、智盛の腕にすがりつくようにしてもう一度剣を首に振り落とした。剣は祟海の力に余る手応えで受けとめられた。思わず手を離して転げた祟海は、その切っ先が突如開いた首の口に、がっちりとくわえられているのを見た。
(我が眠りを妨げる物は誰か?)
 榊等は、突如頭に鳴り響いた声に狼狽した。聞こえるのではない。まるでその声の主が体の中に潜んでいるかのように、直接頭の中に届くのである。それでも榊、鬼童は耳を塞がずにはいられなかった。その声には、地獄の獄卒もかくやと言わぬばかりな凄惨さを湛えて、聞く者を無限の穴に引きずり込むような響きがこもっていたのである。円光だけは、般若心経を口ずさみつつ、必死にその声と戦った。
(我が眠りを妨げる者、その報いを受けん)
「よこせ! その報いを! さあ、このわしに渡すのだあっ!」
 祟海は、当然首が語りかけているのは自分だと信じて疑わなかった。この場で首と語る資格のある者はこの自分以外になく、その首の渡す物がなんであれ、それを受け取れるのは自分だけだと固く信じていたのである。だが、首が認めたのはそんな熱烈な愛好家の寄せる期待ではなかった。首は語った。
(この剣は・・・。よかろう。さあ受け取れ。そしてその欲望を満足させるがいい!)
 既に五感を失い、寸刻を待たずに事切れるばかりであった智盛に、その声が届いたかどうかは分からない。だが、声の主は相手の返事など期待してはいなかった。「首」は草薙の剣の力を認めたのであって、その所有者の状態などはどうでも良かったのである。そして声が言い終わるが早いか、膨大な力が剣を通して智盛の身体へと流れ込んだ。と同時に、智盛の身体は、有り余る奔流を受けかねるかのように、二度三度と海老のようにはねた。
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12.夢守 その2

2008-03-15 22:55:11 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「智盛様、お願いでございます、かような恐ろしいことはおやめ下さいまし。あの石を開けてはなりません」
 智盛は当惑した顔で麗夢を見た。が、昔もそうであったように、その真摯な瞳に抵抗するのは智盛には難しかった。智盛は、言いにくそうに口を開いた。
「それは出来ない。麗夢よ。これには我が一族の命運がかかっているのだ」
「でも・・・」
「私はそなたを失って後、ただ死ぬことだけを考えて戦ってきた。そなたの命を奪った源氏をひたすら憎み、一人でも多く道連れにして、そなたの下に旅立つことが、私の支えだったのだ。だが、壇ノ浦において一門が次々と敵の手にかかる惨事の中、最後の暇乞いを申しに赴いた兄、知盛が、私に途方もないことを押し付けたのだ。兄は私にこう言った。
「平氏の命運はここに尽きた。だが、衰運極まればまた興隆の道も開けるという。わしは帝のお供をして竜宮へなと参る所存だが、まだ若いお前は新しい平氏を創始し、再びかつての栄光を築く礎として生きて欲しい。幸い吉野には、小松殿嫡流の維盛がいる。力を合わせ、いつか必ず、平氏復興の素懐を遂げてくれ」
 勿論私は断った。現世になんの未練もない。平氏復興は兄者がやれ、と。だが、兄はこの草薙の剣を私に押し付け、涙を流して我が手を取った。父清盛公や兄小松殿の衣鉢を継ぐのは、この自分よりもむしろお前の方だと、あの、敵味方双方より鬼神と恐れられた兄が、涙を流して頼むのだ。私はもはや断る言葉を失った。だが、辛うじて壇ノ浦を落ち延びたのも束の間、その後に襲ってくるのは、ことごとく白旗に転じた諸国の軍勢と、落ち武者狩りの嵐だった。わずかな供回りは次々と討たれるか逃げるかしてたちまち失われ、遂に一人になった私も吉野に入る途中で過労の余り病に倒れた。これまで、と覚悟した私がもう一度目が開いた時、目の前にこの祟海殿がいた。気がついた私に祟海殿は、力を貸してくれと言った。反魂の術によって今お主を蘇らせた。力を貸して欲しい。代わりに、お主の夢を叶えて進ぜよう、と。私は、望みはない。ただ静かに旅立たせてくれと祟海殿に言った。が祟海殿はこう言って私の心を揺さぶった。平氏再興の夢をいかが致す? わしに助力してくれれば、今お主を蘇らせたのと同じ力で、お主の一門ことごとくを蘇らせてくれるがどうじゃ?・・・私はその申し出に、正直言ってぐらと傾いた。もしそんなことが可能なら、一門ばかりではない、麗夢、そなたも生き返らせることが出来るではないか。私は祟海殿にそのことを告げ、二つ返事に請け負った言葉に、行動をともにすることをい決心したのだ。そのためにはこの石を砕き、祟海殿にその中に封印されているという力を与えねばならない。幸い一つの望みは、麗夢、そなたとこうして再会できたことで見事に成就した。この上はなんとしてももう一つの夢、我が一族を復活させ、我らを苦しめた憎い源氏を駆逐して、平氏による王城楽土をこの世に建設しなければならないのだ」
 これで納得してくれただろうかと智盛は麗夢を見た。が、麗夢は悲しげに首を振るばかりであった。
「良くお聞き下さい。ここに入っているのは、そのようなものではございません。我が先祖が数千年の長きに渡り、狩り集めてきた太古の悪夢が封印されているのです。確かにそれは途方もない力を持ちますが、何人といえどもそれを解放することは許されず、ましてや利用するなど到底出来るものではありません。どうかお考え直し下さい。さもないと私は・・・」
 麗夢は愛しき男の胸から身を起こし、一歩二歩と間合いを取った。
「私は・・・、私は夢守の名において、あなたを討たねばなりません!」
「私を、討つ?」
 智盛はちょっと驚いた風だったが、直ぐに悲しげに首を振った。
「そなたの言うことに嘘偽りはないだろう。だが私も、平氏の名にかけてここを譲ることは出来ないのだ。祟海殿が出来ると言う限り、私はそれを頼らずにはいられない。許せ、麗夢!」
「駄目、智盛様! やめてえっ!」
 智盛は未練を断ちきるように麗夢に背中を見せると、草薙の剣に手をかけた。腰を落とし、丹田に気を込めて剣の衝撃に備えると、一気に剣を抜き放った。鈍い青さび色の刀身は、次の瞬間智盛の精を吸い上げて金色に輝く稲妻の剣へと変化した。その燭光で目を灼かれた鬼童等は、きらりと光る短剣を腰に構え、麗夢が身体ごと智盛の背中に飛び込んでいったのを見ることは出来なかった。
 ようやく皆の目が慣れた時、その光景に息を呑まずに済んだ者はいなかった。智盛は、光も薄れた神剣を大上段に振り上げて止まっていた。その背中に、髪を振り乱した麗夢が、倒れかかるように飛びついているのが見えた。智盛は見る間に身を震わせたかと思うと、がくん、と膝から落ちて地に伏せた。辛うじて草薙の剣を杖に上体を起こした智盛は、背中の麗夢の姿を見、空いた手を伸ばして自分の胸に麗夢を抱き取った。その瞬間智盛の顔が苦痛にゆがんだ。智盛の背中に、深々と一振りの脇差しが突き立っていた。智盛はその柄をちらと一瞥して、弱々しくほほえんで見せた。
「まだ、持っていてくれたのだな、麗夢」
 言い終えると同時に、智盛は横様に倒れ込んだ。その柄は、都を離れるとき、源氏が狼藉を働かんと欲した時にはこれにて身を守れと智盛が自ら手渡した、選り抜きの神剣だったのである。
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12.夢守 その1

2008-03-15 22:54:30 | 麗夢小説『麗しき、夢』


 円光は、肉塊に埋められつつも、これが最後とばかりにかっと目を見開いた。その刹那である。初め、円光はそれを幻影の残像かと思った。人垣を越えたはるか彼方、月光を浴びてぼおっと白く浮かぶその姿。白一色の指し貫に烏帽子。つややかな緑の黒髪はきりりと後ろに束ねられ、降り注ぐ月の光をきらきらとはねた。紅ふんを帯びたような顔ばせに、なまめかしくも鮮やかに朱を差した唇。そして何よりも、見る人をして吸い込まれずにはいられない漆黒の大きな瞳。円光は目をしばたかせた。
(まさか?!)
円光は息を呑んだ。幻影だと思っていたその姿が、ゆっくりと此方に向けて近づいて来る。円光は確信した。
「麗夢殿! 来てはいけない、逃げるんだ!」
 円光の叫びは、白拍子に身を固めた少女によって完全に無視された。円光は、一瞬麗夢までが祟海の毒牙にかかったのかと疑って背筋を寒くさせた。だが、それは円光の杞憂だった。麗夢は歩みながらすっと腰から一本の棒を取り出すと、両手で摘むようにその端を持ち、反対側にあどけなさが残る唇をつけた。
 初めは微かな音色だった。円光の常人離れした聴覚を持ってしても、並みいる郎党達の喧噪を縫ってその笛の音を拾うのは困難だった。しかし、次第に熱を帯び、力強さを増す旋律は、やがて全ての耳に染み込むように辺りを支配し始めた。それに併せるようにして、徐々に郎党達の動きも静まり、遂に微動だにしなくなった。
 麗夢に一番近い一人が、まず眠り込むように崩折れた。その一人を手始めに、ゆっくりと、まるで沖から波が一つ打ち寄せるかのように、郎党達が倒れていった。静かに寝息を立てて本来の眠りに帰る男達の間を、麗夢は舞でも舞うかのようにふわりと進んだ。完全な静寂が訪れ、よりはっきりと笛の奏でる調べが人々の心に広がった。
「な、なんだこの笛は?!」
 麗夢の笛がもたらした静寂に、場違いな声が上滑りしていった。祟海は、心の奥に封印していた不安を現実に呼び戻さずにはいられなかった。
(まさか、これが、夢守なのか? この女が?)
 徐福伝説の影に付きまとうもう一つの謎。富士文書にはその痕跡すら幽かな謎の一族「夢守」。榊を発狂させようと仕組んだ悪夢が失敗した時、そして鬼童にその存在について注意を喚起された時に、祟海はもう少し注意深く考えるべきだったのだ。だが、圧倒的な力で自分の全ての呪力を封じてしまうこの笛の音に出会うまで、祟海はその重要性に気づけなかった。そして今、耳をふさいでもいっこうに消えようとしないその旋律が、祟海の頭の中を恐怖と混乱にかき混ぜたのだ。
「と、智盛、あの笛を、あの笛の音を止めるんじゃ!」
 最後の頼みの綱ともいうべき鎧武者に向けられた悲鳴は、むなしくその兜を通り過ぎた。肝心の智盛もまた、祟海の支配から逃れつつあった。暴力的な膂力を誇った剛腕はだらりと垂れ下がり、憤怒の炎を燃やした目も、誇らかに猛々しくもはばたいた赤い旗指物も、まるで山火事が鎮火したようにその力強さを失った。自分の術が何も通じない恐怖が、祟海を初めての敗北感に追い込んだ。遂に祟海までもが黙り込み、この世から音など無くなったのではないかと思われるような中、麗夢はゆっくりと智盛に近づいた。気絶した佐々木、呆然と見送る榊の間を抜け、声をかけたいのに息を呑むばかりの鬼童と円光の前を通り過ぎ、一体地面を踏んでいるのかと疑うほどに白く抜けた素足が、智盛の巨体の前に立ち止まった。
 ふっと笛の音が止んだ。麗夢は笛を仕舞うと、彫像のように動かなくなった智盛の顔に両手を伸ばした。けなげに背伸びする白魚の指が智盛の面にそと触れた。面は、紅葉の枝を離れる容易さで、智盛から落ちた。
「智盛様」
 面の下から現れたのは、鬼面からは想像できない程美しく、高貴な香りを漂わす一人の若者の顔であった。麗夢の奏でる笛の力であろうか。怒りを忘れ、理性を取り戻したその瞳がゆっくりと目の前の少女を映し、端麗な唇が微かに揺れて相手の名前を紡ぎだした。
「れいむ・・・。麗夢か? 生きていたのか?」
「はい」
 麗夢の目がそのまま巨大な湖と化し、持ちきれなくなった分がつとその頬に二筋の流れを生んだ。智盛も感極まった涙を流し、二人は一番望んでいた筈の互いの顔を、はっきりと見ることが出来なくなった。
「智盛様!」
「麗夢!」
 二人は同時に互いの名を呼ぶと、ひしと固く抱き合った。思えば屋島の合戦の折り、智盛の身代わりに麗夢が敵の矢を受けて以来の再会であった。麗夢が九死に一生を得て屋島の寒村で療養に努める間、平氏は急坂を転げるように滅亡への道を突き進んだ。壇ノ浦後、麗夢は智盛存命の噂だけを頼りにあちこちを放浪し、ここに今やっとその念願が叶ったのである。だが、今、麗夢はただ再会の喜びに涙するばかりではいられなかった。麗夢のもう一つの使命をここで果たさなければならないのだ。ややあって麗夢は涙を拭い、智盛のやさしい顔を見上げて言った。
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11.月下の罠 その6

2008-03-15 22:52:36 | 麗夢小説『麗しき、夢』

(何かあるはずだ。何か。良く見ろ、鬼童海丸!)
 鬼童は祟海の皺一つ見落とすことさえないようにと目を見張った。その視界が、一瞬暗くなった。煌々と丑三つ時を照らしていた月が、偶然の、小さな雲に翳ったのだ。雲は直ぐにまたいずかたと知れず流れ去り、再び広場は昼のような明るさを取り戻した。月はもう随分西に下りてきているため、地上には様々なものが長い影を描いている。石ころ、草木、そして榊や鬼童自身の影。特に榊と佐々木の影は、本体の激しい動きを忠実に再現して、二次元の乱舞を演じている。この時鬼童は、ふとおかしい、と引っかかった。必死に切り込む二人と、その姿を映し出す黒い影。かげ? 
「分かったぞ!」
 鬼童の驚きの叫びは榊にも届いた。
「何が分かったんだ、鬼童殿!」
 鬼童は興奮した気持ちを抑えきれずに叫んだ。
「榊殿、しばし手を休めて地面をご覧なさい!」
 榊は一歩間合いをはずし、視線を地面に投げかけた。が、戦いに気を取られている余り、鬼童に見えたものが、榊には見えない。鬼童は歯がゆさに耐えきれずにもう一度言った。
「良く見て下さい! 祟海の影を!」
 今度は佐々木も下を向いた。そして二人同時に祟海を見、また地面の方へ目をやった。
「こ、こいつ、影が無いぞ?!」
 佐々木源太の素っ頓狂な声に、祟海はげらげらと大笑いしてそれに答えた。
「愚か者が、今頃気づいたか!」
「くっ、鬼童殿、こいつは!」
「そいつは幻です! 実態は別にあって、それを操っているのです!」
「ふふふ、良く気づいたとほめてやろう。もっとも、貴様がほめられるのは、これが最後だと思え」
 声のする洞窟の方を振り向いた榊等は、そこに立つ人物を見てあっと驚いた。今、目の前で戦っていたのと寸分違わない墨染め衣が現れたのである。同時に円光と切り結んでいた智盛が、さすがに驚く円光の隙を突き、一足飛びに祟海の元まで退いた。
「ふふ、あのまま八条に殺されていた方がよほど楽じゃったろうて。だがもう遅い。貴様等が貴重な時間を費やしてくれたおかげで、わしの方はもうすっかり準備が整ったよ。礼を言うぞ。ふぁっはっははは」
「ええい、貴様が本体なら貴様を倒すまでのこと!そこな動くな!」
 色めき立った榊をあからさまな軽蔑のまなざしで見下した崇海は、絶対優位を確信して節くれだった指を榊に突き出した。
「愚か者め、遂にのっぴきならぬ死地に踏み込んだとも知らず、助命を請うならまだしもこのわしを倒すだと? よかろう、今見せてやる。絶望の恐怖にのたうってから死ぬがいい!」
 祟海はそのまま右手を天に突き出して、一つの呪文を紡ぎだした。途端に周りの草木ががさがさと蠢 きだし、榊達はまた幻覚かと緊張した。が、やがて木々を割って現れたのは、疑い様のない実体だった。
「お、お前達、もう良くなったのか?」
 榊が目を丸くして、一瞬なりとも喜んだのも無理からぬ所だった。次々と森から現れる彼等は、皆毒に倒れたはずの榊の郎党衆だったからである。笑顔で近づこうとした榊の手を、円光が引き留めた。
「お待ちなさい。様子がおかしい」
 言われて初めて榊もその異常に気がついた。
(なんだ、あの動きは?)
 それは、百人の人間が演じる奇怪な舞踊だった。焦点の定まらぬ虚ろな目、或いは引きずり、或いは無意味なほどに跳ね上げる足、前に突き出され、後ろに反らし、自然とはほど遠い動きを見せる腕、ある者はまっすぐに進むことさえ出来ずに隣を巻き込んで倒れ、ある者は不意に立ち止まったかと思うと突き飛ばされてまた歩み出す。それは、一人として揃わない混沌の軍団だった。
「お前達、どうした? しっかりせんか! 命令だ、止まれ!」
 半ば恐怖に駆られながらも、なおも皆が正気に返ることを期待して榊は言った。だが、強い口調の命令も、この百人には届かなかった。歩みこそ遅々としてはいたが、全く止まる素振りも見せぬまま、一歩、また一歩と榊達との間合いを詰めてくるのだ。榊は、祟海の仕業に違いないと直感した。
「貴様! わしの部下に、何をした!」
「ふん、少しばかり悪い夢を見てもらっているのじゃよ。主殺しと言う悪夢をな」
 言い終わってひとしきり狂ったように笑う祟海の背後から、意識無き殺人者の群と化した郎党達とそっくりな目をした美衆恭章等村人達が、たいまつを手に現れた。彼等が祟海を中心に左右に別れ、一定の幅で道を作ると、更に洞窟から残りの村人達が総出で綱を取り付けた岩の塊を引きずりだした。祟海は、顎をしゃくってその塊を目の前に据えさせた。
(まさかあれは・・・。いや、そうに違いない!)
 その鬼童の心中を見透かしたように、祟海は言った。
「気になるか、この岩が。よかろう。冥土のみやげに教えてやろう。これが貴様も欲していた、徐福の秘法を封印した入れ物、すなわち徐福の首じゃ」
「な、徐福の首?!」
そんな物があったのか! 鬼童は改めて目を見張った。これが、自分が追い求めていた物なのか。鬼童は、勿論今の今まで、自分が探していた物の形を知らなかった。が、今ここにこうして目の前に現れたそれは、予想を微妙にはずれた違和感を鬼童に覚えさせた。或いは鬼童は、無意識にその岩が放つ邪悪な気配に感づいたのかも知れない。だが、鬼童にそれを吟味する余裕は無かった。
「ふっふっふっ、後ろの百人にねじり殺されながら、この岩が開くのを見ているがいい。もっとも、それまで持つとは思えんがな。はぁーっはっはっはっ!」
「待て祟海! まだその秘法を開くための鍵が分からないはずだぞ!」
 鬼童の自身を忘れた問いかけも、祟海にはせせら笑うための材料にしかならなかった。
「馬鹿め、開かない鍵なら、ぶち壊してしまえばいいんじゃ。智盛!」
 祟海は、背後に控える形でじっと出番を待っていた男を呼んだ。
「さあ、その草薙の剣を抜くがいい! そしてこの岩の封印を、たたき壊すのじゃあ!」
 既に百人は鬼童等四人を中に取り込め、身動きもままならぬように囲んでいた。鬼童は、もう何も成す術もなく、祟海のすることを見ているより無かったのである。
「目を覚ませ、お前等! 遠藤! 新田! 正岡! 悪太郎! 総兵衛! 目を覚まさんか!」
 榊はあきらめずに叫び続けたが、遂にそんな譲歩の余地は失われた。百人と四人の間には、もう半歩の隙すら無いのである。
「やむをえん!」
 榊は拳を握りしめると、満身の力を込めて手近の一人に殴りかかった。いきなり顎を砕かれた一人が仰向けに飛んで、五人ほどを巻き込んで派手に倒れた。佐々木と円光もそれに加わった。
 相手は殴る分にはまるで抵抗を示さないので面白いようにひっくり返る。しかし、なんの痛みも感じていないのか、再びゆっくりと起きあがると、一時的に空いた戦列の穴を、じわじわと埋めてしまうのだ。
「くそっ! きりがないぞ! ええい、いい加減目を覚さんか!」
 だが奮闘むなしく遂に佐々木が捕まった。懇意にしている目上の古参武士にためらった隙を突かれたのだ。佐々木は袖を取られて前につんのめったかと思うと、たちまち人波に飲まれて姿が消えた。
「助けてくれ! 助け・・・」
わずかに残った悲鳴も、口に手を突っ込まれたのかたちまちにかき消えた。
「ええい、どけ、どかんか!」
 佐々木を助けようと敢えて群衆に飛び込んだ榊も、三歩も進まない内に郎党衆に身体中まとわりつかれ、身動きできなくなった。円光、鬼童も、更に縮まった包囲網の中で、無念の歯ぎしりをするばかりだった。円光の頭に、あの麗夢と名乗る少女の姿が浮かんだ。円光は思わずその幻影に詫びた。
(あなたをお守り申し上げようと決心したが、どうやら果たせそうにない。わが身の不徳と致すところ、平に勘弁召されよ)
 円光は目を閉じて頭をたれた。その上から、郎党衆の肉体が、次々と覆い被さるようにして、円光と鬼童を埋めていった。
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11.月下の罠 その5

2008-03-15 22:52:29 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「しっかりしなさい、榊殿!」
 榊は、夢まだ醒めぬ心境で、自分を助けた墨染めの衣を見上げた。
「円光殿・・・」
「あの様な化け物に独りで突っ込んでいくとは、少々無理が過ぎまするぞ!」
 ようやく正気を取り戻した榊は、面目ないと頭を下げた。
「だが、あの化け物め、一体どうすれば倒せるんだ?」
「智盛卿をまともに相手にしては、勝ち目がありませぬ。我らが戦うべき相手はあの祟海でござる」
 円光は榊に肩を貸して立ち上がるのを手助けしながら、祟海の方を指さした。
「鬼童殿に合力し、祟海を倒して下され。私はそれまで、智盛卿を足止めいたす」
「しかし御坊独りで?」
 心配げな榊に、円光はにっこりと笑顔を返した。
「何、倒そうというのはちと無理でしょうが、しばしその足を止める位なら何とかなり申す。ともかくも今は急いで!」
「あい分かった。だが、無理はせぬよう」
 榊は自分のことは棚に上げて円光に注意を促すと、後ろ髪引かれる思いを叱咤して、鬼童の元に走った。智盛は、堂々の挑戦の末、見苦しくも背中を見せた榊に憤った。岩に食い込んだ長刀を強引に引き抜くとそのまま鞍に着け、再び弓を取り外すと、矢をつがえて弓を引いた。その智盛の馬前に、円光は双手を上げて立ちはだかった。
「智盛殿、拙僧、円光と申す修行中の身でござる。榊殿になり代わり、卿の御相手を仕る」
 智盛は、相手の風体を一瞥して失笑した。円光も不敵に笑みをこぼした。無理もない。相手の堂々たる貴顕ぶりに対して、此方はどうひいき目に見てもみずぼらしさは拭えない。智盛は、そんな円光を無視して改めて榊に狙点を定めた。引き絞られた強弓の力を一身に得た矢は、智盛の指がはずれるのと同時にたちまち榊の首を射抜いてその頭をちぎり飛ばすかに見えた。
「きえええっ!」
 円光は錫杖を突き上げた。そのきっ先が今にも飛び去ろうとする矢の中央を打ち砕いた。矢は二つになって天に向かって垂直に跳ね、忽ち二人の視界から消えた。これには智盛も驚いた。失笑にこぼれたその黒い歯が、たちまちきりりと引き締まった口に隠された。
(よかろう、相手になってくれようぞ)
 智盛は弓をしまった。再び長刀を手にして構えた智盛に、円光は言った。
「参る!」
 円光は全身をバネにして智盛に跳びかかった。


 榊は鬼童と合流すると、佐々木源太も伴って祟海に向かった。祟海は洞窟の前で鬼童等を待っていた。いや、正確には鬼童一人を待っていたのだろう。自分を愚弄し、ペテンにかけた男をその手で引き裂くのが祟海の望みなのだ。それは究極の目標、徐福の秘法を手に入れるための、重要な序曲であるべきだった。
「観念しろ祟海! もはや逃れるすべはないぞ!」
荒々しくも言い放った榊は、言うと同時に太刀を向けた。智盛との激突で既にその刃はぼろぼろだったが、まだ年寄り一人を叩き殺す位は、榊の腕なら朝飯前である。佐々木、鬼童もその左右からそれぞれの得物を構えて間合いを詰めた。が、立ち向かう祟海は、他の二人には目もくれず、じっと鬼童の顔だけに、怒りの炎を吹きかけていた。
「祟海殿、智盛卿にかけた反魂の秘術を、今直ぐ解いていただこう」
 鬼童はその視線に辟易しながらも、ことさら冷静を心がけて祟海に言った。どうもさっきから、鬼童は何かが胸に引っかかった。しかし、その自覚はあまりに漠然として、それが何なのかは見当もつかない。そんな鬼童の困惑を読みとったかのように、祟海はせせら笑った。
「愚か者め! わしがそんなまねをするかどうか、三才の童でさえ理解できようぞ! みだりに要らざる舌を動かすな!」
 かっと見開いた祟海の目から、紅蓮の炎が吹き出したかのように鬼童は錯覚した。思わずたじろいだ鬼童に代わって、先程から無視され続けている榊がもう一度呼ばわった。
「祟海! もはや貴様には活路はないぞ! 大人しく縛につけ!」
「同じことばかり良く吼えるな、鎌倉の犬は」
 祟海は、いかにもうるさげに目を細めた。
「じゃが、吠える犬ほど臆病と言うのは間違いないようじゃの。おめおめと一対一の勝負に背を向けるいさぎよさを、このわしにも期待するか?」
「なにっ!」
 歯ぎしりする榊を見据えて、祟海は更に言い募った。
「まあ今ならまだ許してやると言いたいところじゃが、これ以上の邪魔立ては、いかに気の長いわしでも我慢の限界よのう。ここですっきり冥界の門を潜らせてやるから、いつまでも吠えてないでたまにはとっととかかってこい」
 祟海の挑発に、まず佐々木源太が暴発した。この死に損ないめと飛びかかり、一刀の下に切り捨てようと討ちかかったのである。ところが祟海は、その外見からは想像できない軽やかさでその一撃をすっと避けた。
「ほれほれ、どこを切っているのじゃ? 東国のへっぽこ田舎侍め。無駄じゃよ、無駄!」
 あざ笑われて佐々木の顔が真っ赤になった。今度こそと必殺の気合いで刀を振れば、まるで羽毛が宙に舞うかの如く祟海が避ける。しばし様子を見てと思っていた榊も、一向に功を奏しない部下の振る舞いに腹を立て、自ら激闘の最中に飛び込んだ。しかし、二人の強者に挟み撃ちにされても、祟海はかすり傷一つ負わなかった。鬼童は自分も加わろうとする気持ちを必死で押さえ、祟海が今使っているに違いない術を見破るのに躍起になった。何故、毛の立つ隙もないほどの剣撃の中で、祟海は悠然としていられるのか。
(何かあるはずだ。何か。良く見ろ、鬼童海丸!)
 鬼童は祟海の皺一つ見落とすことさえないようにと目を見張った。その視界が、一瞬暗くなった。煌々と丑三つ時を照らしていた月が、偶然の、小さな雲に翳ったのだ。雲は直ぐにまたいずかたと知れず流れ去り、再び広場は昼のような明るさを取り戻した。月はもう随分西に下りてきているため、地上には様々なものが長い影を描いている。石ころ、草木、そして榊や鬼童自身の影。特に榊と佐々木の影は、本体の激しい動きを忠実に再現して、二次元の乱舞を演じている。この時鬼童は、ふとおかしい、と引っかかった。必死に切り込む二人と、その姿を映し出す黒い影。かげ? 
「分かったぞ!」
 鬼童の驚きの叫びは榊にも届いた。
「何が分かったんだ、鬼童殿!」
 鬼童は興奮した気持ちを抑えきれずに叫んだ。
「榊殿、しばし手を休めて地面をご覧なさい!」
 榊は一歩間合いをはずし、視線を地面に投げかけた。が、戦いに気を取られている余り、鬼童に見えたものが、榊には見えない。鬼童は歯がゆさに耐えきれずにもう一度言った。
「良く見て下さい! 祟海の影を!」
 今度は佐々木も下を向いた。そして二人同時に祟海を見、また地面の方へ目をやった。
「こ、こいつ、影が無いぞ?!」
 佐々木源太の素っ頓狂な声に、祟海はげらげらと大笑いしてそれに答えた。
「愚か者が、今頃気づいたか!」
「くっ、鬼童殿、こいつは!」
「そいつは幻です! 実態は別にあって、それを操っているのです!」
「ふふふ、良く気づいたとほめてやろう。もっとも、貴様がほめられるのは、これが最後だと思え」
 声のする洞窟の方を振り向いた榊等は、そこに立つ人物を見てあっと驚いた。今、目の前で戦っていたのと寸分違わない墨染め衣が現れたのである。同時に円光と切り結んでいた智盛が、さすがに驚く円光の隙を突き、一足飛びに祟海の元まで退いた。
「ふふ、あのまま八条に殺されていた方がよほど楽じゃったろうて。だがもう遅い。貴様等が貴重な時間を費やしてくれたおかげで、わしの方はもうすっかり準備が整ったよ。礼を言うぞ。ふぁっはっははは」
「ええい、貴様が本体なら貴様を倒すまでのこと!そこな動くな!」
 色めき立った榊をあからさまな軽蔑のまなざしで見下した崇海は、絶対優位を確信して節くれだった指を榊に突き出した。
「愚か者め、遂にのっぴきならぬ死地に踏み込んだとも知らず、助命を請うならまだしもこのわしを倒すだと? よかろう、今見せてやる。絶望の恐怖にのたうってから死ぬがいい!」
 祟海はそのまま右手を天に突き出して、一つの呪文を紡ぎだした。途端に周りの草木ががさがさと蠢 きだし、榊達はまた幻覚かと緊張した。が、やがて木々を割って現れたのは、疑い様のない実体だった。
「お、お前達、もう良くなったのか?」
 榊が目を丸くして、一瞬なりとも喜んだのも無理からぬ所だった。次々と森から現れる彼等は、皆毒に倒れたはずの榊の郎党衆だったからである。笑顔で近づこうとした榊の手を、円光が引き留めた。
「お待ちなさい。様子がおかしい」
 言われて初めて榊もその異常に気がついた。
(なんだ、あの動きは?)
 それは、百人の人間が演じる奇怪な舞踊だった。焦点の定まらぬ虚ろな目、或いは引きずり、或いは無意味なほどに跳ね上げる足、前に突き出され、後ろに反らし、自然とはほど遠い動きを見せる腕、ある者はまっすぐに進むことさえ出来ずに隣を巻き込んで倒れ、ある者は不意に立ち止まったかと思うと突き飛ばされてまた歩み出す。それは、一人として揃わない混沌の軍団だった。
「お前達、どうした? しっかりせんか! 命令だ、止まれ!」
 半ば恐怖に駆られながらも、なおも皆が正気に返ることを期待して榊は言った。だが、強い口調の命令も、この百人には届かなかった。歩みこそ遅々としてはいたが、全く止まる素振りも見せぬまま、一歩、また一歩と榊達との間合いを詰めてくるのだ。榊は、祟海の仕業に違いないと直感した。
「貴様! わしの部下に、何をした!」
「ふん、少しばかり悪い夢を見てもらっているのじゃよ。主殺しと言う悪夢をな」
 言い終わってひとしきり狂ったように笑う祟海の背後から、意識無き殺人者の群と化した郎党達とそっくりな目をした美衆恭章等村人達が、たいまつを手に現れた。彼等が祟海を中心に左右に別れ、一定の幅で道を作ると、更に洞窟から残りの村人達が総出で綱を取り付けた岩の塊を引きずりだした。祟海は、顎をしゃくってその塊を目の前に据えさせた。
(まさかあれは・・・。いや、そうに違いない!)
 その鬼童の心中を見透かしたように、祟海は言った。
「気になるか、この岩が。よかろう。冥土のみやげに教えてやろう。これが貴様も欲していた、徐福の秘法を封印した入れ物、すなわち徐福の首じゃ」
「な、徐福の首?!」
そんな物があったのか! 鬼童は改めて目を見張った。これが、自分が追い求めていた物なのか。鬼童は、勿論今の今まで、自分が探していた物の形を知らなかった。が、今ここにこうして目の前に現れたそれは、予想を微妙にはずれた違和感を鬼童に覚えさせた。或いは鬼童は、無意識にその岩が放つ邪悪な気配に感づいたのかも知れない。だが、鬼童にそれを吟味する余裕は無かった。
「ふっふっふっ、後ろの百人にねじり殺されながら、この岩が開くのを見ているがいい。もっとも、それまで持つとは思えんがな。はぁーっはっはっはっ!」
「待て祟海! まだその秘法を開くための鍵が分からないはずだぞ!」
 鬼童の自身を忘れた問いかけも、祟海にはせせら笑うための材料にしかならなかった。
「馬鹿め、開かない鍵なら、ぶち壊してしまえばいいんじゃ。智盛!」
 祟海は、背後に控える形でじっと出番を待っていた男を呼んだ。
「さあ、その草薙の剣を抜くがいい! そしてこの岩の封印を、たたき壊すのじゃあ!」
 既に百人は鬼童等四人を中に取り込め、身動きもままならぬように囲んでいた。鬼童は、もう何も成す術もなく、祟海のすることを見ているより無かったのである。
「目を覚ませ、お前等! 遠藤! 新田! 正岡! 悪太郎! 総兵衛! 目を覚まさんか!」
 榊はあきらめずに叫び続けたが、遂にそんな譲歩の余地は失われた。百人と四人の間には、もう半歩の隙すら無いのである。
「やむをえん!」
 榊は拳を握りしめると、満身の力を込めて手近の一人に殴りかかった。いきなり顎を砕かれた一人が仰向けに飛んで、五人ほどを巻き込んで派手に倒れた。佐々木と円光もそれに加わった。
 相手は殴る分にはまるで抵抗を示さないので面白いようにひっくり返る。しかし、なんの痛みも感じていないのか、再びゆっくりと起きあがると、一時的に空いた戦列の穴を、じわじわと埋めてしまうのだ。
「くそっ! きりがないぞ! ええい、いい加減目を覚さんか!」
 だが奮闘むなしく遂に佐々木が捕まった。懇意にしている目上の古参武士にためらった隙を突かれたのだ。佐々木は袖を取られて前につんのめったかと思うと、たちまち人波に飲まれて姿が消えた。
「助けてくれ! 助け・・・」
わずかに残った悲鳴も、口に手を突っ込まれたのかたちまちにかき消えた。
「ええい、どけ、どかんか!」
 佐々木を助けようと敢えて群衆に飛び込んだ榊も、三歩も進まない内に郎党衆に身体中まとわりつかれ、身動きできなくなった。円光、鬼童も、更に縮まった包囲網の中で、無念の歯ぎしりをするばかりだった。円光の頭に、あの麗夢と名乗る少女の姿が浮かんだ。円光は思わずその幻影に詫びた。
(あなたをお守り申し上げようと決心したが、どうやら果たせそうにない。わが身の不徳と致すところ、平に勘弁召されよ)
 円光は目を閉じて頭をたれた。その上から、郎党衆の肉体が、次々と覆い被さるようにして、円光と鬼童を埋めていった。
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11.月下の罠 その4

2008-03-15 22:52:21 | 麗夢小説『麗しき、夢』
鎧武者は崇海の前まで馬を進めると、割鐘を乱打するような大音声で、堂々の名乗りを上げた。
「我こそは、桓武帝一三代の後胤にて刑部卿平忠盛が孫、平相国浄海入道清盛が末子、新四位少将平智盛なり!」
 突然、智盛が馬ごと紅蓮の炎を吹き上げたように人々には見えた。しかしそれこそ、平氏の平氏たる矜持を高らかに歌い上げる、真っ赤に染まった旗指物だったのである。智盛は、榊が負うた白旗に目をやると、一段と怒りの炎を全身から吹き上げた。
「源氏の下郎に見せるのも片腹痛いが、まずは我が手並みの程を見よや!」
 智盛は叫ぶと同時に弓を取って矢をつがえ、狙いをつける間もあればこそ、ひょうつばと矢を榊に放った。神速の、見本のような早業に、榊は瞬きする余裕すらなかった。十四束三ぶせという長い矢は一瞬にして宙を割き、ふつと兜の緒を切って、後ろの森に飛び去った。榊の頬から、今さっきまで肉体の一部だった無精髭の何本かが舞って月光にきらめき、すーっと赤い筋が一本、横様に浮かび上がったかと思うと、滲み出る血がつと頬を染めた。榊は、背筋にどっと冷や汗の滝を流したが、素知らぬ体で悠然と兜の紐を直して見せた。戦場に立つこと三十年、常に最前線で命のやりとりを続けてきた男の矜持がそれである。緒を結び終えた榊は、すうっと一つ深呼吸をすると、あらん限りの声張り上げて、大音声にも名乗りを上げた。
「やあやあ我こそは、昔朝敵将門討伐で勧賞こうぶり名を後代に上げたりし、俵の藤太秀郷が一手の大将、榊義綱に十代の後胤、下野の国の住人、榊太郎綱元が子、榊真一郎義親なり! さてこそ良き敵とお見うけいたす。いざ尋常に、勝負せい!」
 榊はとんと馬の腹を蹴った。ついさっき冷や汗をかいた榊はもうこの瞬間にはいない。この様な強者と組んでこそ武士の本懐よ、とばかりに右上段に長刀を構え、手綱を口にくわえて榊は突進した。円光、鬼童の制止の声も、榊の耳には届かなかった。だが、榊の気合いとは対照的に、智盛の方はいたって優雅に待ち受けていた。長刀を構えるわけでもなく、馬も半身に身をさらし、榊の突進を手招きするような具合である。榊は、憎らしいほどに余裕を見せる智盛に、なめられていると激怒した。
「加護あれ南無八幡大権現! でやあああああっ!」
 この時代、まだ刀槍剣術の類は無きに等しい。勢いこそが必勝の極意であり、気後れしたり、勢いを緩めるだけで、常人の戦は終わりなのである。それをあえて意識的に制御して、相手の勢を削ぐような戦い方は、既に別次元のものと言えた。例えば京五條橋の牛若丸がその好例であるが、榊は残念ながらそんな天才に開眼しているわけではない。が、長年戦乱の世に生きる武士としての生活が、榊の戦士としての質を、常人として得られる最高水準にまで高めていたのである。その常人としての最高の一撃が、無防備な智盛の頭上に襲いかかった。榊の狙いは、兜のしころをかいくぐった首筋である。激しいやりとりの中でさえ、滅多に外すことのない狙い目、ましてや相手が動かないとあっては、百戦錬磨の榊がそこを切り損なう訳がなかった。
「御しるし頂戴仕る! 覚悟!」
 袈裟掛けに切り込んだ榊の鋭鋒は、目標過たず智盛の首に刃を立てた。ひらひらと舞い散る落ち葉さえ、その刃に当たれば二つに分かれるほどに磨き上げた愛刀である。次の瞬間には智盛の首が、八条のそれと同じように天高く舞い上がることを榊は疑わなかった。
「何ぃっ!」
 そのまま首を跳ね飛ばそうとした長刀が、突然固まって動かなくなった。到底両断できぬ大木に切り込んだような衝撃が、榊の両手を痺れさせる。見ると、一瞬早く上がった智盛の左手が、がっちりと榊の長刀を押さえ込んでいるのである。
「ええい、離せ!」
 榊は智盛の手を振り払おうとその両の手に渾身の力を込めて叫んだが、智盛はまるで動じず、その目に軽侮の色を閃かせると、白柄の大長刀を右手一本で軽々と振り回し、大上段に榊に切りつけたのである。榊は咄嗟に長刀から手を離すと、腰の大刀を抜いた。鞘走った刀身がすんでの所でその切っ先を受けとめる。が、まださっきの衝撃が抜け切らぬ榊の腕にとって、その新たな一撃は十分すぎる威力だった。支えきれない、とみた榊は、寸毫の迷いもなく腰を鞍から外した。長刀の勢いを殺すように落馬した榊へ、新たな一撃が振り下ろされた。そこへ、主を失った馬が迷い込んだ。馬は落ちた主を見ていななこうと首を上げたが、その瞬間、馬のものとも思えぬ絶叫が夜のしじまを破った。愛馬の血漿を頭から浴びた榊は、初めてとんでもない相手と命のやりとりをしていたことを思い知った。智盛の長刀は、いともあっさりと鞍ごと馬を両断したのである。前と後ろに完全に等分され、変わり果てた愛馬の姿に、榊の感覚は恐怖というここ何年も味わったことのないもので塗りつぶされた。
 智盛は、平然として長刀を振るった。びしっと鋭い音と共に、刃に乗った馬の血が地面に突き刺さる。榊は自分でも気づかぬ内に後ずさりしていた。気づいたのは、背中が岩にぶつかったからである。榊は尻餅をついたまま、刀だけは青眼に構えた。そこへ、二つになった馬を蹴散ちらし、悠然と智盛が近づいてきた。呆然と見上げる榊に智盛は、奪い取った榊の長刀を放り投げるや、三度右手一本で長刀を振り上げ、榊の脳天に振り下ろした。
 ガンッ!
 智盛は確かすぎる手応えに目を剥いた。智盛の前から榊が消えたのだ。
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11.月下の罠 その3

2008-03-15 22:49:23 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 反射的に榊は上を見た。真っ赤な口が視界をうずめ、榊の全身が総毛立った。
(やられる!)
 榊は、予想される衝撃に身を堅くするのがやっとだった。
「でえええいっ!」
 次の瞬間、榊の視界から八条が消えた。視界の端から飛び込んできた黒い物体に、はじき飛ばされたのである。黒い物体はそのまま空中で一回転し、地に降り立つと榊に言った。
「大丈夫か、榊殿!」
 円光に体当たりされた八条は、もんどりうって地を転げた。しかし、さしたる傷も負わなかったかのように、すぐに立ち上がって円光を睨んだ。円光は言った。
「榊殿、あれはもう八条殿ではござらん! 反魂の術で蘇った、血に飢えた化け物でござる! 油断めさるな!」
「かたじけない、円光殿」
 榊は長刀を構え直し、円光も錫杖を突き出して八条に向けた。何とか立ち上がった佐々木源太も身をそばだてて榊に付いた。さすがに容易に攻め込めなくなった八条は、時折毒蛇のような声で威嚇しつつ、じりじりと間合いを取り始めた。
 この間、鬼童だけはじっと崇海の様子を伺っていた。崇海はちょっと見には別に何ということもない平静を装っていたが、稀代の薬師鬼童には、その異常が何となくかぎわけられる様な気がした。鬼童は言った。
「崇海殿、随分と苦しそうですが、いかが致した?」
 崇海は憤怒の表情でさっと顔を朱に染めたが、努めて冷静に鬼童に返した。
「おこなることを言うな! 今すぐここで、一人残らず血祭りに上げてくれる!」
 鬼童は、その余裕のない崇海の申し様に、疑念を確信に変えた。
(崇海殿、常人には気づかれないかも知れないが、この鬼童には御坊の限界全てお見通しだ)
 意を決した鬼童は、ぎりぎり榊等が聞き取れる声で、一つの策を話して見せた。
「成る程、うまく行けば一石二鳥ですな」
「ただし、まずは雅房殿を退治することを第一に考えましょう。例の鎧武者がいない今、雅房殿さえ押さえれば、崇海は難なく捕らえられるはずです」
「心得た」
 榊と円光、それに佐々木の三人は手早く役割を分担すると、さっそく策に取りかかった。鬼童は崇海を牽制する役である。
「崇海殿、所で先程の鎧武者はいかが致した? 察するに八陣脱出の際に相当の深手を負ったと推察するが、何ならこの私が診て進ぜようか?」
「貴様等などその男一人で十分じゃ! 今殺してやるから黙っているがいい!」
「それにしては、随分と息が上がっているではないですか。ご老体の無理は禁物ですぞ」
「だ、黙れ! 貴様等尻の青い若造に、年寄り呼ばわりされる謂れはないわ! ええい八条! 奴等をもみつぶせ!」
 八条は崇海の怒りの気を受けたのか、ほんの一瞬全身を硬直させたと思うと、新たに流れ込んだ力のままに、一声大きく吼え哮った。そして緊張の面もちで八条を見据える四人に向かい、息つく暇もなく突進した。
「今です!」
 鬼童の合図に、佐々木は隠し持った弓を構え、かけ声も鮮やかに矢を放った。目標は八条ではない。崇海である。距離は坂東武者の業を持ってしても当てるのは難しい遠さであったが、そう思って油断していた崇海をあわてさせるには十分だった。
「八条! 戻れ!」
 距離のせいもあって狙点はもう一つ定まらないが、佐々木は背中にしょった二十四本の矢をここが先途と引き詰め引き詰め散々に射散らした。崇海はたまらず後退した。八条は、急制動に末足を取られ、もんどりうってひっくり返った。
「今だ!」
 榊と円光が同時に八条に討ち掛かった。振り下ろす榊の長刀は、ずんと独特の手応えに迎えられた。榊がそのまま長刀を振り切って八条の首を跳ね飛ばすや、円光の気に満ちた錫杖の一撃が襲いかかった。
「悪霊退散!」
 錫杖が一瞬光り、八条の首を打ち砕いた。血しぶきと粉みじんに砕けた脳漿が、飛沫となって地に降り注ぐ。途端に首を探してもがいていた八条の身体が、わずかなけいれんを残して動きを止めた。
「観念しろ、崇海!」
 榊と円光は脱兎の勢いで走り込むと、そのまま崇海を挟み撃ちにした。佐々木もこれに呼応して、崇海の退路を断つべく右に回り込んだ。鬼童はゆっくりと馬を歩ませて、崇海に迫った。
「万策つきましたね。崇海殿」
 一歩二歩とたまらず下がる崇海に、背後に回った佐々木がことさら大きく刀を鳴らした。ぎょっと振り返る崇海の額に、つと焦りの色も濃い汗が伝う。最早崇海の運命はここに窮まったかに見えた。
「な、何を?!」
 鬼童等の驚きに崇海は初めて余裕のある笑みを浮かべた。その手は真っ直ぐ天を向いて伸び、指の形も複雑に、崇海は本当の切り札を呼ぶ呪文を唱えた。
「出でよ智盛! この源氏の草賊共を血祭りに上げるがいい!」
(何! 智盛?!)
 榊等はまさかと耳を疑った。が、次の瞬間には鍾乳洞から吹き出す暗黒の気の暴風と、次第に近づくひずめの音が一同の背筋に冷たく響いた。やがて、はっきり西に傾いた月光を浴びて、一人の鎧武者が出現した。白銀の鎧を纏い、白柄の大長刀を手に、金覆輪の鞍も輝くその姿。鬼を模した面でその素顔こそ隠してはいるが、わずかな穴から覗く目は狂乱と怒りに燃え上がり、全身から発せられる旺盛な戦意は、その場に集う強者共を圧倒して余りあった。
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11.月下の罠 その2

2008-03-15 22:48:38 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 七人はゆっくりと洞窟の入り口に近づいた。初めに気づいたのは、やはり円光である。
「来る!」
 七人が緊張して身構えた時、奥から轟くひずめの音に押し出されるように、暗黒の風が吹き寄せた。やがて二騎の馬が怒涛の勢いで洞から飛び出した。二頭とも漆黒の毛並みに白銀作りの鞍を置いた、太くたくましい馬である。その右に乗るのが、馬にも劣らぬ墨染めの衣で身を包み、黒い頭巾で頭を隠した老僧祟海だった。
「よう参ったな。村に残っておれば数刻でも命長らえたものを。わざわざ頭を捧げに参るとは、殊勝なことよ」
 だが七人の目は、不敵な笑みを浮かべる老人よりも、その隣の人物へ集まっていた。
「八条大夫・・・」
 その姿は確かに見慣れた八条であった。何を見ているのかと人を不安にさせる細い目。たっぷりと脂肪を蓄えた腹。くつわを爪先立ちに取る短い足。全て見間違うことなき五位判官代、八条雅房その人なのである。
「反魂の術か」
 鬼童が、額に冷や汗を浮かべて呟いた、その言葉尻を祟海が取った。
「ほう、貴様のような若造でも、我が秘術を知るか。その通り。反魂の術よ。だが、唯の反魂術では無い。見せてやれ、八条!」
 八条はゆっくりと馬から下りようとして、くつわを踏み外して頭から落ちた。佐々木源太等郎党衆が、その醜態に思わず吹き出してしまう。が、円光は真剣だった。八条から噴き上がる気が、尋常ではなかったのだ。榊と鬼童も、ただならぬものを感じて油断無く身構えた。八条は逆さづりになって暫くもがいた末、ようやく足をくつわからはずすと、ごろんと転がってうつ伏せに落ちた。郎党達はまだ腹を抱えていたが、見とがめた榊が、気を付けろ、と声をかけたその時である。ようやく立ち上がった八条の姿が、榊等の前でふっと消えた。円光だけが素早く首をめぐらして八条の動きを追った。が、さしもの円光も、八条が見せた突然の襲撃に、警告を発するのが精一杯であった。
「危ないっ!」
 消えたと思った八条の姿が、突然一固まりに集まった四人の郎党の前に現れた。何の警戒もしなかった四人は、この余りに信じがたい光景に、笑顔のまま凍り付いた。
 一番近くにいた佐々木源太が突然雷に打たれたように馬から吹き飛んだ。信じがたい跳躍力で宙に跳んだ八条の足が、佐々木の顎を捕らえたのだ。佐々木が地に落ちる寸前、更なる一撃が隣の郎党を襲った。八条は一足飛びに飛びついて、弓を奪うと同時にそのこめかみへ拳打を浴びせた。佐々木と殴られた郎党が次々に地に激突する音と、奪われた弓の折りちぎられる音が交錯した。八条は既にごみと化した弓を捨て、細かったはずの目をまん丸に開いてにやりと笑った。口が耳元まで裂け、獣のような鋭い犬歯が、唾液の糸を引いて見る者の恐怖を煽った。
 この間に残る二人は体勢を立て直した。長刀を構え、太刀を抜く。背中は冷や汗で水をかぶったようになったが、額へは恐怖と戦う脂汗が大粒の水滴を連ねていた。
「シャアアッ!」
 八条は歯を向いて二人を威嚇した。今にも飛びかかろうと、手を肩近くまで引き寄せ、牙の如く伸びた爪を立てて隙をうかがっている。二人はそれぞれの獲物を身に引き寄せ、隙を作らぬよう必死になった。と、一瞬の間をついて八条が飛びかかった。
 ガッ!
 長刀の柄で郎党は辛うじて八条の口を防いだが、もったのはわずかに数瞬だった。八条は強引に歯を立てて、ついに砕ける音をこだまさせ、径一寸五分の白木を喰い破ったのである。勢いに耐えかねてその郎党も落馬すると、その後を追ってのしかかるように八条が食らいつく。その隣で、太刀を構えた男が馬から飛び降りながら叫んだ。
「おのれ!」
 大きく振りかぶられた太刀が、飛び降りた勢いもそのままに八条の背中に走った。
「ひっ!」
 一刀両断! と思いきや、八条は瞬きする間もなく飛び離れた。目標を失った太刀が、仰向けの郎党の顔際に突き刺さる。済んでの所で命を拾った郎党は、頬からつっと細く血を滴らせてあえなく気を失った。八条は、味方を殺し損ねて茫然となった郎党に、息をもつかせず襲いかかった。鋭い爪は分厚い鎧をものともせずに切り裂いて、顔に飛んだ一撃が、頬の肉を引きちぎった。
「ぎゃあ!」
 顔を押さえてうずくまる郎党を見下しながら、八条はうまそうに右手の爪に残る血と肉を啜った。
 榊と鬼童の背筋に冷たいものが走った。口元を真っ赤に染めた八条が、その二人にいかにもうまいものを見つけたというような目を向けたからである。榊は即座に長刀を構え、鬼童の前に馬を出した。鬼童は、護身用の山刀を下げているのみなのである。
「シャアアアアッ!」
 八条は躍り上がって榊に突進した。
「でやあああっ!」
 とりつかれては厄介と榊は横様に長刀を払った。途端に八条の姿が消えた。空振りした長刀の勢いに体勢を崩した榊に向けて、鬼童の叫び声が飛んだ。
「危ないっ! 上だ!」
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11.月下の罠 その1

2008-03-15 22:47:24 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 鍾乳洞の奥はその入口からは想像もできないほど広くかつ深い。一説に、その底は富士山まで伸びているとも言う。この地に住み着いて以来、崇海もその底を極めたことは無かったが、今、入口より百間ばかり奥に潜む崇海の心は、その底よりも深く暗い穴を穿ち、富士山の下でたぎる溶岩よりも熱くおどろおどろしい怒りと屈辱の膿で溢れんばかりになっていた。
(このわしが、あんな若造の詐術に引っかかるとは!)
 崇海は、鬼童が究極の結界、鬼門遁甲八陣の法を操るほどに長けた術者であることを、見抜けなかった自分に腹を立てていた。だが実際、あの八陣から逃れられたのは僥倖と言うより無かった。口でこそあのような強弁を繰り返してはいたものの、その肝の冷えようは富士山頂の冠雪よりも冷たく縮こまっていたのである。崇海から少し離れたところで、鎧武者が甲冑を着たまま横たわっていた。結界崩壊の衝撃から崇海を守り、全身傷だらけになった身は、薄暗い灯火の揺れる明かりの下でも手ひどい有り様がよく判った。さっそく崇海は回復の法を施したが、所々いかつい甲冑は破壊され、その隙間からのぞく傷はぱっくりと口を開いて裂けた肉を露出していた。また、骨を粉砕された左腕は、しばらくの間使いものになりそうにない。
(時間を稼がねばならぬ。一刻でいいのだ。それまでは何としても凌がないと)
 崇海は、恐らく鬼童等がこちらに向かっているだろうことを確信していた。途中いくつか結界を施してはおいたが、相手の力量が判った今、それらがあまり足止めに役立ちそうにないことが、崇海の気持ちを苛立たせた。
(せっかく徐福の結界を破壊できる方法が知れたのだ。このまま、やられてなるものか!)
 崇海は、八陣すらあっさりと破壊した草薙の剣の力に魅入られていた。これまでちゃんと力を発揮させることができるかどうか、不安もあって使わずに済ませてきたが、これなら自分が苦労の末遂に破れなかった徐福の結界も、突き崩すことができそうではないか。そのためには剣を扱えるこの男を復活させるための時間を、何としても稼がねばならないのだ。
(そのためには、こいつにももう一働きしてもらうとするか)
 祟海の視線の先に、横幅だけは鎧武者とそう変わらない死体が一つ転がっていた。始末する余裕もなく怒りに駆られて駆け出したために残ったものだが、今となっては、これが実に貴重な札となりそうだった。
(始めるとするか)
 祟海は、二人目の死人を蘇らせるべく動き始めた。いよいよ術を施そうという時、傍らの祭壇に立ててあった蝋燭の一本が、その炎をゆらゆらと震えさせたかと思うと、一瞬明るく輝いて、すっと消えた。
「奴らめ、やって来たか」
 結界の状態を示す蝋燭は未だ三本残っていたが、これが消えてしまうまでに、この死体、かつて八条雅房と名乗った脂身に、新しい命とそれをつき動かす非情な悪夢とを植え付けなければならないのだ。
「こいつなら生への執着もまずまずだったから、失敗することもあるまいて」
 祟海は慣れた手つきで、八条の身体に呪文を書き始めた。

 「かぁあっ!」
 シャン! 円光の気合い一閃、突き出された錫杖が見事結界の焦点を射貫き、ねじれた空間がよりを戻した。そこには、これまでと変わり無い森があるばかりである。
「お見事!」
 鬼童が感嘆の声を上げると、榊も手を叩いて喜んだ。榊は生涯数多の合戦に身を投じたが、今日ほど不安を掻き立てられたことも、この二人ほどたのもしい男達を見たこともなかった。特に今の二人の息の合い様には見事なものがある。まず、円光が辺りを支配する不穏な空気を察知する。程なく前方の風景が奇妙にゆがみはじめ、乳白色の粘性を帯びた霧が、ゆがんだ木々をその中に沈めだした。すかさず鬼童が指南盤を取り出し、乱れの焦点を割り出して円光に知らせた。円光は迷わずその方角に突進して霧に飲まれたと思うと、円光の気が爆発し、正常に戻った森に錫杖を抱えた円光が立っていた。榊は、二人があの滝で初対面したとは到底信じられなかった。幼なじみでもこうはいかぬという絶妙の呼吸に、榊は前世の因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
(この二人に関わって訳のわからん相手とやり合う羽目になったこのわしも、やはり何かの因縁なのだろうか)
 二人のような特殊能力も無く、武将としてごく真っ当な道を歩んできた積もりの初老にとって、二人との行動は新鮮な刺激に満ち溢れている。榊は、日頃の常識が快く崩壊する驚きに、心身確かに若やいでいくように思えるのだ。
(勝負は時の運だ。しかし、今回は分がある)
 榊は確かな手応えを感じ、心が躍るのを抑えることが出来なかった。
 ただ、更なる罠を警戒しながらの道行きは、どうしても遅くならざるを得なかった。月ははっきりと西に傾き、草木もじっと眠り込んでいるかのように静かである。七人がさらに二つの結界を乗り越え、鍾乳洞の前の広場に着いた時、その静けさはこれから始まる修羅場のことなどまるで知らないかのように、月光だけに満たされていた。
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