オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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長谷部を外して・・・微妙なドラフト

2007-11-19 22:13:39 | 千葉ロッテ

大学生・社会人ドラフトは入札した長谷部を外して、非常に微妙な結果に終わりました。
高校生ドラフトと同様に全員が投手、中長期的には非常にまずい戦略だと思います。

大場の6球団はともかくとして、長谷部に5球団の入札があるとは思いもよりませんでした。
そして最後の最後に長谷部に切り替えた楽天にさらわれたわけですから、笑うに笑えません。
一方で私が推していた加藤はヤクルトが単独指名、非常に悔しい思いでいっぱいです。
この加藤、東京六大学で30勝をマークしながらの単独指名は意外で、いろいろと考えてしまいます。
在京志望が強いことで他球団が敬遠したとも思えず、やはりリーグのレベルの問題なのでしょうか。
秋のリーグ戦で三冠王を獲った田中幸長(早大)ですら指名漏れしたわけですから、30勝を額面通りに受け取ってはいけないのかもしれません。
いずれにせよロッテのスカウトが同じ左腕で長谷部を選択したわけですから、スカウトの眼力を信ずるしかありません。

そして抽選を外した後の再入札は服部泰卓(トヨタ自動車)という小柄な25歳の左腕、例年なら3巡目以下のレベルとも言われる投手に3球団が入札したわけですから今年の不作ぶりがうかがえます。
こちらは見事にバレンタイン監督が引き当て、2回外しという最悪の事態は免れました。
3巡目が秋口になって急速に評価の上がった根本朋久(横浜商大)という左腕、よほど左腕不足を懸念しているのでしょう。
4巡目が球に力があるものの制球力に課題があると言われている伊藤義弘(JR東海)、5巡目の下敷領悠太(日本生命)は俊介二世と言われています。
いずれもやや否定的なコメントを残しましたが、個々の指名を考えれば特徴のある投手を指名した良いドラフトであったと思います。

ゼロか100の可能性!

YFKの解体が現実的なものとなったことで、即戦力の投手を補強するという方針は間違っていないと思います。
服部は藤田の代わりになってもらわなければ困りますし、伊藤は藪田の後釜と考えているのかもしれません。
下敷領も渡辺俊のエキスを吸収して、先発要員としての期待を持てます。
見事にはまってくれれば、来季の最大の懸念であった投手陣の再構築に大きな力となってくれるメンバーです。
しかし逆に言えば、根本以外の3人は来季25~26歳で、荻野・手嶌・古谷・川崎・田中良らと同世代になるわけですから、来季に1軍でやっていける足がかりをつかめなければ2年程度で解雇になってもおかしくない立場にさっそく追い込まれることになりかねません。

現在の主力が30代前半、そして期待の若手が22歳以下にひしめいていることを考えれば、25歳前後の投手に新しい血を入れて活性化することは悪いことではありません。
この世代に先発や中継ぎの軸になってくれる投手がいないと、清水らが抜けるであろう3年後には悲惨なことになります。
荻野と川崎に加えて、服部や伊藤らが戦力になってくれれば、これは非常に心強い布陣となります。

しかし、しかしです。
高校生ドラフトの時にも書きましたが、とにかく投手が多すぎます。
藪田と小林雅が抜けたとしても、野手30人に対して投手は35人となります。
新外国人として投手を獲得することも確実ですから、事態はさらに悪化します。
ただでさえ2軍に投手がひしめき合って出番が少ないところに、即戦力として期待される中堅どころが大量に加入するわけですから、伸び盛りで実戦で鍛えなければならないはずの高卒1~4年目ぐらいの投手が割を食うことになるでしょう。
浅間、三島、林、木興らから来季オフに戦力外が出てもおかしくなくなりますし、相原や中郷らの大学生・社会人出身の選手もうかうかできません。
弱肉強食で勝ち抜いた者が生き残るのが当たり前の世界ではありますが、出番すら与えられずに消えていく選手たちを見るのは不憫でなりません。

浦和オリオンズでも立ち上げましょうか!

冗談抜きで、四国アイランドリーグへの選手派遣が他球団の嫌がらせで実現しないのであれば、それこそフューチャーズと同じようにロッテ単独で3軍チームを立ち上るべきです。
そして地方の独立リーグや社会人チームとの練習試合を年間50~70試合ぐらいこなすようにしないと、貴重な才能を無駄に潰してしまうことになりかねません。
育成枠でも5人を獲得したことからもフロントは何らかの対策を考えているとは思いますが、妥協することなく真剣にいい方法を模索して欲しいと思います。

そして中長期的には野手を獲得しなかったこと、これは空白の世代を生みかねませんし、また投手とは逆に競争が起きない事による弊害が心配です。
定岡が外野を守ったりしている状況で、野手の素質もある阿部あたりがチームの方針に翻弄されやしないか心配です。
藤井の悲劇は二度と起こしてはなりません。
育成枠で捕手、内野手、外野手を1人づつ獲ったのがその対策かもしれませんし、またトライアウトで1人ぐらい野手を補強するかもしれません。
しかしこれはあくまで二の手であり、中長期的展望に立てば年齢別選手構成を考えた補強を毎年やっていく必要があります。
慢性的な野手不足で2軍での試合もままならない状態が3年程度も続いていること、これは将来的にチームが一気に瓦解する可能性を秘めていることであると強く訴えたいです。

何にせよ、今日ロッテに指名された9人の選手たちが近い将来に1軍でプレーしてくれることを心から願っています。
服部と伊藤が荻野や川崎らと「Hi!OK!」カルテットを組み、角中に続いて若い白川や大谷が才能を開花してくれることを、来季に向けて夢想していますので頑張ってください!


【ドラフト指名選手の横顔】
1巡目 服部泰卓 投手 左 25歳 トヨタ自動車  174センチ・72キロ
横の変化で勝負する、ストライクゾーンを広く使える安定感のある左腕


3巡目 根本朋久 投手 左 21歳 横浜商大    178センチ・78キロ
スリークォーターからキレのいいボールを投げ、三振の取れる投手


4巡目 伊藤義弘 投手 右 25歳 JR東海      177センチ・75キロ
綺麗なフォームから140キロ台のストレートを武器とする右腕


5巡目 下敷領悠太 投手 右 24歳 日本生命   184センチ・75キロ
ストレートは120キロ台、まさに渡辺俊介二世


【育成枠指名選手の横顔】
1巡目 池田健    投手   右 17歳 青藍泰斗              175センチ・75キロ
140キロ前半のストレートを武器にする、一本背追い投法の独特なフォーム


2巡目 宮本裕司  捕手   左 24歳 高知ファイティングドッグス  182センチ・85キロ
今シーズン打撃8位で足もある捕手


3巡目 小林憲幸  投手   右 22歳 徳島インディゴソックス    181センチ・80キロ
ダイナミックなフォームから150キロ近いストレートを投げ込む


4巡目 白川大輔  内野手 右 19歳 高知ファイティングドッグス  171センチ・74キロ
外野から内野に転向し、伸長著しい若手


5巡目 大谷龍次  外野手 右 19歳 日立製作所厚木(軟式)   178センチ・77キロ
樟南高校出身で軟式チームに所属する変わり種、強肩が魅力

 

コメント (9)

島津家の野望 第6章

2007-11-19 00:21:18 | ゲーム

 

永正13年(1516年)夏、加治木城の大広間に主立った家臣が顔を揃えていた。

「善久、今日よりそなたが島津家当主ぞ。」
島津久逸が嫡男・善久に向かって言った。
「謹んで家督を相続させていただきます。今後ともご指導の程、よろしくお願いいたします。」
やや紅潮した顔を父に向けた善久は、深く頭を下げた。
「そなたも既に50歳、むしろ遅すぎた感もある。今後は存分に腕を振るうがよい。」
久逸はそう言うと、立ちあがって上座を空けた。
善久は戸惑いながらも上座に座り、居並ぶ家臣たちに決意の表情を向けた。
「父上ほどの力は私にはないが、私は私である。これからも父上と同様に、私に力を貸して欲しい。」
「かしこまってござりまする。家臣一同、善久様に忠誠を誓いまする。」
筆頭家老の伊集院忠公が平伏すると、他の家臣たちも同様に平伏した。
「うむ。引き続き忠公に筆頭家老、忠武に二番家老を申しつける。成久殿、忠朝殿、伊東殿、相良殿、そして我の5軍体制もそのままとする。」
代替わりによる変化を心配していた家臣たちから、安堵のため息が漏れた。
「加えて三番家老に長久を任ずる。」
「私めがでござりまするか。」
樺山長久が驚いた表情で善久に問いかけた。
「当家に仕えてから十余年、そちの働きは皆も存じておろう。本宗家との繋がりもあり、忠昌殿と交渉するにはそちが適任でもある。」
本宗家から出奔してきてから久逸の側で内政を司ってきた長久は、既に譜代としての地位を築いていた。
「長久殿、殿の補佐を頼みましたぞ。」
「長久殿が殿のお側にいてこそ、我らも安心して戦えると言うものよ。」
忠公と忠武の言に、多くの家臣たちが頷いた。
「かたじけなきお言葉、この長久、一命を賭して殿の為に働きまする。」
涙混じりの長久の言葉に、微笑みながら頷く善久の姿があった。

「して忠公、各地の動向はいかがなっておる。」
「正直申し上げまして、あまり順調とは申せませぬ。」
忠公は地図を広げながら、苦々しい表情で答えた。
「隈本城攻めは既に3年も城を囲んでおりまするが、未だ菊池殿は意気盛んとのことでござりまする。」
「加えて、岡城攻めも成久殿が失敗して後に伊東殿が引き続き城を囲んでおりまするが、未だ糸口を見いだせないとのことでござりまする。」
忠武が続けた。
「理由はどこにあると考える。」
「やはり補給路の問題が大きいかと。薩摩より肥後、豊後への補給は困難を極めまする。」
忠公の言に、忠武も頷いた。
「やはり各々の本拠を北上するがよいかと存じまする。」
「しかし加治木は忠昌殿の動向を考えれば、空けることはできないのではないでしょうか。」
それまで黙っていた島津忠良、善久の嫡男が口を開いた。
「やはり清水城に使者を送り、忠昌殿にご納得いただくことが急がれまする。」
忠公は久逸の顔を横目で窺いながら、厳しい表情で善久に言った。
「場合によっては・・・」
「もうよい。本宗家の事は大殿と長久とに任せて、そちらは引き続き肥後、豊後の攻略に向かうがよい。」
善久の言葉に、家臣一同が平伏した。

「しかし思い切りましたな。」
久逸の居室で、忠公が久逸に言った。
「やはり細川殿の動向でござりまするか。」
「うむ、当家にもかなりの素破が入り込んでいるようだ。」
「当家に限って細川殿の誘いにのる者がいるとは思えませぬが。」
忠公の言に、久逸が強い表情で答えた。
「今はよい。しかし我も76歳で、いつ死が訪れるか分からぬ。」
「それゆえ善久殿に家督を譲られ、家中を引き締めるということでござりまするか。」
「我が死ぬことでの相続となれば、家中が動揺して細川殿に付け入る隙を与えかねぬ。」
「大殿のご意向、この忠公、確かに承りましてござりまする。善久殿を中心とした新しい島津家を作ってみせましょう。」
忠公の言葉に、久逸は満足げに頷いた。


永正7年 (1510年)春  島津成久を大将とした軍を岩尾城の攻略に向かわせる。相良治頼を大将とした軍を岩尾城の攻略に向かわせる。
永正7年 (1510年)冬  島津忠朝を大将とした軍を府内館の攻略に向かわせる。伊東尹祐を大将とした軍を府内館の攻略に向かわせる。
永正8 年(1511年)春  島津忠朝が府内館を救援にきた筑後国・国人衆の黒木家永を撃退する。
永正8 年(1511年)夏  島津忠朝が府内館を救援にきた豊後国・国人衆の山下長就を撃退する。
永正8 年(1511年)冬  相良治頼が岩尾城を下し、阿蘇家が従属する。伊東尹祐が府内館を下す。
永正10年(1513年)春  島津成久を大将とした軍を岡城の攻略に向かわせる。
永正10年(1513年)秋  相良治頼を大将とした軍を隈本城の攻略に向かわせる。
永正11年(1514年)春  幕府より問註所執事に任ぜられる。
永正11年(1514年)冬  岩尾城の阿蘇惟長が臣従する。
永正13年(1516年)春  朝廷より正四位上・中務卿に叙任される。島津成久が岡城の攻略に失敗する。伊東尹祐を大将とした軍を岡城の攻略に向かわせる。
永正13年(1516年)夏  島津久逸が隠居し、嫡男・善久が家督を相続する。