西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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コンスエロ:声を失うということ

2013年08月06日 | サンド研究
G.サンドの『歌姫コンスエロ』『ルードルシュタット伯爵夫人』のヒロインは、その名前を何度も変えながら、ヨーロッパを横断し歌姫として生きてゆきます。モデルはサンドの友人でもあった,当時の実在のオペラ歌手ポーリンヌ・ヴィアルドです。フランス語の正確な発音では、二重母音はヤ行になるため、本来は「ヴィヤルド」としなくてはならないところですが、一般には「ヴィアルド」で通っているので、ここでは一般通念にしたがい、今のところは「ヴィアルド」と表記しておくことにしたいと思います。

ところで、歌姫コンスエロは声を失ってしまいます。
歌姫にとって最大の武器である「声」や「音」を失うとは、どのようなことを意味するのでしょうか。それは芸術家にとっては一生が台無しになってしまう危機的な状況。決定的なことのように思われます。

ところが、かつて女性の声とは思われない幅広い声域(コントラルト)と観衆を虜にする奥深い美声でオペラ界の女王としてヨーロッパの宮廷をも震撼させたコンスエロには、命とも思われる声を失ったことを後悔している様子はまったくありません。なぜなのでしょうか。
それは、最終章でコンスエロには人類の進歩と幸福を広める伝道師としての新たな使命が与えられるからなのです。

コンスエロが声をなくしてもさほど落胆しない理由は他にもありました。師匠ポルポラとともに歌姫コンスエロが精魂込めて紡ぎ出した聖なる音楽は、金銭にまみれ堕落した社交界では理解されることがなく、才能ある歌姫はそんな世界に愛想をつかしてもいたからでした。

コンスエロは自らの使命を果たすことに喜びを感じ、むしろ希望に胸をふくらませ、ルソーが提唱しモーツアルトやリストが夢見た新たな未来社会の到来を信じ(ここでは、王政が廃止され市民が政治を手にすることになるはずの大革命後の社会を示唆しています)、その教えを人々に知らせるべく、幼い子供たちと黄金に輝く道を歩んでゆきます。ヴァイオリンを携えた夫とともに。

18世紀が舞台のこの物語には、ウイーンの宮廷を取り仕切るマリーアントワネットの母、女帝マリア・テレジアや男装したコンスエロと共に旅をする少年ハイドン、あるいは不可解な人物サンジェルマン伯爵など、18世紀に著名な人物たちが登場します。

とりわけ注目されるのは、歌姫コンスエロが、サンドが描いた初期の作品に現れるヒロインたち、レリヤやアンデヤナのように、運命に翻弄され、男性に頼って生きる受け身の女性ではなく、自らの手で進むべき道を切り開いてゆく逞しい女性として描かれていることです。

日本では『歌姫コンスエロ』のみが翻訳され出版されていますが、実際にはこの小説は前編の『歌姫コンスエロ』と後編の『ルードルシュタッド伯爵夫人』から構成されています。したがって、読者が声をなくしたコンスエロを知るのは、前編ではなく後編になってからなのです。

サンドはフロベールと異なり筆の運びが速かったと云われるのが通常ですが、この大作に関してはこうした先入観は通用しないようです。この小説を書き進めるにあたり、作家が18世紀のヨーロッパ心性史を深く理解するために友人達から膨大な資料を借りて読み、時間をかけ苦心して書き進めていた、そうした事実が最近のサンド研究により明らかにされているからです。

ショパンと生活をともにしていた時期に書かれたこの長編ドラマには、哲学者のルソーやピエール・ルルー、オペラ歌手ポーリーヌ・ヴィヤルドの夫でサンドとともに『独立評論』紙を立ち上げたルイ・ヴィヤルド、詩人のミッキエヴィッチ、それにサンドの親友でポーリーヌのピアノの師匠であった作曲家リストの多大な影響が認められます。

当初この小説は『スピリデイオン』のような系列の中編小説の予定でしたが、最終的には、恐怖、狂気や愛、それにオペラ音楽や宗教的イニシエーションといった主題が立ち現れては交差する、幻想小説、歴史小説、恋愛小説の様相を呈した18世紀ヨーロッパを舞台とした一大長編ドラマに変幻したのでした。

さらにまた、モーツアルトの『魅惑のフルートLa Flûte enchantée』にも似ていることから、一種の「叙述されたオペラ」とも云われ、ロマン主義文学の最高傑作の一つに数えられていることを付記しておきましょう。


画像はルノワールの「ジャンヌ・サマリーの肖像」ピエール=オーギュスト・ルノワール(1877年)。サンドが他界した翌年に描かれた作品で、幸せな雰囲気が伝わってくるような絵画です。現在、横浜美術館で開催中の展覧会で見ることができます。「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」、9月16日(月)まで。




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