オリオン村(跡地)

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2007年通信簿 42 フリオ・ズレータ

2007-11-24 23:41:39 | 千葉ロッテ

42 フリオ・ズレータ 内野手 32歳 年俸2億6000万円

【2007年成績】 77試合 277打数 36得点 74安打 打率.267 10二塁打 1三塁打 15本塁打 51打点 2盗塁 46四死球 88三振 得点圏打率.338

死球による骨折での長期戦線離脱が痛かった1年でした。
来季は最低120試合以上の出場で、30本以上のホームランを期待したいです。

デビューは圧巻でした。
雨中の開幕戦で4点ビハインドの場面でダルビッシュから同点満塁アーチ、この一発にスタンドで身震いをしました。
まさに矢のような打球でスタンドに飛び込む弾丸ライナー、さすがズレータだと小躍りしたものでした。
そして4月から5月にかけてのホームランラッシュで、チームにとって久しぶりの40本塁打を期待させるような活躍でした。
そんな中での死球、無理を押しての出場での悪化、そして長期欠場ですから、悔しくてなりません。
外国人選手が怪我をしながら強行出場するなどは珍しく、まさにサムライ魂を持った選手だと思いますし、不振だった打線を思う心は歓迎すべきことだと思います。
ですので周りから止める勇気も必要だったのではないかというのは結果論に過ぎませんが、やはり残念ではあります。
結果的に彼の不在を埋めるべく獲得したオーティズが期待以上の活躍をしてくれたので、ズレータの頑張りはいろいろなプラスの作用ももたらしてくれたと思うことにします。
ズレータ、オーティズの長距離砲が、来季は1年を通して猛威を振るってくれることでしょう。

それにしても帰国してからの音信不通は、かなり心配しました。
オーティズの獲得の際には、もう帰ってこないのではないかと半ば諦めの気持ちもありました。

ズレータは戻ってくるのか (7/5 オリオン村)

福浦の不調や怪我もあって一塁の守備につく試合も多かったですが、こちらは正直なところご免被りたいのが本音です。
福浦と比較するのは酷ですが、横への動きやグラブ捌きはちょっと見るに耐えません。
長身を利したプレーもままありましたが、やはり本職はDHとしたいところです。

それにしてもツボにはまった時のパワーは、日本人では考えられないぐらいの凄まじいの一語に尽きます。
体の割と前の方ではたくように腕だけでのスイングで、ボールが面白いように飛んでいきます。
三振も多いバッターですがチャンスには強く、また打率も残せるだけに心強いです。
本来は開幕戦で座った4番を任せたいところですが、ロッテというチームが長年大砲不在でそういった前提の打線になっているため、いまひとつズレータやオーティズらが定着することが難しく、結局はサブローが適任で頑張ってくれています。
ですからズレータには福浦とサブローを返す立場の5番、ここを来季はがっちりと守って欲しいと思います。
ズレータの後に大松、オーティズ、里崎、今江と超強力打線を組むためにはズレータの踏ん張りにかかっています。
そろそろバレンタイン監督もお手上げの、不動のオーダーを見てみたいものです。

外国人選手に特有の外角低めに逃げていく変化球が苦手であり、また意外にも内角高めのストレートを打ち損じることも多いズレータですが、そんなことを気にせずに振り回すことが大事だと思います。
幸いないことにチームはいつの間にか打線中心に変貌しつつありますので、ズレータ1人に負担がかかることはありません。
少しでも間違ったらやられる、そういった恐怖感を投手に与えることは重要なことですので、三振かホームランでも構わないので気持ちのいいスイングをしてくれれば充分です。
割と悩みがちなナイーブな側面を持っているとのことですが、そこは仲良しの陽気なベニーにカバーしてもらいましょう。
来季も数多くの「幕張ファイヤー!」を期待しています。


【オリオン村査定】 2億6000万円 → 2億6000万円 (±0%) ※2年契約2年目

 

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島津家の野望 第7章

2007-11-24 02:53:40 | ゲーム

 

永正15年(1518年)春、加治木城の善久の居室に重臣たちが顔を揃えていた。

「しかし忠昌様が膝を屈するとは驚きましたな。」
筆頭家老の伊集院忠公がしみじみと呟いた。
「あれだけ苦労していた岡、隈本攻めもあっさり片が付くとは、こは殿のご威光かと存じまする。」
二番家老の新納忠武が頷きながら続けた。
「おだてるでない。代替わりで皆が奮起してくれたおかげであろう。」
島津家当主、島津善久が苦笑混じりに答えた。
「忠昌様が旗を降ろされたは嫡男の忠治殿のご尽力によるところが大きい。惜しい方を亡くしたものよ。」
本宗家・島津忠昌の嫡男・忠治は、伊作家への臣従が決まった半月後に30歳の若さで病没していた。
「忠治殿の必死の説得に、忠昌様もついに観念なされたと聞いておりまする。」
「ご子息の忠朗殿が忠治殿に協力されたからこそ、と忠隆殿が申しておりました。忠公殿はよい跡継ぎをお持ちで羨ましい。」
忠公の言葉に、肝付城から復帰したばかりの肝付兼固が続けた。
忠隆とは島津忠昌の次男、忠治の次弟にあたり、忠治の病死により本宗家の跡継ぎとなっていた。
「確かに。忠朗殿が本宗家に出仕したと聞いた時には驚きましたが、こういった深慮遠謀があろうとはさすがは忠公殿でござる。」
三番家老の樺山長久の言に、忠公はまんざらでもない表情を隠さなかった。
「あれは忠朗が勝手にやったこと、どうも我ら親子は仲が悪うて忠朗が戻ってきて居心地がちと悪くて困る。」
忠公の照れたような表情に、重臣たちは笑いをかみ殺していた。

「これで後顧の憂いなく、九州統一に専念できまするな。」
忠公が表情を引き締め、地図を広げた。
「伊東殿には城井谷を本拠に、大内殿の城を攻め落としていただきまする。また忠朝殿には府内を足場に四国の攻略をそのまま続けていただきまする。」
「成久殿は柳河を本拠にして横岳殿の攻略に専念いただき、相良殿には隈本から成久殿の支援をしていただきまする。」
忠武が続けた。
「殿には忠朝殿が岩瀬を陥として後、府内にお移りいただきまする。」
「四国方面が手薄に思えますが、忠朝殿だけで大丈夫でしょうか。」
善久の嫡男、忠良が心配そうな表情で善久に問うた。
「うむ。府内に移った頃には北九州の有力武将も傘下に入っておろう。それらを運久殿に預け、第六軍としようと考えておる。」
既に話を聞いていたのか、相州家・島津運久が小さく頭を下げた。
「なるほど、運久殿であれば適任でございます。これで細川殿からの攻勢も何とか凌げましょう。」
管領・細川政元は既に34ヶ国を支配しており、九州にもその手を伸ばし始めていた。
「後顧の憂いがなくなったからには、細川殿の思い通りにはさせぬ。九州の強兵で畿内の弱兵など打ち破って見せようぞ。」
善久の言葉に、重臣たちが大きく頷いた。


永正13年(1516年)夏  幕府より問註所執事に任ぜられる。
永正13年(1516年)秋  朝廷より正六位下・薩摩守に叙任される。伊東尹祐が岡城を下し、大友家を滅ぼす。
永正13年(1516年)冬  朝廷より正六位上・大内記に叙任される。相良治頼が隈本城を下し、菊池家が従属する。
永正14年(1517年)秋  島津忠朝を大将とした軍を岩瀬城の攻略に向かわせる。伊東尹祐を大将とした軍を城井谷城の攻略に向かわせる。
永正14年(1517年)冬  隈本城の菊池政隆が臣従する。伊東尹祐が城井谷城を下す。
永正15年(1518年)春  朝廷より従五位下・甲斐守に叙任される。清水城の島津忠昌が臣従する。

 


2007年通信簿 41 小林宏之

2007-11-24 00:23:24 | 千葉ロッテ

41 小林宏之 投手 29歳 年俸1億3000万円

【2007年成績】 25試合 13勝3敗0S 防御率2.69 170回2/3 157被安打 9被本塁打 38与四球 4与死球 163奪三振 被打率.243

ここ3年間は主力投手として貫禄の投球を続けながらも清水や渡辺俊の後塵を拝していた感がありましたが、今年の活躍で一気にエースの称号に手の届くところまできました。
成瀬とともに左右の両輪としての活躍は見事で、来季は初の開幕投手を狙うことになるでしょう。

小林宏の凄いところは、調子が悪くてもそれなりのピッチングが常に出来るところです。
今年の貯金10は特異なことでもなく、昨年が3で一昨年は6と貯金を作れる投手です。
これは中継ぎ投手としてスタートした経験、無駄な失点をせずに試合を壊さないようにしてきた実績が活かされているように思えます。

そんな小林宏を支えているのはやはり制球力、無駄な四球を与えないピッチングスタイルです。
針の穴を通すようなコントロールを持っているわけではありませんが、調子が悪くともストライクを簡単に取れる高いレベルの制球力が彼の武器となっています。
彼が四球を簡単に出した時には何かがおかしいと思えるほど、四球を出さない投手として有名になりつつあります。
また低めを丁寧につくピッチングスタイルがフォークのキレとともに際だっており、ここぞという場面で三振が獲れるのもストライク先行で自分の土俵で勝負できているからこそです。
この安定感はチームにとって宝であり、何としてでもメジャー流出は避けたいところです。
FAが9年という制度が続けば順調にいって2010年に権利獲得ですから、3年後には大騒ぎになりそうです。

そんな小林宏の課題は、やはり下半身強化だと思います。
CSでもありましたが、下半身の痙攣で降板するケースが最近増えてきました。
これは単に走り込みが足りないというような単純なものではないでしょうが、立花スタイルの弊害が理由の1つではないかと疑ってはいます。
何にせよYFKの不調で終盤は完投が増えたものの、それまでは6~7回という割と早いイニングでの交代が多かったことはエースを狙う立場としては物足りないと感じています。
昔のように先発完投が必須とは考えていませんが、中6日が保障されている以上は120球で8回を最低ラインに考えて欲しいと思います。

またシーズン終盤に調子が落ちたこと、この癖も何とかしたいところです。
開幕ダッシュして8月に最高潮となり、そして9月以降に調子を落とすというパターンが毎年のように続いているように思えます。
ここまで何年も先発としてやってきているのに1年間を投げ抜くスタミナがないとは思えませんので、どこに理由があるのかを模索して欲しいと思います。

来季の開幕投手は小林宏が最有力候補です。
本人は今年も狙っていたように積極的ですから、余程調子が悪くない限り鉄板だと思います。
来季はエースとして他の先発陣を引っ張るような言動を期待していますし、15勝を目指して頑張って欲しいと思います。


【オリオン村査定】 1億3000万円 → 1億9000万円 (△46%) ※2年3億8000万円

 

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