かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

1年の1/4が経過したところで、ちょっとだけ振り返ってみました。

2008-03-31 22:37:09 | Weblog
 3月も今日で終わり、すなわち今年の4分の1が終わった、ということでもあります。3月というとまだまだ序の口、という感じがしないでもありませんが、そういう風に暦も見直してみると、存外に時が経ってしまったことを意識させられます。1年の4分の1という結構な時間を費やして、果たして自分は何をしてきたか。何をなしえて、これから何をなすつもりか。これから夏を迎え、秋を経て冬になるまでにも、きっといろんなことが起きて、予測したこともあれば予想外のこともあって、めまぐるしくも日々過ごすことになるだろうとは思いますが、ほんの少し立ち止まって正月明けからこれまでの足跡を見直し、これからの時間を無駄なく有意義に過ごせるように考える時間をとりたいものです。

 そこでまずは正月元旦の日記を見てみましたら、今年の抱負は、昨年よりももっと気楽に、効率よく成果をものにしよう、という、今読み返してみたらなんともムシのいい話をしておりました。
 うーん。効率はどうか判りませんが、とりあえず昨年から続けていたアニメーションもすったもんだの末ようやく無事完成しましたし、連載小説もアップ終了、と、それなりに成果はありました。中間評価としては、甘めに見て80点くらいつけてもいいんじゃないでしょうか。
 それで今後の方針としては、短期目標としてとりあえずゴールデンウィークくらいまでに昔の同人小説をあらかたアップしてしまい、態勢整えて次の小説連載に入りたいところです。更に新しい話の執筆やコンテンツの製作に取り掛かれたら言うことないでしょう。ちと欲張りすぎのような気もしますが、当面夏までの目標ということで、努力してみたいと思います。
 ただ、ようやく終息しつつあるスギ花粉に祟られ、今年はのっけから体調不良が目立った序盤でした。日記を振り返ってみても、どうも具合が悪い、とか、頭が痛い、とか言うような記述が目立つ気がします。そこで正月2日の初詣の記事を見直してみると、末吉、油断しているとひどい目にあうから何事も気を引き締めて取り組むように、というお告げをもらっていたことを思い出しました。ここは改めて気を引き締め、体調を維持すべく、日常の管理に気を配る必要がありそうです。まあ花粉シーズンさえ乗り切れば、あとはぼちぼちやっていけそうな気もするんですけどね。
 そういうわけで、先々週に薬局でオリゴ糖を買ってきました。毎朝のヨーグルトの味付けに使っています。とはいえ、いきなり大量摂取すると間違いなくお腹を壊すので、まずは1ヶ月ばかり様子見で常用の半分くらいを摂るようにしていますが、これで宿命的に弱い胃腸の調子が良くなってくれれば、夏を乗り越え1年つつがなく過ごすことも夢ではなくなるんじゃないか、と期待しています。
 そんなこんなでとりあえずまた3ヶ月ばかりがんばってみましょう。無理なくそつなくつつがなく、ですね。

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オリジナルキャラ 紹介

2008-03-30 12:33:40 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 まずオリジナルキャラについて、整理のために紹介しておきます。

綾小路 高雅(あやのこうじ たかまさ) 
京都府立植物園技師。植物が好きな、猫背の線の細い若者で、二言目には「お婆ちゃん」とくる甘えん坊。京都市街地の一角にある古い屋敷で祖母と二人暮ししている。時折気を失い、まったく正反対の別人格が支配するらしい。

祖母 
気の弱い綾小路高雅を、時に励まし、時に叱咤し、時にあやして、旧家である綾小路家当主として孫を育てる老女。しかし、高雅以外誰もその姿を見たことが無い。

浦辺 貴之(うらべ たかゆき) 
標準的な背丈とでっぷりした腹を持つ、主に超常現象を追いかけるフリージャーナリスト。夢隠し村での騒動をかぎつけ、榊にまとわりついて言質を取ろうとする。

北岡 俊弘(きたおか としひろ)
京都市内の学校、平安大学で地球生態学研究室の助教授をしている研究者。鬼童海丸の大学時代の友人で、植物間のコミュニケーションを研究テーマにしている。鬼童が認める、数少ない英才の一人。


それでは、本編をどうぞ。
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1.夢隠村 その1

2008-03-30 12:33:29 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 不気味な鳴動を続けていた富士山が、再び磐石の静けさを取り戻した。迅雷のごとく荒れ狂った怪物、平智盛の鎧の残骸も、今は急速に風化が進み、砂と化して折からの風に吹き飛ばされた。後に残されたのは、全てを朱に染めてしまうかのような夕焼け空に、破壊された自衛隊の車輛達が上げる、幾筋かの黒い煙だけである。まだ誰も事態の急激な結末についていけないらしく、救援活動も始まってはいないが、航空自衛隊まで巻き込んでの怪物騒ぎとその後始末は、近い将来、必ず隊創設以来の大惨事としてしばらくの間世評を騒がせるに違いない。
 そんな奇妙な静けさの中、事件の張本人の一人、城西大助教授、鬼童海丸は、生まれたばかりの恋心に後ろ髪を引かれながら、そっとその場を抜け出した。一度だけちらと振り向いてその後ろ姿を確かめたのは、この「クール」という単語を人に練り上げたような男にしては、珍しい未練だったと言えるだろう。
(綾小路麗夢さんか)
 出来る事ならもう少し一緒に居て、せめて連絡先位は聞いておくべきだったかもしれない。
 研究対象や研究仲間以外の気になる女性。
 そんなものがこの世に現われようとは、鬼童にとっては久々に味わう、新鮮な驚きであった。
(まあ、多分そう遠くないうちにまた会う事もあるだろう)
 それは直感。あるいは予感。いや、単なる願望なのかもしれない。鬼童は、自分がそのような霊性にはなはだしく欠ける事を十分理解していた。その専門、超心理物理学を探求しようと考えたのも、自分に欠けるそんな要素を理解したい、との強い欲求から出たともいえる。だが鬼童は、我ながら非理性的だと自嘲しながら、それでもこの時、自分の気持ちを少しも疑おうとは思わなかった。
 鬼童は、もう一度振り返り、腰まで隠す緑の黒髪が風に揺れて、赤いレオタードに包まれた可愛らしいヒップがちらりと見えた事に思わずどきまぎしてから、今度こそ真っすぐ自分の目的に向けて歩き始めた。
 鬼童の目的地はすぐに着いた。ついさっき大慌てで跳びだしてきたばかりの洞窟である。鬼童は、ためらいもなく再びその深淵に身を踊らせた。すぐに用意していたペンライトを灯し、奥まった底知れぬ闇にわずかな光を投げ掛ける。自分の心音すらこだまするのではないかと錯覚させるほどの無音の世界に、ただ砂を噛む革靴の底だけが規則正しい音を打ち続けた。 
 鬼童が軽くペンライトを振ると、あまり強いとはいえないビームでも、鍾乳洞が表情豊かに奇怪な陰影を壁面に刻み付ける。更に進んで智盛が破壊した岩の裂目を抜けると、鬼童はぐるりとペンライトを動かして、広間を埋め尽くす膨大な砂金に光を走らせた。平家の隠し財宝と伝えられる黄金の白洲が、眩しいほどにきらきらと光を弾き返す。そのはるか奥に、金色の海に浮かぶ小島のように少し突き出た岩がある。兜に納まった智盛の首のミイラが安置されていたところである。目的のものも多分その辺りではないか、と見当を付けた鬼童は、敷き詰められた砂金に足を踏み入れた。
 何歩も歩かないうちに、鬼童の右足が、何か柔らかく重いものにつまづいた。バランスを取って繰り出した左足が、今度はぐにゅりとやや固めの棒を踏み付けて再び鬼童をぎょっとさせる。鬼童はあわてて飛びすさり、ペンライトを足元に向けた。鬼童はうっかり失念していたのだ。騒動の初期に永遠に動きを封じられ、今までじっと訪れるものを待ち続けていた一人の女性を。
「脅かさないでくださいよ、恭子さん」
 鬼童はほっとすると同時に、首を失って仰向けに倒れこんだ年上の女性に話し掛けた。恭子こと美衆恭子は、弟達彦をそそのかし、智盛の怨霊を封印していた夢見人形を盗み出させた、いわば事件の張本人とも言うべき女だった。
「じきに警察の方が迎えに来ますから、もうしばらくそこでそうしてらっしゃい」
 鬼童がもの言わぬ遺体に軽くウインクして、改めて目的の台座に歩いて行こうとしたその時だった。腕時計がわりに右腕の手首に巻いていた計測機端末が、未知のエネルギーを拾いあげて、鬼童に注意を促した。
(これは?)
 鬼童は機械の感度を最大にあわせた。もし見ている者が麗夢や円光のような能力の持ち主なら、たちまち鬼童の右手辺りの空間に歪みが生じたのが見えただろう。首無し武者が現われる直前、麗夢に警戒心を呼び起こしたエネルギーの波動が、より鮮明に鬼童へ目的物が至近に存在する事を告げた。改めて辺りを見回し、ふと落とした視線が、さっき踏み付けてしまった美衆恭子の左肩の下から、金色とは少し色あいの異なる物がのぞいているのを発見した。しゃがみこみ、注意深く肉付きの良いその体を横にどける。すると、計測機の反応が一段と鋭敏になった。鬼童が慎重に砂金をのぞき、ライトを当てると、その光の円に何やら色褪せた朱色の布のようなものが浮かび上がった。鬼童はそっと手を延ばすと、すくい取るようにしてそれを拾い上げた。
 それは錦の小袋であった。
 袋は古びて所々にほつれが見られるものの、以外にしっかりした紐で口が縛られている。袋には何か砂のようなものが詰まっているようだが、手の平に感じる重さはその大きさの割に以外に軽く感じられる。鬼童は口にペンライトをくわえると、両手でそっと紐を解いた。そして、こぼさないように気を付けながら、中のものを手の平に取った。
「ひゃね(種)、か?」
 やや黒ずんだ褐色の、いびつに歪んだ胡麻くらいの大きさの粒粒が、手の平に小さな山を作った。表面は良く磨かれた鬼童の革靴にも匹敵するほど、艶やかに光を跳ねている。鬼童は園芸にはおよそ興味のない人間であったが、それが何かの植物の種である事くらいはなんとか見当がついた。改めて袋を見た鬼童は、その袋にたった一つだけ、文字が書き付けられているのに気が付いた。
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1.夢隠村 その2

2008-03-30 12:33:22 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「夢・・・。夢の種?」
 なぜこんなものに測定器が反応したのだろう? あるいはこの種ではなく、袋の方に何かあるのだろうか? 改めて確認しようとした鬼童は、やがて己れの不運に舌を打った。ペンライトの光が急に暗くなり、測定器の表示が見えにくくなったのだ。ペンライトのバッテリー切れだった。こうなってはとにかくまず外に出なければならない。入った時は既に夕方だったから、外はもう夜の帳が下りているだろう。このまま暗やみでペンライトが切れてしまったりしたら、出口も分からないまま遭難してしまいかねない。
「しょうがない。とにかくこれを詳しく調べてみるとしよう・・・」
 立ち上がった鬼童が、ペンライトの弱った光を出口に投げ掛けたその時。

 白い、血の気の失せた顔が、闇の中にぼうと輪郭を滲ませながら浮かんでいた。その目は、恐怖に引きつった最後の時を瞬間凍結したように見開かれ、口も、大きく無音の絶叫をこだまさせている。
 智盛によってはねとばされた美衆恭子の首。
 肉体と永遠の別れを告げたはずのその首が、何を思ったか一人虚空へ浮かんでいるのだ。鬼童は全身総毛立つのを実感しながら、じっと首の様子を観察した。
「誰だか知らないが、悪趣味ないたずらは止めていただこうか」
 すると、白い首が不意に左右に揺れ、糸が切れたのか、すとん、と地面に落ちた。その後から、また白い首が闇から滲むように湧いてきた。
「ふむ、肝だけは中々に太いと見ゆる」
 白い顔は無表情に鬼童に言った。声からするとかなり若い感じがするが、どうもどれほどの年令なのかよく分からない。だが、表情や年令が分からないのは、どうやら鬼童のライトが弱っているためではないようだった。よく見れば、その男の顔は異様に白く輝いている。眉もなく、唇まで白いせいだと鬼童も気が付いた。どうやらこの男は眉を剃り落とし、顔を舞妓のごとく白粉で固めているらしい。そのくせ口の中がやたらと黒いのは、おそらくお歯黒でもしているのだろう。衣裳は時代劇でしかお目にかからない直衣という和服であり、ご丁寧に頭には大きな烏帽子を乗せている。歴史には疎い鬼童も、それが昔の貴族の格好である事ぐらいは見当がついた。
「智盛は遥か過去へと帰りましたよ。君が誰かは知らないが、少し出てくるのが遅すぎるんじゃないか?」
「あほう。智盛卿が退去あそばされたがゆえに我はこうしてやってこれたのではないか。それよりも、その方が持つ錦の袋を、我に持て参れ」
「なに?」
「それはそちのような下賎の者が手にしてよい品ではない。見事捜し出した功を賞してこたびは特に許してつかわすゆえ、まずはそれを我に渡すのだ」
「渡さなければ、どうなる?」
「その女の後を追う事になるのう」
 にい、と唇の端が吊り上がった。真っ黒な歯が、獰猛な肉食獣の牙よりも恐ろしげにこぼれて見える。ここは観念するしかないか。そう思い定めると、鬼童は手の平の種子を袋に戻し、その貴族趣味の男に差し出した。
「殊勝殊勝。そのように素直であれば、我もいらざる苦労をせんで済む」
 満足気に優越感をひけらかす目元の緩みを観察しながら、鬼童は言った。
「あなたのお名前をうかがっておりませんでしたね」
「ふん、下賎の者が、あらゆる夢を守護する夢守の大君、森羅万象を統べる真の王たる我が高貴なる名を知りたいとは、片腹痛いわ」
 夢守だって?!
 鬼童は初めて驚愕をあらわにして、白い顔を凝視した。男は、鬼童が恐れ入ったもの、と勘違いしたのか、勝ち誇った高笑いとともに鬼童の視界から姿を消した。高笑いのこだまもとぎれ、その気配が完全に無くなるまで待って、鬼童はほっと肩の緊張をほぐした。
「とんだ「大物」が現われましたよ。さて、どうしたものでしょうね」
 信じられない、と言うように引きつった顔は、まるで鬼童の困惑をあざ笑うように無音の叫びを鬼童に叩きつけた。改めてため息をついた鬼童は、苦笑いしながら別れを告げた。
「さようなら、恭子さん」
 と、一言おいて一段と暗くなったペンライトを出口に向けたその時だった。またしても計測機が、焦る鬼童の足を引き止めた。
(まだなにかある!)
 鬼童は再びしゃがみこんだ。ライトに、もう少しだけ頑張ってくれ、と励ましの祈りを捧げながら、少しずつ舐めるように砂金を照らし上げる。すると再び、砂金の金色とは異なる色合のものが鬼童の目にとまった。
「何だ、これは?」
 鬼童は、さっきよりもはるかに慎重に、それを恭子の血で濡れた砂金ごとすくいとった。大きさはせいぜい二ミリか三ミリくらいだろう。ライトの光に浮かび上がるそれは、さっき姿を消した貴族の顔のように真っ白で、透き通るような艶を持った小さな粒であった。よく見ると、上側に二本の角を突きだしたような小さな突起が付いており、その先端に、さっき袋から取りだした種とよく似た、殻のようなカケラを付けている。鬼童が、ひょっとしてあの種が芽を出したのか、と思いながら測定器のセンサーを近付けると、たちまち表示板の数値が桁違いに跳ね上がった。鬼童は静かな興奮を覚えながら、その白い肉のような小さな粒をサンプルビンに入れた。
「さて、どうしたものか」
 立ち上がった鬼童は、サンプル瓶を懐にしまい、出口を求めて歩き出した。いまさら城西大には戻れない。さりとて差当り他に行く当ても・・・、と考えるうち、鬼童の脳裏に一人の男の顔が浮かび上がった。
「このサンプルの事も調べなければならないし、この際あいつを頼ってみるか」
 鬼童は一人つぶやきながら、この夢隠村から最短時間で京都まで行くにはどうしたらいいか、日本地図を頭に浮かべて考え始めた。
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2.拉致 その1

2008-03-30 12:32:51 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 東京が、ヒートアイランド、などと言われてからもう随分になるが、さすがに10月ともなると日に日に柔らかくなる日の光や透明感を増す空気が、秋の訪れを感じさせてくれる。特にこの青山界隈なら、街行く人々のファッションこそが、季節変化のもっとも有効な指標となるだろう。そんなどこまでも明るい表通りから一歩路地を入ったところに、私立探偵、綾小路麗夢の事務所がある。
 切り立った崖のように高いビルディングに囲まれた、全く日の差さないぼろアパート。
 当の昔に住人から見離された倒壊寸前の廃屋の二階。
 その一室が麗夢の住居兼事務所なのである。
 止むに止まれぬ事情から訪れる者は、こんな所に好んで居座るとは何と奇矯な人物か、と当の本人に出会う前から大概気が引けてしまう。実際、その「怪奇よろず相談」という一種怪しげな看板の架かったドアをノックするまでに、不気味にきしむ階段で二の足を踏む客も少なくない。それでも決死の思いで助けを求めにくるのは、それだけお客の立場がのっぴきならぬ情況に追い込まれている証拠なのだ。特に意識しているというわけではないが、この表通りとは隔絶した様子こそが、本当に助けを必要とする人と、単なるひやかしとを分別する、重要な舞台装置になっているのだった。
 だが、客の試練はドアをノックしたところで終わるわけではない。
「どうぞ」
の一言で招じ入れられた客は、一様に同じ表情をする。目当ての探偵がどうやら普通の人らしい、という安心と、こんな一見頼りなげな年端の行かない少女に助けを請えるものだろうか、という不安とを等分に混ぜた顔である。そう。怪奇事件専門私立探偵、綾小路麗夢は、ちょっと見まるで女子中学生かと勘違いしかねないほど幼げな外観を有する少女なのである。といって、表通りを闊歩する、どう見ても日本人とは思えない国籍不明の学生達とは明らかに異なる。腰まで隠す豊かな碧の黒髪に包まれた顔立ちは、見る者をしてはっと息を飲ませるに足る美形である。特に潤いあふれた大きな瞳には、どの客も強く引きつけられるだろう。
 今日も麗夢の事務所を訪れる、修行僧円光も、その瞳の魅力にとりつかれた男の一人であった。
「漸く過ごしやすくなって参りましたな、麗夢殿」
 香り高い緑茶からたゆたう湯気ごしに、円光は意中の女性へ声をかけた。
「そうね。先月までは大変だったから」
「確かに。夢隠村では難儀しました」
 夢隠村の難儀、それは当然の事ながら例の首無し武者をめぐる一連の大事件のクライマックスの事である。800年前の亡霊、平智盛が大暴れして、富士山麓の演習場で訓練中だった自衛隊を蹴散らし、富士山を噴火寸前までもっていってしまった大惨事だった。あれからもう一ヵ月がたったと言うのに、忘れっぽさでは鶏よりも早いマスコミが、未だにこの報道に取り組んでいる。もっとも、さすがに新聞の一面を飾り、臨時ニュースがプロ野球やアニメ、ドラマを潰してテレビの全チャンネルを埋め尽くした最初程の狂暴さは無くなったが、代わって一体何が自衛隊に起こったのか、を突き止めようとする検証特集が目立つようになった。
 一基数億円のミサイル、戦車砲弾、ロケット弾など消費された多数の実弾。どうみても何か巨大なものにプレスされたとしか思えない車両やジェット戦闘機の残骸。混乱と怒号が渦巻き、ただならぬ事態に襲われている事を示す通信記録。それらを前にすれば、誰だって一体何が、という興味を抱くのは当然だろう。もちろん調査は、第一級権威によって構成された調査委員会の手で公式に進められてはいるが、ごく一部のマスコミが唱える怪獣出現説を支持する者は表立っては一人も存在しなかった。映画でもあるまいし、身の丈数十メートルの怪物に襲われ、手も無くひねられた、などと自衛隊も認めるはずがない。結局事態は、局地的に発生した竜巻と落雷、そして富士山の火山活動と見られるごく浅い震源の直下型地震による自然災害と、部隊員が誤って実弾発射してしまったためである、との見解でまとめられつつあった。
 これには「たまたま」現場近くに居合わせた警視庁の榊真一郎警部の「怪物など見ていない」との証言や、噴火か!? とひと時気象庁職員を色めき立たせた富士山の異常振動+局地的な気圧異常の記録などが重要な証拠となり、事態を実際に見ていない一般の理解を得つつあった。
 そんな中、麗夢や円光がこうして無事に過しているのも、麗夢達の朋友、榊警部が、事件解決に多大な貢献をした少女の存在を隠し通してくれたおかげであった。 
 もっとも、公式に出張して夢隠村まで来ていた榊は、残念ながらそんなマスコミの矢面に立たざるをえない。この所榊が麗夢の事務所を訪れないのは、そんな自身を襲う嵐をこの華奢なぼろアパートまで及ぼすまい、とする配慮だった。
「そういえば、鬼童、殿より何か連絡はありましたか?」
 円光は、今日一番聞きたかった話題を持ち出した。実の所、最近円光が麗夢の元を訪れる理由の六割がたはその事の確認のためとさえ言える。麗夢は、またその話? と苦笑いした。円光がそこまで気に懸ける理由はさすがに麗夢も感付いてはいたが、それにしても円光の気にしすぎだろう、と麗夢は思う。第一、初めて円光にその事を尋ねられた時は、麗夢はその名前をすっかり失念していて思い出せなかったほどなのである。確かに鬼童海丸は目を見張る美男子ではあったが、円光も姿形こそ違え、鬼童と張り合える容姿である事に、もっと自信を持った方がいい、と麗夢は思う。
「いいえ、まだ何にも言ってこないわよ、円光さん」
 くすくす笑いを堪えている麗夢に、さすがに己れのなさけなさが自覚されたか、円光はそれはそれはと喜びながら、あわててお茶を飲み干して赤くなった顔を湯呑みで隠した。
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2.拉致 その2

2008-03-30 12:32:40 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「それよりも榊警部が大変だわ。何でも今京都へ出張中ですって」
「榊殿が京都へ? 一体何故に」
「何でも近く京都で開かれる国際警察会議の下準備らしいけど、それよりも警部をそろそろマスコミから引き離そうという上の方の思惑らしいわよ」
「何やら拙僧にはよく分かりませんが、榊殿の事、まず間違いはありますまい」
 榊の有能ぶりは、二人にとってはあまりに自明の事柄である。若い頃は正義に燃えすぎて頭に血が昇り、暴走する事もままあったそうだが、年令とともに円熟みを増した人柄は、上からも下からも信頼篤い。実直すぎて推理にやや常識論をでない固さがある、とされてきた面も、どうやら麗夢達と行動を共にするようになった頃から大きく改善されたという評判である。もともと優れた格闘家として全国的にも名を知られる頑健な肉体と、柔軟かつ高度な思考能力、そして部下に率先して危地に飛び込む勇気と行動力は、まさに警察官の鏡とも言うべきであった。
「でもいいわよねえ、今頃の京都って。私も行ってみたい」
 麗夢がうっとりと脳裏に思い浮べたのは、紅葉咲く嵐山の観月の宴か、祇園をそぞろ歩く舞妓の艶姿か。円光はそんな麗夢の姿にぽっと心中が華やいだ。
「そうですな。拙僧も久しく京都には参っておりませぬし」
「え? 円光さん京都に行った事があるの?」
 麗夢が自分へ関心を向けた事に、円光は胸の内が少しだけ暖かみを増したのを感じ取った。そのぬくもりでわずかに頬をほてらせながら、円光は笑顔で答えた。
「拙僧、その昔京都のさる寺で厄介になり、修業していた事があります。故に京の町並みは今でもよく覚えていますぞ」
「へえ~、そうなの、知らなかったわ。じゃ、一緒に行きましょうか? 円光さん」
「えっ! せ、拙僧が麗夢殿と?」
「そうよ。そして円光さんが京都を案内するの。今からなら時代祭とかにも間に合うんじゃない?」
「拙僧が、麗夢殿と・・・二人きりで、旅行・・・」
「なーに? もしかして迷惑? 円光さん」
 遠い目をして何やら妄想に耽っていた円光は、突然我に返ってベータの尻尾よりも激しく首を左右に振った。
「め、滅相もない! 拙僧、断じて迷惑ではありませんぞ!」
「じゃ、さっそく行きましょうか! 円光さん」
「え? そんな急に?」
「善は急げ、よ! このところお客さんもいないし、少しくらい留守にしても平気だわ」
 早くも奥にいって荷造りを始めかねない勢いに、円光はたじたじとなった。動きだしたら止まらない麗夢の積極果敢な行動力にはただ感心するばかりの円光であったが、身の軽さ、という点では、これというしがらみもない円光の方がはるかに軽い。
 一時の衝撃から目覚めた円光は、ようやく麗夢と二人で旅をする、という願ってもない幸運の果実を賞味する気になった。
「そこまでおっしゃるなら拙僧も御供いたしましょう。して、アルファやベータはいかがなされる?」
「もちろん連れて行くわよ。さあ、起きなさい、出掛けるわよ!」
 部屋の隅で熟睡していた二匹のうち、まず子犬のベータの方が顔の両脇に垂れ下った耳をぴくっと揺らして軽く持ち上げた。続けて子猫のアルファがゆっくりと起き上がって、うーん、と思い切り反り返ってのびをする。が、いつもなら麗夢の方を向いて「にゃあ」とおはようの挨拶をするアルファが、逆に真っすぐドアの方を向いてにゃあと鳴いた。続けてベータが突然険しい顔つきをして、うぅ~っと小さくうなり声を上げる。釣られてふり向いた二人の前で、そのドアがコンコン、と二度ノックの音をたてた。
「あら、お客さんだわ。どうぞ、開いていますからお入りになって」
 あからさまに落胆する円光の後ろで、ゆっくりとドアが開かれた。その瞬間、腐敗した魚のようなすえた臭いが部屋に流れ込んだ。鼻の鋭さでは一番のベータが不快げに一段とうなり声を高め、一瞬遅れてアルファ、麗夢、円光も相手の正体に気が付いた。
 一見人間の格好をしてはいるが、落ち窪んだ虚ろな目には既に光が無く、げっそりと痩せこけた頬がろこつに頭蓋骨の形を浮かび上げている。艶のない髪の毛が疎らに生えた頭は既にミイラ化して骨が露出しており、何百年も着の身着のままだったかのようなぼろ布が全身にへばりついている。その裂け目から見えるのは、かつては肉体と呼び得た干涸びた残骸である。アルファ、ベータがうなり声を上げて慎重に間合いを詰め、円光も麗夢の前に一歩身を乗り出して鋭くにらみつけた。だが、その「客」はまるで怖じ恐れる様子もなく、既に機能を失って久しいはずの右手を無造作にあげ、強ばった皮を無理矢理引き剥がす音とともに、ゆっくりと麗夢を指差した。
「ミ、見つケタ。夢ノ姫、ミツケた」
 汚泥から沸き上がるガスのようにしゃべった「客」は、右手を麗夢に突き出した姿勢のまま、ゆっくりと前進を再開した。
「連レテ、イく。夢ノヒ 、姫ヲ・・・都まデ、連れテ行、ク」
 聞き様によっては歌を歌っているかのような、妙な間延びした旋律がある。だが、その声は平板でまるで感情のこもらない棒読みにしか聞こえない。それがかえって生命の無い者の残虐さを象徴している様でもある。その薄気味悪さは、大の男に十分冷汗を欠かせるに足る恐怖があった。
 だが、そんな程度の不気味さでは、この部屋に居る二人と二匹を、毛ほども動じさせる事はできなかった。
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2.拉致 その3

2008-03-30 12:32:33 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 まず、先頭に並ぶアルファ、ベータが、そのクリクリと良く動く大きな目から突然部屋を白く染め上げるほどの閃光を放った。それは、この世の者ならぬ邪悪な存在を打ちのめす生命エネルギーの固まりであり、弱い魔物なら一瞬で消し飛ばすほどの力がある。「客」はなんとか堪え忍んだが、わずかに人間らしさを留めていた皮膚が焼けただれ、その圧力に行き脚を止められた。
 その焦げ臭が届くよりも早く、麗夢の左脇から飛び出した拳銃が轟音を発した。イタリアの闇の名工、ジェッベットが、麗夢専用に改造した「大砲」である。
 部屋中を震わせて超音速で疾駆した銀の弾丸は、次の瞬間、見事「客」の頭を粉微塵に吹き飛ばした。と同時に、肉体の方も突風に遭遇した落葉のように、入り口のドアまで突き飛ばされた。そこへ円光が一足飛びに駆け込み、止めの一撃を放った。
「怨敵退散!」
 錫杖の先一点に法力を集中させた円光は、その全てを相手の体に叩きつける。たちまち「客」は爆発的に分解した。「客」がわずかな塵になってしまったのを見届けると、円光まだ拳銃を構えたままの麗夢に振り返り、険しく緊張した表情を和らげた。
「さすが円光さんね。一発で消し飛んじゃった」
「なんの、アルファやベータ、それに麗夢殿の拳銃も中々のもの」
「今の、何だったのかしら?」
「ええ。何やら、夢の姫、だか何だが言っておりましたが・・・」
 だが、円光はすぐに言葉を飲み込んで、再びドアの方に振り返った。
「ほう、中々勘が鋭いの、坊主」
「貴様! 何者だ!」
 叫びながら円光は、内心驚愕を覚えずにはいられなかった。戦闘直後の一瞬の隙を突かれたとはいえ、余りにもあっさりと背後を取られてしまったのだ。その戦慄にも似た驚きが、円光の額に脂汗となってにじみ出る。虚を突かれたのは麗夢やアルファ、ベータも同じであった。そして、やはりその異常な姿に驚きの息を飲んだ。突然現われたその男は、開け放たれたドアからおよそ5メートルばかり離れて不敵な冷笑を浮かべていた。ドアの外の廊下の幅はぼろアパートにふさわしく、ほんの1メートル弱しかない。その先は、ほとんど日が差さず、常に冷たく湿った関東ローム層の露出する地面が、3メートルほどの空気の層を挟んでいるばかりだ。そう。男は明らかに宙に浮いていたのである。
「下郎に名乗る名はない。坊主、引っ込んでおれ」
 正式には、狩衣と呼ばれる古風な和服を身にまとい、頭には、時代劇でさえ滅多に見ない烏帽子を高々と乗せて男は言った。肌の白さがまるで漆喰の壁のように見えるのは、白粉を全面に塗りたくっているからだろう。その姿は、まさについさっき話題にしていた京都の時代祭を練り歩く、平安貴族の格好そのものであった。
 平安貴族は、姿そのままの高飛車な態度で円光を一喝すると、その後で目を丸くしている麗夢に視線を向けた。
「さて、夢の姫殿。今日東国まで下って参ったのは、姫を都までお連れ申すためじゃ。不粋な真似をいたしたが平に許されよ」
「貴方・・・、誰?」
「みどもか? ふふふ、まだ思い出せぬ様じゃな、れいむ殿」
「れいむ殿って?」
 麗夢は、相手が自分の事を夢御前と間違えているのか、と考えた。確かにその格好から言っても、相手には自分より夢御前のほうが似付かわしい。
「ちょっと待って! 私は夢御前じゃないわ。綾小路麗夢、れいむじゃなくてれむなんだから!」
 だが、男は麗夢の抗議をあっさりと聞き流した。
「ほっほっほ、いずれ思い出されるよ。さあ、参ろうぞ、れいむ殿」
 男は右手をずいと麗夢の方に突き出した。麗夢は、気圧されるように二歩後ろに引き下がる。その麗夢をかばうように、無視された形の円光が割って入った。
「麗夢殿に、無礼は許さん!」
 リン、と錫杖の輪管が打ち合って、円光の不退転の決意を告げた。男はいったん出した手を引いて、円光を睨み付けた。
「下郎、無礼なるぞ。大体、その方れいむ殿の何じゃ?」
 思いもかけぬ質問に、円光は戸惑った。
「せ、拙僧は、麗夢殿の、その、なんだ・・・」
 想い人だ! とすっきり言えば楽なのだが、麗夢を前にしてそこまで言い切ってしまう自信が円光にはない。そう言うには、二人の間の赤い糸が、あまりにかすかにしか見えなかった。円光はそれを少しでも寄り合わせ、太く、確実なものにしたいと思うのだが、麗夢の態度は一向に友人の線を逸脱しない。そんな不安をずばり突かれた円光は、たちまち顔を真っ赤に染めて怒鳴りつけた。
「ええいそんな事はどうでもいい! 怪我をせぬ内にとっとと出ていくがいい!」
 円光の怒りは、不動明王の炎の如く大抵の魔物や人間を縮みあがらせる事ができる。だが、この平安貴族には、そよ風が吹き寄せたほどの影響も与える事ができなかった。
「無益な邪魔だてよの。みどもは前世から定められたれいむ殿の許婚じゃ。すなわち、れいむ殿とは、はるけきいにしえより結ばれる事が決まった仲。何人といえどもそれを割く事は叶わぬ」
 いいなづけだぁ? と驚きの余り絶句した円光を放置して、男は再び麗夢に言った。
「時が近い。夢守の約定の事も早く思い出していただかぬとな」
「夢守? 貴方、夢守の民と関係があるの?」
「みどもは、夢守一族の王にして全世界の支配者でもある」
「い、一体どういう事?」
「それも前世の記憶を思い起せばお分りになろう」
 麗夢には何が何やらさっぱり分からない。だが、どうやら一つだけ言えそうな事は、800年前の呪縛が、まだ自分の周辺に絡み付いたままになっているらしいという事だった。
 そんな麗夢の困惑ぶりを楽しむかのように、男は微笑んで麗夢に言った。
「ささ、参られよ、夢姫殿」
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2.拉致 その4

2008-03-30 12:32:25 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「いいかげんにせい!」
 円光は、実力をもって平安貴族の注意を自分の方へ向け直させた。単なる威嚇の姿勢をやめ、完全に叩きのめす積もりの一撃を、貴族の鼻先に撃ち込んだのである。榊のような武道の達人でさえ、円光渾身の一撃を避けるのは難しい。まして麗夢に気を取られているすきである。一閃の瞬きも許さぬ錫杖に、はっと驚いた貴族が反射的に手で頭をかばった、と見えたその時だった。麗夢、そして円光の目の前で、突然平安貴族が真っ白に破裂した。
「そのような大振り、当たるはずが無かろう?」
「なにっ!」
 円光の錫杖は、平安貴族の鼻面から紙一枚挟む隙間を余して、がっちりと空中に固定されていた。錫杖だけではない。満身の力を込めた円光の腕も、瞬速の踏み込みを見せた足も、全く同じく白い蔓のようなものが絡み付いてその動きを封じていた。
 それは、なめらかな軟体動物のように脈打ちながら、更に円光を締め上げた。
 先端が次々に枝分かれし、髪の毛ほどの細さになって奇怪に身をくねらせながら、先へ先へと絡み付く。
 次第に円光は白い蔓に全身をからめとられながら、元いた場所まで押し戻された。平安貴族は、右袖からその蔓の群れを伸ばしながら、平然と麗夢に振り返った。
「飛んだ邪魔が入ったがもう安心じゃ。さ、参ろう」
 麗夢は、思わず足を引いた。異常な恐怖などこれまで掃いて捨てるほど経験し、時に円光ですら舌を巻く豪胆さを発揮する麗夢が、この白面の化物に気圧されていた。この得体の知れぬ姿が、麗夢自身に眠る忘れられた深い記憶を呼び覚ましたのかもしれない。麗夢のひるみは傍らにいたアルファ、ベータにもはっきりと伝わった。いつにない主人の変調ぶりに困惑した二匹だったが、一歩、そして二歩と平安貴族の白い顔が迫るにつれて、持ち前の勇気を奮い起こした。二匹は全身の毛を逆立たせ、うなり声を上げて麗夢と貴族の間に立ちはだかった。
「ほう、姫君を護る霊獣か。しかし何という事じゃ。霊獣達まで我に逆らおうとは、末法の世とはかくも乱れるものか」
 一しきりため息をついた貴族は、ゆっくりと左手を懐に入れた。
「その方等の姫君を守り奉らんとする心がけは殊勝じゃが、我にまで歯向かうのはちとおこなるふるまいよ。よいか、これよりはこの高雅が姫君をお守り仕るゆえ、安堵してそこをあけるが良い」
「高雅。貴方、高雅って言うのね!」
 後退りながら、麗夢は思わず飛び出た相手の名前を連呼した。突然名を呼ばれた高雅は、今し方の失態に苦笑いし、懐から左手を出した。
「これは失言よの。思い出されるまで黙しておこうと思っておったのに、つい名乗ってしまったわ」 
 高雅の左手は、二枚の短冊を掴み出していた。表札ほどの大きさの紙には、朱と墨で何やら複雑な文様と文字が書き付けられている。高雅は軽く手首をひねってその二枚を二匹に投げた。短冊は、一瞬緊張して身を強ばらせた二匹の頭上にひらひらと舞った。
「危ない! アルファ、ベータ!」
 辛うじて口だけを自由にした円光が叫んだ。だが、アルファ、ベータの意識が円光の注意を理解した時にはもう遅かった。その瞬間、蝶のごとく一種華麗に舞っていた短冊は、はっと気づいたアルファの爪とベータの牙を潜り抜け、すっと二匹の額へ吸い付いたのである。
「ぎゃんっ!」
「アルファ、ベータ!」
 麗夢の叫びにも、二匹は答える事が出来なかった。まるで突然液体窒素の海に放りこまれたかのように全身が硬直し、爪一本、目蓋一つ動かす事も出来無いようになっていたからである。
「夢守の呪符よ。そうなっては絶対に動く事は出来ぬ」
「貴様! アルファ、ベータ、それに拙僧を放せ!」
「小煩き坊主かな。いっそねじ殺してくれようか?」
 高雅の言葉とともに、一時動きを緩めていた白い蔓がまた一斉に蠢きだした。円光は首を左右に振ってなんとか蔓を逃れようと必死になったが、蔓の動きは急速で次々と円光の顔にかぶさってくる。円光はこれが最後と残りの全力を振り絞って麗夢に叫んだ。 
「麗夢殿! こやつの右肩を銃で撃ちなさい! そこに奴の本体が・・・ぐわっ!」
 円光の言葉はそこまでだった。最期の悲鳴は、締め付ける蔓の力に抗し切れなくなったためかもしれない。実際円光は高雅の言葉どおりまさにねじ殺されるのを待つばかりであった。円光の鋼の肉体はきしみを上げつつもその圧倒的な力に耐えていたが、それが限界に達するのももはや時間の問題であったろう。アルファ、ベータも硬直しただけではすまず、白目を剥き、口から泡を吹きつつあった。息が出来ないでいるのだ。麗夢は選択を迫られた。この、高雅と名乗る謎の平安貴族とともにれいむとしてついていくか、それとも意を決して戦うかである。普段の麗夢なら、そんな事を悩みもしなかっただろう。たちまち右手の銃が火を吹いて、轟音一発、円光が指摘した相手の右肩を撃ち抜いていたに違いない。だが、この時の麗夢は明らかにおかしかった。呑まれているというのだろうか。相手の発する気にわけもなく怯え、抗いがたい何かを感じていたのである。麗夢は、すでに白い繭のようになった円光と窒息寸前のアルファ、ベータをもう一度見回し、ごくり、と息を飲んで高雅に言った。
「判ったわ。おとなしくついて行くから、みんなを放して!」
「・・・」
 円光の繭からくぐもった声が漏れた。恐らく、「麗夢殿!」とでも悲痛な叫びを上げたのであろう。それでも、いやそれ故に麗夢は決心を変えなかった。意を決してそれまでの後退を止め、怖ず怖ずと前に出た麗夢を、高雅は歓喜の声で迎えた。
「おお! ようやくお聞きわけくだされたか。それでは参ろうぞ、れいむ殿」
 高雅は真っ黒な口を見せつけるように唇を大きく釣り上げ、細い目をますます細くして、懐からまた一枚の短冊を出した。その短冊が音もなく飛翔し、麗夢の額に張り付いた時、麗夢の意識は暗転した。
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3.百鬼夜行 その1

2008-03-30 12:31:50 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 深夜2時。
 今年の秋は平年より暖かいと気象庁は言っていたはずだが、と榊は身震いしてコートの襟を合わせた。ここまでは酔いで火照ったせいもあってそう気にならなかったが、それも醒めて来るとかえって身にしみて寒さが厳しく思えてくる。顔をしかめた拍子に思わずくしゃみした榊の隣で、人なつこいつぶらな瞳が心配そうにのぞき込んだ。
「大丈夫ですか、榊さん」
「ええ、大丈夫です」
 榊は答えながら、なぜ自分はこの男と一緒にいるのだろう、とさっきから考え続けていた疑問をまた脳裏に浮かべた。決してこの男が好ましいわけではない。むしろ、敬遠したい質の輩なのだ。だが、どうしても振り切る事が出来なかった。
「あ! 今どうして僕と一緒にいるんだ、って自問自答してましたね!」
 榊は笑顔でのぞき込む男の顔をまじまじと見つめ、それが事実である事を男に悟らせた。
「まあ榊さんにはとんだ災難だったでしょうけど、やっぱりそのあたりをちゃんと教えて貰うまでは付き合っていただかないとね」
 男の名は浦辺貴之。年は三〇位の、榊より頭一つ低い背と榊の恰幅と変わらない横幅を持つ脂肪分豊かな男である。職業はフリージャーナリスト。主に超常現象を扱う雑誌を舞台にしている。そんな男がわざわざ京都くんだりまで来て榊に構うのは、もちろん理由があった。
「しかし榊さんもなかなか口が堅い。僕がこんなに取材に苦労したのは初めてですよ」
 屈託のない笑顔の奥で、人の心を見透かすもう一つの目がどん欲に輝く。
「君のしつこさも表彰ものだよ」
 榊は苦笑しつつも、いつまで自分が口を閉じていられるか、だんだん怪しくなってきている事を自覚していた。いっそ何もかもぶちまけてしまった方が気が楽になる。この男といると、少しずつそんな気が高ぶってくるのである。
 榊がそれに耐えているのは、東京渋谷にいる一人の少女の事を思えばこそである。だが、今にして思えばあの時自分も麗夢さんに記憶を消して貰うんだった、と榊は思わずにはいられなかった。夢隠村の事件。あの事件に関わったばかりに、自分は今この男につきまとわれているのである。
 現場で自衛隊のなれの果てが煙を上げているのを見ている時、これはやっかいな事になるぞ、という自覚はあった。多分自分が矢面に立つのだろうと言う事も、一応は予測していた。何しろ自分は正規の出張を取って、仕事でここにやってきた警察官だ。自衛隊だけじゃない。現職警官だって、かわいそうに一人智盛の刀の露と消えている。故に、これほどの大惨事を前にあとで知らぬ存ぜぬが通じるはずがない事くらい、榊には当然判っていた。だから、少しでもその問題を簡単にしておこうと、麗夢や円光の助力を仰ぎ、生き残ったもう一人の部下や、美衆家の子供達の記憶を消して貰ったのである。一人、いつの間にか姿を消した鬼童海丸と言う若者は逃がしてしまったが、それを除けば事後処理としてはまず満足できる結果だったと、その時は思った。万一のため自分は記憶を残して置いて貰ったのも、その時は正しい事だと思ったのだ。
 それが飛んだ間違いだった事に気づくのには、ほんの48時間もあれば十分だった。
 もともとガードが堅く、駐屯地という神聖不可侵の領域を持つ自衛隊は、徹底した秘密主義を貫いた。当該部隊とその部隊の所属する駐屯地では外出をいっさい禁止し、聞きたい事があるなら東京・霞ヶ関へ行け、と言うきり、言葉など忘れたように沈黙を貫いたのである。もちろん東京でも、マスコミが聞きたい事をしゃべる者は一人もいない。それなら現場だ、と意気込んで乗り込んだ大取材陣も、自衛隊によって厳重に固められた現場演習場と夢隠村の頑なな村民気質、それにこれはもちろん知る由もないが、麗夢達によって行われた記憶操作によってほとんど何の土産もなく帰るしかなかった。
 こうなってくると、にわかに脚光を浴びるのが榊である。
 現役の警察官として当該現場にあり、一部始終を目撃したに違いない人物。もちろん警視庁も箝口令を敷いて榊をかばったが、完全に世間から隔絶してもやっていける自衛隊と違い、警視庁のガードには限界があった。「何も見なかった」という公式見解も事態の沈静化にはあまり役に立たず、その日から、榊は行く先々でマスコミに追い回される戦いを強いられたのである。警視庁がその必要もないのに榊へ京都出張を命じたのは、そんなマスコミから榊を守る苦肉の策でもあった。
 幸い防衛庁や政府主催の学術調査団により自然災害説が定着したため、テレビ局、新聞社や出版社系雑誌などいわゆる大手のマスコミは榊の周辺からすでに去りつつある。しかし、その一方でフリージャーナリストと称する輩が、榊の元を訪れるようになってきた。中でも熱心だったのが、いわゆる超常現象を売りにする連中であり、中には榊が過去に扱った死神死夢羅の事件などをほじくり返して迫る者もあった。現役警察官として、そういった連中は全て丁重に玄関払いした榊だったが、一人、どう追い払ってもつきまとう男がいて、榊を弱らせた。それが、この浦辺貴之である。その矢先の京都出張ときて、榊は二つ返事で準備もそこそこに新幹線へ飛び乗ったというのに、今日、ばったりとその男に京都の繁華街で出くわしてしまったのである。浦辺は榊を目ざとく見つけると、つぶらな瞳をまん丸にして、喜びで身体を揺すりながら榊に近づいてきた。一瞬榊は逃げ出そうか、と思ったが、結局乞われるままに飲食を共にし、浦辺の語る豊富な話題に引き込まれつつ、深夜の京都を南へそぞろ歩いていたのである。
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3.百鬼夜行 その2

2008-03-30 12:31:43 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 そんな浦辺が、また話題を変えて榊に言った。
「ところで榊警部、昨日はどんな夢を見ました?」
「藪から棒になんだい?」
「いやあ、警部の口があんまり堅いから、一つ搦め手から攻めてみようかって思ったんですがね。で、どうです?」
「覚えてないな。見たかどうかも忘れた」
 素っ気なく榊が答えると、浦辺は落胆するでもなく話を継いだ。
「そうでしょうね。普通、特に意識でもしてない限り、夢を覚えている人はそうはいません。でも平安時代には夢が今よりもずっと大事で、日々の生活に影響を及ぼしてたんですよ。夢を解釈する専門の陰陽師もいましたし、中には忙しい貴族に替わって夢見を代行する役目の者までいたんです」
「夢を代わりに? そんな事をして何か意味があるのかね」
「ほら、他人の夢を買って出世する、なんて言う昔話があるでしょう? あれを実地でやってたんですよ。当時の貴族階級は、夢見役が見た吉夢を買い取ってたんです」
「でも吉夢ならいいが、見たのが悪夢だったらどうするんだ? 逆に自分達へ災いが降りかかるかもしれんじゃないか」
「それも、専門家がいたようですよ。夢守と言うそうなんですけどね、悪夢を浄化したり、逆に吉夢に変えたりなんて言う事をしてたらしいです」
「夢守・・・」
 確かあの鬼童という男もそんな事を言っていたな。
 榊は夢隠村での鬼童と円光の会話を思い出した。あの時はそれほど気にもとめなかったが、鬼童は確かに、綾小路麗夢、あの不思議な力でドリームハンターなどと言う危険極まりない仕事をしている愛くるしい少女が、夢守の民という一族の末裔だと言ったのだ。榊がそんな事を考えていると、浦辺がのぞき込むようにして榊に笑いかけた。
「さては榊さん、何かご存じですね、これに関わり合いのある事」
「え? い、いやなんでもない」
 榊があわてて見え見えのごまかしをしたその時だった。突然低いくぐもった音が鳴り、同時に歩くのがためらわれるほどに、地面が揺れた。
「また地震だ」
 榊の一言に、浦辺もそうですねと同意した。
「このところやたら多いですね。 京都がこんなに地震が多いとは知らなかったなあ」
 浦辺はうまく話をはぐらかされてしまった事を内心残念に思ったが、そんなことはおくびにも出さず、四条烏丸と表示された交差点の信号で、また話題を変えた。
「でもこの辺も変わりましたね。前はもっとこう京都らしさって言うか、何かあるな、って感じがあったんですけどね」
 浦辺は、すぐ側の地下鉄の入り口を見ながら榊に言った。
「君は、京都には詳しいのかね」
 ほっとして榊はその話題に付き合った。自分だけならともかく、麗夢の事を知れば直ちに東京まで舞い戻って、取材攻勢をかけかねない。ここはなんとしても自分でくい止めておかないと、と榊は思った。そんな榊の思いを知ってか知らずか、浦辺は思いつくままに語りだした。
「ええ、京都といえば歴史の宝庫。色んな不思議な話が一杯詰まった町ですからね。例えば、京都で祭られていると言えばなんと言っても怨霊ですよ。怨霊を祭ってある神社が実に25社もあるんです。一番有名なのはここから北西にある、菅原道真公の北野天満宮ですが、他にも八所怨霊といって、菅原道真級の大怨霊が八柱もましますんです。また、もう少し手前には我々にとって一番大事な安倍晴明を祭る晴明神社があります」
 さすがに千年の都と言う訳か、と榊は妙に感心した。
「この道は、さしづめ、平安時代の大通りの一つだったんだろうか」
 確かにここ烏丸通りは榊がそう思うのも無理はない広さを持つ道路だった。なかなかどうして、人口100万の地方都市には立派すぎるオフィス街だな、などと、京都人が聞いたら袋叩きにされかねない感想を抱きながら榊は歩きいてきたのである。それに今、目の前に現れた四条通りという大きな道は、デパートなどを挟んでずらりと商店が立ち並んでいる。平安時代の都大路というのもこんなものだったのだろうか、と想像しながら言った榊だったが、浦辺はあっさりとそれを否定した。
「いやあ、こんなもんじゃないですよ。平安京の中央通りと言えば朱雀大路ですが、これは何と、幅70メートルはあったといいます。逆にこの烏丸通りは、当時は烏丸小路と言って、幅7、8メートルくらいしかなかったらしいです」
「そうなのか?」
「まあ、平安時代の通りをこの現代に求めたって、ほとんど得られませんよ。例えば五条通りってありますでしょ? あの、弁慶と義経が出会った五条橋のある通りですよ。あれなんか、豊臣秀吉が当時の道から南に300メートルもずらして付け替えたんですよ。そんな風に時の権力者による都市再開発や、戦争、天災なんかで京都の町はいじり回されてきたんです。まあ当時とそう変わらないところを走っていると言ったら、この四条通とほら、あそこの綾小路通りくらいだと思いますね」
 説明しながら、すっかり車も絶えた交差点を渡って行く事約100メートル、二人の行く手に、また小さな交差点が姿を現した。
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3.百鬼夜行 その3

2008-03-30 12:31:32 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「この道が綾小路通りですよ」
 麗夢さんと同じ名前だな、と榊が通りを見通す。と、突然、魚が腐敗したようなすさまじい臭気を伴った生温い風が、左、即ち東の方角からべろん、と二人をなめた。ぎょっとしてその風の方向に視線を走らせた榊と浦辺は、幅4メートルもない狭い道路を溢れんばかりにしてやってくる、奇怪な集団を発見した。
「なんだあれは?」
 それは、集団そのものが光を発しているように、白くおぼろに闇へ浮かびあがっていた。榊が目を凝らしてみると、無数の白い触手が集団のそこここで脈打ちながらうごめこき、その動きが全体を覆う白い霧のようにぼんやりとまとわりついているようだ。榊はぞくっと背筋に悪寒が走り抜けるのを覚えた。
(百鬼夜行、だ)
 榊は、古い日本画の一幕を思い浮かべた。集団は、全員が白い触手をぼろぼろの布のように纏っている半裸、裸足の風体で、手足は骨が透いて見えるかのように細く、反対に腹だけは異様に膨れ上がっていた。男とも女ともつかぬ形相は、生まれてこの方一度も櫛など入れた事はないと思われるザンバラ髪の下で、破裂寸前まで大きく飛び出た目と、耳元まで裂けた口がいやらしげに嗤っている。中には、手足や目の足りない者も大勢いるようだ。榊はふと、麗夢さんが戦っている夢魔というのは、さしずめこんな姿をした連中なのだろうか、と思いついた。確かにその集団は、歴戦の勇士をしておぞけを震わせるものがある。
「きょ、京都はたくさん化物がいるところと言うけど、こんなの初めて見た・・・」
 榊は、凍り付いたようにその場に停止した浦辺の肱を取った。その手に浦辺の震えが伝わってくると、それに感電したように、榊の身体にもう一度悪寒が走り抜けた。
「君、こっちだ!」
 榊は、やっとの思いでもと来た道を引き返し、数メートル戻ってビルの影に浦辺を押し込んだ。
 ゆっくりと、百鬼夜行は榊の前にさしかかった。近くで見れば見るほど、その姿は異様で恐怖心をあおり立てる。実際、榊ほどの剛胆さがあればこそ、この至近距離でじっと観察の目を光らせる事ができたのだが、大抵の人間なら、恐怖の余り腰を抜かして失神するか、這々の体で逃げ出すかの二者択一を迫られた事であろう。現に怪しいものを追いかけるのが専門であるはずの浦辺が、榊のコートにしがみついて何やらぶつぶつとうめいている。榊は、そのフレーズに思わず東京にいる筈の円光を思いだした。浦辺は、一心に般若心教を唱えていたのである。だが、すぐに榊は、その浦辺の読経に重なる、奇妙な旋律に気がついた。
「やつら、一体何を歌っているんだ?」
 その歌は、何やら間延びした声で、一行の進行速度にふさわしいゆっくりした調子のものだった。
「・・・夢の御法は麗しき、綾糸二両寄り合わせ、夢の木生みませ夢の御子、出で給う世に参らせん・・・」
 奇妙な五七調が延々と続く。
(夢の木? 奴ら、夢の木と歌っているのか? それに夢の御子とは一体?)
 榊が疑問を膨らませる中、一行は一段と密度を増した。その中央に、大きな車輪を両脇に付け、すだれを垂らした車が二台、これもミイラのようにやせ細った牛に引かれて通り過ぎるのが見えた。その、二台目のぼろぼろに引きちぎれたすだれが、偶然鬼の一人に引っかかりでもしたのか、榊の目の前で大きく開いた。
(あれは!)
 一瞬、榊は驚きの余り叫び声を出しそうになった。碧の黒髪を幽霊のように顔にたらし、車の中に座り込む少女が一人、榊の目を刺激したのである。次の瞬間にすだれはもとの通りに下り、榊がその姿を捉えたのは瞬きする間もないほどであった。だが、敏腕と称される警察官の視力は、そこにありうべからざる人物の姿を見て取ったのである。
(れ、麗夢さん! 一体どうして?)
 榊は、何とかもう一度麗夢の姿を確認したいと願ったが、所詮普通の人でしかない榊には、追いすがるなどできる事ではなかった。自分に円光のような力の片鱗でもあれば、と榊は悔しがったが、これほど厳重に車の前後左右を固められた状態では、当の円光がこの場にいたところで、どうする事もできなかったかも知れない。
 そんな榊が飛び出したい衝動と戦っているうちに、とうとう百鬼夜行は榊の前を通り過ぎ、次第に小さくなって道の彼方へと消えていった。
「浦辺君、もう行ったぞ。しっかりしろ!」
 榊は、まだ目をつぶって手を合わせている浦辺を無理矢理起こした。
「今君はこの道を、綾小路通りと言ったな? それで間違いないんだろうな?」
 浦辺は真っ青な顔で榊の顔を見つめていたが、ようやく生気が戻ってきたのか、やっとの思いで口を開いた。
「そ、その通りです。綾小路通りです」
「どんな字を書くんだ?」
 浦辺はメモ帳を取り出すと、ふるえる手で読みづらい字を書き示した。それを見て榊は、確かにそれが麗夢の名字そのままである事を知った。
(やはり麗夢さんの名字か。そこに麗夢さんがどうして?)
 榊は、もしや見間違いではないだろうかと一応は考えてみた。これは、確かめてみなければならぬ。
(まずは麗夢さんの事務所だ)
と、榊は懐の携帯電話に手を伸ばした。
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4.座敷牢 その1

2008-03-30 12:30:53 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 暗く、冷たい闇が辺りを覆っている。一筋の光も見いだせず、真の闇はすぐ目の前にかざした手の平すら濃密に黒く塗りつぶしている。
 全くの静寂。
 自分の存在すら怪しく思えるほどに絶えて人の気配はなく、誰かを捜そうにも、眼球の底まで染み着いた暗黒の前には、どちらへ進んだらいいのか、いや、まっすぐ進む事さえできるのかすら分からない。
 あの日、普通の人と同じように見ていた筈の多彩な夢を奪われて以来、夢と言えばこのブラックボックスに封じられる事だ。恐怖の、不安の、そして悲しさのあまり全ての理性をかなぐり捨ててただひたすらにわめきたい衝動に襲われる。だが、それこそが夢を奪っていった奴の待ち望んでいる事なのだ。その事を知っているからこそ、こうして闇の浸食に耐え、必死の思いで夢が覚めるのを待つ。麗しき夢を取り返すその日まで、暗黒と戦い続けるのだ・・・。
 ふっ、と意識が皮膚の表面にまで浮かび上がった。
 筋肉を刺激されたまぶたがさざ波を起こしたように震え、しっとりと艶を含んだまつげが揺れた。秋桜の花弁にも似た可憐な唇から吐息が洩れ、夜気の残滓をぬぐい去る。開かれたまぶたの奥で漆黒の瞳に光が灯り、焦点を求めて二度三度とまばたきをした。
「おはよう、アルファ、ベータ」
と、いつもならおなかを空かせた毛玉が二つ、その目覚めに合わせて威勢良く尻尾を振っている様子が視界に飛び込んでくるはずだ。だが、今麗夢の前に現れたのは、稲妻のようなひび割れを走らせた白い漆喰の壁と、ややかび臭い畳。そして、一方の壁を埋める明らかに異質な木製の格子。座敷牢、と言うものを、ここで麗夢は初めて見た。
 牢の向こう側には、淀んだ時間に塗り込められた、くすんだ箪笥と小さなちゃぶ台とが置いてある。
 麗夢の寝具に当てられた上質なはずの絹の布団も、心地よい肌触りの程には快適な眠りをもたらさない。麗夢は、何か得体の知れないものに自分まで侵されそうな不安感に捕らわれた。麗夢の無意識が、時間が持つ真の恐ろしさに気付いたのであろう。ここでは、何もかもが「古い」のだ。
「お目覚めですか」
 成す術もなく呆然と目覚めの時を浪費していた麗夢の耳に、聞き慣れない声が届いた。振り向いた先の格子の向こうに、地味な茶色のセーターとGパンに身を固める見慣れない若者の姿があった。
「貴方、誰? ここは・・・?」
 麗夢は、ゆっくりと気を失う前の事を思い出した。
「確か事務所で円光さんといて、化物が襲いかかってきてそれから・・・」
 麗夢は目の前の男をしばらく見つめ、やがて、その顔が唐突に自分の記憶と重なった。
「あ、あなた!!」
 ほとんど面影など無いに等しい。事務所に襲来した時は仮装行列でもここまではしないだろうと思われるほどに、きっちりと平安朝装束に身を固めた上、顔は真っ白に塗りたくり、歯にはしっかりお歯黒までしていたのだ。その記憶と今見せている極めて常識的な現代衣裳、もちろん白粉などで顔を埋めていない、そんな姿とが一致するとしたら、そちらの方がどうかしている。だが、麗夢は何となく分かったのだ。この、一見しておとなしい陰気な青年が、自分を強引に拉致していったあの人物である事を。
 驚く麗夢の前で、青年はあいまいな笑みを浮かべつつ、麗夢に言った。
「初めまして、と言っていいのかな」
「貴方とは、つい最近お会いしました。随分強引な出会いでしたけど」
「ああ、すみません。僕、時々気を失って、二重人格って言うんですよね。もう一人の僕が動いている時は、何も記憶が無いんです」
 青年は相変わらずあいまいな笑みを浮かべたまま、持ってきた膳を麗夢の前に置いた。
 格子の一画がはずされ、膳が内側に押し込まれる。
「朝食です。ここに置きますよ」
「ここはどこ? 貴方は、誰なの?」
 今度ははっきりとした意識で、麗夢はもう一度同じ問いを口にした。
「僕の名は綾小路高雅」
「綾小路?」
 私と同じ名字だわ、と麗夢は目を丸くして青年の言葉を聞いた。
「そう。綾小路。何でも平安時代から続く由緒正しい名前だそうだけど。それからここは、同じく昔からある僕の屋敷。ただ、お婆ちゃんに口止めされているからこれ以上詳しくは言えない」
「お婆ちゃんって?」
「また後で紹介するよ。凄い人なんだ。きっと貴女も好きになると思うよ、れいむさん」
「私はれいむじゃないわ! れむ! 綾小路、麗夢よ!」
「ごめんなさい。でも、お婆ちゃんがそう呼べって言うんだ」
 またお婆ちゃんか。麗夢は昨日どうしてこの青年にあれほど気圧されたのか、理解できずに悩んだ。あるいはその「お婆ちゃん」が関係しているのかもしれない。これ以上何を聞いても今は答えてくれそうにない、と観念した麗夢は、勧められるままに箸を取る事にした。夢の世界ならともかく、現実世界での麗夢は、見かけにふさわしく、明るく活発な、しかしか弱い乙女の一人に過ぎない。その麗夢の腕力では、漆喰の壁も、10センチはあろうかという太さの木を組み合わせた格子も、到底破れるはずがなかった。
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4.座敷牢 その2

2008-03-30 12:30:47 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 盆の上には、実に豊富な野菜が盛りつけられており、その飾り切りされた様々な細工は、食べるのがもったいないくらい見事なものだった。また、添えられた漬け物もこれまた多彩で、数種類の彩り鮮やかなものが別の皿に盛り付けられていた。この様に見た目はふるやかに装っているのだが、箸を付けた途端、麗夢はたちまちその薄味に閉口した。これで味が付いているのか、と疑わしくなる淡泊さだ。おまけに、蛋白質は干物の魚と豆腐ぐらいで、脂肪となるとほとんど見当りそうにない。この精進料理を思わせる内容に、太る心配だけはない、と慰めては見たものの、あまりの味気なさには正直気が滅入った。生クリームたっぷりのケーキ、香辛料とケチャップ味で固めたホットドックやハンバーガー、その他日頃何気なく口にしていた食べ物達が無性に恋しかった。そんな気分で箸を付けるのだから、食が進まないのは当然である。
「いつまでここに閉じこめておく気な訳?」
 わずかに付けた箸を置いて、麗夢は座敷牢の前でただじっと自分が食べ終えるのを待っていた高雅に問いかけた。高雅は、その強烈な意志の力を込めた視線にたじろいだ。元々女性と、それも極めつけの美少女と話をするなど、高雅の心臓にはあきらかに過剰負担なのである。
「東夷の気に汚れ、垢じみてしまった心身をきれいにするまで、とお婆ちゃんが言ってた」
「だからそれはいつまでなの?」
「それは、知らない。近い内だ、とお婆ちゃんが言ってたけど・・・」
「だったら、そのお婆さんに会わせてちょうだい」
「それはできない。れいむさんの気が・・・」
「だから私はれいむじゃなくて、れむなんだって」
「ああ、でもお婆ちゃんがいうものだから・・・」
 二言目には、「お婆ちゃん」だ。
 自分でも二重人格だと言っていたが、あの大胆不敵、傲岸不遜な平安貴族と、地味なセーターを着て引っ込み思案の現代人と、どちらが本当の彼なのだろうか。まじまじと見つめられて、高雅の心拍が二割方早くなった。
「し、しかし、貴女のような、その、き、きれいな方が嫁に来てくれるなんて、まるで夢のようだ」
「記憶はなくても、その事はちゃんと覚えているのね」
 麗夢は立ち上がってぴしゃりと言った。膳に足が引っかかり、飛び上がった椀の味噌汁が畳にはねたが、麗夢は気にも止めなかった。
 結婚。
 麗夢にとってこの二文字は、漠然とした淡いあこがれ以上の何者でもない。
 夢魔を相手に戦う殺伐とした日々を送りながらも、人並みに恋愛もし、楽しみや悩みを経験したい。その先に、一つのゴールとして結婚という事態があるのだろう。だが、夢魔との決着は未だ付かず、恋、と呼べるほどの関係を持った事もない。それなのに、いきなり全てを飛び越してゴールイン! だなんて、どう考えても承知できるものではなかった。それも、こんな風に強引かつ無法に拉致され、閉じこめられての強要など、許せるはずがないのである。だが、目の前の若者は、そんな麗夢の心情をほとんど理解していない様子だった。
「あ? いえ、これはお婆ちゃんがいつも800年も昔から決まっていた人がいる、って話していたから・・・」
「それよ、それ!」
 麗夢は格子に掴み掛かり、ようやく核心にたどり着いたとばかりに高雅に畳みかけた。
「800年前に何があったの? 私とあなたに、一体何があったのよ!」
「それは・・・」
「それは?」
「実は僕も知らない」
 ぎゃふん、と言う擬音が、本当に脳髄を直撃したような気がして、麗夢の鋭気が一瞬で萎えた。一ぺんに力が抜けてうつむいた麗夢に、申し訳なさそうに、高雅が続けた。
「詳しい事は、お婆ちゃんに聞いてみないと・・・」
「お婆ちゃんお婆ちゃんお婆ちゃんお婆ちゃんって!」
 うなるように始められた麗夢のつぶやきは、たちまちその憤懣を糧にして、癇癪となって爆発した。
「貴男一体幾つなのよ! いつまでそうやってお婆ちゃんの言いなりになってるわけ? そんなので結婚なんて百年早いわ! 全く、マザコンよりもたちが悪いんだから!」
『高坊を悪く言うのは、たとえ宗家といえども許しまへんえ』
「誰!」
 叫びながら、麗夢はその声が高雅の祖母である事をほぼ確信していた。やっと黒幕にあいまみえる事ができる、と麗夢の気が張りつめる。が、本人がどこにいるのか、麗夢の位置からはどうもよく分からない。声からしてかなり近くにいるはずだ。
「お婆ちゃん、ええのか、もう」
『高坊、そろそろ教えてやらんと、儀式に間に合わんのや』
 一体どこに、と麗夢が見回す間に、高雅が一歩近付いた。一体何? といぶかしげに見ている麗夢の前で、高雅の口が開いた。
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4.座敷牢 その3

2008-03-30 12:30:40 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「何きょろきょろしていはんへ。ほんに、今日びの若い娘は落ちつきを知りはりまへんな」
「あなた!」
 二重人格、ではない。
 現代人の高雅、平安朝の高雅。そしてこのもうひとつの人格は! 
 驚く麗夢の目の前で、高雅の右肩が、ぽこり、と野球ボールほどに膨らんだ、と思った瞬間である。突然高雅の茶のセーターが編目を失った様にばらりとほどけ、代わりに、右肩から凄い勢いで無数の白い糸が吹き出した。あれよあれよと言う間に糸は高雅の全身を覆い尽くし、やがて一枚の布と化すと急速にある衣装へと収束していった。その間多分数秒とかからなかったに違いない。その僅かな間に現代人高雅は跡形もなく消え去り、平安時代の陰陽師、綾小路高雅が、高々と烏帽子を頭に乗せて登場したのである。麗夢はその瞬間この部屋の空気が一変した事に気がついた。頼りなげで猫背の高雅が、しゃんと背筋を伸ばし、大きく胸を張る。そして、突然豹変した口振りは、まさしく麗夢の事務所に現われた、あの高雅だった。
「紹介しよう。我が祖母じゃ」
『どうもご挨拶がおくれまして、私が高雅の祖母どす』
 同じ口から、全く音色の違う声が続けて出た。目をつむって聞いていれば、絶対に人間が二人いるとしか思えない。それほど完璧な「変身」であった。
『初めまして、れいむはん』
「わ、わたしは、れいむじゃなくて、麗夢・・・」
「いいえ、違います」
 辛うじて言い返した麗夢の言葉を、高雅の口を借りる「お婆ちゃん」ははっきりと否定した。
「貴女は、夢御前、麗夢はんです。800年もたってすっかり忘れはったようどすが、何、心配いりまへん。じき思い出してもらいます。高坊、あれ持ってきて」
 高雅は、言うだけ言うとすっと下がって後ろの箪笥から一本の掛け軸を出して戻ってきた。
『さあ、見てもらいましょ。これを見れば、きっと思いだしはるに違いありません』
 高雅は古ぼけた紐を丁寧にほどき、麗夢によく見えるよう、軸を広げて見せた。
「こ、これは・・・?」
 かなり色あせているが、朱、紫、黒の鮮やかさはまだ十分に見て取れる。紫の狩衣を身に纏い、腰まで届く黒髪を扇に開いて、一振りの横笛を一心に吹く美貌の少女。額に金の複雑な造形を施した冠を付け、舞を舞っているその姿は、今にも動きだしそうなほどに生気に満ちている。夢御前、麗夢の姿である。かつて、夢隠村で見たものとそっくり同じ絵が、麗夢の視線を否応なしに引きつけた。
『さあ、思い出しなはれ。かつて、れいむと名乗っていた頃の貴女を』
(いけない! この絵を見ては駄目!)
 麗夢は、唐突に絵を見続ける事の危険に気がついた。意識が、麗夢としての自意識が、目から絵に吸い出されていくように感じられる。と同時に、自分とは違う意識が流れ込んでくるような気配がする。周囲の時間が急速に流れを逆転させ、絵の描かれた瞬間へと奔流となって麗夢を押し流す。やがて絵の中の夢御前の姿がきらりと光って、急に赤いミニスカートの女の子に変わった。鏡像のようなその絵を見つめながら、早く目を離さないと、とわずかに残った麗夢の意識が叫んだ。だが、明らかにその警告は遅かった。絵は明滅を繰り返しながら、夢御前と麗夢を交互に映し出す。そして、夢とも現ともつかぬ希薄化した意識のぬるま湯の中に、麗夢を溺れさせていった。
 数秒間、辛うじて肉体を支えてきた筋肉が弛緩し、麗夢の身体はあえなく畳に崩れ落ちた。がしゃん! と派手な音を立てて、まだ食べかけの膳がひっくり返った。その途端、高雅を覆っていた白装束も瞬きする間もなく溶けた。高雅はさっきのセーターとともに本来の意識を呼び覚ました。
「お婆ちゃん! これは一体どうしたんや? お婆ちゃん!」
『高坊、ちょっと落ちつきなはれ。れいむはんには、少しの間、思い出してもらう時間が必要なんや。そうせんと、高坊のお嫁さんになってくれしません』
 高雅は一人二役を演じながら、急いで桐箪笥の一番上の引きだしから大きな鍵を取り出した。
『何しはんのえ? 勝手な事したらあかんで』
「そやかて、あのまんま膳をひっくり返しとく訳にはいかへん。それに、あんな格好、目のやり場に、困る」
 高雅が上気して言うのも無理はなかった。麗夢はまだ赤いミニスカート姿なのである。倒れた時の微妙な角度で、その中をのぞき見る事はできない状態ではある。だが、かえってその見えそうで見えないところが、高雅のうぶな純情を刺激してやまないのであった。
『そうか。でも、変な気ぃ起こしたらあきまへんえ。大事な儀式の前やさかい』
「お婆ちゃん!」
 高雅は顔を真っ赤にして古ぼけた錠前を古さにふさわしい音ともに開け、牢の中に入った。
『それ片付けたら始めよか』
「もうか?」
『だから、儀式に間に合えへんて言いましたやろ、高坊』
「うん」
 不気味な一人芝居の最中、高雅の右肩は膨らんだまま、得体の知れない蠕動を繰り返した。自分はこの男の血によって目覚めた。次はこの少女の血で更に大きく育つ時だ。右肩の膨らみは、その時を待ち切れないかのように、喜びに打ち震えていた。
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5.平安大学 その1

2008-03-30 12:30:33 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 歴史の街京都は、世界中から注目を集める文化遺産都市である一方で、日本有数の最先端学術研究都市でもある。発明、発見やノーベル賞受賞者の数で東大を圧倒する京都大学を筆頭に、古都の街並みに割拠する大学は数知れない。この平安大学も理工系に特化した学部構成で有名であり、京セラや島津製作所など、日本を代表する関西の理工系企業との共同研究で異彩を放つ研究者を数多く抱えている。市西部の葛野大路四条に建つ近代的設備の整った学舎は、寝食を忘れて研究に没頭する人々のために夜中といえども灯火が途絶える事はない。鬼童海丸は、そんな明かりに引かれる昆虫のように、長駆夢隠村鍾乳洞から、ここ平安大学のとある研究室に辿り着いていた。
 鬼童がわざわざ京都くんだりまで出向いてきたのは、もちろん理由がある。それは、夢隠村で辛うじて手に入れた、白い小さな粒のためであった。精神エネルギーを検知したそれは、明らかに時間とともに弱りつつある。何とかしたいが、残念ながら鬼童にはどうしていいかわからない。そこで鬼童は、自分にはない知識と経験を所有する、専門家の指導を仰ぐ事にした。幸い、鬼童の交友リストに、うってつけの人物があった。学生時代、植物学を専攻していた友人である。鬼童は直ちに西に足をむけ、ここ平安大学の地球生態学研究室の主、北岡俊弘助教授の元に直行したのだった。
 突然の訪問を受けた北岡は、鬼童に倍するゆったりとした格幅の身体を窮屈そうに椅子に預けていた。
「で、また急にどういう風の吹き回しや? お前さんの方からこっちに出てくるやなんて」
 研究者仲間における鬼童の評判は、さしていいわけではない。特に純粋に物理学を探求している古株は露骨に鬼童を嫌い、精神分析や心理学研究者などからは、裏切り者呼ばわりされている。結局、鬼童の提唱する超心理物理学という新分野が双方の権威から総スカンをくっているのである。もっとも、この画期的な新分野についてこられない旧守の研究者など、鬼童の方でも相手にしてはいない。学問の府、大学といえども、鬼童の目にかなうような優秀な人材は、そう多くはいないのである。その中で北岡は、植物学関係では鬼童も一目置く天才的手腕の持ち主であり、学生時代から妙に鬼童と馬が合う、という点だけでも、誠に貴重な存在と言えた。
 鬼童は勧められたお茶を一口すすると、訪問したわけを北岡に話した。
「実は、こいつを見てもらいたいと思ってきたんだ」
 鬼童は、親指ほどの太さしかない小さなサンプルビンを内ポケットから取り出して、北岡に見せた。
「多分僕は植物じゃないか、と思ったんだが、どうも良く分からなくてね」
「ほう? 天才にも分からん事があるんか?」
 言うのが北岡でなければ、それはかなりの毒を感じさせるせりふだ。だがもちろん北岡に鬼童を揶揄する意図など無い。学生の頃とまるで変わらない、関西弁による軽い挨拶替わりである。もちろん鬼童もそれは心得ており、苦笑で頬をほころばせながら黙ってサンプル壜を北岡に手渡した。北岡は満月に目鼻を付けたようなふくよかな顔にいたずらっぽい表情をひらめかせ、じっと金色の砂に鎮座する、角の二本はえた真っ白の粒を見つめた。
「こいつ、サボテンの幼苗やな。種から生えたばっかりみたいやが、それも、アルビノか」
「アルビノ?」
「ああ。よう見てみ。真っ白の身体しとるやろ? こいつは、生れ付き葉緑素を造る事が出けへん突然変異が起こってるわけや。こんな風な色素欠乏を、アルビノっちゅうんやで。で、このサボテンがどうかしたのか?」
「実は、それから奇妙な精神波を検知したんだ」
 鬼童は、発見直後の計測値をかい摘んで北岡に話した。
「つまり、これは何らかの精神活動を行い、精神エネルギーを放射している。心を持っていると言っても過言じゃないと思われるのさ」
 ここで余人なら笑い飛ばすか馬鹿にするか、とにかくまともに鬼童の話を聞こうともしないだろう。だが北岡は、表面上はさして動じる事もなく鬼童の話を受けとめた。
「植物が心を持ってる、とはな」
 北岡は湯飲みを傾けてお茶をすすると、鬼童に言った。
「確かに植物は、我々人間が想像してる以上に活発に情報をやりとりし、環境適応を計って生き延びてきた地球上最年長の生物群や。中でもサボテンは、特に過酷な自然環境に適応してきた、植物進化系の一極点と言っていい。そやけどだからゆうて心を持ってるっちゅうのは、ちょっと飛躍しすぎのように思えるな」
 北岡の専門は、植物におけるコミュニケーションの解明である。植物は、一見個々独立したもので、外の環境を感じ取れるような感覚もないように見える。だが、実際には驚くほど豊富な感覚器官を持っており、様々な揮発性物質を駆使して、離れた個体と会話でもするかのように情報のやりとりをしているのだ。そのコミュニケーションのあり方を解明すれば、人間もそれを応用して植物と会話できるようになるかも知れない、と言うのが北岡の考えである。現に、樹医と呼ばれる、植物と話しをしているとしか思えない熟練の技で、各地の枯れかけた古木をよみがえらせている人物もいる。その機微を掴み、誰でも植物と意志が通じるようにする事が、北岡の夢であり、目標でもあった。だが、その北岡をもってしても、鬼童の言う事はやや突飛に過ぎた。
 鬼童は、その反応を至極当然と思いつつ、ここに来た要件を切り出した。
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